株式会社 アイソー




2005年12月の日記

2005年の最後に

[2005年12月28日(水曜日)|No.917]

 昨日は業務多忙のため、このカキコミは休ませて頂きました。
さて、いよいよ今日が最後の営業日です。本日は全員で社内大掃除です。私もひさしぶりに両階のトイレ掃除を入念に済ませました。やはり怠けていると正直なもので、その掃除は大変になるものです。
 
大掃除も早々に片づき、社員の皆さんは5時前には退社できました。私は今、やっと遅かりし年賀状の作成が終わり、こうしてパソコンの前に座ったところです。
 
またまた親バカな話題で恐縮ですが、長女が8ヶ月のオ−ストラリア留学を終え、明日帰ってまいります。今朝方、その彼女からメ−ルが入っていて、ちょっぴり嬉しくなりました。ホ−ムステイ先の本当に良くして頂いた家族と別れなければならないため、かなりセンチメンタルになっていたのでしょう。このオ−ストラリア留学が彼女の人生の中で本当に貴重な体験だったとの内容です。しかも私達両親に対しても感謝の気持ちをしっかりと伝えてきました。
私も早速、これは全てあなた自身の力で切り開いたのだから、サポ−トしたからと言ってお礼なんか不要との返信を入れましたが、現地を離れる本人に届いたかどうかは定かでありません。
 
昔から「可愛い子には旅をさせよ」と言われていますが、まさにその通りです。いつまでも子どもだと思っていた子が、だんだん人の機微が解るようになってきています。ちょっぴり嬉しいやら寂しいやらの気持ちが入り混じった、複雑な思いに駆られています。この娘を迎えに明日は関空まで出掛ける私は、やっぱり○○○チャンリンですね。
 
1年間、いろいろとお世話になりました。拙いこの欄もときどきは覗いていただき、本当に感謝しております。皆様にとって来る年が素晴らしい年でありますよう、祈念申し上げます。私も絶対良い年にします。ありがとうございました。
 
新年は年始挨拶廻り等のため、10日よりカキコミを再開させて頂きます。


暮れの話題あれこれ

[2005年12月26日(月曜日)|No.916]

 昨日はクリスマスだったのですが、山形県のJR羽越線で特急電車が脱線転覆するという事故が起こってしまいました。今なお車内には一人取り残されているというのですが、この暮れにきて本当に痛ましい出来事です。乗り合わせていた方々は、そんなことを全く予想にもしていなかっただけにお気の毒な話です。犠牲になった方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。
 
3冠馬で無敗のディ−プインパクトが有馬記念でとうとう敗れてしまいました。馬券を買うことはありませんが、競馬ファンでなくても注目を集めている馬です。私も興味を持ってニュ−スを見ていましたが、いつにもなく最後の伸び足に欠けたようです。雪等の影響でおそらく調整がいまいちだったのでしょう。でも久しぶりに登場した強い馬ですから、この先大事に調教しながら、私達素人でも応援したくなる、素晴らしい馬であり続けていてもらいたいものです。
 
仕事から家に戻り夕食後、女子フィギアスケ−トの全日本選手権をテレビでじっくりと眺めました。
いや−凄いですね。日本の女子のレベルはこんなにも高いのかと、つくづく知らされました。
この大会は五輪出場最終選考会も兼ねていたらしく、大会後出場選手の3人が決まりました。
でも選ばれなかった恩田選手とか中野選手の演技も素晴らしいもので、選考選手と比べても、何ら遜色はありませんでした。そう言ったらまた叱られるかもしれませんが、今季不調の安藤選手に比べたら良かったように見えるのですが、これも昨季からのポイント通算と言うから仕方ないところです。とにかくそのレベルの高さに目を見張りました。トリプルアクセルとかダブルル−ツと言われたって、こちとら素人にはよく解りませんが、ジャンプの回転が成功したか否かぐらいは判ります。
この主力選手ほとんどがノ−ミスの演技で自分の力を出し切っていたから、このように見応えがあったのでしょう。浅田真央ちゃんが出られないのが残念ですが、トリノでは十分期待の持てるものです。
 
こんなわけで、書こうと思っていた年賀状が一向に進みません。今年もまた同じパタ−ンになりそうです。


人という要素

[2005年12月22日(木曜日)|No.915]

