株式会社 アイソー




2007年12月の日記

今年の総決算

[2007年12月26日(水曜日)|No.1346]

会社の中にある唯一の和室である、休憩室の窓側の障子も何年ぶりかで張り替えられました。自宅の障子と併せ、会長が張り替えてくれたのです。そして関西から次女と長男の学生軍団も昨日帰宅いたしました。家の中が急に賑やかになり、長女の嬉しそうな顔がとても印象的でした。
 
こんなわけでお正月を迎える準備は少しずつ整っているわけですが、何回迎えても日本の正月は情緒たっぷりでよいものです。大晦日の除夜の鐘を聞いた途端、誰一人とて何も抵抗なく「おめでとうございます」と言えるのも恐らく日本だけでしょう。
 
そして慌ただしい大晦日からたった1日変わるだけで、こんなにも優雅で厳かな気分に浸れるものでしょうか。とにかく大好きな「もういくつ寝るとお正月」がやってきます。
 
私なりに今年2007年を反省と自戒を込めて振り返ってみたいと思います。中村文昭さんに教えられたように
 
(1) 返事を早くする
(2) 頼まれ事は試され事
(3) できない理由を口に出すな
(4) そのうちとは言うな

 
この4つの行動哲学を自分なりに心がけていたのですが、やはり(4)項は難しいですね。会社も個人も変わるといったらこの点が一番ではないでしょうか。
 
やると決めたらその日、その時から実行しなければなりません。それが私のようにこれが片付いたらとか、明日とか来週からとか言って先延ばししていたら、いつまで経っても何も変わりません。
 
整理、整頓も課題の1つだったのですが、遅々として一向にはかどらないのも、ほとんどこの影響です。今日の仕事を明日に先送りしてはいけません。どうやら来年の一番の課題は引き続きこのことになりそうです。
 
頼まれ事は試され事と言っても、お付き合い等、あまりにも自分に都合のよいものに、断わることなく引き受けていたような気がします。もっと計画性をもって接しなければ、上記のことにも少なからず影響していたように思えます。
 
こんなわけで、まだまだ課題をいっぱい抱えている私自身と弊社です。今年も一方ならぬご愛顧とご厚情を賜り、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。来る年が皆様方にとって素晴らしい年でありますよう祈念申し上げます。
 
大晦日の夕方、地元の片浜海岸に降り、沈む夕日に向かって一年無事過ごすことができたことを何よりも感謝したいと思います。
 
昨日も申し上げたように明日27日から工事で出張致しますので、今日が今年最後のカキコミとなります。一年間ご愛読下さり、ありがとうございました。来年は7日より再開します。


研修生(実習生)のその後

[2007年12月25日(火曜日)|No.1345]

会社は28日までですが、27,28日と2日間出張工事に出掛ける関係で、年内は今日を含みあと2回のカキコミとなってしまいました。本当に1年があっという間に過ぎ去ってしまうものです。
 
我が社で貴重な戦力になりつつある、実習生、王君と徐くんのその後です。今、巷ではいろいろと不法就労とか、折角研修先が見つかっても逃げ出してしまうようなことが続発しています。
 
また東京の御茶ノ水駅では中国人の二人に駅のホ-ムから突き落とされ、警官が頭部骨折と右足切断という大ケガを負った悲惨な事故も起こってしまいました。
 
これも乗り合わせた電車の中で、二人が大声で話しているのを注意してから口論になったとのことですが、どうして電車が向かってくるホ-ムでそんな馬鹿な真似をしたのでしょうか。
 
このようにとかく中国人と聞くと何か問題を起こすように誤解されていることも少なくありませんが、もちろん弊社の二人は、そんなこととは全く無縁によく会社に溶け込んでくれています。
 
10月の末だったでしょうか、オムロンの研修に二人だけで行かせました。1週間(4日間)の技術研修会でしたが、大した支障もなく無事務めてまいりました。
 
そして先日の15日、その成果発表会が商工会議所で行われることになりました。各受講者が研修内容をパワ-ポイントにまとめて10分ぐらいで発表し合うものです。
 
日本語の比較的習得の早い徐くんが二人を代表して行いました。私も同席しましたが、いやはや大したものです。4日間の研修内容もしっかりまとめていました。そしてオムロンの講師陣や主催側の高専等の先生方を含む数十人の前でしたが、堂々としたものです。
 
発表の冒頭、自分は日本語がうまくないからとしっかり断った上での発表です。でも私は考えたのですが、もし自分が逆に彼の立場だったらどうだろうかと。
 
たぶん研修そのものも十分理解しないまま、おそらく発表どころではないはずです。何しろ日本に来てからまだ2年も経っていないのですから。恐らく彼のように言葉も十分に話すこともないまま終わってしまうのではないでしょうか。
 
