2010年12月の日記
年の瀬に教えられたこと
[2010年12月24日(金曜日)|No.1931]
残念ながら今年最後のカキコミとなってしまいました。来週月曜日の27日から30日までは、工事出張応援で富士宮に出掛ける予定となっています。また大晦日の晩から元旦に掛けて、やはり1名の要請があります。
これを社員に頼むわけにはいかない関係で、私自らが買って出ました。元旦早々から仕事をすれば、少しは良いこともあるのではないでしょうか。喪中でもあることですし、どこにも出掛ける予定もないので、皆と少し違った取り組みもまた良しとしています。
さて私自身、やはりこうでなければならないと、教えられたことがありました。1年の反省を踏まえて、ちょっと紹介させていただきます。
今週の月曜日、東京に年末のご挨拶で出掛ける際、最寄の片浜駅で切符を買おうとしたときのことです。この駅は小さい駅の為か、時間的に、特に夜間はそうなのですが、改札に係員がいなくなってしまいます。
そして私が出掛けようとしたこの日、お昼前の時間帯もちょうどこの改札口が閉じられている時に当たってしまいました。しかし私は東京電環までの往復乗車券と新幹線特急券を、できればカ−ドで購入したかったのです。
残念に思ったのですが、窓口に立て掛けられた看板を見ると、11時55分には再開すると載っています。ちょうどその時間に当たっていましたので、これ幸いと思い連絡用のインタ−ホンを取り、係員を呼び出すことにしました。
なかなか受話器の向こうには出てくれなかったのですが、こちらもしつこく呼び続けた結果、窓口がサ−ッと開いて、一人の若い駅員さんがガラスの向こうから顔を覗かせました。
眺めると、いかにも面白くないという、ふくれっ面をしているのです。ここで今までの私なら「何を面白くない顔をしているんだ。55分には窓口が開くと言うから連絡をさせてもらったんだ」と、まくし立てたところです。
ですが、そう言いたいところをぐっとこらえて、「悪いね。カ−ドで買いたかったものだから」と下手に出て話しかけました。そうしたところ、大きな顔をしていた相手からも、「すみません。お待たせして」との言葉が返ってきたのです。
これは予想外の反応だったのですが、その瞬間、これが人とのうまく接するこつだなと思ったものです。得てしてこちらの正当化を振りかざしているとき、相手の不足に付け込みやすいものです。特にこちら側が客筋に当たるような場合は尚更のことです。
ですから相手の反応はこちら次第だとも言えるわけで、自分を鏡に映したそのままではないでしょうか。もし喧嘩腰に向かっていったら、たぶんお待たせしましたの言葉も出なかったことでしょう。
やはり腹が一瞬立っても一呼吸入れるべきだと、つくづく知らされたものです。また、いきり巻いても嫌な思いを引きずるだけです。ですが、そうは言ってもなかなかできないかもしれません。でも今更と言われるかもしれませんが、還暦を境に、少し今までの自分を改めたいと思ったものです。
こんなまだまだ至らない自分ですが、今年も1年間、皆様方から頂いた温かなご厚情に心より感謝申し上げます。来る年が皆様方にとって、素晴らしく良い年でありますよう祈念申し上げます。有難うございました。
来年は1月6日よりカキコミを再開させていただきます。
母親の逝去より
[2010年12月20日(月曜日)|No.1930]
母親の危篤やら逝去で長い間、カキコミが中断してしまいました。どうぞご容赦下さい。また関係各位に於かれましては、その節は大変お世話になりまして誠に有難うございました。心より厚く御礼申し上げます。
それにしても、こういったドサクサの期間はあっという間に過ぎるものです。先々週の月曜日、暮れの挨拶回りに出掛けていた際、母親危篤の報を受けてからほぼ1週間、母親はまだ生に未練があったのか、必死になって残された命を繋いでくれました。
