株式会社 アイソー





日頃思うことをつれづれと書き綴ります。
ご意見・ご感想などはお問い合わせからお寄せください。



生涯一捕手

[2010年03月11日(木曜日)|No.1785]

BSハイビジョンでノムさんこと、野村克也さんの特集を観ました。45歳まで「生涯一捕手」として、ボロボロになってもいいとやり続けた野球人生にはやはり壮絶なものを感じました。
 
まず家が貧乏だったことです。早くから病気で父親を亡くし、母親の女手一つで兄と二人が育てられました。ですから少しでも家計を助けようと、まだ小さな頃から新聞配達をやりました。
 
そして貧乏は嫌やと言って、当時売り出し始めていた美空ひばりに憧れ、歌手を目指すのですがそれもうまく叶いません。こうしてそれならと思い、中学に入って野球をやり始めるのです。
 
高校では京都の峰山高校に入るのですが、野球ではそんなに知られた学校ではありません。従って注目されることもないことから、テスト生として当時の南海ホ-クスの試験を受け、何とかプロ入りを果たすのです。
 
しかしプロはそんなに甘いものではありません。来る日も来る日もブルペンで投手の投げる球を捕り続ける、いわゆる「カベ」としての毎日が続きます。
 
そして1年が過ぎたある日、球団に呼ばれ解雇通知を言い渡されたのです。「野球らしいことは何もまだやっていないのになぜ?」と食い下がるのですが、相手は聞く耳を持ちません。必死な思いで「給料もいらないから何とか残して下さい」と頼み込み、やっと残留できたのです。
 
こうして3年目になり、正捕手の故障でチャンスが回ってきて、それをしっかりと掴み取り今日に繋がったのです。それからはご承知のとおり、捕手という重労働に耐えながら3000試合以上に出場し、王選手に続く歴代2位の657本の本塁打を放ち、9回の本塁打王や戦後初の三冠王にも輝いています。
 
また南海でのプレイングマネ−ジャ−を経て、監督としてヤクルトや楽天という毎年最下位やBクラスに喘いでいた球団を見事、立て直しを図っていったのです。特に昨年、プレイオフで敗れ、楽天の監督をこの日で辞めるとき、楽天のみならず日ハムの選手まで全員で胴上げしたシ−ンは今でも爽やかに憶えているところです。
 
番組の中で特に印象的だったのは母親に対する感謝の気持ちです。自分たち二人を育てていたとき、病気で母親が入院することになります。そして退院でその母を駅まで迎えに行ったときのことは今でもしっかりと脳裏にこびりついていると言っています。
 
今と違って車などは使えない当時、駅までリヤカ−を下げて母親を迎えに行ったのですが、そこで見た母親の顔はいつになく真っ白で生気が感じられなかったのです。
 
そのときに改めて母親への感謝と有難さを強く思ったと言います。そしてプロ入りしてからも少ない給料の中から毎月1000円ずつ送り続けたのですが、母親はその金に一切手をつけず、貯金して息子の万が一のときに備えていたのです。
 
こうした母親を「楽しいことは何も知らず、ただ苦労する為に生まれてきただけの人生だった」と野村さんは涙ながらに語るのですが、亡くなった後、遺品を調べていたら野村さんの選手当時の活躍を記した切抜きをしっかりと集めてまとめてあったと言います。
 
やはり息子の活躍が生きる支えであり、生きがいにもなっていたのでしょう。改めてこうして自分自身が存在するのは誰のお陰か、野村さんのように、しっかりと感謝の気持ちを持ち続けたからこそ今を迎えられると、教えられたものでした。
 
明日12日は家内の実家の親戚に不幸があり、通夜・葬儀に出席の為、出掛けますのでカキコミは休ませていただきます。


米軍基地移転の日野原提案

[2010年03月10日(水曜日)|No.1784]

98歳にもなる、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が、米軍の基地移転について新聞に書かれていました。5月までは移転先を決着すると言う政府が、ここにきて沖縄・普天間飛行場の移転先候補として、辺野古陸上案をどうやら推し進めたいような動きを感じます。
 
それに対し、日野原先生は環境問題や地元の大反対などもあり、決着の見通しが立たないこの問題に、次のような提案をしています。
 
10年後に国内の米軍基地をなくす条約を日米間で結び、それを機に日本は「平和の国」として世界に宣言しようというものです。
 
もちろんこれまで基地があることで他国の脅威から守られてきました。それと引き換えに在日米軍の施設を提供することで、日米安保条約が成り立っており、今すぐにそれをなくすことはできません。
 
ですから10年後に基地をよそに移す代わりに、移設費用に関してはこれまでの経緯に感謝して日本側が負担するという約束を交わすのです。
 
また、10年後以降はその駐留経費として日本側が負担してきた「思いやり予算」を、先日のハイチ大地震のような天災が起こった場合、自衛隊を国際社会の平和を守る存在として位置づけ、内外問わず迅速に派遣する予算に回すというものです。
 
そして永年多大な負担を強いられてきた普天間の人たちには、最高の楽園を作ることを約束し、あと10年の猶予をいただくという提案です。
 
先生が言われるように、今の日本の状況ではどこに持っていっても少なからずその弊害が生じます。それゆえ、普天間の人たちには気の毒ですがあと10年我慢してもらい、その後を綺麗さっぱり無くすというものであれば夢がないこともありません。
 
そこにも書かれていましたが、日本は世界の国々と違って軍隊を持たない、平和の国として独自な道を歩んでいくのが賢明な選択だと考えます。先生はこれを「休戦」ではなく、カントの言う「非戦」の精神と呼んでいます。
 
98歳の日野原先生がこんなに素敵なプランを提案されるのですから、政府はもっともっと先の先まで読み通した、日本の賢明なる選択肢を考えていかなければなりません。
 
今朝のニュ-スでも騒がれていた、旧政府のとんでもない核の持ち込みの密約からしても、現政府が独自の日米外交をもう少し打ち出していってもよいのではないでしょうか。


長野選手

[2010年03月09日(火曜日)|No.1783]

ジャイアンツがドラフト1位で獲得した長野(ちょうの)選手がオ−プン戦で素晴らしい成績を挙げています。チ−ム初めてのホ−ムランも、ド派手に満塁本塁打を放った、この長野選手です。
 
