株式会社 アイソー




2010年01月の日記

日高義樹さん講演から

[2010年01月29日(金曜日)|No.1761]

先週、法人会の新年賀詞交歓会の新春講演で、ハドソン研究所・主席研究員の日高義樹さんのお話を聴いてきました。日高さんはかつてNHKのニュ−ヨ−クやワシントン支局長を務めていたことから、アメリカからの特派員レポ−トなどでお馴染みの方で、現在では全米商工会議所会長顧問を務めています。
 
「アメリカからの緊急報告」と題した講演で、これからの日米関係と世界情勢を分析した内容です。まず今年の危機として次の3つを挙げました。
 
第1にアメリカの景気がものすごく悪いことです。これはオバマ大統領の影響だと言っています。先日の選挙でも亡くなったケネディが27年間守ってきた民主党の議席も失うくらいで、全米でどうしてもオバマという人は1/3まで減っているとのことです。
 
従って今年暮れには失業者がもっと増えることと思われることから、11/4に行われる選挙ではオバマ民主党は大敗し、中小企業の支持する共和党が勝ち、アメリカは変わると予想しています。
 
それから第2には中東の戦争を挙げています。イランが核兵器を持つのではないかと言われていて、持てばイスラエルが爆撃を始めます。こうした小さな規模での核戦争がどこかで始まるのではないかと危惧しています。起これば当然のように石油がまた来なくなることになるわけです。
 
また3番目として中国の行き詰まりを指摘しています。アメリカのオバマ政権は大企業がその資金支援をしていることから、企業が中国との商売をしやすくなるよう配慮している関係で、厳しい姿勢を取っていません。
 
基本的には自分勝手な中国ですから、このように甘やかしたことにより限界が来ていると話します。1つには老齢化を支えるしくみがないことです。一人っ子政策などにより、今までは国民一人で0.8人の面倒を見ていたのが一人で2〜4人を見なければなりません。
 
2つ目の行き詰まりは水がないことです。工業化が進んだ関係で大問題となっている事柄です。そしてもう1つは経済の拡大は新疆(しんきょう)、ウィグルのチベット地域に限られていて、その開発が進んでいることです。
 
この地域は中国の1/3以上の面積を占めていて、新幹線や飛行場など土木事業やインフラの整備による開発が進められていますが、人々が崇めるダライ・ラマの反対もあり、住民のほとんどは漢民族と異なることからも、言うことをきかなくなると思われると言います。
 
このように問題なのは、現実の危険から目を逸らし、アメリカの人間が気づいていない点にあります。かつてのケネディ、クリントン、そしてオバマと、大企業が金を出して就任している大統領は歴史上、悪いとのことです。
 
とにかく日高さんが言われるようですと、ドルの大暴落もないわけではなく、アメリカの銀行は更に悪くなることも予想されます。またABC放送はトヨタのリコール騒ぎなど、異常なほどの日本の自動車攻撃を始め、このまま進むと日本たたきにもなり兼ねません。
 
従ってアメリカの保護貿易も強まり,景気が夏以降,もう1回悪くなる可能性も秘めています。とにかく当分は回復しないと思っていた方がよいかもしれません。依然として不透明な先行きなのですが、ただ指を加えて待っていることもありません。景気に左右されない、自立できる道に繋がるすき間をしっかりと見出していきたいものです。
  
来週の月曜日(2/1)は工事のため、朝から出張するのでカキコミができません。ご容赦ください。


山崎豊子さんの熱さと激しさ

[2010年01月28日(木曜日)|No.1760]

以前にも少し取り上げたことがあるのですが、作家・山崎豊子さんのことが新聞に載っていました。まさにその作品は時代や社会の転換期に輝いているもので、自身の根底に潜む不条理が許せないという、社会の矛盾に真っ向から向き合っているものです。
 
その作品については以下のように触れています。実家の老舗・昆布店を舞台とした「暖簾」で文壇にデビュ−し、大阪商人を扱った「花のれん」で直木賞を受賞しました。
 
しかしご本人が本当に作家になれたと思っているのが、「白い巨塔」を書き上げたときだと言います。医学の世界を半年で猛勉強し、医療過誤裁判を描くために専門の弁護士に法律まで学んでいます。
 
それは一から取材して、ペンの先から血がにじむような思いで人物を作り上げていったとのことです。こうして社会の矛盾に向き合い、聖域とされてきた領域の問題点を暴き出す、そのスタイルが確立されていきました。
 
聖域は第1にこの医療、そして第2が「華麗なる一族」で描かれた金融です。余分な話ですが、お正月の一日、天気が良かったこともあり、このテレビドラマの舞台となった日本平ホテルに行ってきました。将軍と呼ばれた、リモコンで動くロボットの鯉が棲む池は、このためにわざわざプ−ルだったものを作り直したようです。
 
この金融を扱ったばっかりに、連載誌の広告を止められて、ひもじい思いもしたようです。またさらに「不毛地帯」でダグラスグラマン事件を、そして「沈まぬ太陽」では今騒がれている日本航空の問題を、予知したかのように小説にしています。
 
また最新刊の「運命の人」では、権力とジャ−ナリズムの関係から沖縄密約問題と向き合っています。その他、私も涙して読ませていただいた「大地の子」では日中残留孤児問題を、そして米軍と日本軍に分かれて戦った日系人兄弟を扱った「二つの祖国」では戦争の悲惨さを描いています。
 
