株式会社 アイソー




2005年10月の日記

無言館からの叫び・その2

[2005年10月28日(金曜日)|No.888]

 無言館館主・窪島誠一郎さんの赤ペンキ事件についてのコメントです。
 
ほおって置けば地上から消え去ってしまう絵を守ることが僕の仕事ですが、これを通して反戦平和とか、そうした考えを深めていくことは自分には荷が重いと思っています。
極めて多様な考えの中に、あの美術館はあっていい。それは芸術の持っている使命なんです。
今は線路の上に自転車を置いて喜ぶ人もいるわけだし、戦時中にも線路のボルトを抜いてお金に換えていた人もいたわけです。あの美術館はお金(入館料)を入口で払わないで出口で払う。年間5000人ぐらいが入ったところから出ていきますよ。勝ち誇ったように、無料で見られた、という顔でね。これも1つの”赤ペンキ”でしょう。
 
あえて赤ペンキを全部ふき取らなかった真意はと尋ねられて
 
間違ったことだから全部ふき取ってしまう傲慢さは、僕は美術をやっている以上できない。全部受け止めるし、赤ペンキ事件はあって当然です。無言館はただ平和を求め、清らかな戦没画学生の精神を次の時代に伝えるなんて、そっちの方がいかがわしい。1羽のチョウが美しいとしても、それ以外の蛾とかゴキブリを抹殺することが、美しいチョウに見とれることではないんです。全部があってチョウが美しいんですよ。
絵と対話するというのは、絵を見ている自分と対話することです。僕は絵を見に来てほしい。ここで時間を送ってほしい。そこには多様な見方がある。あなたも赤ペンキをかけたくなるかもしれない。それを含めて多様に受け止めるべきだ。
 
多様な見方をまず尊重せよ、その貴重なご自身の生き方どおり、窪島さんから教えられたことはとても重いように感じています。
 
明日29日より31日まで出張のため、31日のカキコミは休ませて頂きます。


就業支援説明会

[2005年10月27日(木曜日)|No.887]

 ロッテ”あっぱれ”です。見事な4連勝を飾りました。正直もう少し日本シリ−ズを楽しみたかったのですが、31年ぶりの日本一にケチをつけるのはやめましょう。
 
さて、一昨日、県立あしたか職業訓練校で行われた就業支援説明会に初めて参加いたしました。
この学校では身体と知的に障害のある方を対象に、職業自立を目指し、1年間その訓練を様々な分野で行っています。その有様を実際に企業側にも公開し、学校と生徒達の真剣な取り組みを少しでも知ってもらい、就業を考えてもらおうとしているものです。
 
原則的に学校は1年間の寮生活を基本としているとのことです。それは日常生活や社会、職業における全ての面でも、生きていく上で基本的なル−ルや自立心を養い徹底させるためです。
見学で廻った生徒達はどこの分野でも、真剣に集中して訓練に取り組んでいました。機械加工、コンピュ−タ、機器組立、アパレル縫製等、ホンモノの機械からすぐにでも実践に繋がりやすい訓練が施されていました。
 
また、企業側参加者全てを集めた全体会では、OB代表として実際に今、企業で活躍されている方からの体験報告や、在校生代表の挨拶がありました。たまたま、この代表挨拶をした生徒さんは先日別の機会にも顔を合わせていたものですから、興味深くその挨拶にも耳を傾けました。
1,2年前、仕事中のフォ−クリフトの事故で、危うく一命は取り留めたものの、片腕を失ってから今日に至るまでの経緯と、その力強く再起をかけている素晴らしい姿勢に、心揺さぶられるものがありました。入校後、その努力でワ−プロ検定合格も果たし、知らせたかった母が直前に亡くなるという不幸にもめげず、見事地元電力会社に就職を決めた話も聞きました。
 
あまりそのような表現は適切ではないかもしれませんが、健常者では気がつかない、失ってみて初めて気がつく大切なものがあるのではないかと思います。ある種、爽やかな気持ちにさせられこういった分け隔てがなく、雇用をもう少し身近なものとして具体的に考えさせられた説明会でした


無言館からの叫び・その1

[2005年10月26日(水曜日)|No.886]

 信州にある”無言館”の慰霊碑に赤ペンキが塗られるという残念な記事を読みました。
事件が起こったのは今年の6月のことですが、戦没画学生慰霊美術館として知られている無言館は別所温泉の近く、長野県上田市に位置します。私も3、4回同館を訪れているほど、特別な思い入れを持っている所だけに、とても悲しい気持ちにさせられます。
 