元々優秀な彼らですが、考えなければいけないのは受け入れ側の意識の問題です。こんなことを言っては差し障りがあるかもしれませんが、ほとんどの研修生の採用先企業は彼らに対しコストだけを求めているのではないでしょうか。
 
弊社はそうではなく、いかに彼らを将来的に戦力にしようかという人材(財)の部分に重きを置いています。同友会がいつも言うところの、こうした共育的部分が大切ではないでしょうか。言葉は異なっても、彼らにはきっとこちら側の思いが相通じているものと信じています。


FAXによる被害

[2007年12月21日(金曜日)|No.1344]

便利なFAXですが、時としてこんなことも起こるのですね。昨日は電話を受け取る女子事務員や社員がとんだ迷惑を蒙りました。
 
電話に出る度にFAXの送信音がピ−と鳴ることが、午後から夜まで続いたのです。FAXを送る相手先がどうもFAX番号と電話番号を間違えているようです。しかもナンバ-ディスプレ-に相手先番号が表示されないので、間違っていることも連絡できないのです。
 
しかも二度、三度繰り返しても送信できないのであれば、あきらめるか、確認し直すはずですが、それもないまま辛抱強くず-っと送り続けているのです。
 
きっと相手先は悪気は何もないのでしょう。おかしい、おかしいと思いながら一生懸命送り続けているものと思われます。
 
でもこのようなケ-スは本当に困りますね。通常の電話だってその間掛かってくるわけですから、受話器を取らないわけにはいきません。こうして彼女が夕方の退社時まで取り続け、夜間は他の男性社員に引き継いだのです。
 
私もこのことで、ちょっとNTTに相談してみました。何か解決方法がないものかと。結論はディスプレ−に番号表示がない限り、問題解決は不可能とのことです。相手方だって悪気があってやっているものではないだけに、自業自得とは言え、これも気の毒な話です。
 
どなたか良い解決方法をご存知であれば、是非お教え下さい。以前にも確か2度ぐらい同様なケ-スがあったはずです。
 
それからFAX案内文書の送付先が多数に及ぶ場合は、その文書に出席者のみお知らせ下さい等の注意書きを添えるべきです。出欠如何にかかわらず、ある案内の送付先が弊社だったため、かなり大量に押し寄せてくることになりました。
 
多数の会員を抱える組織では、出席者より欠席者の数の方がはるかに多いはずです。それゆえ何もなく出欠をとるのでは、あまりにもFAX用紙の無駄使いというものです。
 
資源の節約という観点からも、ちょっとした添記により、ずいぶんと無駄も省くことができるわけです。昨日はこんなわけで、FAXたるものに少し振り回された一日だったようです。


年賀状

[2007年12月20日(木曜日)|No.1343]

今年も残り少なく、本当に押し迫りました。この時期になると、何となく気が重くなるのは年賀状のことです。気が早く、昨日などはある方からの年賀状が自宅に飛び込んできましたが、これは郵便局の単なる取り扱いミスだったものでしょうか。
 
こんなに手回しの良い人がいるかと思えば、私のように残り10日間ほどというのにもかかわらず、依然年賀状は一切手付かずの状態です。会社分も私が全て引き受けている関係で、個人のと会社分併せてこれから処理しなければなりません。
 
会社の分は何年か前から頼んでいた印刷を廃止し、少しでも自分たちの言葉でお伝えしたいと思い、インクジェット用紙にプリンタで打ち出すものに変えました。少しでもありきたりのパタ-ンから脱皮したかったからです。
 
また個人用のは結婚以来ずっと同じパタ-ンなのですが、家内が子ども達3人の絵(近年からは愛犬も加わりましたが)を描き続けています。デッサンを完成し、まずハガキに枚数分コピ−します。そして全てに水性絵の具で色付けしてからコメントを書き込むようにしています。
 
この色付けまでの段階は家内の領分ですから、どちらかというと私は気楽なものです。ですが家内の方はと言うと、暮れは何かと忙しい主婦業ですから、いろいろやる事が重なって大変なようです。
 
手伝ってやりたいものの、こちらときたら絵心はまるでなしというわけですから、どうすることもできません。いやはや情けないものです。従ってひたすら色付けが終わるのを待っての年賀状書きとなるのです。
 
私も会社の年賀状など、表裏ともプリンタで出力させていますから、他人のことをとやかく言う資格はありませんが、できれば人の手で一言ぐらい書き添えたいものです。
 
表もプリンタ文字、裏の文面も印刷もしくはプリンタでの出力のみでは、何となく味気ないものです。これも日本古来からの良き習慣を引き継いでいるものでしょうが、ただ年賀状を出すというだけのものではなく、日頃のご無沙汰や年に1度ぐらいでも近況を伝える年賀状本来の目的や使命も、しっかりと引き継ぎたいものです。
 