元々脚が速く、走力と守備は一級品との折り紙付でしたが、打力はいまいち物足りないという評価でした。ところがプロ入りしてからの打撃指導も実を結び、オ−プン戦の成績ながら打率4割、9打点と文句のない成績を残しています。
 
関係者の間では、とにかく積極的なバッティングが新人離れしてよいとの評価です。これまでの20打席では何と15打席もファ−ストストライクから果敢に打って出ています。
 
この思い切りの良さと、投手の配球の読みに優れているのでしょう。ということで、ここまで来たら開幕スタメンが身近に見えてきたものです。
 
ところが巨人の外野陣と言ったら、半端でない競争率です。レフトに4番のラミレスがいます。オ−プン戦いまいちの成績ですが、守備に不安があるといえども、まさかこの人は外せないでしょう。
 
そして中堅には昨年活躍した松本と脚の速い鈴木両選手がいます。それからWBCですっかり自信をつけた亀井選手や、勝負強いヤワラちゃんの旦那である谷選手もいます。
 
またそれに加え、今シ−ズンは故障から復帰した好打者・高橋吉伸選手の打撃も捨てられないものです。長野選手を加え、この7人で3つのポジションを争うことになるわけです。
 
何とも贅沢な布陣ではないでしょうか。他のチ−ムに行けばそれぞれがそのままレギュラ−です。高橋選手は一塁手という選択もありますが、それでは高給取りのイ・スンヨプがはじかれてしまいますので、もったいないところです。
 
こうなるといったい開幕の先発を誰が獲得するのか、興味津々で目が離せないものです。でも巨人ならではのことでしょうね。それでは力のある選手を温存したまま、殺すことにもなるのではないかという懸念が働きます。
 
この疑問に答え、球団関係者があるとき、このように述べていました。「殺すことになるかもしれないが、他のチ−ムで働かれるよりまし」これが財政豊かな巨人球団の戦略なのです。
 
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、かつてあの長嶋さんの陰に隠れた難波選手とか、ワンちゃんがいる関係で出場機会の乏しかった木次選手など、有望選手が日の目を見ないまま消えていったことが、まさにこれに当てはまることです。
 
長野選手も恋焦がれて意中の球団にやっと入れたわけですから、こんなことのないよう、しっかりと生き延びてレギュラ−を掴んで欲しいものです。そのルックスからしても、十分看板選手になる要素は大きいものです。
 
蛇足ながら、こんな贅沢な巨人の獲得戦略に似たようなケ−スが、私たちの身近な高校野球にもあるように感じました。早くから青田買いのように選手を獲得しながら、その選手が3年経ってもなかなか出場機会に恵まれていないのです。これでは別のところで思う存分実力を発揮した方がいいように思うのですが...


ライオンキング

[2010年03月08日(月曜日)|No.1782]

弊社創立記念日である啓蟄の日も過ぎました。地面の中の虫たちがうごめき、そろそろ地上に這い上がろうとする季節です。しかしながら休日で出掛けた昨日の東京は寒い一日でした。
 
取引のある金融機関の仲間同士で作られている、同友会の観劇会で東京まで出掛けたのです。でも以前から楽しみにしていた劇団四季の「ライオンキング」は、そんな寒さを物ともしないほど、多くの熱気に包まれた感動ある素晴らしいものでした。
 
一度観てみたいと思っていた劇団四季の公演をやっと観ることが叶いました。何しろ人気が高く、なかなかそのチケットが手に入らないからです。初めて観てやはりその人気の高さは頷けるものでした。
 
この「ライオンキング」は珍しい構成なのですが、人間が一切そこには関わっていない、動物たちだけの物語です。ざっとそのあらすじを紹介すると、アフリカの広大なサバンナにライオンを王とする動物たちの王国がありました。
 
そこに行く末は王を継承する一人の王子が誕生しました。この誕生で跡継ぎの座を失った、現国王の弟であるスカ−という弟ライオンの陰謀が始まります。
 
そして兄でもある王様を殺し、跡継ぎの王子まで国外に追い出してしまうのです。こうしてイボイノシシとミ−アキャットに助けられた王子はやがては元の王国に戻り、悪い叔父のスカ−をやっつけ、王国は元の平和と静けさを取り戻すというものです。
 
このような単なる動物たちのスト−リ−にすぎないのですが、その底辺には人間の持つ嫉みとか野望が招く悲劇、そして自己中心の世界でなく、いろいろなものとの共存共栄が成長を支えていくという、人間社会そっくりに描かれているものです。
 
こうしたあらすじより何より、何と言ってもミュ−ジカルですから、素晴らしい歌と踊り、それからきらびやかな舞台や衣装がビジュアルの観点で強いインパクトを私たちに放つわけです。
 
また眺めたのが良い席だったからかもしれませんが、客席からのステ−ジへの登場や客席を巻き込んだ踊りなどの演出や企画が一層臨場感を高め、盛り上げてくれたものと思われます。
 
それに浅利慶太さんという、一切の妥協を許さない演出があるがゆえ、更にステ−ジを重厚に支えているのでしょう。とにかく四季劇場で初めて観たこのミュ−ジカルの熱演には、心ウキウキ、ワクワク、大いに楽しませていただきました。
 
やはりホンモノを観なければいけませんね。最後に何度も何度も繰り返されるカ−テンコ−ルは、まさに私たちの気持ちを全て表わしていたようでした。


素敵な82歳

[2010年03月05日(金曜日)|No.1781]

こんな82歳だったらいいなと思った、ユニ−クな投稿記事を紹介したいと思います。「82歳のつれづれなる日常」と題した面白いものです。
 
82歳になった。オジイサンと言われてもむっとしなくなった。久しぶりに会った友人知人が老けているのに驚く。
 
年賀状が転居先不明で戻ってくるのが多くなった。あの世までは届かないらしい。新しく来た年賀状は一枚もなかった。
 
家内は女学校時代、県大会で優勝したバレ−の選手だった。今、小柄なバアサンである。家内の顔をつくづくと見るのはやめた。
 
景色がどんより見えるので黄砂か光化学スモッグだと思っていたら、眼科の医者から白内障で濁りがひどいと言われた。
 
病院の受付で少し耳が遠いのでよろしくと言ったら、以後すべて筆談だった。待合室に座っていたら、看護婦さんが来て、「昨日申し上げたはずですが、あなたの治療は昨日で終わっています」。
 