無言館は東京美術学校(現・東京芸大)に在籍し、若くして戦地に散った画学生や卒業生の遺作を集めているものです。それは我が家の庭先とか、家族、恋人など、ごく平凡な身近な世界を描いたものがほとんどですが、卒業したら兵隊に行って死ぬかもしれないと思っているそれぞれが、限られた時間の今だけでもと、親しみのある風景や愛する人をできるだけ見つめていたいという想いが溢れているように思える作品ばかりです。そのように思って見るためか、無念の想いが伝わってくるようで、何度訪れても涙が溢れてきて仕方がない同館です。
 
「記憶のパレット」と呼ばれる慰霊碑は昨年6月に除幕されたというから、私はまだ眺めてはいませんが、その中央部分に1.5mぐらいの幅でべっとりと赤ペンキがかけられていたと言います。
でも単なる公共物への落書きとは違った、何か背景があるように思われるとも書かれていました。
いったい誰がどんな目的でこのような仕業をするのでしょうか。過日の原爆慰霊碑に対してもそうですが、あまりにも無神経で非情な仕打ちのように思えます。画学生の無念な想いを後世にも伝えたいという熱い想いから、同館を建設した館主の窪島誠一郎さんと、開設に向け尽力した、東京芸大名誉教授の野見山暁治さんは、事件をなかったことにしたくないとの思いから、この一部ペンキを残すことにしたそうです。窪島さんにこの事件についての感想が綴られていましたが、とても印象深く、心動かされましたので、また次回触れてみたいと思います。


26番目の戦士

[2005年10月25日(火曜日)|No.885]

 ”ロッテが強い”日本シリ−ズ2戦を終わっての正直な実感です。これもボビ−マジックと呼ぶのでしょうか。話が少しさかのぼりますが、パリ−グ・プレ−オフのロッテ−ソフトバンクの最終戦、私はテレビに釘付けにさせられました。滅多に見られないナイスゲ−ムだったからです。もちろん、絶対優位と見られていたソフトバンクもよくやりました。でもそれに優るボビ−・バレンタイン監督の見事な采配があったからではないでしょうか。
 
終盤の8回のロッテの攻撃、テレビ解説の野村さんが、絶対采配ミスと指摘した0死1,2塁でのチャンスに4番サブロ−にバントをさせないで倒れた直後、5番里崎選手が起死回生の2塁打で、見事に逆転しこの優勝に繋げました。この口火となっているのも、今季限りでユニフォ−ムを脱ぐことを決めている、ベテラン初芝選手を起用し、ガッツで内野安打をもぎ取っているところからの始まりです。そして1点差の9回、最後の抑えには先日4点差を守れなかった小林(雅)投手を躊躇なくマウンドに送り出しました。この期待に応え、見事に抑えきったわけですが、全てそれぞれの選手への厚い信頼を感じさせるもので、選手側もその心意気に感じての結果のようにも思えます。
 
今シ−ズン、ロッテは26番の背番号を欠番として、ベンチにそのユニフォ−ムを飾っていたそうです。ベンチに入ることのできる25人の選手の他に、「26番目の戦士」として、ファンにその背番号を与え、ベンチに飾ったのです。思わずグッとくる話ですね。
普段は見れないロッテの試合を日本シリ−ズで眺め、ロッテファンの素晴らしさを初めて知りました。この整然とした力強い応援の秘訣がよく解るというものです。
 
1,2戦ともロッテの大勝で終わりました。今江選手の8打席連続安打のシリ−ズ新記録なども生まれ、全てロッテペ−スとなり波に乗っていますが、阪神もこのままで終わるわけにはいかないでしょう。地元・甲子園に帰れば異様なまでの独特な大声援に応えるべく、意地を見せてくれるはずです。阪神の巻き返しを是非期待したいものです。それにしても、たかが野球と言えども人がその気になり結果を出すヒントがそこには凝縮しているように思えます。経営者も監督采配やこのファンへの配慮に学ぶことが多々あるのではないでしょうか。


芸術の秋

[2005年10月24日(月曜日)|No.884]

 天高く馬肥えると呼ばれる食欲の秋、また読書の秋とも言われるように、本当に清々しく爽やかな季節です。それらと並んで芸術の秋とも呼ばれています。
この芸術に触れようとしたわけではないのですが、先週のある晩、クラッシックコンサ−トに出掛けました。沼津法人会が主催したウィ−ンフィルハ−モニ−のトップメンバ−による弦楽四重奏及びホルン五重奏です。
 