以前はこうしたケ-スもないわけではなかった私も、今年はたとえ一言でも自分の肉筆で、しっかりとお伝えしようと思っております。


中東の笛

[2007年12月19日(水曜日)|No.1342]

いやはや神聖なるアマチュアスポ-ツ界でこんなことがあるのでしょうか。中東の笛などというものが存在しているそうです。
 
中東の笛と呼ばれるものは、アジアのハンドボ−ル界では常識にまでなっているとのことですが、このアジア連盟がクウェ−トの王族が実権を占めていることによるものです。
 
ですから審判も、直前にその意向に沿ったような人間に変えられるようなことも起こるわけです。従って先の日本対クウェ−ト戦や、韓国対クウェ-ト戦では、明らかに普通のディフェンスであってもファ−ルを取られたりする、中東よりの判定がまかり通っていたのです。
 
この結果、日本も韓国もこのクウェ-トに敗れ、一回はオリンピック出場を断念しなければいけない事態に追い込まれました。でも日本と韓国の同協会が必死になって国際ハンドボ-ル連盟に提訴し、この度ようやく再試合というやり直しの措置がとられることになったわけです。
 
この中東の笛たるもの、10年ぐらい前から存在していたと言われます。先の韓国戦などあまりの判定に、観客席からペットボトルが投げ入れられたとのことです。とてもまともな試合などできっこないと、選手は皆半分あきらめて試合に臨んでいたとも言われています。
 
このくらいひどいもので、理解されるまでの道のりが大変だったのでしょう。昨日、記者会見した日本協会の役員が、目に涙をいっぱいためて語っていたことにも全て表われています。
 
仕切り直しとなったからには日本にとってもチャンスです。今までの積み重なる鬱憤を晴らす意味でも、是非クウェ−トを退け、見事北京への切符を掴んでもらいたいものです。ニッポン、ガンバレ!


値上げラッシュ

[2007年12月18日(火曜日)|No.1341]

厳しい冬を迎え、生活用品が何から何まで皆、値上げで、シャレではないのですが音(ね)を上げてしまいそうです。
 
クリ−ニング代、ティッシュペ−パ−、食用油、みそ、パン、コ−ヒ−、カップめん、タクシ-料金等々、生活必需品やサ-ビスのあらゆる分野で値上げが発表されています。それに加え、ここにきてビ-ルまで来年から値上げされるそうです。
 
いやはやといった感じですが、これも元はと言えば、原油価格の急騰によるものです。決して原油が不足してのことではなく、投機筋の大きな動きが影響してのことです。
 
レギュラ-ガソリンも今月になり、156円ぐらいの値をつけている所がほとんどです。4年前と比べたら1.5倍にもなっているというから驚きの数字です。
 
この影響で北国の生活は大変なものと思われます。何しろ灯油の消費量が私たちの使うのとは比べものにならないくらいの量です。そのくらい寒さが厳しいものでしょうが、この値上げでは寒さ以上に懐が冷え込んでしまうというものです。
 
我が家でも家内がこの冬からちょっと工夫を始めています。長い間、車庫の中に眠っていた火鉢を出してきたのです。直径50cmか60cmぐらいの火鉢ですが、この中に入れる灰もどこからか調達し、五徳(火鉢に入れて物をかける鉄の道具)もネットで取り寄せたようです。
 
そして炭はやはり良いものの方がいいということで、備長炭を仕入れてきたのです。この備長炭って、本当に優れものですね。ちょっと灰をかぶせておけば、一晩置いてもまだ赤々と綺麗なその姿を見せてくれています。従って新たに火おこしをしなくても済むのです。
 
部屋に火鉢があるお陰で、少しの暖房を補助的にかけてやるだけで十分に暖を取りいれることができています。小さなことかもしれませんが、古き日本の良さを見直してみたらどうでしょうか。ちょっとした節約や無駄を省くことにもなるわけです。
 
まだまだ先人の残した優れものはいっぱいあるはずです。相次ぐ値上げで、それぞれの気持ちまで落ち込みがちになりそうですが、こうなったら自分たちの暮らしは自分たちで守るしかありません。昨日も触れた、ちょっとしたアイディアや発想の転換で、気持ちだけでも前向きに乗り切ろうではありませんか。


地域発 どうする日本

[2007年12月17日(月曜日)|No.1340]

先週末、NHKテレビ「地域発 どうする日本」という番組を観ました。日本の景気は本当に大丈夫か、また地方経済はなぜ回復しないのか、といった重いテ-マを突きつけられる今日ですが、頑張っている地方の再生への取り組みをいくつか紹介していました。
 
まず高松の商店街です。かつてはシャッタ通りと呼ばれていた、この商店街が今では多くの人々が夜遅くまで往きかっています。この秘密は旧態依然としていた地権者自らが立ち上がり、自分たちからまず変わろうと動き出したからです。
 