そしてなぜか不思議なことに、普段は学校がある関係で付き添いにはつかない、私の長女がその日は朝から病院に付いてくれていて、彼女と弟達夫婦に見守られながら安らかに息を引き取ったのです。
故人が一番可愛がっていたのがこの長女だっただけに、やはり呼び寄せたのかなとも思ったものです。そして関係者の間で14日がどうしても都合がつかず、15日が友引にも当たったことから、少し日を置いた葬儀とさせていただいたのです。
ですから、それに向けての準備には十分期間があったのですが、あり過ぎるのも善し悪しですね。母親にとってはしばらく家から離れていた関係で、亡骸とはいえ、4日間ほど愛着のある自宅で過ごすことができたわけですが、周囲の者には何かと配慮も出てくることから疲れが出たりするものです。
でもお陰様で、無事お通夜と葬儀を執り行うことができました。慣れないことから関係各位には配慮も十分行き届かず、何かと失礼もあったことと思われます。この場をお借りして深くお詫び申し上げます。
そして一段落した今だからこそ、気づくことなのですが、会葬頂いた皆様方への通夜、告別式のお礼のご挨拶でも、至らぬところもあり、恥ずかしいものでした。
内輪のことですがとか、皆様方の前で恐縮ですがというお断りを入れたものの、長い間看てもらった感謝の気持ちとして、自分の家内への礼を述べる際、いただきましたなどのおかしな言い回しをしたことです。
いくら夫婦であっても、面と向かってはなかなか照れ臭いところもあり、そうした場をお借りして少しでも感謝の気持ちを示したいとの想いでのことでしたが、果たしてその気持ちがストレ-トに通じたのかどうか、いささか心許ないものです。
挨拶ぐらい、しっかりできるものと高をくくっていた自分ですが、まだまだ修行が足りませんね。人生は自分が亡くなるまで全て勉強です。もっともっと至らぬところは素直に改め、前向きに謙虚に捉えていきたいと思っています。
それにしても、何度もやるものではないですね。お通夜の晩、弟と二人きりで母親に付き添ったのですが、なぜか一粒の涙もこぼれない私に引き換え、祭壇に向かい、呼び掛けながらボロボロと涙をこぼしていた彼の姿がとても印象的でした。
それから、このことも挨拶の中で付け加えたかったのですが、11月の中旬、御殿場の病院に転院し、手続き等全て終えて私たちが家に戻ろうとする際、意識の全くなかった母親の口から、「ありがとう、ありがとう」と2回、感謝の言葉が放たれました。
長い間、世話を掛けた嫁に対しての、せめてもの母親の気持ちだったのではないでしょうか。お忙しい中、ご会葬いただいた方々や、温かな言葉を掛けていただいた皆様方に、心より感謝申し上げます。
明日からの2日間、21〜22日は平塚に工事で出張いたします。なかなかカキコミができず、やり残しているような思いですが、休ませていただきますのでよろしくお願いいたします。
ご連絡
[2010年12月13日(月曜日)|No.]
兼ねてより療養中でありました母・秋山八重子が12月11日(土)の朝、逝去致しました。生前中、賜りましたご厚情に心より感謝申し上げます。
つきましては下記の通り、通夜、葬儀等を執り行う関係で、会社関係先には業務上一部支障をきたすと思われ、大変ご迷惑をお掛け致しますが、ご容赦いただきますよう、何卒、よろしくお願い申し上げます。
故 人 秋山八重子 享年84歳
喪 主 秋山 清一
施 主 秋山 和孝
自宅出棺 12月15日(水) 16時30分
通 夜 同 19時00分
会 場 天翔苑 原 (沼津市原1418-6 TEL055-969-4040)
葬儀・告別式 12月16日(木) 10時00分
式場出棺 同 11時20分
会 場 (通夜会場と同じ)
火 葬 12月16日(木) 12時00分(沼津火葬場)
お問合せ先 (株)農協葬祭 055−983−5588
ご連絡
[2010年12月07日(火曜日)|No.]