電車の後ろの方に立っていると、前の方でしきりに手招きする人がいるので、知人かと思って近づいたら、席を譲ってくれる人だった。

 
82歳のお歳で、ユ−モアたっぷりの、この感性を持てているのが何とも素晴らしいものです。どうでしょうか、この真似ができるでしょうか。できたらこの方同様、体は老いても頭が爽やかな、こんな素敵な晩年が送れたらと願っています。


浪人で切り開いた人生

[2010年03月04日(木曜日)|No.1780]

「投げる精密機械」と呼ばれていた、ロッテ・小宮山投手が昨年で現役生活にピリオドを打ちました。やはり本拠地最後の采配となる、ボビ−・バレンタイン監督の意向でマウンドに送り出された小宮山投手は、たった1球で打者を打ち取り、プロ野球最年長セ−ブという珍記録で現役生活を締めくくることにもなったわけです。
 
この小宮山投手が結構異色な野球人生を送っていることを知りました。出身の千葉・芝浦工業大学柏高校の野球部はとても甲子園を狙えるレベルの学校ではありませんでした。
 
でもテレビで観た早慶戦に憧れ、2浪までして早大に入学します。その2年間はほとんどトレ-ニングをしていませんでしたが、持ち前のコントロ−ルの良さを買われてすぐレギュラ−組に入れたのです。
 
そして3年になる時、人生の師と仰ぐ石井連蔵さんが監督になり、東京六大学リ−グ通算20勝10敗の堂々たる成績を挙げることになるわけです。石井さんから学生野球の本分である精神野球を叩き込まれた成果とも言われています。
 
こうしてドラフト1位でロッテ入団を果たすのですが、入団後6年目でその人生を大きく動かす2人目の人物と出会います。それがバレンタイン監督なのです。
 
ちょうどその前年、右ひじの故障でシ−ズンの半分を棒に振っていた小宮山投手に、監督はこう語りかけました。「私が監督をやるからには絶対に故障はさせない。痛みがあれば言って欲しい。そうすればシ−ズン通して投げることができる
 
そしてその言葉を信じて投げたお陰で、その年は好成績を挙げるのですが、バレンタインは球団との確執で1年で解任されることになります。
 
もう一度ボビ−と野球がしたいという願いは、それから7年後に実現することになります。36歳となった小宮山投手が持っていた大リ−グへの挑戦という夢を、メッツの監督であったバレンタインが叶えてくれたのです。
 
しかし大リ−グのパワ−に圧倒され、その年0勝3敗に終わった彼を日本でも獲得する球団はありませんでした。こうして現役投手という肩書きを残したまま、評論家生活をその年送ったのです。
 
そしてその彼を翌年再び呼び戻してくれたのが、9年ぶりにロッテ監督に返り咲いたバレンタイン監督だったのです。再びロッテの現役投手にカムバックした小宮山投手は、こうしてそれから6年もの間、プレ−することができたのです。
 
大学に入る前の2年間と、大リ−グから帰ってきてどこにもお呼びでなかった1年間の評論家時代を併せると、3年の浪人生活があるわけです。そうした遠回りをしても、夢を信じ、人を信じて自分の野球人生を切り開くことができました。
 
まさに人との素晴らしい出会いがそこにはあるわけですが、人生あきらめてはいけないものですね。山あり谷ありの人生に小宮山投手は次のようなアドバイスを送っています。
 
大学を2浪したお陰だろうね。だから俺はいろんな人に浪人を勧めている。人生80年。そのうちの1、2年なんて、たいした問題じゃないからね


おはようの挨拶

[2010年03月03日(水曜日)|No.1779]

「おはよう」の挨拶を家族の中で言わなくなったという投稿記事がありました。一人息子が中学に入学した頃からとのことです。
 
親離れした息子が、その成長の過程で母親を軽蔑するようになり、戸惑って当たり障りのない接し方をしているうちに、夫婦の会話すらないような、家族で会話もなく過ごす日々になっていったと言います。
 
それが今では息子も30代、親に頼ることなく自立して、家族が荒れたことも良い思い出のようになりました。それでも未だに夫婦間で「おはよう」の挨拶がないという、次の記述には笑いをもらいました。
 
「行ってらっしゃい」「おかえり」「おやすみ」の言葉はあるのに・・・お互いに無言の朝。これではいけないと、1ヶ月前の朝、思い切って「あー、うー」と大声を出してみた。
 
「どうしたの?」といぶかしげな夫に、照れ隠しに「おなかの筋肉を鍛えているの」とか「元気を出しているの」と答えた。数週間後、やっと「おはよう」が言えるようになった。夫も小声でこたえる。
 
でもまだ恥ずかしくて、「おはようちゃん」や「おはようでござる」や「オッハー」とおどけてしまう。がやはり朝は、笑顔で一言あった方が、気持ちの切り替えにもなり、一日の気分が盛り上がると思う。

 
お互いに「おはよう」の挨拶を交わす習慣がなければ、やはりこうなるものでしょうか。私は幸い家内や子どもたちともこんなことがなく、元気な朝の挨拶を交わすことができています。
 
しかし毎朝の散歩の最中、行き交う人に「おはようございます」と、積極的に言葉を掛けるのですが、中には全く反応のない人がいます。
 
聞こえなかったと思い、思わずもう一度声を掛けたくなってしまうものです。前にも話しましたが、挨拶は他人にするものではなく、自分自身のためにするものです。
 
それがこちらの予想以上に、元気な気持ちよい挨拶が返ってくると、とても嬉しくなるものです。そして朝だけに、その日、一日が何か素敵な良いことが起こりそうで、気持ちよいスタートを切れることができます。
 
やはり朝は元気が一番、朝からウジウジしていたら一日良い事も逃げていってしまうものです。


ちょっと良い話part57

[2010年03月02日(火曜日)|No.1778]

受験シ−ズンはまだまだ続いています。今年の大学受験の傾向は安い、近い、少ないというのが1つのパタ−ンのようです。
 
この時代を反映してか、国立などの授業料などが安い大学を対象に、また近くてできれば自宅から通える所、そして受験はできるだけ絞って志望校を少なくするというのが、その傾向のようです。
 
