株式会社 アイソー




2005年11月の日記

中国出張の旅からその4

[2005年11月30日(水曜日)|No.905]

 日本と中国の大学生の違いが載っていました。要約すれば下記の通りです。
 
大学の講義時間はどちらも90分ぐらいだが、講義が終わってからの時間に違いがある。
中国ではそれで終わりということにはならず、さらに長い長い質疑応答がある。学生は自分なりの答えを用意してから質問する。私ならこうするが先生はどうかと。
日本の場合は、講義後、質問するのはせいぜい一人か二人、それも全面的に教えてもらうという姿勢。またある経営者が多数の入社希望してきた学生に、今カバンの中に3冊以上の本がある人と尋ねたところ、日本の該当者はたった1名しかいなかったのに比べ、同じ質問で中国の学生では7割以上が手を挙げたという。
中国では貧困層と富裕層の格差はますます広がっている。就職できない若者の数が膨大化する一方で、巨万の富を築く30,40代の企業経営者が次々と生まれている。その格差こそが、這い上がろうとする若者達のエネルギ−となっているというのが実感である。
 
ここまで十分考え、中国の学卒を採りに行ったわけではありませんが、彼らに秘める実力は未知数です。また上記でも触れられているとおり、日本の学生よりずっと勉強熱心だし、ハングリ−です
そうなると来るか来ないか判らない日本の学生などを相手にしているより、やり方次第では今後にも夢が繋がる意味で、その気のある学生の方がベタ−です。またこれからの時代、そうしたものには国籍は無関係なものと思われます。こうしたことが、思い切って彼らの採用に踏み切った理由でもあるわけです。
 
鄭州や洛陽に比べ、中国第1の都市とも言われる上海は、まるで同じ国とは思えないほどの近代都市です。帰って来る前日、たった1日だけの滞在でしたが、違いは顕著でした。また気づきは後日触れるものとして、いつしか遠い国だった中国が、最近身近に感じられるのは何か不思議で仕方ありません。立場が変わると、その見方が大きく変わるためでしょうか。


朝青龍の気配り

[2005年11月29日(火曜日)|No.904]

 横綱・朝青龍について嬉しい話題を提供していました。
千秋楽の結びの一番を最後に、定年を迎え引退した立行司・木村庄之助さんに取組後、花束と懸賞金を贈ったとのことです。
 
日頃、何かと評判が良くなかっただけに、横綱の知らない面が見えてきて嬉しくなる話です。よく言われていたのが勝ち名乗りを受けるときに、横目でじろっと睨めつけるあの顔つきです。横綱らしくないとか、あの顔がふてぶてしくて嫌だと言っている人が結構多いものです。
でも幕内7連覇、年間6場所完全制覇に加え、年間最多勝を更新する84勝達成と、その成し遂げた記録は偉大なるものです。私達では計り知れない大きなプレッシャ−を克服し、全てその記録を塗り替えたのは見事なものです。そうした成績に加え、今回のような話を聞かされると、いよいよ大横綱の風格が備わってきたかなと思わせられます。また若い衆を連れ回して飲み歩く姿も、すこぶる豪快だと言われています。一部本当だか嘘の話か定かではありませんが、ケチだとも囁かれている話もあるだけに、横綱の名誉回復にもなるわけです。
 
もうここまできたら、現理事長のように、とことん憎らしくなるくらいの強すぎる大横綱を目指してもらいたいものです。その存在が底辺拡大にも繋がるというものです。琴欧州もここで大関昇進し今場所以上に更に力をつけてくることと思われ、この先角界を背負って立つ、楽しみな存在です。
 
でもそうした強い横綱を倒すことのできる力士が、他にも何人も出てこないことには、大相撲がじり貧となっていくのが目に見えています。それにはもう少し小さな時から相撲に興味を示すような、その土壌を耕さなければなりません。協会は旧態依然としているのではなく、新しい手をどんどんと打ち出していってもらいたいものです。角界のベッカムこと琴欧州も良いのですが、新たな日本人力士の台頭が強く望まれるところです。


差別化その8

[2005年11月28日(月曜日)|No.903]

 秋葉原に構える老舗の和菓子屋の包装袋が人気を呼んでいるとの記事を目にしました。
それが「アキバ系」と呼ばれるオタクの若者達に人気とのことです。贈答用や記念品に使えるよう1枚20円で家紋や名刺などをプリントするサ−ビスだが、アキバ系の男性が自作のアニメキャラクタ−の包装袋を依頼したのをきっかけに意外なヒット商品になったそうです。
 
このお店は創業120年、大福やどら焼きなど自家製の商品を中心に扱っています。社長は10年前、お客の持ち込んだ誕生日のメッセ−ジなどをスキャナ−で取り込み、1枚ずつ専用の包装袋にプリントするサ−ビスを始めました。その後、贈り物や記念品として固定客に重宝されてきましたが、昨年末、このアキバ系の男性から自作アニメのプリント注文を受けたことをきっかけに、包装紙の評判が口コミで広がったのです。リピ−タ−の注文主もいて、既に300個以上の注文があったそうです。
 
