会長の”三行日記”

2013年01月

2013.01.16

野球殿堂入り No.2340

広島カ-プだった外木場さんと大野さんの二人の投手が先日、野球殿堂入りを果たしました。どちらも広島の黄金時代を支えた方で、外木場さんなどは完全試合を1試合含むノ-ヒットノ-ランを3回も達成していますし、文句なしの殿堂入りではないでしょうか。
 
華々しいその二人の陰で、もう一人殿堂入りを果たした方がいます。福嶋一雄さんと言って、よく甲子園大会でNHKの解説をやっていた方です。知らなかったのですが、その福嶋さんにも過去に素晴らしい球歴がありました。
 
戦後間もない1947年と48年、この夏の大会を連覇した、県立小倉高校のエ-スだった人です。しかもどちらの年も、たった一人で投げきり、初めて九州に優勝旗をもたらした功労者なのです。
 
全国中等学校野球大会の最後となった47年は5試合の全試合、また学制改革によって現在の全国高校野球選手権大会となった翌年も、やはり5試合の全てを一人で投げ、1点も取られずに完封で2連覇を果たしたのです。
 
そのように聞くとやはり凄い方です。当時は今より日程的にはたぶんきつく、連戦が続いたのではないでしょうか。また現在では甲子園での負けチ-ムが、グランドの土を記念に持ち帰るのが通例となっていますが、福嶋さんがどうやら、そのはしりみたいです。
 
一時的に校名を小倉北と変えた49年、3連覇を目指した夏の大会は惜しくも準々決勝で倉敷工に敗れてしまいました。試合後、3塁側ベンチから1塁側出口へ引き揚げる際、本塁後方の土をひとつまみすくってユニホ-ムのポケットに入れたのです。
 
これが少しセンチメンタルになっての無意識な行動だったのですが、後で大会役員から君のポケットに大事なものが入っていると知らされ、大事にゴムの木の植木鉢に入れて以後、過ごしたのです。
 
そして苦しいときもこの木を眺めて、当時を思い出し頑張ったそうです。このゴムの木が社会人として道を外さないよう、いつも見守ってくれていたと言われます。
 
そのゴムの木は今も自宅の玄関先に飾られているとのことですが、まさに青春の記念樹ですね。学校でも教わらないことを甲子園で教わり、自分は甲子園で育てられたとまで言われています。野球での成績も然ることながら、こう聞くとその精神を学び取ったはしりとして、文句ない殿堂入りですね。
 
蛇足ながら今度の選抜の入場行進曲は、東北の復興応援ソングである「花は咲く」に決まったそうです。野球だけでなく、被災地にも温かい気持ちの届けられる球児に、是非なってもらいたいものです。

2013.01.15

体罰指導 No.2339

我が地域では、ほとんどのところが13日の日曜日に成人式を済ませたからよかったのですが、昨日の冷たい雨や雪では折角の成人式がかわいそうというものです。お天気の良い日にさせてあげたかったものです。
 
さて、大阪の市立高校で、バスケットボ-ル部主将の男子生徒が、顧問の教諭による体罰指導で自殺するという悲しい事件が起こってしまいました。いじめなどと同様に、こうした自分自身でその命を絶ってしまうことは、つくづく残念に思う出来事です。
 
推測されるのは、この学校はたぶん市立といえども、この競技が強かったのではないかと思われます。それにより顧問がその規定よりずっと長い期間、同じ学校に赴任していたのでしょう。
 
こうした一部には、部活が強ければ能力があり、良い先生だと評価されるふしがあるものです。従って多少のことは目を瞑られ、指導教諭のやり方が独断専行されるというのが比較的多いのではないでしょうか。
 
でも結果さえ出せば何をやってもよいというものではありません。まして尊い命が絶たれるようなことがあっては、そのやり方にやはり異議を唱えなければいけないもので、指導教諭の責任は少なくありません。
 
新聞に元巨人軍の桑田真澄さんが自身の体験を述べていました。それによると、大きくクロ-ズアップされた高校時代より、むしろそれ以前の小学・中学時代の方が、この体罰があったと言われています。
 
そして注目すべきは、体罰のあったその期間より、なくなった高校時代のほうがずっと自分自身が技術的にも成長し、結果を残すことができたと述べている点です。ですから体罰は子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねないと言うのです。
 
桑田さんは中学まで毎日のように練習で殴られていたそうです。それは小学3年で既に6年生のチ-ムに入り、中学では1年生からエ-スとなっていたからです。そうしたことから上級生のやっかみもあり、そんな毎日を今でも思い出したくないとまで言われています。
 
体罰が必要ないというのは、絶対に仕返しがないという上下関係の構図から起こるわけで、スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為だからと言っています。選手がミスして殴られても、監督が采配ミスをしたからといって殴られることはありません。
 
この殴られるのが嫌で辞めていった選手を多く見ていて、それはこの世界の損失だとも言っています。また暴力により失明したり大怪我をして選手生命を失うかもしれません。その責任を誰が取るというのでしょうか。
 
私も野球をやっていた中学時代には先輩からよく殴られました。面白くないと言って、顔を見ただけでも殴る上級生もいました。また高校時代にはあるOBから、毎年恒例だと後から知ったことですが、訳もなく主将だった私が殴られることもありました。
 
なぜ殴られるのか、全然解っていないだけに、それによって愛情など全く感ずることもないし、いつまでもその理不尽さに腹が立つものです。
 
桑田さんが言われるように、スポ-ツ医学も、道具も、戦術もいろいろと進化している時代だけに、今回の残念な問題が、未だに立ち遅れている指導者が変わる、大きな契機になることを願いたいものです。