この「大地の子」関連では、その取材に不誠実な態度を取ったとされている、当時の経団連会長であった斎藤英四郎・新日鉄会長には一歩も引かなかったエピソ−ドが残されているそうです。
 
このように、自身の学徒動員などの不遇な青春時代を経ていることから、同世代の若くして亡くなっていった人たちへの強い想いと責任から、作家を続けてこられたと言われています。
 
それを「はげ山に一本、一本樹を植えていく植林作業のような小説を書きたい」と表現しています。現在、全身の筋肉が痛む原因不明の難病を患い、車椅子の生活を送られているとのことですが、早く良くなってもらい、もっともっと力強いペンを握って欲しいものです。
 
とにかく、社会派作家と言うのでしょうか、弱い立場の人を見過ごせない、不条理を許せないという方だけに、しっかりと応援したくなり、ゆっくりとまたその作品を読まなければと思っています。


苦悩する基地問題

[2010年01月27日(水曜日)|No.1759]

普天間基地移設問題で平野官房長官の発言が物議を醸し出しています。移転候補先に当たっている辺野古がある名護市の市長選で、基地移設反対派の稲嶺さんが勝利を挙げました。
 
それを受けて「一つの民意の答えとしてはあるだろうが、検討の上で(選挙結果を)斟酌(しんしゃく)しなければならないという理由はない」と述べた点です。
 
また昨日も移設先の自治体の合意について、「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」との認識を示しています。
 
この平野発言ばかりが問題になっていますが、私は平野さんが泥をかぶる役目を引き受けただけで、政府の苦汁がこれに全て表われているように思います。
 
とにかくアメリカはキャンプ・シュワブ沿岸部の辺野古が一番欲しいのは明らかです。そして沖縄県民の願いに添えるよう、政府民主党はいろいろな他の基地候補地を物色しているのですが、なかなか見つかりません。
 
この板挟みになって5月までに決着すると約束したものの、見通しは全然立っていません。この苦悩する状況が平野官房長官の口を借りて表に出てきたものと考えます。
 
ですから平野発言は政府及びその長でもある、鳩山首相の意見でもあるわけです。鳩山さんは宇宙人だとか、いろいろなことを言われているのですが、やはり歴代の総理大臣の中では群を抜いて人が好いのでしょう。
 
総理のぶら下がり会見も眺めても丁寧に答えています。また物腰が柔かく、偉そうな素振りをあまり見せません。こうした面が果たして一国の総理に適するかどうかは定かではありませんが、憎めない人です。
 
また八方美人なのでしょう。誰からも嫌われたくないというのがよく見えます。ですからこの基地の問題にしても、アメリカの要求と、連立を組んでいる社民党の意向では全然かけ離れたものなのですが、何とかやりくりしていこうというのが見られます。
 
果たしてどのような結末になるのか、今の段階では予想がつきませんが、何とか沖縄県民の意に添えるような結論を見つけて欲しいものです。私自身も鳩山さんのように、八方美人的な部分がありますので、その気持ちがよく解ります。やはり、あまりあちこち角を立ててまで生きたくないものです。


震災を乗り越えた東大投手

[2010年01月26日(火曜日)|No.1758]

阪神・淡路大震災で被害に遭った少年が今、東京六大学の東大で選手としてプレ−しているとの記事が新聞に載っていました。しかも投手で、東大野球部には2人だけの医学部生です。
 
灘高出身の3年生、安原崇哲(たかあき)投手です。新聞の記載を一部紹介いたします。
 
1995年1月17日の朝をはっきり覚えているという。ガラガラ。次にド−ン。まだ6歳だった。「地震」という言葉も知らず、何が起きたか分からない。布団を頭からかぶっていたが、体がずり落ちる。
 
両親と一緒に窓から外へ出た。ガス臭い。近所の人が靴を貸してくれた。自宅は1階が崩壊した。2回はかろうじてタンスに支えられ、斜めに傾いていた。
 
幸い、親族や友達を亡くすことはなかった。が、生活は一変。避難所や仮設住宅、復興住宅を転々とし、小学校は3つ通った。そんな中で始めた野球に夢中になった。
 
灘高時代はエ−スで4番打者。主将も務めた。高校2年の終わりには進路も決めた。「震災の時、僕は様々な支援を受けて生きた。恩返しできないか」たどりついた答えが、命と接する医師だった。

 
こうして安原君は2007年に医学部への進路である理科3類に入学しました。そして野球部に入ったのですが、実に野球部員としては20年ぶりの医学部からの入部だったそうです。
 
そしてその年の秋、初めて神宮のマウンドを踏ませてもらったのですが、以来、救援がほとんどで14試合投げるものの勝ち負けがまだついていないとのことです。
 
でもこの医学部と野球部員との両立はなかなか厳しいみたいで、他の学部は学生が講義を選べるのですが、医学部は年間計画が決められている関係で、練習時間の確保が難しいようです。
 
従って本格的に医学講義が始まった昨春からは朝8時前に登校し、講義前の1時間と休日に集中して練習するしかないようですから、十分な練習とは言えないかもしれません。
 
なかなか東大の医学部で野球を続けるということは、想像以上に大変なことだと思われます。でも本人は「その両立は大変ですねと言われるけど、そう思わない。どちらもやるべきこと」ときっぱり答えています。
 