新聞の投稿にあった、合格に父の声が震えていたという、ちょっと良い話を紹介したいと思います。
 
毎年この時期になると、高校3年だったあの冬の日のことを思い出します。父が運転する車で大学の合格発表を見に行きました。
 
到着すると、急に父は「車で待っている」と言い出したのです。私は1人で掲示板のあるところへ向かいました。
 
自分の受験番号を発見、一刻も早く父に伝えようと急いで車に戻ると、父はボンネットを開けて車の点検をしていたのです。
 
「こんなときに何を」と不審に思いながらも、合格を伝えました。父は、「良かったな」と一言。しかし、その声は震えており、父が泣いていることはすぐに分かりました。
 
厳格な父は、私に涙を見せるのが嫌で点検のふりをしてボンネットで顔を隠していたのです。後にも先にも、父のそんな声を聞いたことがありません。
 
文字通り親身になって私の受験を心配してくれていたのだと痛感した瞬間でした。

 
まさに「親思う子どもの心に優る親心」でしょうね。大阪の友人もブログで、お嬢さんの第一志望の大学合格のことを喜んでいました。自分自身の事以上に何かと気になることでもあります。
 
合格を心から祝福したいと思いますが、シャイで不器用な父親という存在がちょっぴり、いじらしく感じられました。


もう1つの銀メダル

[2010年03月01日(月曜日)|No.1777]

チリで起こった大地震の影響で、1日中、津波に対する警戒が日本列島全体を覆い尽くしました。幸い人的被害はなかったように聞きほっとしていますが、避難を求められた人たちは、とんだ休日になってしまったのではないでしょうか。
 
また嬉しいニュ−スもありました。朝起きて気になっていた結果を観ようとテレビを点けた瞬間、女子パシュ−トという、スピ−ドスケ−ト団体追い抜き戦のちょうど真っ最中でした。残り1周を残し、日本チ−ムが1秒以上リ−ド、このまま逃げ切って欲しいと、すがるような思いで見守ったゴ−ル判定の結果、何と2/100秒差で負けたのです。
 
本当に僅差の結果に国民のほとんどが口惜しい思いをしたのではないでしょうか。それでも立派な銀メダルです。0.02秒届かなかった口惜しい思いは、15歳の高木美帆ちゃんらに引継ぎ、きっと次の五輪では大きな花を咲かせてくれるのではないでしょうか。
 
ところでこの団体追い抜きに出場した3選手のうち、田畑真紀選手と穂積雅子選手の所属は富山市にある、「ダイチ」という社員40人余りの中小企業と聞きました。
 
この会社は公共事業の予定地でボーリング調査などを行う地質調査会社です。スケ−ト部は1995年に発足し、現社長の父である会長の田中実さんという方が、国体の地元開催に向け、地元への恩返しの意味で選手育成の支援を始めたと言われています。
 
こうして富士急を辞めた後、受け入れ先のなかった田畑選手が入社し、翌年高校の後輩である穂積選手も加わり、五輪に向けた本格的な活動を開始したのです。
 
ところがこの会社も例外ではなく、ここ数年景気悪化や公共事業の削減で年商は最盛期の半分以下になってしまいました。二人の経費は年間2000〜3000万円にもなると言われ、その負担はずっしりと会社にも響きます。
 
しかし、会長・社長の田中さん親子は「小さい会社でもやれるんだ」という強い思いから、自分たちの報酬を削ってその経費を捻出していたとのことです。
 
そうした涙ぐましい陰の支援もあり、この日の華やかな結果にも繋がっていったのです。田中社長はテレビにかじりつき、社員と共に声援を送ったのですが、「こんな小さな会社でもメダリストを送り出せた。誇りに思う」と目を潤ませて答えていたそうです。
 
もちろん、田畑、穂積両選手の頑張りがなければこの結果はもたらさないわけですが、苦しい中、執念とも言える、この中小企業のオヤジの後押しがなければとも考えさせられます。
 
やはり人と関わったら途中では放り出せない、人間尊重の精神が中小企業にはしっかりと備わっているものです。苦しくてもそれをやり抜いた、このダイチ経営者にも、もう一つの銀メダルを差し上げたいと思います。


永遠のライバル

[2010年02月26日(金曜日)|No.1776]

我らの真央ちゃんはあと一歩及ばず、残念ながら韓国のキムヨナ選手に敗れてしまいました。苦手なショ−トプログラム(SP)を自己最高の演技で乗り切った彼女は、その勢いのまま、この日のフリ−の演技に臨んだわけですが、如何せんキムヨナ選手が強すぎました。
 
2日前のSPでも両選手の素晴らしい演技は私たちを釘付けにしました。まさに日本と韓国の国民をほとんど虜にしたのではないでしょうか。共に自己最高とも言える出来栄えで、真央チャンはトリプルアクセル(3回転半)のジャンプをSPでは史上初めて成功し、一方のキムヨナ選手も3回転−3回転のコンビネ−ションジャンプを高く速く切れの良い演技で文句なしでした。
 
このときにも感じたのですが、真央ちゃんの完璧な演技の直ぐ後で、キムヨナ選手はプレッシャ−を感じ、かなりやりにくいものと思っていました。ところが彼女の演技が始まると、全くそんなこともお構いなく、自分の持っている技術を全てそのまま出していました。それができるのが彼女の強さです。
 
そして5点近くリ−ドしたというものの、フリ−ではどちらかというと真央ちゃんの方が得意としていたことから、セ−フティ−リ−ドではなかったわけです。また終わってみないことには何が起こるか判らないのがフィギュアの怖いところです。
 
でも結果は完璧なまでに自分の持っているものを全て出し切り、自己最高の得点での堂々たる優勝です。一方、真央ちゃんの方はトリプルアクセルを2度も決めたのはさすがでしたが、その後の細かいミスに本人も悔いが残っているようです。
 
その差は何なのか考えてみたのですが、肉薄した二人にとっては共に卓越している技術の問題ではないように思えます。やはり追い詰められたり、ここ一番というときに自分のベストを出せるか否かの精神力ではないでしょうか。
 
そこの部分で、全く同じような条件を持つ二人の中で、唯一キムヨナ選手の方が優っていたのではないでしょうか。でもバンク−バ−では負けましたが、この二人の戦いはこの先、しばらくは、少なくともソチ五輪までは続くものと思われます。
 
そうした二人の今後の戦いには目が離せられないものです。きっとお互いのライバル関係はもっと強くなるでしょうから、技術の難度も増していき、大きな刺激を受けながらもっともっと強く逞しくなっていくものでしょう。
 