この地域の地権者が手を結び合い、専門家の力を借り、商店街そのものをト−タル的にイメ-ジチェンジしようと試みたことです。中には老舗の呉服屋からたい焼き屋に変身を遂げた方もいるくらいです。
 
またモノづくりの京都では、かつての量産から試作品作りに目先を変え、再生の足掛かりとして動き始めました。この試作品作りも異業種の連携によるもので、依頼主からの注文もグル-プに届くというものです。
 
テレビには同友会でお目に掛かった方も出ていて、何となく親しみが持てたものです。このグル-プ、6年間で何と10社から70社に増えているそうです。このように企業が繋がっていくと、単なる足し算ではなく、掛け算に変わっていくという良い例です。
 
また長崎県松浦市の一画では、ありのままの田舎を全国に売りこんでいる様子が伝えられていました。田舎を包み隠さず、全国に紹介してその良さを知ってもらおうと、90種類のメニュ−を用意しているとのことです。
 
狙いは修学旅行の体験で、泊まるのは普通の民家でお客様扱いをしないことがル-ルになっていて、自分達で食事の支度も手伝うことになっています。
 
またこの街に宿泊できるのが500軒、一度に2000人が宿泊できると言われます。もう既に来年の予約が13000人にも上っているとのことですから、凄いものです。地域の普通の生活が1億円も稼ぎ出すのです。
 
ただ、安全・衛生面には著しく配慮が行き届き、年間に60回もの研修会を自発的に開催しているとのことです。これですから行政も旅館業の規制を少し緩くしているのも頷ける話です。
 
元気な地域からの発信を見せていただきました。このように再生戦略と言っても、新たに一から生み出すものではなく、新しい価値観やアイディアを生み出し、それを膨らませて延命化したり工夫を凝らしていくことだと言われていました。
 
また画一的になることから中央に頼らず、多様性を持った地域であり続けよとのことです。今から20年後の2030年には一部の大都市を除き、地方の生産量が今より10%以上減少するところがほとんどだと言われています。
 
それゆえに日本の企業の90%を占める、中小企業のまさに出番で、様々な変革や工夫が求められているものです。


日記サイトの弊害

[2007年12月14日(金曜日)|No.1339]

良い話題が少なくて恐縮ですが、ブログとかMIXIなどの日記サイトに、誹謗中傷の記事が続いていると聞きました。いずれも外食産業を標的にしたというものです。
 
1つはケンタッキ−フライドチキンを相手に、元アルバイト店員だったという少年が、サイトに店内でゴキブリを揚げたと書き込んだものです。
 
調べによると、この話は全く事実無根とのことで、有名私立高校に通うこの高校生は自主的に退学するにまで話が及んでしまったとのことです。本人はいたずら半分で書き込んだと言いますが、そうしたことによる相手の迷惑とか及ぼす影響が分からないわけではないと思うのですが...
 
またもう1つは中華系ファミレスのバ−ミアンが狙われてしまいました。私なども、安いし家族で気軽に行けるものですから、ときどきは行く所ですが、ゴキブリのだしが効いたス−プでラ-メンを出していたと日記サイトに書かれてしまいました。
 
書いたのは大学生と言われています。これもどうやら面白半分で書き込んだものと思われますが、大学生にもなって、その及ぼす影響というものが分からないのでしょうか。
 
ずいぶん幼稚というか、悪ノリするのも程度があるというものです。いたずらでしたでは済まされないことです。
 
このように自分のサイトだから何を書いてもよいというものではありません。特に誹謗中傷するようなことはネットのル-ル(ネチケット)でも固く禁止されているはずです。
 
中高生の間でも裏サイトなるものが存在していて、クラスの人間等の悪口を書き込み、いじめの道具にも使われていると聞きます。何とも卑劣で陰湿な方法です。
 
文句があるのならこんな姑息な手段は使わず、直接やりとりすればよいものです。こうしたパソコンなどの閉鎖エリアに、のめり込んでいるのも原因があるのではないでしょうか。
 
窮屈な家から飛び出て、たまには青く澄み切った空や海を眺めるなど、大自然の雄大さに触れるのもよいでしょう。きっと自分のちっぽけな存在に気がつくはずです。とにかくネットで悪口を並べ立てるなんて、とんでもない話です。


携帯電話の功罪

[2007年12月13日(木曜日)|No.1338]

まあ便利のよいものができたものです。何処にいても連絡がつくし、メ-ルばかりか撮影した画像もその場で送ることができます。
 
こうした優れた機能を持つ携帯電話ですが、ドメスティック・バイオレンスと言うのでしょうか、親しい若者の間、特に恋人同士などでは、今新たな問題というか、無視できないような事柄が発生しているようです。
 