あの地震で6434人の尊い命が失われました。2階に寝ていたら自分もどうなっていたか判らないということから、生きているのを「運」と言い切っているそうで、今できることに真剣に向き合っているとのことです。神宮で投げれるのはあと1年しかないことから、何とか記念の1勝を挙げてもらいたいと願っています。


沼津支部20周年記念事業その1

[2010年01月25日(月曜日)|No.1757]

先週の土曜日の23日、同友会沼津支部20周年の記念事業が行われました。沼津市民文化センタ−において第1部市民講座として3つの分科会、そして第2部の市長、商工会議所会頭はじめ来賓のご出席をいただいた記念式典のあと、記念講演が開催されました。
 
第1部の市民講座には講師として3分科会とも、静岡大学の副学長はじめ教授、准教授にお越しいただき、講演とバズセッションが行われました。
 
私が参加したのは第1分科会で、静岡大学の上利(あがり)人文学部教授が「人と人とを繋ぐ社会の文化活動と中小企業経営」と題した、ちょっと難しいテ−マのように思えた分科会でしたが、内容はまさに同友会の言わんとしているところとピッタリのものでした。
 
突き詰めると、人はどう生きたらよいのかという内容に繋がります。昨今の自由主義経済の発展に伴い、拝金主義が蔓延り、利益を余りにも追求していったばかりに、人々の意識を大きく変えてしまったというものです。
 
それはかつて当たり前のこととして持っていた、旧来の日本人の価値観も大きく崩壊することになりました。またそうした流れは家族や夫婦、恋愛や学校生活などの様々な人間関係にも大きな影響を及ぼしています。
 
小さなことかもしれませんが、大学でも廊下で学生たちと擦れ違うとき、かつては自然とよけていた学生が身をかわすことすらしなくなっているのが現代であるそうです。
 
そうしたことは社会が創り出してしまっていると言えばそれまでですが、人と人との絆を簡単には切らない中小企業だからこそ、そこに役目があるのではないかということです。
 
私たち同友会では自主・民主・連帯の精神で、会員同士は会暦とか年齢、会社規模などに左右されず1経営人として自由に相対することができます。また社員さんとの関係も共に育み、学んでいくという姿勢で、人間尊重の経営が基本となっています。
 
従って社員さんそれぞれが伸縮自在な袋を備えていて、いかにその袋を膨らませてやるかが経営者に問われているところです。このように扱ったテ−マは、まさにそういった私たちの目指すべき方向と少しも違っていなかったというわけです。
 
当初、少し堅すぎるかなと懸念していたものですが、教授がプロジェクタなどを使用していただいた説明もあり、一般参加者の方々にもご理解いただけたのではないかと思っています。その他、第2部のエスパルス・早川社長をお呼びした記念講演も素晴らしい内容でしたが、また別の機会に触れたいと思います。
 
こんなわけで、実行委員の方々が1年近く練り上げてくれたお陰で、有意義な20周年記念事業として、無事その幕を閉じることができました。関係者のご協力に心より感謝申し上げます。


日本航空の落日

[2010年01月22日(金曜日)|No.1756]

ついに19日、日本航空が会社更生法の適用を申請しました。かつては日本人誰もが憧れる会社だっただけに、本当に寂しい話です。
 
会社再建には大きな課題が待ち受けています。人員削減もグル−プ全体の3割に当たる1万5千人を予定しているそうです。また燃費が極端に悪いとの理由で、ジャンボ機も全て廃止となるとのことです。
 
JALと言えばジャンボ機で栄えたようなイメ−ジを持つものですが、小回りの利かないジャンボ機同様、会社の肥大化した高コスト体質と重なって見えて皮肉なものです。
 
一部週刊誌には、大量にANAに移るCA(キャビンアテンダント)などの見出しが載っていましたが、当事者であるJAL職員にとっては言うにいえない悩みを抱えているのではないでしょうか。
 
JRの駅や空港などでもこの会社ピンチが伝えられた9月以降、通勤客や利用客に「私たちは頑張ります。日本航空を今後ともよろしくお願いします」のビラを配り続ける社員の姿が見られました。
 
自主的に行ったということで、手書きのカ−ドやチラシを配る思いの中には「こんなはずではなかった」という無念さが少なくなかったと思われます。でも華やかなJALの落日には、栄枯盛衰という言葉どおり、旧態依然とした体質に親方日の丸といった甘えや油断が少なからずあったつけが回ったのではないでしょうか。
 
今回の会社更生法適用でも、航空券やマイレ−ジ、株主優待券などは今後も有効とのことです。それでも年明けからJALプラザでは、マイレ−ジを、買い物ができるク−ポン券に交換するお客が相次いでいるそうです。
 
対応する職員も会社が見捨てられるようで辛い思いではないでしょうか。聞くとJALを取り巻く労組だけで8つもあるといい、一部では会社寄りの組合との対立が続いているとのことです。ですが厳しい会社存続に向けてはそんなことを言っているときでもありません。
 