2013.01.11

マグロの初競り No.2338

正月早々景気の良い話です。一部には市場価格を乱すという批判の声も挙がっていますが、5日に東京築地市場であった初競りで、222キロの生鮮本マグロが史上最高値となる1億5540万円で競り落とされました。
 
このマグロは味には定評のある、最高級と言われる青森県大間産のものですが、今年はたった4本しか競りに出されていませんでした。その中で200キロを超える唯一のマグロに、この破格な値段が付けられたのです。
 
1億5540万円という価格は、昨年の最高値であった5649万円を何と1億円近く上回る数字です。また魚ではなく松坂牛のような高級肉でも、過去最高の落札価格が1頭678キロの牛で5千万円と言われていますから驚異的なものです。
 
なぜそれほどまでの高値が付いたのか、そのわけが昨日の朝日新聞に載っていました。一つには大間産のマグロが不漁で、たった4本しか出されていなかったことから、唯一200キロ台の大物に熱い視線が注がれたのです。
 
それからここ数年は二つのすしチェ-ン店が競うような形で、史上最高値を更新し続けていることにあります。 一つは今回落札した、築地にも店を構え50店舗を展開する「すしざんまい」で、もう一つは香港を中心に日本でも5店舗を出す「板前寿司」です。
 
この板前寿司のほうは、2008年に日本に出店してから初競りに参加し、翌年からは銀座の高級すし店「久兵衛」と共同購入という形で、4年連続最高値を付けていたのです。
 
でも昨年はこのすしざんまいが競り落としていて、宣伝効果は1億円以上あったと言われていました。また購入後、海外に行くよりも国内で食べてほしいというコメントが強調されていて、相手側にも火をつけたことから、両者の競争が更に激化していったのです。
 
こうして今年の競りも、板前寿司から任された代理人が、言われていた上限金額を超えるほど、両者の激しい凌ぎあいが繰り返されたのですが、相手の青天井ぶりを察知しあきらめたのです。
 
しかし購入した側のすしざんまいの社長でも、正直ここまで上がるとは思わなかったと述べています。このすしざんまいの木村社長という方は、なかなかのやり手なのかもしれません。
 
ラジオで耳にしたのですが、落札からの数日後、首相官邸で安倍さんとも会談をしていたと言います。でも嬉しいのはこの驚くべきマグロが店で解体されて、多くの並んだ人たちに出されたのが大トロでも1貫398円という普通の値段だったことです。
 
落札額から換算すると1貫4万~5万円相当と言われますから、さぞ舌鼓を打ちながら味わったことでしょう。下世話な話ですが、このマグロを釣り上げた大間の漁師の方には、関係者の手数料を引いても約1億4500万円も入ると言います。
 
まさに盆と正月がいっぺんに来た話です。破格の落札値にはいろいろと批判が出ているようですが、今年の経済を益々活性化する意味で、正月らしいおめでたい話でよいことではないでしょうか。くれぐれも初競りに出そうと、漁師の方たちには無理のない漁を願いたいものです。

2013.01.10

本年の初めに No.2337

少し遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。2、3日は風が強い日でしたが、総じて良いお正月だったのではないかと思われます。
 
昨日からこのカキコミも再開するつもりでおりましたが、暮れに緊急でヘルプを依頼されました現場があり、昨日はその工事で出掛けながら、午後からまだ年始のご挨拶が済んでいないお客様を回ってきました。
 
そんなわけで、少し寒い現場でしたが正月早々、お引き合いを頂けたのは嬉しいことです。政権が変わったからと言っても、急には好転しない経済情勢ですので、今年は弊社理念にもあるとおり、益々小回りよくお客様のお役に立てるよう心がけたいと思っております。
 
それにしても暦の関係で、年末年始の休暇は9日間もあり長い休みとなりました。ほとんどの所がそうであったのではないかと思われますが、今年の休みに関しては私たち中小企業と大企業の格差が小さかったのではないでしょうか。
 
正月の話題からいくつか拾ってみたいと思います。まず正月恒例の風物詩とも言える箱根駅伝ですが、日体大が見事な優勝を飾りました。特に山登りの5区では3校が競り合い、いつにない面白い展開でした。
 
この中で3年生で主将を任された日体大・服部翔大選手の頑張りが見事でした。その前年の箱根駅伝はチ-ム史上最低の19位に終わり、今回は予選会を経ての出場でした。やはり優勝の陰にはいろいろとその要因があるようです。
 
まず前年最低の成績に終わった後、チ-ムに喝を入れるため、4年生を差し置いて3年生の服部くんを主将に命じたのです。これには4年生をはじめ、少なくない反撥があったようです。
 
また高校駅伝の名門校であり、8度も優勝に輝いた西脇工から渡辺公二さんという名将を招き、特別強化委員長としてチ-ムの改革に乗り出したのです。それまでのチ-ムといったら、合宿所でもゲ-ムなどで夜更かしすることが少なくなかったそうです。
 
これを5時半起床の規則正しい生活に変え、食事や掃除など基本的なことを徹底させたのです。一般的に長距離走は夜10時に寝て、朝5時に起きるような生活をしないと良い練習はできないと言われています。
 
これによりチ-ム内の団結力などまとまりができたようです。それと名門が初めて味わった屈辱的敗北が、各選手の二度と味わいたくないというモチベ-ションを上げたのではないでしょうか。蛇足ですが、1年生ながら1区を任された勝亦祐太くんは、御殿場・富士岡中で中学全国優勝を遂げたときのメンバ-です。
 
このように屈辱的敗戦からの優勝には、やはりそれなりの要因があるものです。その他、お正月にはマグロの初競りなど、景気の良い話題もありましたが、また次の機会に触れさせていただきます。本年も変わらぬご交誼を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。