その特性から、電話してもすぐに出ないとか、着信があっても折り返し電話を掛けて来ない、またメ-ルしてもすぐに返事を寄こさないなどが、お互いの関係を微妙に左右し、時には精神的な苦痛にまで及んでいるとのことです。
 
便利になったゆえの副産物のようなものでしょうが、お互いのことを必要以上に干渉し合う傾向が強まっているようです。これも仕事等、責任が重くなる年代や結婚して落ち着く年代以前の人たちに多く見られるとのことです。
 
一昔前ならラブレタ−が届いても、少なくても1日か2日は猶予があり、その返事を書けたものです。ところが携帯等の発達が著しい今日、その進化している速度に合わせ、相手の意思もすぐに確認したくなるようです。
 
従ってそこには情緒のようなものより、感覚的なやりとりが増えるのでしょう。そして極端な例がすぐそこに居るのにメ-ルをやりとりしているようなケ-スです。ある意味では本来自分の持つ五感で確かめなければいけないものまで、これに依存しているとも言えるものでしょう。
 
ヨ-ロッパの格言で次のような言葉があるそうです。「愛はガラスのようなもの。いい加減に掴んでもすり抜けてしまうが、強くなると壊れてしまう
 
携帯のようなものはあくまでも道具です。くれぐれも、たかがこんな道具に頼りすぎることなく、親から譲り受けた自分の目や耳などの五感を十分駆使して、人生を楽しみたいものです。


巨人軍の戦略

[2007年12月12日(水曜日)|No.1337]

大好きな(本当はその反対ですが)巨人軍の話です。この球団、いろいろと選手をかき集めて何をしようとしているのでしょうか。
 
もう既に横浜ベイスタ-ズの抑えの切り札、160kmの快速球を投げるクル−ン投手の移籍が決まりました。そして今度はヤクルトの最多勝、グライシンガ−の入団も決まりました。契約更改でヤクルトが2年7億、阪神が2年6億をも蹴って、2年5億とのそれを下回る数字での契約です。
 
いったいなぜ?とも思えるものですが、優勝争いができる球団でやりたいとのことです。またこのヤクルトからは主砲、ラミネスの入団も確定的です。
 
こうなると、折角今年3年ぶりかでペナントレ−スの優勝を果たしたものの、今シ-ズンの選手の功績とか、今後に賭けるモチベ-ションにも影響が少なくないように思えます。
 
自分の球団さえ良ければ他はどうなってもよいと思っているのでしょうか。球界の盟主と呼ばれた巨人軍に限って、決してそんなことはないと思うのですが...
 
昨年も谷選手や小笠原選手の有力選手の入団で、戦力的には結果的に大幅にアップしたようなものですが、これに留まらず、まだやろうとしているのです。
 
果たして、これで生え抜きの選手が育つものでしょうか。来シ-ズンこそと、その定着を狙っていた若手選手にも影響が少なからぬものがあるようにも思えます。既に外部からのこの移籍選手の待遇に比べ、今シ-ズン活躍した内海投手などに、その契約更改の評価算定に不満の声も上がっているみたいです。
 
まあ、こんなわけで要らぬ取り越し苦労かもしれませんが、何事もないことを祈っています。でもブランドだけ集めたって良いことばかりではないことは、例の偽装問題でも解りそうなものですが...門外漢のとんだお節介ですね。


日本総偽装列島

[2007年12月11日(火曜日)|No.1336]

まさに日本総偽装列島とも呼べるような、あらゆる分野で消費者を欺いた偽装がはびこっていた今年でした。最近では船場吉兆、比内地鶏、赤福、そして建材等の部門でもニチアス、東洋ゴム工業、栗本鉄工所などがその性能を偽っていたのが発覚しました。
 
またちょっと前には不二家、白い恋人の萩原製菓、またミ-トホ-プやマクドナルド等、数え上げたらきりがありません。日本列島、ここまで落ちたのかというのが実感です。ある新聞でも取り上げていましたが、日本人はブランドに極めて弱いということもその原因の一つかもしれません。
 
さてその中でも、高級料亭という呼び名の高かった吉兆の経営陣が、偽装に関する全責任をやっと認めました。腹立たしいのは当初、我関せずで、その責任を全て従業員の責任として押しつけていたことです。昨日になってやっと農林水産省に改善報告書を提出、お詫びの記者会見を開きました。
 
ニュ-スでご覧になった方も多いことと思いますが、創業一族の三女という取締役と、その長男に当たる取締役が深々と頭を下げている姿が映し出されていました。またちょっと変だなと思ったのが、長男に対する質問の全てに、横からその母親がいちいち小声で指図をしていたことです。
 
マスコミは早速この長男を指しマザコンなどと騒ぎ立てていますが、この光景見るからにちょっとお粗末でした。45歳にもなる、ブランドとも言われた吉兆の経営陣の取締役が、母親からの指図がなければ語れなかったことです。というか、横から口を出す母親に対し、「いちいちうるさい。黙っていてくれ」とたしなめれなかったことかもしれません。
 