クラッシックに特別詳しいどころか、全くの素人である私ですが、その奏でる音色の繊細さや美しさはよく伝わってきました。バイオリンやヴィオラもその演奏者によって、こうもその響きが違うかとの思いです。ハイドンの弦楽四重奏曲やモ−ツァルトのホルン五重奏曲と言っても、日頃は馴染みがないのですが、演奏曲に吸い込まれてしまうほどの、甘美な陶酔感に包んでくれるものです。
 
やはり芸術、特に一流のア−ティストは素晴らしいですね。比較的、好奇心だけは旺盛の当方ですが、出掛けて行っただけの価値は十分あります。それどころか、絵画などもそうですが、こうした素晴らしいものに触れるだけで、自分の周囲が優しさに包まれるようなところがあります。
これが芸術の持つ、凄さではないでしょうか。多くの人達がこうした芸術に親しむことによって、世の中はつまらない争い事も少なくなっていくものと信じています。


感性を磨く

[2005年10月21日(金曜日)|No.883]

 一昨日の晩、中小企業家同友会4支部(沼津・三島・伊東・熱海)合同例会が伊東・暖香園で開かれました。講演にはイラストレ−タ−の内田進さんが招かれました。内田さんは現在はこの生まれ育った伊東にお住まいとのことですが、長年東京に居を構えていて、伊東というか伊豆地域全体を外からも内からも眺めた経験で語っていただこうとしたものです。
 
内田さんは「フィッシング」誌などの魚のイラストでよく知られている方ですが、日本で5000人いると言われているイラストレ−タ−の世界、それだけで食える人は100人ぐらいとのことです。
やはり厳しい世界なのでしょう。お話の隅々にもこうした素晴らしい感性の豊かさが窺えます。
 
私達、経営者でも感性の必要性を感じています。特に右脳がつかさどるこの感性を磨くには、優れた絵画や音楽などの芸術に触れるのはもちろんのこと、良いお酒や良い女性(?)を含む人間関係の積み重ねも大事だと説かれていました。ですから自分なりに勝手に解釈すると、好奇心いっぱいにいろいろな事に積極的に関与することが大事なように思えます。
「デザインは人々ににじり寄って、その想いをたぐり寄せるもの」内田さんのこの言葉は体験からか深みのある重いものです。
 
また既成の概念に凝り固まっていては何も進歩・発展がないと、行政の視野の狭さを鋭く指摘していました。それも1回はこの町を飛び出して、外側から眺めた経験があるからこそ、活かされているのではないでしょうか。「灯台もと暗し」いつも、ノホホンと流され、客観的に物事を眺めることができなければ全ての活性化は生まれません。講師の言われていたとおり、常に問題意識を持ち、地域のしがらみにとらわれず、自由な発想と経営を考えたからこそ、携わったこの町のマリンタウンの再生にも繋がったのではないでしょうか。イラストのような芸術の世界にいると言っても、投げ掛けられているテ−マは、決して私達とは全く関係のない、遠い世界の話ではないことを実感しました。意識改革と英知を絞り出すことに、いつも努めていなければなりません。


古田新監督

[2005年10月20日(木曜日)|No.882]

 ヤクルト・古田選手が選手兼任で来季監督に決まりました。球界のためにも、とても良いことではないでしょうか。この人は何よりファンを大切にし、その喜ぶことを優先しています。2000本安打の時もそうでしたが、先日の1000打点達成の時も、その記念ボ−ルを惜しげもなく、試合後に右翼席に投げ込みプレゼントしています。こうした行動にこの人の人間性や野球への取り組みが全て表れているのではないでしょうか。
 
選手兼任の監督は野村監督以来、29年ぶりと言われています。昔と違ってこのプロ野球の世界、選手だけでも大変なところ、監督をよく引き受けてくれたと思っています。でもまだまだ選手としても眺めていたいし、それにファンを楽しませる采配が加われば、私達にとってこんな良いことはありません。
 
古田新監督も就任の条件として、ファンが感動する、面白みのある野球や球場を目指し、フロントに注文をつけ聞き入れられたと言われます。プロ野球の将来をしっかりと見据え、考えているこの人ならでの話です。これで来季は巨人には、あの爽やかな原監督が戻ってくるし、プロ野球は益々面白くなっていくのではないでしょうか。どこかの村上何某が狙っているような、ある特定な人達が所有するものではなく、プロ野球は特別なしがらみのない、いつまでも皆で自由に楽しめるものであって欲しいと願っています。