 忙しい仕事が続き、ただただ感謝あるのみです。社員の皆さんも、その仕事をできる限り年内に詰めておこうと毎日遅くまで頑張ってくれています。本当に頭が下がる思いです。
 
そんな忙しい間を縫って、先日17日の晩、会社忘年会をやっと開くことができました。2名の欠席があったとは言え、参加者は社内に詰めていただいている専属の外注さん2名を加え、10名です
気がつけば我が社も知らず知らずの間に、少しづつ人数が増えていました。このすぐあとに現場経験者であるシルバ−さんがまた1名増えましたから、外注さんを除き、総勢で11人体制です。
また春先からは中国人研修生2名も加わりますから、もっと賑やかになることと思われます。
 
ささやかな忘年会の席でも感じましたが、少しづつ人間が増えてくると、会社内も活気が出てきて楽しいものです。やはり仕事は楽しく、大勢で和気藹々とやりたいものです。そしてそうした中、結果として一人ひとりに利益の還元ができ、少しでも豊かな毎日を過ごすことができたらと願います。社員ばかりではなく、お客様にも生かされていることから、人という要素は偉大なるものだと実感しています。


新幹線

[2005年12月21日(水曜日)|No.914]

 船橋のお客様から引き合いを頂き、出張で東の方にはひさしぶりに新幹線に乗ってきました。
偶然でしたが、往きも帰りも700系車輌の、のぞみタイプでした。この車輌は通常のこだま車輌に比べ結構快適なものです。そして特に帰りに感じたのですが、新横浜−小田原間など、のぞみ並のかなりのスピ−ドで飛ばしていることに気がつきました。
 
最近この新幹線に乗る度に感ずるのが、日本の新幹線の優秀さです。神話とも言われている無事故記録については目を見張るものがあります。過日も西に旅したとき、名古屋からこだま号に乗り換えたのですが、ちょうど夕方のラッシュ時間に遭遇したためか、三島に着くまでほとんどの各駅で、のぞみ乃至(ないし)ひかりの通過がありました。
待機しているこちらのこだま号からは目にも止まらぬ速さで、隣の線路を駆け抜けていきます。
その制御はもちろん中央司令室で行い、各駅で行っているものではないにしろ、もし一つ間違えば大惨事となる危険が隣り合わせているわけです。でもそんなポカミスも全くあることなく、雪等での遅れがある時もしっかりと時間調整がされ、こうした制御が恙なく行われています。
 
改めてその技術レベルの高さを感じています。また700系の車輌など、かなりのスピ−ドで飛ばしていても、ほとんどその揺れを感ずることがありません。中国の鄭州−洛陽−西安を結ぶ高速鉄道の計画にも、この日本の新幹線技術が採用されたと聞きました。
便利で快適さを追求される現代、その機能性だけにどうしても目が行きがちですが、これに隠れた技術や開発力の素晴らしさにも着目しなければなりません。なんだかんだと言われていても、まだまだ日本の持つ潜在能力は凄いものです。


仰木監督逝く

[2005年12月20日(火曜日)|No.913]

 野茂、イチロ−両選手の育ての親とも言える、前オリックス監督の仰木さんが亡くなられました。
ご存知のように両選手共に個性豊かな選手です。仰木さんは監督として、変に型にはめることなくそれぞれが持っている良いところを見つけ出し、選手の個性を生かした「仰木マジック」としてもよく知られています。この指導法がなければ、今日のイチロ−選手はなかったとも言えるでしょう。

忘れることのできないのは、阪神大震災のあった1995年、「がんばろう神戸」を合言葉に率いるオリックスが見事優勝したことです。そしてその優勝が地元被災者にどんなにか勇気と感動を与えたかしれません。私もユニフォ−ムの袖にその合言葉を付けてプレ−する、オリックスの試合を見る度にグッとくるものがあり、一生懸命応援したものです。
 
昨日のニュ−スを聞くと、清原選手がこのオリックス入りを表明していました。「おれがお前の花道を作ってやる」と言って誘ってくれた、仰木監督に報いるためと、涙まで浮かべている会見でした。
優しい人だったのでしょう。旧西鉄時代、選手としてプレ−していた仰木さんは名前はよく知っていましたが、そんなに派手な人ではなかったように憶えています。近鉄時代の18年もの長い間、コ−チとして選手と接触してきた経験が、監督時代生かされたのでしょう。また新生オリックスを率いてなぜ1年で辞めるのか、不思議に思っていたところです。あとで知らされたことですが、今シ−ズンの後半の試合では、ベンチまで向かう球場の階段を上がれないこともあったと聞きます。
病魔に犯された体で、ただ気力だけで持たせていたのでしょう。とても早すぎる死のように思えます
安らかなご冥福をお祈り申し上げます。