昨日、入院先の病院より母親危篤との報を受け、病院に詰めております。申し訳ありませんが、しばらくの間、カキコミは休ませていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
ご連絡
[2010年12月05日(日曜日)|No.]
明日は一日出張のため、カキコミを休ませていただきます。よろしくお願いいたします。
上に立つ者
[2010年12月03日(金曜日)|No.1929]
(株)タニサケの松岡会長がこんなことを言われています。岐阜掃除に学ぶ会が多くの方の協力で継続できているわけですが、一番苦労しているのはトイレ掃除をする、その会場探しです。
主に小・中学校に依頼しているのですが、校長四態と名付けられた、そのときの話です。
A校長「転任してきたばかりで忙しくてそんなことできません」この学校は、2年連続で 先生とPTA役員でトイレ磨きをしたところです。私はこの校長に「上に立つ者が忙しいと言ったら、総て、おしまい」と言いたい。
B校長「そういうことは年度初めに言ってもらわないと...」この学校も2年連続でトイレ磨きをしています。私はこの校長に「教育長やPTA役員さんにも同じことが言えますか」と言いたい。
両校ともせっかく根付いた「心磨きのトイレ掃除」が、これらの情けない校長で途切れるのが残念でなりません。
またこんなこともありました。C校長先生は「会議があるのでこれから出かけます」と。これは、この小学校のPTAからの依頼で、3年連続で小学6年生の卒業トイレ磨きを応援した、当日のことです。
6年生全員と親も参加の活動に、上に立つ者が不在とは...。これが校長の常識なのでしょうか。3人の校長に、森信三先生の名言を伝えたい。
◎「人間下座の経験のない者は、まだ試験済みの人間とは言えない」
◎「学校の再建はまず紙屑を拾うことから...。次にはクツ箱のクツのかかとが揃うように。真の教育は、こうした眼前の瑣事(さじ)からスタ−トすることを知らねば、一校の主宰者たるの資格なし」
最後に、D校長から「卒業式が終わったのですが、2名の生徒が就職しないで家にいると言っているのです。タニサケさんで1週間だけ研修させてくださいませんか」と依頼されました。
私は「卒業式が終わったのに...」と訊ねると、D校長は「3月31日までは、私の責任ですから」と。タニサケで生徒さんを大切にお預かりし、主に挨拶の向上を目差しました。
その生徒さんは二人とも、4月1日に、他企業へ就職されました。光った校長は生徒に「生きる力」を与えます。D校長の高い志の勝利です。
やはり上に立つ者の責任は大きいものです。我が国の為政者も、つまらない揚げ足をとるような真似ばかりしていないで、今早急に求められているものや、自分の役目は何なのかをよく考えてもらいたいものです。
もちろん非礼発言やマナ−違反の携帯着信音などはもってのほかですが、そんなことに構ってばかりいてはこの国の進路は閉ざされているばかりです。
スポ−ツあれこれ
[2010年12月02日(木曜日)|No.1928]
まず大相撲です。やはり横綱・白鵬が強かったですね。2日目に稀勢の里に敗れ、69連勝を破る夢が費えてしまったのですが、とうとうそれから1敗もせず見事優勝を飾りました。
聞くと2日目に敗れた後、かなり精神的に堪えていて休場まで考えたと言います。それだけにそれを克服した優勝は見事なものです。
また優勝決定戦で敗れた豊ノ島も本当によくやったと思います。平成18年初場所以来の日本人優勝者として、大いに期待されたのですが、横綱の壁はやはり厚いものがありました。
この豊ノ島関、野球賭博に関与したということで7月場所は謹慎の出場停止、そして十両に落ちた先場所は見事優勝し、今場所カムバックしたのです。それだけに何とか優勝させてあげたかったのですが、その口惜しい思いは来場所に是非繋げてもらいたいものです。