全社一丸となってこの苦境を乗り越えてもらいたいものです。もう28年も前になるでしょうか、新婚旅行に飛び立つ私たちも、JALが一番安全だと何よりも優先して選んだものです。その華々しい過去の栄光と名声を再度呼び戻せることを願っています。
 
蛇足ながら昨日聞きつけたのですが、静岡空港使用で県がJALと取り交わしていた搭乗補償の問題で、県は3月までにこの福岡便を利用するお客に限って、ひとり1万円の補助を出すとのことです。JALに払うより県民に還元した方がよいとのことでしょうか。とにかく再生にはまだまだ厳しい苦難が続くことと思われます。


キャリ−バッグ

[2010年01月21日(木曜日)|No.1755]

最近のちょっとした旅行にはキャリ−バッグが主流となってきました。従来は手提げ型のボストンバッグだったのですが、キャスタ−がついていることにより、重さを感じさせない利点があるからでしょう。
 
でもこのキャリ−バッグ、他人の歩行を妨げたり、転倒させるなどの事故が結構多いようです。新聞によると事故事例として次のようなケ−スが載っていました。
 
・新幹線を降りるときに、前の乗客のキャリ−バッグに足を取られ、右足の骨を折り入院した
 
・キャリ−バッグを引いて前を歩いていた人が突然立ち止まったか、方向転換をしたため、バッグにぶつかり頭から転び、全身打撲と診断された
 
・空港の下りエスカレ−タ−で、上からキャリ−バッグが落ちてきて転倒し、けがをした

 
こうした事故が意外と多く、結構重傷事故に繋がっているようです。これにはどうやら、キャリ−バッグを引いている際、持ち主のつま先からバッグの最後方までの距離の長さが影響しているようです。
 
調べによると、身長152cmの人が実際に引いて歩いてみて測定した結果、前方つま先からバッグの最後方までの長さは最大で156cmにもなるということです。
 
意外と長い距離になるものです。これでは人間ひとりの身長分だけ要することになるわけで、後ろを歩く人の足を引っ掛ける恐れがあるものです。
 
特に駅のホ−ムなどでは限られたスペ−スしかなく、狭い所や人ごみなどではもっとその危険性が高くなるわけです。ですから必要なのは、後ろに引きずっていることを絶えず意識した、周囲への気配りが求められることになります。
 
しかしながら、近年では他人のことを考えるより、自分自身の都合だけを優先している人たちが少なくありません。新幹線などでもきっと経験があるものと思われますが、座っている際、通路を歩く人の荷物が、こちらの顔や肩にぶつかっても、何事もないように通り過ぎていくことがあります。
 
それだけにこうしたキャリ−バッグにしても、推して知るべしのことかもしれません。でもまかり間違えば大けがにも繋がることになりますから、十分周囲には配慮したいものです。そして混雑しているのなら、その状況に合わせたバッグの引き方もあるわけです。くれぐれも気をつけたいものです。


小林繁さんの死

[2010年01月19日(火曜日)|No.1754]

あの江川事件の空白の1日で、悲劇の主人公となった小林繁さんが亡くなられました。心不全とのことですが、まだ57歳、早過ぎるご逝去です。
 
今でも当時のことをしっかり思い出すことができるのですが、ジャイアンツのエ-スだった小林さんをなぜ突然トレ−ドに出すのか、巨人のやり方に怒りを覚えたものです。
 
ドラフトで前年、クラウンライタ−ズに指名されていた江川投手が入団を拒み続け、決まりでは交渉期間が翌年のドラフト前々日となっていた隙間をついて、巨人が前日に電撃的に契約を結んだのです。
 
これにコミッショナ−が異議を唱え、ドラフトで江川投手を指名した阪神と、巨人からエ-スの小林投手を放出し、交換トレ−ドという形が為されたのです。
 
これがキャンプイン前日の1月31日の話です。可愛そうに小林投手は宮崎に向おうと羽田空港まで来ていましたが、その場で引き返すことになりました。
 
でも小林投手、その年は男の意地があったのでしょうね。年間最多勝の22勝もあげ、巨人からは負けなしの8連勝もしたのです。ですがそうしたことに燃え尽きたのか、それからわずか5年でその年13勝もあげながら、若くして引退してしまったのです。
 
またもう一つエピソ-ドがあり、ちょうどこのトレ−ド騒動が起こる直前、小林投手は浮気が妻にばれて夫婦関係が険悪になっていました。そして二人の事態収拾のため、宮崎に着いたらゆっくり電話をすることになっていたのです。
 
ところが運命は皮肉なもので、このトレ-ド騒動に呑み込まれ、宮崎にも行けず電話も掛ける余裕もなくなってしまったのです。こうして結局は離婚することになってしまいました。
 
ですから、小林投手にとっては、江川問題が自分自身の人生を大きく変えてしまったことにもなるわけです。また今シ-ズン、その実績を買われて日本ハムの1軍投手コ-チに昇格したばかりだったのです。
 
何とも不運なめぐりあわせとなりました。亡くなったご本人は悲運とか悲劇の主人公と呼ばれることがあまり好きでなかったみたいです。何とかあの世に行かれたら、また違った世界を見つけてもらいたいものです。小林繁さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
明日20日は工事で出張のため、カキコミは休ませていただきます。


創作四字熟語

[2010年01月18日(月曜日)|No.1753]