エコ運転

[2005年10月19日(水曜日)|No.881]

 原油価格の高騰で、私達の身の回りではガソリン他様々な影響が出ています。
弊社でもその製作に関わるものに、電線を始めとして小さいものでは結束バンド(インシュロック)等に至るまで、いろいろなビニ−ル関連用品があることから、少なからぬ影響を受けています。
この結束バンドなどでも、先日仕入先から袋で100円単位の値上げの要請があったと聞きます。
馬鹿にならない話です。
 
私達の生活に切っても切り離せない、ガソリンなどを少しでも節約するエコ運転の話題が載っていました。その上手な節約法としては下記の通りとのことです。
 
・ ガソリンはアクセルを踏み込むときに多く消費される関係で、ブレ−キから足を離すだけで動き出す現象を利用して、できる限りアクセルを強く踏み込まない。
・ 減速はエンジンブレ−キを活用し、踏切などではエンジンを切る方がよい。
(このエンジンを切るにつけては、停車時間が1分以上あると効果があると言われています)
・ タイヤの空気圧を常に適正にし、不要な荷物は積まない。
 
価格の高騰で、こうした生活においても世知辛くなってきているようですが、ある意味では地球資源を大切に守っていく上での当然の義務とも言えるでしょう。少なくなったり、価格が上がってきて初めて、その価値や貴重さに気づくものです。そのように考えると、繰り返されている最近の天変地異やこの資源の高騰は私達人間の生活を大いに見直さなければならない、自然界からの大きな警鐘とも言えるのではないでしょうか。


政治より経済主導

[2005年10月18日(火曜日)|No.880]

 人が嫌だと言っているものは控えればよさそうなものですが、我が国の総理はまたまた靖国へ参拝をしました。もうこの人は郵政民営化しかないんですね。これさえ成立すれば自分の役目は果たしたような感じにも見受けられます。
 
それにしても信念を曲げないというか、異常な頑なな部分を感じます。過日に今の政治家には信念というものがないのかという提起をさせて頂きましたが、この人だけは全くの例外と言えるでしょう。でも周囲に及ぼす大きな影響を考えれば、一国の総理たる者、その信念に任せ何をしてもよいことにはなりません。これによって、恐らく小泉首相就任中は中国や韓国との関係修復は絶たれたと言ってもよいではないでしょうか。またポスト小泉として後を引き継ぐ方は、すこぶる大変で外交の最重要課題になるものではないかと思われます。
 
日曜日のサンデ−プロジェクトでも、経済界の重鎮でもある伊藤忠の丹羽さんが語っておられました。こうした政治は、経済界への少なからぬ影響を及ぼしているものだとの指摘です。でもさすがにこの方です。最後には「経済が政治を征する時代が必ずやってくる。特にこのアジアでは」と。
たぶん、もうこの政治には変な期待をしても無駄ではないかとの表れです。適わぬ人頼みより、それなら自分達の手で切り開こうと、既に想いはとっくにその先へと飛んでいます。
「政治は三流、経済は一流」と言われる日本の真骨頂通り、下手な政治うんぬんより、一方ではそれをカバ−するだけの日本の強い経済力を頼もしく感じているものです。


伸びる選手の条件

[2005年10月17日(月曜日)|No.879]

 自宅のトイレの壁に、いつ掲げたのか、次のような語句が貼り付けられていました。
 
練習は自分の為にやる。人間性がプレイに関与する。レギュラ−になりたければ人間力をつけよ。
 
野球部に所属する高校生の息子が、たぶん学校からもらってきたのでしょう。なるほどと思いながら、一緒に掲げてあった、伸びる選手の条件という18ヶ条を眺めてみました。
最初の、素直で謙虚であるという項目に始まって、第18ヶ条の自らを評価できるという項まで、どれも肯けるものばかりです。改めて、高校野球はただ野球だけでなく、人間修養の場であることを思い起こされました。
 