そして70歳の母親、したたかだと思わせられたのが、会見の最後の方で、自分一人だけ辞任せず経営陣に残ることについて触れられたときでした。それまではいちいち小声で息子に指図をしていたにもかかわらず、この質問があったとき、私は高齢のため耳が聞こえにくいからと、とぼけて聞き直したことです。
 
聞くとこの会社、家父長制の流れで、全てはお父さんと言われる社長(70歳の母親の夫)には文句を言えないような体質で、創業一族の取締役が絶対的な発言権を握り、一般社員は何の権限も持たなかったと言われています。
 
一言でいって、これでは再建の道も遠く厳しいものではないでしょうか。「取り返しのつかないことをして、先代に申し訳ない。このまま死んでも父から叱られる」と言っていましたが、ここまでえげつなく偽装をやったら、本当に取り返しがつかないというものです。失うのは簡単だと改めて感じさせられました。


ちょっと良い話part25

[2007年12月10日(月曜日)|No.1335]

週の初めですから、ちょっと良い話からスタ-トしたいと思います。ラジオから拾った、野犬が認知症の老人を救ったという話題です。
 
茨城県の東海村に住む、73歳のご婦人が家を出たまま見つからず、30時間後に公園で犬と一緒のところを発見されましたが、命には別状なかったと言います。
 
30時間と言いますから、もちろん屋外で夜を過ごしたものと思われますが、当時の気温は−2度まで下がっていたとのことですから、通常では凍死の危険もあったわけです。
 
この凍死を免れたのも、一緒にいた野犬のお陰です。家を出た時はセ−タ−に薄手のジャンパ−だけという軽装でしたから、この犬を抱きながら毛布代わりに一晩過ごしたお陰で、体温の低下を防ぐことができたのではないかと言われています。
 
また見つかった公園までは自宅から5kmも離れていたと言います。認知症がゆえに、必死の思いで家を捜していて判らなくなってしまったのでしょう。そして居合わせた野犬と共に野宿したのでしょうが、犬の方もよくおとなしく一緒にいてくれたものです。
 
このような偶然が良い方に重なったことによるものでしょうが、気になったのは野犬だっただけに、犬のその後の処分です。都会では保健所行きで、哀れな最後を迎えなければいけないかもしれませんが、そこはお手柄を立てた犬だけに、温情ある寛大な措置がとられたとのことです。
 
おおっぴらには言えないが、少し離れた所に連れて行き、そっと離してやったと言います。それを聞いてほっとしましたが、認知症の怖さも改めて知らされました。我が母親も他人事ではありませんから、家内が一時も目を離さないように注意しているのがよく分かりました。くれぐれも気をつけていかなければなりません。


田端俊久さん講演よりその2

[2007年12月07日(金曜日)|No.1334]

風邪をひいてから少し体調が優れませんでしたが、ようやく体が楽になってきました。ちょっとおかしいかなと思ったとき、夜など無理して出歩かないほうがよいのですが、なかなかそうもいきません。
 
うがいを励行し、栄養をつけて、しっかりと睡眠をとる、これが分かっているのですが、なかなかままなりません。今年はインフルエンザの流行が早くなっていると聞きます。くれぐれもご自愛下さい。
 
さて先日の田端さん講演会の続きです。この中で3つの歌が会場に流れました。どれも講師が好きな歌なのですが、まずご自身で平原綾香さんのジュピタ−を歌われました。
 
とても声量があって素敵な声でした。何よりもその素敵な歌詞を褒めていました。
 
夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じて あげられないこと
 
無意識の中で自分を否定していることは、祖先のやってきたことを否定することにも繋がるとのことです。今なぜ国旗である日の丸にしっかりと拝礼し、国歌をきちんと歌えないのか、日本人であるのに信じられないと述べていました。
 
また、たぶんソプラノの女性歌手だと思うのですが、仰げば尊しの歌のテ-プが場内に流れました。歌詞をしっかり聴いてとのことでしたので、3番まで意味を考えながら聴きましたが、思わず涙が出そうになるほど感動しました。
 
こんなに素晴らしい歌だったのか、改めて知らされました。この歌がなぜ小中高の卒業式で歌われなくなったのか、不思議なのですが、しっかりと考えていかなければいけない必要も感じたものです。
 
一部には「身を立て、名を上げ」という一節が立身出世を意味するなどと曲解されているが、これは自立して素晴らしい人にを意味するとのことです。教え子は師を敬い、また師はあらゆる可能性を秘めた教え子の飛躍を願い務めるのが理想的な師弟関係なのでしょう。
 
かつてはできていた、この当たり前の関係がなぜできないのでしょうか。またこの他もう一つ、村田英雄さんの歌う姿三四郎の曲が流れました。「人に勝つより自分に勝てよ」ということです。
 