幸いにもこのところ、お客様から頂く引き合いが多く、できる限り足繁く通うように心がけています。今日も朝から平塚に出掛けてきました。今年になって小田原、平塚はもう5回も往復しています。やはり小回りを利かせなければ、私たちのような会社はそのメリットを生かせないものです。
 
さて今日は創作四字熟語なるものを紹介したいと思います。住友生命保険がこの世相を示す四字熟語の中で、20周年記念として各年を最も象徴する最優秀作品を選び発表しました。以下その抜粋一覧です。
 
1990年 異旗統合(東西ドイツ統合)        ・・・意気投合(本来の言葉)
 
1991年 台風逸果(台風でリンゴなどの果物落下被害)・・・台風一過
 
1993年 扇扇狂狂(お立ち台で扇子ギャルが踊り狂う) ・・・戦々恐々
 
1995年 震傷膨大(阪神大震災で心に傷)        ・・・針小棒大
 
1996年 高官無恥(厚生次官汚職など官僚スキャンダル)  ・・・厚顔無恥
 
1997年 靴下象様(ル−ズソックス)           ・・・隔靴掻痒
 
1998年 倒行巨費(長銀などの破綻に巨額公的資金) ・・・登校拒否
 
2001年 万国胸痛(米同時多発テロに胸を痛める世界)・・・万国共通
 
2005年 無職無習(ニ−ト増加が問題に)         ・・・無色無臭
 
2006年 住人怒色(耐震偽装事件に怒り)        ・・・十人十色
 
2007年 医師薄寂(医師不足が問題化)         ・・・意志薄弱
 
2009年 遠奔千走(1千円高速で渋滞)          ・・・東奔西走

 
それぞれの時代の特徴をよく表わしているものです。ル-ズソックスの靴下象様などは本当に面白いですね。まるでその靴下の様子は象の脚のようだとは、よく言ったものです。
 
若者のやることにいちいち口出しするわけではないのですが、先日の成人式には肩を露わにしたような着物の着方をしている女性を見かけました。ル−ズソックス同様、少しも格好よくないのですが、本人は結構格好いいつもりでやっているのでしょうね。
 
何でも好き勝手にやっていいというものではなく。見苦しいものは直ちに止めてもらいたいものです。話が逸れてしまいましたが、今日から国会が始まります。政治と金の問題ばかりでなく、国民の深刻な当面の課題を十分審議してもらいたいものです。
 
差し詰め、今は真実一路をもじって、不審な点ははっきりと述べてもらいたい「審述一郎」でしょうか。


変わること

[2010年01月15日(金曜日)|No.1752]

本当に毎日寒い日が続いています。でもこの寒気、来週には和らぎ、春を思わせるような暖かい日が続くそうです。楽しみにしたいものです。
 
今年は新年早々社員の前でも誓ったように、少しずつでも自分自身を変えていかなければと心がけています。手始めに行っているのはまず会社の朝の掃除です。
 
今まで会社にやってくるのは社長である私が一番なのですが、こうしたカキコミやメ−ルの返信等があり、なかなか掃除にかける時間を割いていませんでした。
 
ところが会社は8時半始業なのですが、8時ごろには社員は出勤し、それぞれがいろいろな持ち場で毎日掃除に精出してくれています。
 
ですから私がこうしてパソコンの前に座り、作業をしている傍らでは社員は一生懸命床を掃いたり拭くことを行ってくれているわけです。
 
椅子をどかしたりしながらその作業を見守っているに過ぎない私は、常々「悪いね、すみません」などの言葉を掛けるものの、一向にその作業に加わることはありませんでした。
 
でも口には出しているものの、心の中ではこうした作業にかこつけて手を動かしていない自分が、正直、特権意識を持っているようで後ろめたさのようなものを感じていたものです。
 
それが今年から自分自身割り切って、作業を8時までとしてその後、この掃除に加わることにしました。ずいぶんと気持ちがすっきりするようになりました。後ろめたさがなくなったというよりは、自分が同じ作業に加わることにより、むしろ今までの社員の作業に改めて感謝する気持ちが湧いてくるものです。
 
床やテ−ブルなど、あちこち拭き掃除をしていても思ったより汚れていません。そんな時、ああやはり社員がやってくれているからなんだなと思うわけです。
 
たかが掃除かもしれません。でも一緒にやってみて初めて解り、気がつくこともあるわけです。また企業において欠くことのできない連帯感も強まります。さあ、そろそろその時間です。今日も頑張ってその貴重なひと時に加わっていきます。


大相撲理事選

[2010年01月14日(木曜日)|No.1751]

大関・魁皇が幕内通算808勝という大記録を打ち立てた次の日、今度はその魁皇に敗れた、先場所大関の座から陥落した千代大海が引退を決めてしまいました。
 
聞くと大関在位65場所は歴代1位とのことで、大関昇進を決めた1999年初場所は、朝青龍の初土俵の場所とも言われています。やはりずいぶん長いこと、相撲を取ってきたのですね。ご苦労様の言葉を贈りたいと思います。
 
さてこの大相撲なのですが、2月1日に行われる相撲協会理事選が大きく揺れ動いています。何しろ協会ではまだ若手の37歳の貴乃花親方が、二所ノ関一門を離脱してまでこの選挙への立候補を表明しているからです。
 