それからウィンタ−スポ−ツのシ−ズンとなりましたが、先日フィギュアスケ−トGPシリーズ・フランス大会をテレビで観ました。浅田真央ちゃんの復活を願って眺めたものですが、まだ得意のジャンプに少し悩んでいるようです。
コ−チが日本人の佐藤さんに代わってどうのこうの、また巷では言われそうなのですが、そんなことより、少し心身とも疲れ果てているのではないでしょうか。惜しくもこれでGPファイナル出場を逃したわけですが、これを良い機会として、少し休養して英気を養った方がよいと思われます。
佐藤コ−チにしても、やはり教えている男子の小塚選手が完璧な演技で、堂々たる優勝を飾っているわけですから、指導的には全く問題はないものと思われます。
またプロ野球のスト−ブリ−グが、今年はいつにもまして賑やかな動きを見せています。セリ−グでは首位打者も獲ったことのある横浜の内川選手がソフトバンクへ、またこのパリ−グから横浜へと、森本稀哲(ひちょり)選手が移籍することが決まりました。
また巨人から戦力外を通告された小林雅投手がオリックス入りが決まった他、同じく李承ヨプ(イ・スンヨプ)選手も同球団入りが伝えられています。
この他、大リ−グからの出戻り組として、岩村、松井稼頭央両選手の楽天入りが決まりました。星野監督を新たに迎えたこの球団、岩隈投手もポスティングが不成功になる可能性が高いところから、磐石な態勢で、来季は優勝を狙えるところまでいくのではないでしょうか。
それにしても日米のワ−ルドシリ−ズと日本シリ−ズの各選手権において、報奨金としての選手への分配金が日本の一人当たり200数万円に比べ、1桁違う2千万円台と聞きました。
お金だけではないのですが、こうした格差を埋めないと日本の優れたプレ−ヤ−の流出は避けられないかもしれません。日本プロ野球の魅力を探る工夫と戦略が早急に求められているものです。
トイレの神様
[2010年12月01日(水曜日)|No.1927]
「トイレの神様」という、シンガーソングライター、植村花菜さんの歌が注目を集めています。元々ラジオから流れたのがきっかけで、秋川雅史さんの「千の風になって」同様、大ヒットのきざしを見せています。
年末の紅白歌合戦にも出場が決まり、しかも9分52秒もの長い歌なのですが、カットすることなく全曲歌い切ると言います。亡き祖母の思い出を辿って作られた、この曲の歌詞を眺めると結構ジ−ンと来るものがあります。
トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで だから毎日キレイにしたら 女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで…
小三のときからおばあちゃんと一緒に住むことになり、その祖母からそう聞いて、せっせとトイレ掃除に励むのですが、やがておばあちゃんや家族と行き違い、家を飛び出してしまいます。
そして久しぶりに家に戻ると、それを待ち続けていたかのように、おばあちゃんが亡くなります。そうした自責の念や後悔、また感謝の気持ちが入り交ざった歌のようですが、人々の体験と重なり、共感を呼び涙なしには聴けないところがあるみたいです。
「千の風にのって」も紅白に出た途端、爆発的ヒットとなりましたが、このときのケ−スと今回よく似ていると言われています。植村さんも言っているとおり、この歌がお世話になったおばあちゃんへの恩返しになれば何よりです。
またこの歌のように、トイレをピカピカに磨くと、その心までピカピカになるのではないでしょうか。そして多くの人が言われているとおり、そのことから学ぶことは少なくないようです。
なぜか優しくなったり、相手の立場を理解できるようになるのです。これは自分が手を染め、継続しなければ決して解ることではありませんが、不思議に思えることです。
やはり、下から目線とか弱者の立場に少しでも立てるからでしょうか。我が国のお偉いさんも大晦日の夜、この歌をじっくりと聴いて、トイレ掃除でも継続すれば、この国は少しはましになると思うのですが...