フィギュアスケートがこんなに私たちを魅了するものとは思ってもみませんでした。これも二人のお陰です。真央チャンは銀メダルに喜ぶどころか、自分の演技ができなくて口惜しくて泣いていたそうです。それだからこそ次に繋がるというものです。捲土重来に期待しましょう。


運気を上げるための4つのポイント

[2010年02月25日(木曜日)|No.1775]

致知3月号に載っている 「運気を上げるための4つのポイント」について紹介したいと思います。あの雄星くんこと、菊池雄星投手を育て上げた、花巻東高野球部監督・佐々木洋さんのお話です。
 
私はずっと 「おまえは運がいい、運がいい」と言われ続けているんですね。 「菊池を獲得できて運がいい」 とか、 「棚ボタで選抜に出て準優勝した」 とか言われてですね、前は「俺だって努力しているんだ」とムッとしていました。
 
でも最近、運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしか、来ないんだなと分かって、素直に喜べるようになりました。
 
では自分の何をコントロールしているかというと、1つは先ほどの
言葉です。2つ目は一緒にいる人 親は選べませんが、友人は選べますよね。 あるいは私が国分先生に会いたいといって、自分の意思で誰にでも会いに行って、刺激を受けることができるわけです。
 
3つ目が
表情、態度、姿勢、身だしなみ2つ目にも通じますが、チャラチャラした格好をしている子はやはりそういう友達と一緒にいます。
 
また野球でも逆転されてシュンとしたり、点を入れて大騒ぎしているチームにはあまり脅威を感じないんですね。逆に負けている時に笑顔でファイティングポーズとかが出るチームって怖いなと思う。
 
特に監督が不安になったりすると一瞬でチーム全体に伝染しますから、表情、態度のコントロールは常に心掛けています。そして最後はやっぱり
感謝と謙虚さですね。とにかく敵をつくらず、味方をつくることが運を呼び込んでくると思います。
 
例えば、うちのチームは宿泊したホテルから帰る時はすごくきれいに掃除させるんです。甲子園の時もホテルの方が 「花巻東の使った後はベッドメイクが要らないくらい、きれいにしてくれた」と喜ばれまして、ホテルの人たちが球場までわざわざ応援に来てくれたりしたんです。
 
彼(菊池雄星選手)は例えばゴミが落ちているのを見ると 「神様が自分を試している」と思うと話していました。そうやって、いつも神様が自分を見ていると思っているんです。
 
それから私が前にうちの選手たちに 「成功している会社の社長さんの家を探っていったら一つだけ共通項があって、どの家もトイレの蓋が閉まっていたらしい」と話したら、どこに行っても蓋を閉めて回っています(笑)。
 
もしも、態度が横柄だったり、悪口ばっかり言っているチームは人がどんどん遠ざかっていきます。謙虚にしていると味方が増え、その人たちに感謝の気持ちを伝えると、さらに応援してくれるようになる。
 
何をやってもツイている人と、何をやっても空回りする人の差はこの4つではないかと思っています。

 
やはり、なるほどと思わさせられるくらい、どれも納得させられる事柄です。言い換えれば自分の心がけ次第で、運を掴んだまま離さずに済むわけです。それにしても、雄星くんのいつも神様に試されているという考えは、まだ高校生ぐらいの若い美空で見事なものです。


自信過剰

[2010年02月24日(水曜日)|No.1774]

昨日は不覚にも熱が出てダウンしてしまいました。朝は通常通り、5時半に愛犬の散歩を済ませ、7時過ぎには出社したのですが、どうも寒気がして仕方ないのです。
 
散歩の時にもいつもより体が重く、疲れが溜まっているようで変だなとは思っていました。でもいつも通り、顔を洗って食事を取ればシャンとするものと気にも留めませんでした。
 
ところが当日は今日同様、お天気がよく気温もぐんぐん上がった日です。それにもかかわらず、スト−ブでも抱えていたいくらい寒いのです。そして仕方なく、少し仕事の残りを済ませてから早退させてもらったのです。
 
1年に1回あるかないかの、いわゆる鬼の撹乱というものです。つい先日、還暦を迎えたばかりの身ですが、内心はまだまだ体には自信がありました。でもやはり年相応で無理はできないものです。
 
ここ1週間のライフワ−クを振り返ってみますと、1週間前の火曜日の工事出張に始まり、翌日は小田原で打合せ、そしてこの日の夜から何と1日も家では食事を取っていないのです。
 
同友会支部例会、商工会議所産業クラブ役員会、静岡での同友会県理事会と続き、土曜日、日曜日には連日、還暦を祝う会を催して頂いたのです。そして日中はシニアのソフトボ−ルの試合、またお客様主催のゴルフコンペと重なっていたのです。
 
これでは若者ならともかくとして、体が悲鳴を上げるわけです。こうしたとき、自分はいつも良い方に物事を考えるタイプで、やはり無理をせず休めと言っているのだなと素直に聞くことにします。
 
仕方なく、一生懸命頑張ってくれている社員には申し訳なく思いながら、家に帰って休むことにしました。早退したのが午前10時過ぎぐらいでしたから、それからどのくらい眠ったでしょうか。
 
途中何回か目が覚めるものの、昼夜併せておそらく20時間近く眠ったのではないでしょうか。昼間に眠ったから夜寝られないということもなく、死んだように眠り続けたものでした。
 
やはり体が悲鳴を上げていたのでしょう。このぐっすりと眠ったお陰で、39度近くあった熱も今朝にはすっかり下がり楽になりました。でもその間、掻いた汗も半端ではありません。こうして長時間寝たことによる副産物の腰に痛さを伴い、今日午後からやっと出社できたのです。
 
還暦を迎えた途端、こうして不覚をとったのも何かのお告げのようです。いくらこの間頂いたヘルスメ−タ−の肉体年齢が34歳を示すからと言って、無理はできないものです。年相応に無理はせず、自信過剰はいけないものと、つくづく知らされました。


優しい青年

[2010年02月22日(月曜日)|No.1773]

服装問題でいろいろと騒がれた国母選手が日本に帰ってきました。スノ−ボ−ド・ハ−フパイプで勝負の大技、ダブルコ−クに挑んだのですが、着地に失敗し入賞はしたものの、8位に終わってしまったのです。
 
いろいろと雑音が多かったことから、何とかその大技を決めて表彰台の高い所に立って欲しいと願っていましたが、それも叶いませんでした。でも果敢に大技に挑戦し、よくやったのではないでしょうか。
 