理事になるためにはおよそ9〜10票必要とのことらしいのですが、二所ノ関一門は総数で28票しかなく、親方を含む4人が立候補しているのです。このため4人では当選の見込みはなく、話し合いによる決着もつかなかったので、一門のこれ以上の混乱を避ける為、貴乃花親方が一門を離脱し、無所属での立候補を申し出たのです。
 
貴乃花親方は今回の理事選に出なくても、2年後には一門の枠に空きが出ることから理事は約束されており、また将来的には十分理事長の目まであると言われている人です。
 
それがなぜそんなに待てないかと、一門の親方衆からも苦言を呈されているところですが、実情は貴乃花親方の、現状の問題点を早く解決しなければという熱い想いがあるようです。
 
聞くと、協会の裏方さん(呼び出しや床山など)と呼ばれる人の中には、20年以上働いていても大卒の初任給にも満たない給料の人がいるそうです。
 
しかし、国技である大相撲が長い歴史を誇れるのにはそうした裏方さんの支えがあったからこそで、協会がより良くなっていくためには力士、親方など表に出る人だけでなく、そうした人たちの待遇改善も重要だと真剣に考えているのです。
 
ずいぶんと男気を感ずるものです。封建的な大相撲だけに、私たちが知らない部分でずいぶんとそうした矛盾が潜んでいるのでしょう。こうした事情を聞かされたからには、こちらも陰ながら応援したくなるものです。
 
現在、貴乃花親方を支持する親方衆のグル-プとしては7票まで確保できているそうです。他の一門にもこの動きに賛成する親方がいるとのことですが、時津風、高砂のように、それぞれ1人ずつの擁立だったところが、両一門が連携して3人出すような動きもあり、ますます他の一門でも締め付けがきつくなっているようです。
 
果たしてどうなることでしょうか。温故知新という言葉もあるとおり、古くから伝わっている良い部分はどんどん残して引き継いでいけばよいのですが、時代に合わなかったり、つまらない慣習であれば積極的に改革していってもらいたいものです。


生かされた命

[2010年01月13日(水曜日)|No.1750]

今年も、もうすぐ1月17日がやってきます。あの阪神大震災が起きた日です。早いものであれからもう15年になるのですね。新聞への投稿で「生かされた命に感謝」という記事が目に留まりましたので紹介したいと思います。
 
私は兵庫県西宮市の実家で被災しました。父と妹がたんすの下敷きになりました。私と母ではビクともしません。お隣に救助を求め、ご主人と息子さんに助けていただきました。
 
幸いけがもありませんでした。とても感謝しています。でも、実家は半壊の被害を受けました。2週間ほど近くの小学校での避難生活を送りました。ボランティアをはじめ、いろいろな方々のお世話になりました。
 
あの時ほど人の助けに感謝したことはありませんでした。千葉に住んでいても毎年の1月17日という日は、「
生かされた命に感謝する日になっています。そして、私も人のために何かをしなければ、と思っています。
 
15年もたちましたが、あの時のことは忘れられません。寝室にたんすなどの家具があると安眠できません。これからも感謝の気持ちを持ち続けて暮らしていきたいと思います。

 
昨日触れた老師の話ではないのですが、こうして自分が生かされているということに気づき、そして周囲の温かい気持ちに感謝する心を持てたら、何と素晴らしいことではないでしょうか。
 
人間だって私たち企業にしたって、存在している以上、必ず何らかの役目があるはずです。それに早く気づいた人こそ、より自身の人生が豊かで実り多いものになるのではないでしょうか。
 
昨年は我が静岡県でも8月中旬に駿河湾地震が起こり、焼津や御前崎、牧之原の住民に多くの被害をもたらしました。東名高速が牧之原SA付近の崩落事故で通行止となり、お盆休みを前に夜を徹した緊急復旧作業が続けられたことはまだ記憶に新しいものではないかと思われます。
 
また12月には伊豆半島東方沖の群発地震が起き、年末から年始に掛けてちょうど稼ぎ時だったホテルや旅館に、1万人以上の予約客のキャンセルが相次いだとのことです。思わぬ大きな被害ではなかったかと思われます。
 
災害は忘れた頃にやってくると言われます。こんなはずではなかったとか、もう少しこうしておけばよかったなどと、つまらない後悔をしないためにも、日頃の対策や準備に目を向けておきたいものです。特に我が県がいつ来るか判らない、東海地震の震源地と言われているだけに...


目に余る外国人による犯罪

[2010年01月12日(火曜日)|No.1749]

この3連休はいかがお過ごしだったでしょうか。私どもはお陰様で仕事に恵まれ、3日間とも出張工事等で出掛けていました。正月明け早々のこともあって、休まれた人たちにとっても少し早すぎる連休ではなかったかと思われますが、少しでも他社との差別化を心がける私たちにとっては、まずは順調な滑り出しだと思っています。
 
さて、昨年暮れに銀座の天賞堂という宝石店で、2億5000万円ぐらいの高級腕時計が大量に盗まれた事件がありましたが、この犯人と思える香港人を含む中国人男女6人が逮捕されました。
 
ビルとビルの狭い間にこもって、壁に穴を開けて侵入するという手口を聞かされたとき、これはきっと日本人の犯行ではないなと思っていましたが、案の定、やはり外国人の仕業でした。
 