そして思い出したのが、かつて野球部に所属していた、ある息子さんの話です。
伝え聞きの話ですが、私学の野球部で3年間、一生懸命高校野球に打ち込んでいたのですが、生憎とレギュラ−になることができず、最後の大会も控えのままで終わってしまいました。
可哀想だと思い、親がそれなりの慰めの言葉を掛けてやると、キッパリとこう話したそうです。
「自分は何も悔いはない。3年間一生懸命やってきて、確かに試合に出られなかったのは残念だったが、いつも争っていた自分の存在があったからこそ、レギュラ−の○○クンの力を引き出すことができたんだよ」
あまりの素晴らしい姿勢に、二の句が告げれなかったと言います。ここがゴ−ルではありません。
近い将来、きっとこの人の人生でそれなりの結果を残すのではないでしょうか。私達の人生においても、こうありたいものです。


出会いの素晴らしさ

[2005年10月14日(金曜日)|No.878]

 ヤクルト・青木選手がイチロ−選手以来の、200本安打を達成しました。隠れヤクルトファンである私にとっても、とても嬉しい偉業です。
 
この青木選手、早大の野球部出身で、阪神に入った鳥谷選手とは大学時代の同期にも当たります。その時代はいつも居残りで練習を続ける鳥谷選手とは違い、比較的サバサバとしていたと、当時の野村徹監督は言っています。余分な話ですが、この野村監督、我が母校100周年の時、野球部のためにわざわざ講演に来ていただきました。涙ながらに熱く講演している姿を感動してお聴きしたのを、今でもしっかりと憶えています。そのような熱心な指導者との出会いも、こうした偉業の裏には少なからぬ要因ともなっていることでしょう。
 
嬉しいのは宮崎県では進学校で名門とも言われる日向高の出身で、野球ではほとんど知られているような存在ではなかったと言います。ですから早大進学も指定校推薦で、野球ではなく、勉学の成績で入ったとのことです。このヤクルトを来期から多分、率いることになるであろう、古田選手と奇しくも同じ境遇です。これもまた何か、どこかで糸が結ばれている出会いではないでしょうか。
 
また、今期で引退することになっている「監督の目の前で200本を打って終わりたい」と本人がコメントしていたように、若松監督への恩返しの気持ちが強かったそうです。
今期不振の時でも我慢して使い続けてくれたことの他にも、小学6年生の時、宮崎で行われた名球会の野球教室で、この若松監督から優しく褒められながら指導を受けたと言われます。
「人生は出会いから何を学ぶかによるもので、目標に向かって歩き続けることである」とよく言われている通り、貴重な出会いを活かしながら、このような素晴らしい人生にしたいものです。


信念を貫くこと

[2005年10月13日(木曜日)|No.877]

 総選挙を経て、再提出された郵政民営化法案は圧倒的多数で可決、衆議院を通過しました。
この法案そのものには拘るところがありませんが、何か割り切れないものを感じています。
 
敢えて名前は出したくありませんが、女性で次の総理大臣候補とまで呼ばれていた方にはちょっぴりがっかりしたところがあります。なかなか骨のある人だなと感じ、少し期待していたからかもしれません。若くして郵政大臣を経験したことが、今となってみれば悲劇の始まりになったかもしれません。でも刺客とか、くのいち(女という字を一画ごとにすると、くノ一になるんですね)と呼ばれるものを差し向けられても、毅然と立ち向かっていたくらい、その法案には断固とした反対の立場を貫いていました。ですからこの人については確固たる信念を曲げることはないと思っていました。
 
やはり背に腹は代えられないということでしょうか。政治家として生きていくためにはその資金源も大切でしょう。でもそのTOPを目指すのであれば、何よりも不動な信念が不可欠で、人々の求心力を高めるものと思われます。それは計算とか小細工のない、政治家の資質そのものです。
そういった意味では、今の日本、ホンモノの政治家がいなくなったようにも思えます。そんな中、事の善し悪しは別に、唯一人、終始一貫して反対の立場を貫いた平沼赳夫氏は貴重な存在だと言えるのではないでしょうか。苦あれば楽あり、人はその人生において、幾つかの越えなければいけない試練が待ち構えていると言われています。その試練が人間を磨くことであることから、逃げていては得るものはなく、失うものがきっと少なくないはずです。またついでに言わせて頂くと、過日にもあった、はっきりと意志表示もしないで棄権する議員など、全く問題外でお話にならず、私達は切り捨てなければなりません。


ドジな話その1

[2005年10月12日(水曜日)|No.876]

 友人のことを笑えないドジな話です。先日、その朝テレビで眺めた50代のアルツハイマ−患者を他人事とは思えないほど、本人が半ば真剣に悩むくらいの、愉快な真似をしてくれた友人に大いに笑わせてもらったのですが、私も人のことは言えません。
 