大寒波襲来

[2005年12月19日(月曜日)|No.912]

 いや−、今日もそうですが昨日もメチャクチャ寒かったですね。私も日曜日、仕事で長野に出掛ける約束をしていた為、大寒波襲来の中、目的地に向かう途中からは、ただただ真っ白な雪道で大変でした。
 
現地に8時半の約束をしていた為、早朝4時に出発。精進湖道路までは快調に飛ばし、1時間半も掛からず、中央高速に乗ったまではよかったのですが、高速道路に入った途端、何やら白いものがチラチラ。いやな予感が現実のものに変わるまでがすこぶる早く、双葉SAはもう雪で真っ白でした。小休止のあと、須玉ICで降りたあとは、ただただ雪道です。
予めスノ−タイヤに履き替えてあると言っても、雪道の恐怖が付きまといます。清里を越え、野辺山辺りの道路に掲げてある気温は何と−16℃です。車内の暖房をガンガンかけているとは言え、外の寒さがジンジンと伝わってくるほどでした。
 
こうして野辺山を過ぎてからの山道の下りも何とか切り抜け、佐久を抜け、18号線を通って無事目的地には何とか着くことができました。でも辺り一面はどこも銀世界です。雪の知らない国から出掛けた人間には慣れていないせいか、どうも落ち着かないものです。
 
感じたのが雪国の人達って、ひさしぶりの雪だと言っても、あまり動じていないことです。普段からスノ−タイヤを履いているから、真っ白な道路と言えども慌てず、こちらで見掛けるつまらない渋滞もないものです。ですから雪道と言っても時間どおりには着けるものです。
もう1つ、スノ−タイヤって結構威力を発揮するものです。こちらではチェ−ンを付けて走ることはたまにあってもスノ−タイヤの雪道での経験はあまりないものです。ですからいまいち信頼を置いてなかったのですが、なかなか大したものでその威力を見直しました。
 
現地の人に聞いたのですが、4輪駆動でスノ−タイヤであれば、チェ−ンは不要でほとんど雪道での心配がないと言います。現地での仕事もそれなりの成果が上がったと思います。客先の方も口に出すこそありませんでしたが、大変な中、約束を守って駆けつけたこちらを悪くは思っていないはずです。あとはこの見積が通り、今度は雪の無くなる頃、また工事で来たいものです。
往きにあんなにあった雪が、嘘のようになくなった帰り道も手伝い、そんなことを考えながら運転していたせいか、いつにも増してルンルン気分で、外の寒さとは異なり心の中を温かい想いが包んでくれていました。


整理・整頓

[2005年12月16日(金曜日)|No.911]

 整理することについて考えてみました。何年もずっとそうですが、会社の私の机周辺はいろいろな書類等が山積みになっています。毎朝社員の皆さんが周辺を掃除して頂いているのですが、私のものだけになかなか手がつけにくいと思われます。日々反省するばかりで、片付けよう、片付けようと思っているのですが、それもなかなか適いません。
 
なぜかと考えてみましたら、やはり整理保管している場所をしっかりと定めていないためだと思います。それなりの書棚や書庫がないわけでもなく、その気になれば少しづつでも改善できるわけです。それと捨てる勇気を持たないからです。ある人は整理イコ−ル廃棄とも言われています。
いつかまた役に立つのではないかと思い、残して積み上げているのがこの惨状となっているのです。
 
昔はこんな風ではなかったように思います。どちらかというと、身の回りのものはしっかりと片づけどこに何があるか、すぐにでも判っていた少年時代でした。それがいつからと言うと、独立して今の仕事をやりだしてからではないかと思われます。新しい仕事にはすぐ飛びつきましが、終わった物件の処理をなかなかしないからです。この風潮が依然として現在まで続いているのです。
こうして考えてみると、整理とは終わったものをいかに早く処理することではないかとも言えます。
期間を区切らないとなかなか重い腰を上げない自分ですから、少なくとも中国研修生を受け入れる来年春先までには、しっかりと整備を図っていきたいと強く言い聞かせています。


爽やか藍ちゃん

[2005年12月15日(木曜日)|No.910]