こうした手口はなかなか日本人では思いつかないものです。盗っ人という悪人に別にル-ルや掟があるわけではないでしょうが、我が国の今までの犯罪には物を根底から破壊するといった、えげつない犯罪は少なかったように思えます。
 
前にはATMなどの機械がそれごとブルド−ザ−みたいなもので壊され、お金が盗まれたことがありましたが、そうした事件も同様です。ですからもう何年になるでしょうか、年末の大晦日かその前の日に、東京で一家4人の家族が殺害された事件がありました。
 
この事件も未だ解決されていないわけですが、これなども正月をすぐに控えてのことだっただけに、あまりに非人間的な冷酷な仕打ちは、きっと外国人の仕業ではないかと思っています。
 
今朝の朝日新聞の1面に、日本人を使った中国人による振り込め詐欺を取り上げていました。月々20万円やるからと誘われ、中国まで出掛けた日本人が、これ以上同胞をだますのに耐えられないと言って脱出してくる話です。
 
それは台湾と韓国で同じ手口で儲けた中国の組織が、今度は金持ちの日本人を狙うというものです。それには言葉を怪しまれないように日本人を使い、電話の発信元をばれないよう中国から電話を掛けるといった手口を使っています。
 
ですが最初、寝泊りはホテル、3食レストラン付きと言われて出掛けたのが、実際には民家の6畳ほどの部屋に数人押し込まれ、即席めんが主食という違いに嫌気がさして、これ以上続けられなくなって逃げた人の証言に基づいているものです。
 
とにかく近年、こうしたえげつない外国人の犯罪が増えているものです。昔の任侠道ではないのですが、ねずみ小僧次郎吉に代表されるように、かつての日本には盗っ人にも五分の魂があったものです。
 
10日の晩、久しぶりに出掛けた座禅の法話でも、龍択寺の亡き中川球童老師のあとを引き継いだ新老師がこう話されていました。「人間は生かされているものだ」と。この世に生を受けた以上、「生かされている」それぞれの役目をどんな小さなことであっても、しっかりと果たしていきたいものです。


素敵な日本のお正月

[2010年01月08日(金曜日)|No.1748]

昨日で玄関に吊るしたお飾りも外れ、正月気分もそろそろ抜ける頃かと思われます。このお飾りも松の内の間は飾っておくということですから、本来からすると小正月の15日までを松の内と呼ぶということなので、まだ飾っていてもよいことになります。
 
しかしながら、最近では7日までを松の内と呼ぶのが一般的となっており、こちらの地域ではほとんどの家がお飾りと門松は7日には取り外すようになっています。でも関西の一部の地域ではまだ15日まで飾っているところもあるようです。
 
このようになったのも、忙しい近年、15日まで悠々と正月気分に浸っていられないこともありますし、この7日には七草粥を食べる風習があることから、これでお正月気分も終わりということになるのでしょうか。
 
この日本独特のお正月という風習は、何年経っても本当に良いものだと思っています。第一に、1年でたった1日しか違わないのに、除夜の鐘を聞いた途端、人々の口からは「おめでとう」の言葉が飛び交い、それが口先だけでなく、本当におめでたい気分になるから不思議です。
 
そして、このおめでたいお正月を少しでも優雅に迎えようと、年内には家の中を綺麗にし、おせち料理までこしらえて準備します。こうしてお正月を迎えた途端、人々は着飾って初詣や年始参りに晴れやかな気分で出掛けます。
 
また1年中、会うことはなくても、「昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします」との年賀状を交わすことになります。とてもおかしな話なのですが、これが少しも不自然に感じないから、お正月の魔力なのですね。
 
こうした気持ちの上だけでも、優雅なひとときを過ごせるのがお正月の嬉しいところです。近年、このようなお正月が決して嫌いなわけではないでしょうが、年末にはこの日本を飛び出し、海外で過ごす方が多くなっています。
 
また、おせち料理は自分で作ることなく、1セット何万円もの高価なものを取り寄せる方も少なくありません。そして年賀状なども自分からは出すことがなく、必要なものはメ−ルで済ませます。また一昔前と大きく変わってきたのが車に付けていたお飾りです。
 
私もそうですが、最近ではとんと見掛けなくなってきました。こうしたことに示されるように、少しずつ日本のお正月も変わっていくのでしょうか。少し寂しい話です。できればこの日本独特の優雅なお正月の風習を、いつまでも残したいものだと思っています。
 
さあ、今日でお客様への年始の挨拶回りは最後となります。新しい年を祝い、新たな誓いと感謝の気持ちを持って、頑張って出掛けて来ます。


掃除の効果

[2010年01月07日(木曜日)|No.1747]

昨年暮れの28日は会社の大掃除、そして31日は家内から頼まれ、自宅の年寄りの部屋の大掃除を行いました。会社の大掃除での私の担当は、暮れのお定まりとなっているトイレ掃除です。
 
正月早々、臭い話で恐縮ですが、トイレ掃除で大変なのは男性小便用トイレです。これに比べたら普通の洋式トイレはずいぶんと簡単です。特に定期的にでも行っていればよいのですが、女性職員が週に1回ぐらいやっているだけですから、これは大変となっても仕方ありません。
 