日本のマスコミは相変わらず付きまとっていてうるさく、今度はシャツをズボンの中に入れていたと言って大騒ぎです。ほっといてもらいたいというのが本音でしょう。
 
先日も書きましたが、この国母選手について、やはり表面上だけでその人間性まで否定するような真似は絶対してはいけないことを、1つの記事を読み改めて感じました。
 
それによると、プロスノ−ボ−ド選手・荒井善正さんが強く訴えているのです。「まるで犯罪者扱いだ。そんなやつじゃないのに」と言って、国母選手について語っていました。
 
初めて出会ったのが2000年、プロを目指して練習していたニュ−ジ−ランドの雪山で、同じ宿に泊まっていたのが小学生の国母選手でした。
 
この頃からプロで活動、どんな大技もこなして「天才」と呼ばれ、海外遠征を繰り返していました。それでも荒井さんのことを兄として慕っていました。
 
そして2006年1月荒井さんの体に異変が起こったのです。骨髄移植をしなければ余命2、3年だと宣告されたのです。また資金は度重なる入院や通院で底をついており、なかなか適合するドナ−も見つかりませんでした。
 
こうしたことから、これを聞いた国母選手が取材を受けるたびに募金を呼び掛け、大会会場でもファンにドナ−登録を頼んだのです。
 
そして海外遠征などで忙しかったのにもかかわらず、移動の合間を縫って何度も見舞いに来てくれたと言うのです。こうしたお陰で荒井さんは2008年夏に骨髄移植の手術を受け、元気になることができたのです。
 
また昨年の10月には元五輪代表らが開いたイベントで、参加した子どもたち30人が応援メッセ−ジをくれたそうです。国母選手はその一人ひとりに手書きで返事を書いて送ったとのことです。
 
何とも優しい青年ではないでしょうか。そうした国母選手だけに、モヤモヤを一挙に引き飛ばすような成績を挙げて欲しいと望んだのですが、残念でした。次の五輪までとっておきたいと思います。このように人は見掛けだけで判断しては本当にいけませんね。


ちょっと良い話part56

[2010年02月19日(金曜日)|No.1772]

強い執念が実を結んだという、ちょっと良い話です。新聞の記載をそのまま載せさせていただきました。
 
埼玉県川越市の中学3年川口瑠美子さん(15)が1月、石川県輪島市にある日本航空高校石川の推薦入試に向かう途中、大雪による列車運休のため母親と2人で300キロ余りをヒッチハイクして試験会場にたどり着き受験、合格した。母娘は「よこやま」と名乗った「トラック運転手のおかげ」と感謝している。
 
瑠美子さんは1月17日の入試のため、車中泊の予定で前日に母(48)と自宅を出発。新幹線で16日深夜に新潟県のJR長岡駅まで着いたが、乗り換える予定だった夜行列車は大雪で運休に。長岡駅ホームで両手で顔を覆って泣く瑠美子さん。だが母はヒッチハイクを提案。「絶対あきらめない」とつぶやいた。
 
歩道は150センチの積雪のため、車道にできたわだちの上を歩いた。オレンジ色の傘を広げて上下に大きく振ったが、車両は次々と通り過ぎる。吹雪が強まると数メートル先の母がかすんだ。
 
2時間余りでたどり着いたガソリンスタンド。1台だけ止まっていた大型トラックの運転手に頼むと「金沢までなら」と引き受けてくれた。
 
母は車内でほとんど口を開かなかったが「子どもはいるんですか」とだけ尋ねた。「中3の娘がいる」とTシャツ姿の運転手。瑠美子さんは座席後ろの簡易ベッドで30分間眠った。
 
パイロットが瑠美子さんの夢。中学1年の時、テレビで航空自衛隊の戦闘機が飛ぶのを見てあこがれた。母は「私立は金が掛かる」と渋ったが、タクシー運転手の父(58)に「ローンの手続きをして。返済はわたしがするから」と頼み込んだ。
 
瑠美子さんが目を覚ますと、夜は白みかけ、金沢市が近づいていた。運転手は「よし、輪島まで行っちゃる」。先行車を次々と追い抜いたトラックは集合時間10分前に到着。運転手は「がんばれ」と励ました。連絡先は教えてくれなかった。
 
入試の作文は偶然にも「わたしが感動したこと」。400字詰め原稿用紙1枚に深夜のヒッチハイクと母への感謝の気持ちをつづった。自宅に合格通知が届いたのは3日後だった。高校はトラック運転手を捜し出し連絡。運転手は「ああ、良かった」と心から喜んでいる様子だったという。
 
 
300kmの道中、寒い思いもしたことでしょうが、本当に心温まる良い話ですね。思わず感動しました。世の中そんなに捨てたものではありません。
 
心優しい運転手さんがさりげなく去るのも憎いところです。また入試の作文にしても、運までしっかりと味方をしてくれました。週刊誌などの見出しによると、このお母さんは外国人とのことですが、やはり最後まであきらめてはいけませんね。


ボケないためには

[2010年02月18日(木曜日)|No.1771]

ボケについてテレビで触れていましたので少し書き留めてみました。まずボケになりやすい人は下記の方が当てはまるそうです。
 
@ 生活環境が変わった人
    これには今まで一生懸命働いてきて、ここで定年を迎えてヤレヤレと
    思っている人も当てはまるかもしれません。
 
A 精神状態が不安定な人
    仕事や人間関係などにストレスを持っていてもいけないようです。
 
B 生活習慣が不規則な人
    やはりダラダラといつまでも寝ないで起きていたり、朝起きるのがその
    日によって不規則な人もいけないのでしょう。
 
C 食生活が偏っている人
    好き嫌いがなく、いろいろなものを適度な量をいただくのがよいのでしょ
     う。
 
D 偏った性格の人
    頑固で融通が利かなかったり、几帳面過ぎたりする人もいけないよう
    です。
 
そんなことで、ボケないための法則として、7つの習慣を挙げていました。
 
@ 散歩・ウォ−キングをする
    歩くと脳への血流が増えるとのことです。
 
A 新聞を声に出して読む
    声を出すと咽筋肉が活性化します。
 
B 料理を作る
    料理はクリエイティブだからとのことですが、全く作らない自分は駄目
    ですね。
 
C 社会と交わる
    人と交わると刺激を受けるし、生きがいや意欲も増します。私なんか
    交わり過ぎているかもしれませんね。
 
D 電車・バスで出かける
    やはり無意識に歩いたり体を使うでしょうし、様々な情報が目や耳に
    飛び込んでくるからでしょう。
 
E 日記をつける
    つまらないものでも、私のこうしたカキコミを続けているのもよいかも
    しれません。
 
F 恋をする
    今さらという気がしないでもありませんが、自分自身にも関心や注意
    を払うからよいのでしょう。そうそう、奥様にもう一度、恋をすればよい
    わけですね。
 