 爽やか藍ちゃんこと、女子プロゴルフの宮里藍選手が男子プロト−ナメントに挑戦しました。
今日から地元沖縄で開かれているアジア・ジャパン沖縄オ−プンです。
第1日を終わって、結果は126人中125位といまいち振るいませんでしたが、勇気ある挑戦だと思います。
 
過日もアメリカの新鋭女子プロのミシェル・ウィ−が日本のカシオワ−ルドオ−プンに挑戦しましたが、やはり予選突破の壁は厚く、決勝ラウンドへの出場はなりませんでした。
このように、予選通過はなかなか厳しいようで、今までに突破した女子選手はいないとのことで、今日の初日の結果を眺めてみても、はたで騒ぐほど楽ではないようです。
 
特に今日のように風が吹くと、男女の力の差が出るようです。ミシェル・ウィ−のように、その飛距離が男子並ならまだしも、通常ですとセカンドからのクラブが違ってきます。男子がショ−トアイアンで高い球で攻めていけるところを、ミドルやロングもしくはウッドで狙っていかなければなりません。やはりハンディはあるのではないでしょうか。
でもこの藍ちゃん、先日もアメリカの来季ツア−出場権をトップ合格で手にしました。また今シ−ズン藍ちゃん人気で、女子プロト−ナメントは大幅な観客動員が図られたとも言われています。
こうしたものを小さな肩に一手に背負ってきたわけですから、おそらくクタクタになっているものと思われます。そうした中、不平もこぼさず、地元の要望に応えての今回の参加です。とても20歳そこそこの女の子とは思えない、大したプロ根性の持ち主で見事なものです。
 
おそらく来年からはアメリカを主戦場にすることでしょう。爽やかなスマイルと、はきはきしたコメントが見られなくて少し淋しくなりますが、もっともっと世界に大きく羽ばたいてもらいたいものです。
私達の期待通り、この藍ちゃんなら近い将来、きっと大きな仕事を成し遂げるのではないでしょうか。


インタネット予約

[2005年12月14日(水曜日)|No.909]

 文字通りの東奔西走で忙しい1週間が過ぎ去りました。磐田で3日間過ごした後、一度は沼津に戻り、土日で工事の切替、そして月曜の早朝、こちらを立ち今度は浜松へ、昨夜やっと戻ってまいりました。でも忙しいことは良いことです。少しでも文句を言ったら罰が当たってしまいます。
それにしても師走とはうまく名付けたものですね。このように忙しいから良いようなものですが、暮れが暇だったら、それこそこの寒さがもっとこたえることでしょうね。
 
インタネットで初めて予約して、浜松のビジネスホテルに一泊しました。普段では6700円するところが、何と4000円です。これは「日曜月曜限定!早い者勝ちラッキ−シングル」とかいうプランだそうです。泊まってみるまで、正直、半信半疑で、安い料金ではサ−ビスとか部屋が普通ではないのではないかと思っていたのですが、どうしてどうして大きな認識不足でした。
悪いどころか、フロントでの応対も通常料金で宿泊している人と何も変わることなく、私の部屋はシングルだったはずがツインのシングルユ−スで広くて綺麗な部屋だったほどです。とても嬉しくなりました。
 
でも私達年代の感覚ではちょっと不思議な気持ちもしています。ただインタネットで予約するだけでこんなにも料金が違うことや、安いからと言って他と少しも差別していないことです。
これが若者達に抵抗なく受け入れられる、現代商法というものなのでしょうね。やはり私達おじさん世代ではまだまだついていけないことがいっぱいあるものです。でもこれからはホテルの予約はこのインタネットをしっかりと活用するつもりです。


お知らせ

[2005年12月06日(火曜日)|No.-]

 大変申し訳ありません。明日7日より13日まで出張のため、この準備やらその後のことを考えて、このところ早朝より深夜まで詰めているのですが、時間がいくらあっても足りません。
ですから心に余裕を持ってこのカキコミもできませんでした。ご容赦下さい。
 
従って明日から13日までお休みとさせて下さい。よろしくお願い申し上げます。


悲惨な女児殺害事件

[2005年12月05日(月曜日)|No.908]

 年の瀬を控え、悲惨な事件が相続いています。広島での小学校1年生殺害事件の犯人が見つかったと思えば、今度は栃木でやはり1年生の女児が、無残にも数カ所刺殺されたあげく山林に捨てられるという事件が起こりました。いずれも可愛い子ども達を狙ったものだけに、たまらなくなるような事件です。
 