もちろん、そのやっていることに対しては常々感謝しており、全く異論がないのですが、ここで言うところのトイレ掃除のレベルではないからです。小便器には、カップを逆さまにしたような陶器が蓋のようにかぶさっています。
 
これを外さないと掃除にはならないのです。カップ状のこの代物を洗うのには、そんなに厄介ではありません。むしろ、この蓋状のものを外してからが大変なのです。そこには自分の掃除を怠けていたのを象徴するかのごとく、ちょっとやそっとでは、とても取れない垢がしっかりとこびりついているのです。
 
ですからこれを落とすのにはサンドペ−パ−のようなものが必要となってきます。こうして、しばしそれとの格闘が始まるのです。また年寄りの部屋というのは、日頃、なかなか隅々まで掃除が行き届きません。特に寝たきりの状態が続いたりしてると、やりたくてもできないからです。
 
こうして積もり積もった壁や障子などの埃を落とすところから、掃除は始まります。どちらの掃除もやる前は結構気が重いものです。でも一旦始めてしまえば、それに没頭できるものです。そしてやり終えた後は掃除の箇所のみならず、自分の心まで気持ちよくスッキリすることになるのです。これが何とも言えないような、心地よい気分なのです。
 
伝えるところでは、この掃除そのものが最近増えている、うつなどの患者に効果があるとのことです。ある医師によると、次のようなメリットがあると言います。
 
まず第一に体を動かすこと。気持ちが落ちこむと、体を動かすのもおっくうになり、家にこもりがち。するとまたあれこれ考えたり、くよくよしたり……。掃除は、そんな悪循環を断つ一種のエクササイズ。しかもいつでも手軽に始められる。
 
そして、掃除をするという行為に集中していると、自然と頭の中のゴタゴタが消え、無心になれる。「過去の悔いも未来への不安もどこかに消え、まさに『今に生きる』状態。このような無心になれる時間を持つことは、こころの健康にとって非常に重要。
 
また。「きれいにした!」という満足感や達成感も得られて前向きな気分に。家族や周囲の人から感謝され、人間関係も良くなる。「実際、掃除を毎日するようになると、患者さんの顔つきが変わってきて、表情が明るくなり、周囲に対し『ありがとう』という言葉も出てくる。精神療法としての効果も高い。

 
とまで言われているのです。まさに、いいことだらけの掃除効果とも言えるのではないでしょうか。掃除を義務や負担と考えず、自分の“こころ磨き”のツールとしてとらえてみてはとも提唱しています。周囲が綺麗になって、心がスッキリする掃除を我が社でも是非、積極的に今年は採り入れてみたいと思っています。


年の始めに

[2010年01月06日(水曜日)|No.1746]

2010年も穏やかなうちにそのスタ−トを切りました。大雪で大変だった日本海側に比べ、私たちの太平洋側は少し風が強かったものの、好天の清々しい三が日を迎えることができました。
 
この正月の風物詩となった箱根駅伝は昨年に引き続き、東洋大が見事、2連覇を飾りました。これも昨年同様、5区の箱根山登りの区間での柏原選手の劇走とも言える活躍のお陰です。
 
何しろ、たすきをもらった時には4分以上もの大差がついていたのに、中間点では既に追いつき、逆に4分近くも引き離してゴ−ルしたのです。解説の瀬古さんが話していましたが、これでは4区までの貯金だとか他のチ−ムの頑張りが全て消えてしまって、それまでの区間が無意味に思えるようなものです。
 
とにかく凄いものです。この柏原選手がいる限り、当分東洋大は安泰ではないでしょうか。一方、こうした華々しい舞台とはうって変わり、年末から年明けまで今年も国と東京都が世話をした派遣村には、800人を超える人たちが入所したそうです。
 
また4日にはこの派遣村も閉鎖したのですが、その内、700人近い人がその後の住居を見つけられないとのことで、引き続きカプセルホテルなどの宿泊支援を行っているそうです。住宅ロ−ンなどの支払いができず悩んでいる人たちも少なくないみたいで、長びく不況が多くの人達の困窮を招いているものです。
 
昨日は国会の予算審議を控え、藤井財務大臣が辞意を洩らしました。77歳という高齢からの体調不良というように言われていますが、小沢幹事長との確執があるようです。この小沢さん、かつての田中さんの目白詣で同様、元日の年始には大勢の取り巻きが私邸に押しかけたようです。
 
益々権力の中心を握らんかの勢いですが、さて今年の政局はどのような展開を見せるのでしょうか。鳩山政権がなんだかんだと言われていますが、これまで国民がこのように政治に関心を示したことはなかったはずです。それだけでも新政権誕生の意味は少なくないように思えるものです。
 
私事ですが、正月早々三が日も休むことなく働きに出掛ける我が娘を眺めながら、こうした人たちによって世の中が支えられているのだと、つくづく思わせられました。電車やバスなどの交通機関はもちろん、人々の生活に欠くことのできない仕事は正月だからと言って、のんびり休ませてもくれません
 
改めてこうした人々に感謝の気持ちを抱いたものです。私たちも同様にそうした甘えが許されません。少しでも会社が世に存在している以上、あの会社があって良かったと言ってもらえるものにならなければいけません。
 
そのような会社を目指していきます。本年も変わらぬご贔屓とご愛顧をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。