自分自身で残された日々が多くはないと言う田端さんだけに、今日という一日を本当に悔いのないよう大切に生きているのを感じました。また感性もそれだけ研ぎ澄まされ、鋭くなるのでしょう。
 
とにかく深く考えろ、時間を惜しめ、後悔をしないように生きろ、最善を尽くせ、ボ−ッとするな、手を抜くな、気を抜くな等、ご自身の子どもたちに常日頃、伝えているとのことですが、そのまま私達、現在の多くの日本人に語り掛けているようにも思えました。やはり今のままの日本ではいけないのではないでしょうか。


人身事故

[2007年12月06日(木曜日)|No.1333]

最近電車などでよく耳にするのが人身事故という言葉です。たまたま乗り合わせた電車が、この人身事故で不通になっているとか、遅れていてまだ復旧の目途がついていませんと聞くのが、どうも多いように感じます。
 
これは近くを走る東海道線でも、たまに出掛けていった東京の山手線などでも、耳にするのが増えているように思えるものです。
 
はっきりしたことはよく判りませんが、これって皆、自殺まがいなことではないでしょうか。警察が入って調べているから、もう少しお待ち下さいなどとの社内放送から、おおよそ予想できるものです。
 
人身(障害)事故とは、列車等の運転を行ったことが原因で起こった事故とのことですから、厳密に言うと明らかに本人による飛び込みとかの自殺は、当てはまらないそうです。ですから、これに当てはまるのはプラットホ-ムからの転落や、線路内に無断で人が立ち入り衝突したとか、ドアに挟まれ列車に引きずられたようなケ-スを指すそうです。
 
でもまあ、どちらにしても不慮の事故よりは、こうした自殺のようなケ-スの事故の方が増えているのでしょう。何とも嘆かわしいばかりです。当然列車運行に大きな支障をきたしたわけですから、事故を起こした人間に対しも、損害賠償が請求されることになるわけです。
 
自殺は覚悟してのことですから自分はそれでいいでしょうが、残された人にとっては二重の不幸に見舞われることになるわけです。こんな罪を残して、果たしてご本人も浮かばれるというものなのでしょうか。
 
思い出されるのは、このような自殺者を助けようと、踏切内で電車にはねられ殉職した、ときわ台駅での警察官です。本人だけの自殺のつもりが、このように予期しないところまで迷惑を掛けることになるわけです。
 
とにかく、今では年間3万人を優に超える方々が、自分自身でその命を絶っていると伝えられています。そして悲しいかな、10年先にはさらに倍増するとも言われています。何とも不可解で由々しきことです。後にも先にもたった1回しかない人生、そのかけがえのない貴重な命をくれぐれも大切にしたいものです。


ビリ−ブ

[2007年12月05日(水曜日)|No.1332]

ビリ-ブ」という映画を観てきました。まず説明しなければならないのは、スペシャルオリンピックスと言って、知的発達障がいのある人々(アスリ−ト)の自立と社会参加を目的に、日常的なスポ-ツプログラムと、その成果の発表の場としての競技大会の開催を提供する国際的なスポ-ツ組織があることです。
 
元々は故ケネディ大統領の妹さんによって作られたというもので、もう一人の妹であるロ−ズマリ−さんが、この知的発達障がい者だったからです。本部はアメリカのワシントンにあり、約166カ国が加盟、170万人のアスリ-ト、50万人を超えるボランティアが世界中で活動に参加されているとのことです。
 
映画は2005年2月に長野で開かれた、第8回スペシャルオリンピックス冬季世界大会が舞台です。しかしこのアスリ-トの競技の活躍をドキュメントで追ったものではなく、知的発達障がいのある人たち自身が伝える側に回り、大会において自分たちでカメラを扱い、マイクを片手にインタビュ-を試みている有様とそこまでの過程を、カメラで追い続け、その姿と実際に撮影した記録映像を映画にしたものです。
 
観終わって何よりも、人間の可能性が無限であることを知らされました。障がいがあるからといって、無理だろうと初めから与えず、その可能性を啄ばんでしまう怖さを感じさせられました。
 
この映画を監修した監督の小栗さんがこう述べています。「彼らはできないのではない。できないだろう、無理だろうと思い込んだ社会ができなくさせているのだ。」まさに言われる通りです。
 
これが映画の題名にもなった「ビリ-ブ」そのもので、彼らを信じて任せたから、その期待に応えてくれたのでしょう。人間の持つ可能性の大きさを教えられました。そして併せて、こうした素敵なアスリ-トの彼らに対し、いつも献身的な愛情を注いでいただいている、石塚久美子さんはじめ多くのボランティアの方々に、改めて敬意と感謝の気持ちを伝えたいと思います。