先日、お付き合いであるゴルフコンペに出掛けました。170人ぐらいの大きなものでしたが、スタ−トが早かった為、上がってからの風呂も比較的のんびりと、体を休めながら浸かることができました。そこまではよかったのですが、後がいけません。風呂から上がって着替えもすっかり済まし、後は整髪だけです。ゴルフ場などでは比較的よく使う、ヘヤ−ム−スを掌につけ頭に伸ばしたのです
いつもならそこで泡も消えるのですが、いつまで経っても消えません。それどころか、むしろ泡立ち始めてきました。ようやく「何か変だな」と気づき、ム−スのはずの容器を手に取ってみました。
何とそれはシェ−ビングフォ−ムでした。
 
ひげ剃りのものを頭につけてどうするんだと、鏡に映る自分の姿を眺めて、自分でも可笑しくなりました。入浴後に洗面所で頭から泡を出している姿を、人から眺めたらもっと可笑しく思えるはずです
慌てて辺りを見回しましたが、それらしき気配は感じませんでしたから幸いです。
 
このような失敗は、てっきりそうであるかのような自分自身の思い込みによるものです。年代が増すにつれ、これからもっと増えてくるのではないでしょうか。2日続けて頭の話題となってしまいましたが、いくら髪の毛が薄いからといって、まさか剃るわけでもないのに、情けないお粗末な話を披露させてもらいました。


髪の毛について

[2005年10月11日(火曜日)|No.875]

 過日の天声人語に髪の毛についての投げ掛けがありました。大相撲でエストニア出身の把瑠都(バルト)という力士が、ここで関取となります。関取になると大銀杏(おおいちょう)を結うことになるわけですが、この力士は生まれつきの金髪です。そこで金髪の大銀杏が果たしてどうなのか議論になったのです。このところ外人力士の台頭で、庇を貸して母屋を取られるような形の大相撲ですが、ここまできているのだから、今さら何をと思わせられます。堂々と金髪の大銀杏を結ったらよいと私は考えます。
 
ところで、このコラムでも扱っていた社員の髪の毛を染めるといった問題にちょっと考えさせられます。ある運送会社で黄色く髪を染めた社員が、「取引先に印象が悪い」と上司から改めるよう勧められたが譲らず、結局は解雇されました。後に社員が訴えた裁判で、解雇権の乱用として会社側が敗れるという結果になっているのです。
 
少し合点がいきませんね。会社に就職しても魂までは売らないというのが、最近の特に強い傾向だと思います。この事に関しては敢えて言いたくありませんが、それぞれの会社に見合った就業規則というものがあります。この運送会社が果たしてそのことに触れていたかどうか、定かではありませんが、触れていれば問題なかったはずです。また職種の違いもあるのではないでしょうか。
お客様に直接相対する部門であれば、それは少なからず無視するわけにはいかないものと思います。でも直接は触れることなく、社内的風紀が問題ないとすれば、それでも構わないのではないでしょうか。
 
「全員営業」という言葉があります。決して髪の毛を染めたからと言って、姿勢うんぬんとは言いたくありませんが、会社の姿勢や方向性は決して社員のそれとは無関係ではありません。
やはり全社員が同じ方向を向いている会社は、それなりの結果を残しているのではないでしょうか
蛇足ながら、髪はその名の通り、それぞれにとって末長い友達とも言われます。私のように少なくなってくると、その有り難さも解るというものですが、髪の毛同様、人との繋がりはくれぐれも大事にしたいものです。


PTA生活卒業

[2005年10月07日(金曜日)|No.874]

 昨夜は学生協の歓送迎会とのことで、新任者同様、私達退任者にも慰労の意味を込めた会を開いて頂きました。
これで私も4年余りに及んだPTA生活にも完全に卒業です。今になって思うと、長いようであっという間の気がします。退任者代表の挨拶でも述べたとおり、本当に楽しく充実していた期間のように思えます。校長先生、先生方、PTA役員の方々等、数多くの素晴らしい出会いがあり、私のちっぽけな人生の中でも指折りの貴重な体験をさせて頂きました。
 