7代も続いているという老舗の看板にただ頼ることなく、新たな販路を開拓しようとしているケ−スです。この社長、45歳と若いから、古くからの店が何か新しいことを始めなければいけないという危機感から、いろいろと考えを巡らせているのでしょう。旧態依然としていては何も生まれることがありません。企業30年説が15年や20年とも言われている現在、このように新たな一手が私達には益々求められているものと考えます。


経営理念

[2005年11月25日(金曜日)|No.902]

 今回の一連の耐震強度偽装問題で、会社の持つ使命とか経営理念ということを、改めて強く考えさせられています。姉歯建築設計事務所って言うんですか、そのようにしなければ仕事を余所に廻され、仕事がなくなる恐れがあったと言っています。でも肝心かなめである自分の仕事に対するプライドというものは、どこに忘れてきてしまったのでしょうか。
 
最近、つくづく考えさせられるのが、「まあいいか」とその時は周囲が気がつかない手抜きのような仕事をしていても、後で必ずその誤魔化しが発覚することです。リフォ−ムと装って、高齢者等から多額なお金をだまし取った建設会社の手口等然りです。この自然界には私達の目では見えない、何か大きな力が働いているような気がします。人はだませても自分は偽ることができないというところが出発点なのでしょうか。そうした手口が必ずしも長続きはしません。
 
私の知っている会社にこんなケ−スがありました。業績は一時期、新聞にもその躍進が掲載され地元でも注目されるほどの素晴らしいものを誇っていました。将来は店頭公開か上場かとも言われていました。しかしある時本業以外のものにまで手を出し、親会社倒産の影響でこの会社まで会社更正を余儀なく求められてしまうことになったのです。この直接の原因はトンネル会社のようなシステムにあったわけですが、私は確固たる経営理念がなかったからと思っています。
ただ儲かればいいと、協力会社からも共存共栄といった点では疑問に思われていたようなふしもあったからです。自分さえ良ければいいとの理屈は通らなかったのです。
 
やはり企業が世に存在する以上、いくらちっぽけなものでも、何かしらのお役立ちを図らなければなりません。今回の一件でも、恐らく一生に何度もない夢のマイホ−ムを購入した人達に対して関係者は大きな責任を感じなければなりません。それがお役立ちどころか、こうした結果になっては、あらゆる手段を尽くしてでも償いと誠意を見せなければなりません。早々に自己破産した一部建設会社など、いち早く逃げを決め込んでいるようで、もっての外だと思い、全く腹立たしい限りです。


スポ−ツ界あれこれ

[2005年11月24日(木曜日)|No.901]

 松井選手がいよいよ結婚かというビッグニュ−スが流れています。お相手は女優の戸田菜穂さんです。その真偽のほどは確かではありませんが、もし本当だとしたら素敵なカップルではないでしょうか。ヤンキ−ススタジアムのファミリ−シ−トでも戸田さんを何回か見掛けたとも言われていますから、満更ガセネタでもないと思われます。
 
そう言えば、いつもはあまり金銭にこだわらず一発サインを続けていたこの松井選手、今年に限っては代理人を通して粘った挙げ句、4年で62億円の契約を勝ち取りました。その数字の大きさにもびっくりさせられてしまいますが、こんなところにも結婚という新たな生活を意識しているのかもしれません。とにかく結婚して落ち着けば野球に専念できるし、もっとビッグな成績を残すものと思われ、この結婚について異議を唱える人は少ないのではないでしょうか。
 
一方、ソフトバンクの城島選手、マリナ−ズにほぼ内定とのことです。日本人初めての大リ−ガ−捕手として思う存分頑張ってもらいたいものです。この同じマリナ−ズに所属するイチロ−選手の発言が原因で、ちょっとこのところチ−ム内が揺れ動いていますが、来シ−ズンは二人揃っての活躍を期待したいものです。
 
この大リ−ガ−を目指して、今年も揺れている阪神・井川投手に、OBでもある田宮謙次郎さんが痛烈な一発をかましました。「日本で誰もが文句を言えない成績を残してから行け。今のままでは行ったってムダ、バカヤロウになる」と。その通りだと思います。今年は阪神ファンを何回も裏切るピッチングが続いていました。こうした関係者の想いを全て代表しているようで、外野席の自分でもひさしぶりに胸のすく発言を聞くことができました。
 
もう1つ、感動したのが東京国際マラソンに復活優勝を果たした、高橋尚子選手のレ−ス後のコメントです。
「陸上をやめようかと思ったこともありました。でも、一度夢をあきらめかけた私が結果を出すことで今、暗闇にいる人や苦労している人に、『夢を持てば、また必ず光が見えるんだ』ということを伝えたい、私はそのメッセンジャーになるんだと、走りながら自分に言い聞かせていました」
今、手探りで少しも光が見えてこない人達にも、改めて勇気を与えた、素晴らしいものでなかったかと思われます。スポ−ツ選手はいつも爽やかで、本当にいいものですね。