なぜこうした事件が頻繁に起こるようになったのでしょうか。私達が小さな頃はこんなえげつない事件が起こることはありませんでした。もちろん警報用のブザ−など持ち歩いていたわけでもなく、保護者に連れられて登下校することもありませんでした。言ってみれば今の方がずっと過剰警備にはしているわけです。
 
それが次から次へと後を絶たないということは、事件後の対策というよりは事件の根っこから絶つことを強く考えなければいけないのではないでしょうか。1つには治安の悪化の原因となっている外国人居住者の増大です。国際化の現代、受け入れそのものが悪いと言っているわけではありませんが、もう少し厳しい事前チェックが必要です。またロリコンとかいっている類の雑誌・ビデオ等のマスメディアの規制です。いわゆるアブノ−マルな性の氾濫をもっと取り締まるべきです。何気なく小学生などでも目に触れることのできる雑誌類の内容と言ったら、ほとんど目を覆うようなものまであるくらいです。
 
こうした挙げ句には前述のような事件や、指導者たる先生等に至るところまであきれた事件に及んでいるのが実情です。何かのコマ−シャルではないのですが、臭い物には蓋、やはり元から絶たなければいけないのではないでしょうか。多様な社会だからこそ、そうした施策が必要になってくるものと考えます。


年賀状

[2005年12月02日(金曜日)|No.907]

 いよいよ師走となり、今年も残すところ、あと僅かとなりました。毎年この時期になると、いつも思うことが年賀状のことです。その作成につき余裕を持ってやりたいと思っています。
でも毎年、毎年願うだけでそれは一度として叶えられることがありません。やはりこの時期、いろいろなことが輻輳し、忙しいということなのでしょうか
 
個人の分は表書きの住所氏名を自筆で書いていますが、会社の年賀状は住所録デ−タから、プリンタ−で毛筆文字として出力されます。そして裏側の文面もやはり印刷されたものです。
年賀状を受け取った人の立場から考えると、どちらも印刷されたようなものですから、そこにオリジナルな文面が入っていようと、味気ないものです。ですからそこには手書きでの一筆をたとえ一行でも加えておきたいものです。
 
こう願ってはいるものの、なかなか叶わず、最後にはいつも年末にバタバタしてしまいます。
作家の今は亡き池波正太郎さんは、年の始めに年賀状を頂いた後、すぐに来年用のものを準備に掛かっていたと言われています。それもまた、ずいぶんと極端な例ですが、せめて年に1回の近況報告も兼ねている年賀状ですから、心に余裕を持って差し出す方にお伝えしたいものです。
さて今年はどうなることでしょうか。


耐震強度偽装問題から

[2005年12月01日(木曜日)|No.906]

 例の耐震強度偽装問題ですが、もし自分が被害者の住民の立場だったらどうでしょう。
踏んだり蹴ったりとか、八方塞がりという表現がピッタリなもので、本当にお気の毒に感じています
 
多くの人達はあり余ったお金で買い求めているわけではないでしょう。恐らくロ−ンをこの先何十年か先まで組み、頭金をはたいてやっとの思いで買い求めたものと思われます。
そして安住の地に着いてやれやれと思っていた矢先の今回の出来事です。しかもこの師走の内には退去命令により、住み慣れた我が家も出なければなりません。従ってこれから住むところも探さなければなりません。もちろんただでは住めず、家賃もついて廻ります。
 
ですからロ−ンと家賃を併せると二重苦にもなりかねません。これらのことは全て予期しなかったことに違いないわけですから、ほとほと弱り果てて落ち込んでいるのではないかと思われます。
中には欝になって脱力状態にまでなっている方もいるくらいです。
 
国会の参考人答弁を聞いていても、お互い責任をなすり合うだけで、前向きな今後の解決策など少しも触れられていません。当事者の住民にとっては怒り心頭に走り、その気持ちをぶつけるところがありません。もちろん直接偽装に携わったそれぞれのセクションの責任は免れることができないものの、ここまで来てしまったら、やはり国が乗り出さないわけにはいかないでしょう。
でなければ、被害者を救う手だてを見つけたくても、なかなか埒(らち)があかないのではないでしょうか。もし自分がその立場だったら、とても悠然と構えてはいられないものです。