以上のことから異常に綺麗好きや完ぺき主義もいけないみたいですね。またストレスはできる限り溜めないで発散することです。ボケてしまったら自分では分からないわけですから、やはり気をつけて人生を楽しみたいものです。


還暦

[2010年02月17日(水曜日)|No.1770]

やっと日本に2つのメダルをもたらしてくれました。沈みかけていた五輪への期待に、明るい灯を点してくれた長島選手、加藤選手に感謝!です。
 
さて我が事で大変お恥ずかしいのですが、今日は60回目の誕生日を迎えました。と言うよりは、迎えることができましたという方が当たっているかもしれません。
 
いわゆる還暦というもので、人生が一巡したわけです。改めてここで過去を振り返りたくはありませんが、やはり1つの節目でもあることから、意義あるものと思っています。
 
生まれて何年も経っていない頃、医者から脳膜炎でもう駄目だとも言われたと聞いています。そんなとき、何ぼも稼ぎのなかった父親が、当時高価で手に入りにくかった、ストレプトマイシンという薬を使うかどうか医者から打診されたそうです。
 
1本打つのに何万円も掛かり、当時の給料何ヶ月分にも相当していたからです。迷わず父親は構いませんからお願いしますと頼んだとのことです。こうしたお陰もあって今日を迎えることができているわけです。改めて生きていること、生かされていることに感謝しなければと強く思っています。
 
さて還暦を迎えたならばこれからは第2の人生とも言えるわけです。相変わらず中小企業のオヤジは抜け出すことができませんが、何もやる事がなく、ノホホンと暮らしている毎日より、大変かもしれませんが充実しているとも言えるものです。
 
そうした傍ら、少し自分の時間を意識的に作って、家内と温泉や旅行に行ったり、音楽や美術鑑賞等の芸術にも少しずつ触れていきながら、ゆとりを持った人生にしていきたいと思っています。
 
今週末と来週に掛けては、そのお祝いとして連日、旧PTAの仲間や家族ぐるみでお付き合いさせて頂いている方々が祝う会を催してくれます。
 
改めてこうした温かい方達との交流やサポ−トに感謝し、その気持ちを忘れないよう、これからもしっかりと生きていきたいと思っています。


バンク−バ−五輪開幕

[2010年02月15日(月曜日)|No.1769]

バンク−バ−五輪が開幕しました。開会式を少しテレビで眺めたのですが、五輪を重ねるごとにきらびやかで豪華な趣向となります。あれでは開会式というか、ほとんど練り上げられたショ−と言えるのではないでしょうか。
 
選手は入場行進後、観覧席で着席しながら眺めていましたが、とてもあのような時間では立ってはいられず、そうした配慮も頷けるというものです。
 
そして早速、競技が始まりましたが、日本勢のスタ-トがあまりよくないようです。ショ−トトラックやジャンプのノ−マルヒルでも期待の選手が十分、その実力を発揮できません。
 
まあ予想されたことかもしれませんが、これから続く有望選手のためには余分なプレッシャ−を掛けない意味でも、何とか幸先良いスタ−トを切りたかったのですが叶いませんでした。
 
そんな中、メダルを期待された上村愛子さんが惜しくも4位に終わってしまいました。初めて出場した長野五輪が7位、そしてソルトレークシティー6位、トリノ5位と続き、4回目の今回が4位と、一段ずつしか順位が上がらず、皮肉な結果となりメダルに手が届きませんでした。
 
でも本人が言っているようにベストを尽くしての結果です。胸を張って帰ってきてよいのではないでしょうか。聞くと上村さんにとってはこのバンク−バ−は思い出の地でもあるそうです。
 
第2の故郷とも言えるこの地を訪れたのは中学2年生の冬とのことです。小学校時代から続いていたいじめに絶えかね、スキ−部もやめて、自分の好きなことにもう一度目覚めて欲しいという母の願いがあって、一人旅へと送り出されたようです。
 
そして運命なのでしょう、この地で自分のスキ−板が盗まれたことにより、モ−グルに出会うわけです。そうした縁の深いこの地だけに、何とか勝たせてあげたかったのですが、残念ながら運命の神様は微笑んでくれませんでした。
 
本番でなかなか実力が出せない我ら日本人なのですが、中国や韓国の選手を見ていると全然違います。それゆえ、いっそう彼らが逞しく見えるのですが、いったい何がどう違うのでしょうか。
 
戦前の予想でも日本は金がなく、銀3つに終わるとも言われています。この銀には浅田真央ちゃんも入っているのでしょうが、そうした予想を覆し、一番高い表彰台に是非上り詰めてもらいたいものです。真央ちゃんに何とか私たちの溜飲を下げてもらえる、完璧な演技を期待したいと思います。
 
明日16日は出張工事で一日会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。


服装の乱れ

[2010年02月12日(金曜日)|No.1768]

スノ−ボ−ド・オリンピック日本代表の国母和宏選手の服装の乱れが騒がれました。ズボンを下げ、シャツを外に出した格好が問題になったのです。
 
一時は代表を辞退せよとの声まで上がったのですが、橋本聖子団長の裁量で何とか出場は取り付けることができました。それでも選手村への入村式は自粛させられたようです。
 
この問題、世代により意見は大きく分かれそうです。ある年代に達した人たちは「そんな格好はだらしなくて見っともない」と言うでしょうが、若者たちの間ではシャツを外に出して着るのが当たり前で、逆に中に入れていたりすると「ダサイ」とも言われそうです。
 
私もある時、一緒に遊びに出かけようとした折、娘たちから「お父さんシャツを外に出した方がいいよ」と言われたものの、なかなかその習慣がないためか、出して着るのは抵抗があったものです。
 