この間、自分に言い聞かせていたことが密かに1つだけあります。それはおざなりの仕事をしたくないということです。きっと数多くあるだろうと思った、挨拶にしたって、通り一遍のものにはしたくないと考えたのです。ですから折角来ていただいている方々に対しても、たとえ稚拙なものでも、こちらの誠意が伝わるものでなければと思いました。その引き出しには日頃、好き勝手なことを書いているこの小欄が役だったかもしれません。そういった意味では人前で話すのには、自分自身を磨くよい訓練になったのではないかと思っています。またずいぶんと気持ちが前向きになり、あらゆる面で勉強になりました。やはり「人には添ってみよ、馬には乗ってみよ」ということです。
 
今後はPTA活動には無縁な立場ですが、以前にもこの欄にカキコミしました通り、「一小燈、一隅を照らす」という生き方から、陰ながら協力できたらと願っています。一人ひとりのモラルのある前向きな姿勢が、たとえ小さくても、その積み重ねによって世の中はきっと良い方向に動き出すと、強く信じて少しでも多くの方々に共鳴していただけたらと願っています。


「ひしおで、もてなす」その2

[2005年10月06日(木曜日)|No.873]

 有り難いもので、毎日欠かさずこの拙い日記を読んでくれている、小豆島の父から早速メ−ルで「ひしおで、もてなす」の意味を教えて頂きました。その意味は以下の通り(メ−ル文のまま)です
 
もともとは、なめ味噌の一種で、小麦と大豆で作った麹に食塩水を混ぜ、熟成させたものです。
所によってはこれに茄子とか瓜を漬け込み熟成させて副食としていたという所もあります。
私は昭和26年に小豆島に赴任しました。その当時は何処の家にもこの「ひしお」を作っていました
温かいご飯にこの「ひしお」をつけて食べると、食が進みました。土庄町では一般的に「ひしお」を「もろみ」と言う表現をしていましたが、「もろみ」は絞れば「醤油」で、「ひしお」はもともと味噌、でもそこらあたりはそう厳しく区別することもないでしょう。
文献によれば「ししおす」という言葉で、万葉集にも出ていると言う人もいます。家内にそっくりの母親が、「まあ先生、これたべてみさんせ」と「ひしお」を頂いたのが、ほんのこの間のように思えます
伝統に培われた不動の味は今も何処かで生きていることを実感しています。
 
さすがは元校長先生です。ちょっぴり身内の自慢になってしまいますが、四国から単身この地に赴任した父は、その間、様々な苦労があったのでしょうが、今ではこの地で多くの人から慕われる存在にまでなっています。現役を退いてからも、今なお向学心旺盛で、メ−ルとかインタネットは70過ぎの手習いにもなるわけです。なかなか容易く真似のできないことです。
 
「ひしおで、もてなす」は小豆島という素朴な土地柄ゆえ、ピッタリ当てはまるのですね。この宿ではさして高い食材も使うことなく、鮮度のよい地の魚と、主(あるじ)の母親が畑で作った野菜が中心に出されます。また手間をかけすぎたり、加工しすぎると、かえって不評とのことです。そう考えてみると人間がたどり着くのは、落ち着いた雰囲気の郷愁を誘う宿で、しばしのんびりと自然のままに過ごしていたいということになります。それがこの地域同様、人々から愛される所以の、優しく癒されるということなのでしょうか。


「ひしおで、もてなす」

[2005年10月05日(水曜日)|No.872]

 小豆島に「真里」という知る人ぞ知る民宿があります。以前、何かで見たような気がするのですが、確か全国で行きたい指折りの宿に数えられている所だったと思います。
 
この民宿のご主人、嬉しいことに私達が入っている中小企業家同友会のメンバ−でもあることを定期的に送られてくる同新聞から知りました。少し興味をそそられ、ホ−ムペ−ジを覗いてみましたら、いきなり「ひしおで、もてなす」という、意味不明のメッセ−ジがトップペ−ジにうたわれていました。その意味は後で、島に住む父から聞くこととして、「味わう、もろみの島宿」の素敵な雰囲気が随所にこのHPから伝わってきました。
 
新聞にも載っていましたが、年間ほぼ100%の稼働率とのことで、眺めた予約状況の欄でもどの日も全て空室ナシで×印ばかりです。このお値段は民宿とは思えない、かなりの価格帯にもかかわらずにです。やはりいろいろなところへのこだわりとか差別化が人を呼んでいるものと思えます。
 
温泉地でもない、観光地としてもどちらかと言えば下り坂、しかも足の便もさほどよくない、こういったハンデをものの見事にクリヤ−し、本来島の持つ、のんびりとした豊かさや優しさを全面に出しリピ−ト客を呼んでいます。地域の持つ特色は何かとか、この地でできる最高の持てなしとは何かを模索し続けている結果だと思われます。妻の実家がある私にとっては、この地まで出掛けて泊まることはないでしょうが、いつかは訪れてみたいと思っています。きっとそこからは他にない多くのヒントを頂けるのではないでしょうか。