見事な星野ジャパンの勝利

[2007年12月04日(火曜日)|No.1331]

野球が見事、北京五輪への切符を手にしました。アジア地区予選の一昨日からの対韓国、台湾戦は素晴らしい試合でした。日の丸を背負ってプレ−すると、こんなにも違うものかと、観ている私たちまで慄然とさせるような試合で、大きな感動をいただくことができました。
 
同友会の支部忘年会が日曜日夕方よりあった関係で、韓国戦は観ることができなかったのですが、観ていた誰もが口を揃えて、久しぶりに興奮して惹き付けられたと話していたものです。
 
特に終盤からはピンチの連続で冷や冷やものだったみたいですが、日本の投手陣が要所要所をしっかりと抑えて、それぞれの持ち味を十二分に出し尽くしていたとのことです。
 
こうして勝てば出場が決まると言われていた昨夜の台湾戦、今度はしっかりとテレビにかじりついて眺めることができました。終わってみれば10−2と大差がついて楽勝とも思えるかもしれませんが、内容は全然異なるものでした。
 
いわゆる勝負のあやと言うのでしょうか、明暗を分けたのは7回表の日本の攻撃です。その前の回、逆転2ランを喫し、アウェ−の試合だっただけに嫌な雰囲気が漂い始めたばかりのことです。
 
解説も少し触れていましたが、リ−ドしたばっかりにスタンドの大声援が、かえって相手投手にプレッシャ−を与えたのか、先頭の村田を死球で出してしまいました。続く稲葉がバントで送らず、星野監督の強い信頼感に応え、見事な1、2塁間のヒットでこれに続きました。
 
ここからがあやだったと思うのですが、まず二塁ランナ−をキャプテン宮本に代えたのが一番目の勝因でしょう。里崎の送りバントはやや強めでしたが、スタ−トよく飛び出し、たとえ三塁でアウトになってもダブルプレ−を防ぐ闘志ある果敢なスライディングを見せ、見事三塁セ−フの走塁を見せた宮本選手の技ありのプレ−が第一でしょう。
 
そしてノ−アウト満塁、1−3からのカウントでスクイズのサインを出した、星野監督の勇気と決断を何よりも称えたいと思います。このケ−ス、一つ間違えばホ−ムゲッツ−で一瞬にしてツ−アウトとなってしまいます。
 
それゆえに非常に出しにくいケ−スでもあるわけですが、うまくいけば昨日のように、後のバッタ−の余分なプレッシャ−を撥ね退け、気楽に打てて好結果に繋がることにもなるわけです。ですから西岡以下、この後続いたタイムリ−も胸のすくような見事なものだったわけですが、出るべくして出たものであり、全てはこの見事なスクイズが起因しているものと思われます。
 
こうして見事、その少なからぬプレッシャ−の中、素晴らしい結果を出すことができたわけですが、やはり星野監督の手腕というか、凄さを感じたものです。何よりも選手のやる気を引き出し、目的に向かってチ−ム一丸となってまとまっていたことが凄い部分です。
 
選手の目の色を見ていたら、まるで高校野球と見違うほどの真剣な眼差しと輝きを感じたものです。そして選手それぞれに対し、絶大な信頼を寄せていたことと、結果に対する責任は全て指揮官である自分が取るとしていた潔さです。
 
こうなれば選手が動かないはずがありません。その一挙手一投足に心を揺さぶられる、大きな感動を覚えたものです。これで子ども達にも大きな夢を与えることになったに違いありません。熱い星野ジャパン、五輪本番でも益々目が離せなくなったものです。


電飾の家

[2007年12月03日(月曜日)|No.1330 ]

いよいよ師走の声をきくことになりました。何となくそれだけで気ぜわしくなるものです。ちょっぴり油断したのか、滅多にひかない風邪で体調がいまいち優れません。やはり健康でいることが一番ですね。
 
最近、家の周囲に、きらびやかな灯りをいっぱい点したお宅をよく見かけます。中にはディズニ−ランドをほうふつさせるようなものまで現われています。
 
ご本人たちの勝手で、周りでとやかく言うことではないでしょうが、私はちょっと考えてしまいます。以前はクリスマスの前後でこうしたお宅を見かけたのですが、今ではそれよりずっと以前の時期でも煌々とこれ見よがしと点されています。
 
巷では原油高の影響で、生活用品まで値上げの動きが加速されようとしています。電気も同様で、この先、電力料金も値上げされようとしているのが今日です。こうした時、必要以上の灯りを照らしているというのもどうでしょうか。
 
そんなの関係ねえ、俺達の勝手だろうと言われてしまえば、二の句が告げません。でもマクロ的にはこうした一人ひとりの積み重ねが馬鹿にはなりません。無駄なことを極力避けなければいけないのが現代であり、今やらなければいけない私たちの務めではないでしょうか。