そしてこのスノ−ボ−ドという競技は若者から発生してきたためか、腰パンとまではいかなくても、全体的にズボンを下げ気味のいでたちで行っているようです。
 
ここからしてもう認識が違っているみたいです。こうした事情を酌んで考えてみると、その服装から全人格まで否定するようなことはちょっと可哀想なように思えます。
 
ただそうした注意や指摘を受けた際、彼も21歳にもなる大学生ですから、もっと大人の対応に配慮した方がよかったのではないでしょうか。「反省していま−す」の語尾を伸ばしたような表現は、いかにも言葉だけでの反省のようで、誤解を招きかねないからです。
 
この国母選手、プロボ−ダ−としても確固たる地位を築いているようです。ですから実力を備わっており、オリンピックだからと言ってどうこう騒ぐようなものではなく、いろいろある大会の1つに過ぎないようにも捉えているようです。
 
このくらい肝の座った選手なのですから、わざわざ自分から問題を余計大きくすることもなかったように思えます。逆に言えばこのくらいの選手でなければ、オリンピックで自分の実力をそのまま発揮できないのではないでしょうか。
 
国母選手は橋本聖子団長の次の言葉に心を動かされたようです。「日本でスノ−ボ−ドで五輪をめざしている子どもたちのために、雪の上で良い滑りを残して欲しい」。とにかく、何だかんだと言っても所詮は勝負の世界だと、私たちをもう一度ギャフンとさせる結果を残して欲しいものです。


王道・トヨタの大ピンチ

[2010年02月10日(水曜日)|No.1767]

あの世界に誇る技術を持つトヨタが大ピンチです。アメリカのアクセルペダルなどのリコ−ルに次いで、人気車・プリウスもブレ-キ等の欠陥ということで、とうとうリコ−ルとなりました。
 
対象車は約70カ国で約44万台が販売されており、国内でもこのプリウスはじめ4車種22万台がリコ−ルの対象となります。この問題は滑りやすい道でブレ-キをかける際に、タイヤのスリップを防ぐアンチロック・ブレ−キ・システム(ABS)の電子制御プログラムの設定が不適切とのことで、下記の症状が見られます。
 
1つにはブレ-キをかけている途中に、氷盤など滑りやすい部分を通過してABSが作動すると、ブレ-キが一瞬利かないように感じる空走感や制動の遅れが遅れる。
 
またそのままの力でブレ-キを踏み続けると、予測よりも制動距離が延びる恐れがあると言われています。トヨタ側は当初、こうした問題を運転感覚の問題だとしていましたが、相次ぐ指摘や20万台以上の車が10年以上乗り続けることから、リコ-ルに踏み切らないわけにはいかなくなったものと思われます。
 
アメリカのリコ-ル問題はアクセルペダルの上に被る厚いゴムマットや、日本のものより少し長くなったペダルの金具等のことがあり、少しトヨタには可哀想かなと思わせられる部分もないわけではありませんでした。
 
でも今回のブレ-キの問題では少しその対応が遅すぎたのではないでしょうか。新型プリウスは昨年日本カ-・オブ・ザ・イヤ−を受賞した車でもあります。低燃費で環境に優しく、手の届く価格で他の追随を許さない一人勝ちのようなところがありました。
 
それだけに油断やおごりが少しでもそこになかったものでしょうか。ある車は路面が一部凍結していた道路で、前の車にス−ッと滑り追突してしまいました。タイヤを冬用に換えていなかったためかと思ったのですが、この報道を聞き、トヨタの販売店で冬用に換えて実験してみました。
 
そうしたところ、同じように滑ってしまったのです。このようにもっと早く教えてくれたらという声が少なくないものでしょう。
 
トヨタの前社長はいつも色紙に「愚直」「地道」「徹底」という言葉を認め、、「モノづくりをしっかり、愚直なまでに、地道ではあるけれども徹底して進めていくことが大切だ、そういう意味でモノづくりの王道を歩んでいきたいと思います」と述べていたそうです。
 
日本のまさにリ−ディングカンパニ−であるトヨタは、世界に誇る日本人の技術や良心を問われるメ−カ−でもあるわけです。それだけにアメリカなどでは少しジャパンバッシングが過ぎるような傾向が見られてはいますが、トヨタ1社の都合だけでなく、日本の産業全体にとって責任ある立場であることを是非、自覚して欲しいものです。


ちょっと良い話part55

[2010年02月09日(火曜日)|No.1766]

ひさしぶりにちょっと良い話を紹介したいと思います。新聞に掲載されていた、ある主婦の投稿です。
 
「100円を落としたよ」。82歳の父が病院待合室で椅子をどかし始めた。その場から離れる隣の男性、驚き見つめる女性、本に目を落とす男性。場の空気が冷たくよどんだ。
 
「また認知症状か」と思いつつ一緒に椅子を動かす私。父は諦めきれないのか、なおも捜し続ける。その時、40代男性が椅子をどかし始めた。一緒に捜し始めてくれたのだ。
 
結局、見つからなかったが、周りの空気や父の心の中の何かが溶け始めたように思えた。落合恵子さんの新聞連載に心を打たれた。
 
「波間で手を振る人が、実は溺れて助けを求めていたのに、私は手を振り返してしまった」という内容の詩を引用、「近くで『手を振っている人』はいないか。手を振り返すことが我々の返事でいいか」と結んでいた。
 
誰にも聞こえない、真実の声を聞く人の存在の大切さを実感した。共に100円玉を捜してくれた人のように、心が溺れた人に手を差し伸べる人がいる社会であって、と思った。その日の父は機嫌も体調も良かった。そして100円玉は父の靴の中から出てきた。

 
隣の人は何するぞ、昔から見つめあい、支えあって生きてきたのが、私たち日本人の誇る文化だったのではないでしょうか。近年隣人が何しようが、電車の中でどんな事が起ころうが、全く関心を示さない人がいます。いや示さないというか、気がつかない振りをしているのでしょう。
 
降ってくるのが火の粉になるかもしれないと、掛からないようにしているだけです。しかし以前の日本は違いました。行き交う近所の子どもたちのことも、しっかりと見つめていたから、どこの誰か知っていたし、気がついたことがあれば注意もしていました。
 
それが最近では「かけこみ110番」なるものも作らなければいけないくらい、周囲にしっかりと観察してくれている人もなくなってしまいました。
 
時代がそうさせたと言ってしまえばそれまでなのですが、何度も言うようですが、人生はたった1回、もっと自分だけではなく、お互いのことに配慮して優しい目を注ぎたいものです。