アッパレ!メジャ−日本人選手

[2005年10月04日(火曜日)|No.871]

 今シ−ズンはメジャ−日本人選手の活躍が目立ちました。松井・井口・田口選手のヤンキ−ス・ホワイトソックス・カ−ジナルスと大塚投手のパドレスがそれぞれ地区優勝を果たし、プレ−オフに進出です。
 
松井はホ−ムランこそ昨年を下回ったものの、打率はメジャ−初めての3割、そして打点も116と中心打者としての重責を果たしました。また井口は1年目にもかかわらず、勝負強く、ここぞという場面でよく打ちました。誰もがここまでやるとは思わなかったのではないでしょうか。アッパレです。
また田口選手はちょっと長かった下積みに耐え、今シ−ズンようやく掴んだチャンスをものの見事に活かしました。元々センスのある選手だけに、もっともっとその潜在能力を開花させるのではないでしょうか。
 
一方、チ−ムは不振に喘ぎましたが、イチロ−選手の活躍も見事です。メジャ−入り以来、5年連続200本以上の安打ですか。気の遠くなるような記録です。今シ−ズンはちょっとその達成に苦しみましたが、最後にはしっかりと帳尻を合わせてしまいます。そして危うかった3割にも見事に乗せました。やはりス−パ−選手ですね。本人が少し面白い話をしています。「自分はヒットを打ちたい選手。カウント1−3でも四球を選びにいこうという気持ちは全くない。打ちにいって四球になるのと初めから四球を選びにいくのでは意味が全く違う」四球をもう少し選べば4割も夢でないと言われている人ですが、イチロ−選手ならではの独特の価値観です。
 
日本人選手の活躍で今後のプレ−オフ、ワ−ルドシリ−ズが益々面白くなりました。エキサイティングな試合がリアルタイムに見れるお陰で、以前より1年のうち、大好きな野球を長く見ることができているようにも感じています。


モノ言わないつまらなさ

[2005年10月03日(月曜日)|No.870]

 いろいろな情報が飛び交う現代社会、比較的陥りやすいことがあります。それは私達人間が自分自身の口で情報を伝えなくなっていることです。今の時代FAXやメ−ル等と便利な機能が溢れています。でもそれに頼りすぎていて、本来自身の口で直接伝えなければいけないことまで送り放しで、そのままになっていることがあるのではないでしょうか。
 
先日、ある会の催しがあり、役目柄、私が幹事でそのとりまとめを担い、出欠確認と会場手配を行っていました。事前に私の所へこのFAXが送られてきて、出欠の把握をすることになっていたのです。それだけではわざわざ直接連絡などしなくても全然問題ないのですが、当日になって一人キャンセルが出てしまいました。それもただ「都合により欠席致します」という文面のFAXが入ってきただけです。10歳ぐらい年上の、私よりずっと世の中の常識をわきまえていると思われる方からです。その後、何かあるかとしばらく待ちましたが、電話も掛かることがありませんでした。仕方なく会場へ電話をしてその旨伝えながら謝罪して、何とかキャンセルを認めて頂きました。いわゆるドタキャンというやつです。
 
一方、このことは私もよくやりがちなことですが、お客様から見積など頂きながら、ただFAX送付のみで、電話連絡等あとのフォロ−を怠りがちなことがよくあります。事務の女子社員にも注文書などはただ送り放しではなく、電話で必ず確認をすることと、常日頃、言っているにもかかわらずにです。言っている本人が少しも自分を省みない、お粗末な話です。少し反省しながらも、先日遅ればせながら、見積書を送付したお客様に電話をさせて頂きました。そしたら珍しい人のお声を聞けるよと言って、何十年ぶりかの方に電話を替わって頂き、今後も当方にとって少し期待のできる嬉しい話も聞かせて頂くことができました。
 
やはり人間ですから、この生きている言葉を交わさなければなりません。それによって時によっては果てしなく拡がっていくことも無きにしも非ずです。そしてただ送り放しではなく、相手の立場を考えた優しさがそこには存在しなければなりません。もし送付先がFAXを見なかったらどうでしょう。
また直接の言葉とは違ったものゆえ、十分な相手に伝わる配慮が必要ではないでしょうか。