顔つきを明るくすること

[2005年11月22日(火曜日)|No.900]

 月間誌「致知」の社長兼編集長の藤尾秀昭さんの本にこんなことが書かれていました。
 
「学問のすすめ」は福沢諭吉の代表作としてつとに知られる。だがその名は聞いていても、手にしたことがなかった。初めて読んだのは数年前。その新鮮さに驚かされた。
(中略)
その書名から堅苦しい内容を予想していたが、まったく違っていた。例えば第17編「人望論」を繙(ひもと)いてみよう。そこには「顔つきを明るくすること」という項目があり、こんなことが書かれている。
 
「人の顔色は、いわば家の門口のようなものだ。広く人に交わって自由に客を招き寄せるには、まず門口を開放して、玄関を掃除し、ともかくも人を来やすくさせることが肝要であろう。人に交わるのに、顔色をやわらげようともせず、かえって偽善者の風を学んで、わざと難しい顔つきを見せるのは、家の入口に骸骨(がいこつ)をぶら下げ、門の前に棺桶をすえつけるようなものだ」
 
本にも書かれていましたが、とても解りやすい比喩だと思います。鏡を覗く以外、自分がどんな顔つきをしているか判らないだけに厄介なことでもあります。それだけに気をつけなければいけないことではないでしょうか。私自身も時として難しい顔つきをしていると、指摘を受けることがあるだけに、努めて明るい顔で振る舞えるよう心がけたいと思っています。


中国出張の旅からその3

[2005年11月21日(月曜日)|No.899]

 上海から国内線飛行機に乗り継いで820km、河南省の中心地・鄭州に着き、そこから今度は車でおよそ120kmあまり飛ばした所が、目的地の洛陽です。鄭少洛高速と言われる高速道路を快適に飛ばし、2時間ぐらい走ったでしょうか、我々が到着した時には面接希望の対象者はもう待ちわびたかのように、すっかりその準備を整えていました。
 
我が社への希望対象者が5人の男子、そして他社から仲介アシスト企業に面接を委託された女の子達が全部で10人ぐらいいたのでしょうか。その子達を前にして挨拶をお願いしますとのことでしたので、「河南省近隣各地からわざわざ洛陽まで出掛けて頂きようこそ」と礼を述べた後、私達企業の求めている人材や、研修生受け入れ後のこれからの展開について、簡単に語らせて頂きました。それぞれの区切りごとに通訳を入れる挨拶は、全く初めての経験でもありましたので、何か異質な世界に来たようでもあり、何となくくすぐったいような心地よさがあったものです。
 
その後、それぞれに分かれ面接が始まったわけですが、不思議なのはどの子も皆よく見えてくるのです。どの子と言っても、弊社の場合は大卒を希望していましたので、1人の既婚者を除き、だいたいが21から24,5ぐらいまでの年齢です。先入観も手伝い、本当に皆、真面目そうに見えるのです。日本での研修期間が丸3年、それが終了すると一旦は本国に戻るのですが、高卒以下の人は更に延長して技術者契約を結びたくても適いません。本国から出国の許可が下りないからです。これに比べ、大卒ですと技術者としての再契約が可能となります。私達業種の場合、一時的な労力の貸与というよりは、後に繋がる技術養成が主となる関係で、折角教え込んだ技術を活かさないことにはつまらなくなるわけです。
 
こうして日本語を早期に覚えてもらうことを条件に、二人の採用を決めました。採用を取り決め、時間が経つごとに、少しづつその責任の重さが伝わってきました。誰も知らない異国の地で、他に頼る所のない重さのようなものでしょうか。彼らにとってはこの会社で良かったというもので、私達にとっても彼らを選んで良かったというものにしていかなければなりません。このことは国籍が違っても、企業にとって社員と共に育むといった点では何も変わるものではありません。経営者としての責任同様、ずしりと感じたものがありましたが、それ以上に心の中ではまだ見ぬ夢が少しづつ拡がっていったような気がします。


水の効用

[2005年11月18日(金曜日)|No.898]

 健康のキ−ワ−ドに、おいしい水をきちんと定期的に飲むことが近頃盛んに言われています。
弊社でもアクアクララという、ウォーターサーバーを備えてもらってから、ほぼ3ヶ月ぐらいになるでしょうか。同友会の仲間でもある企業のお薦めで、入れさせてもらっています。
 
夏と違って、秋や冬のシ−ズンはなかなか水分の補給がままならないものです。人間の体は毎日の食事から摂取する量と合わせ、1日約2リットルの水分補給が必要と言われています。
この水分補給を怠ると、血液の濃度が濃くなり、ドロドロ状態になってしまいます。これが体のあちこちで悪さを働くのですね。これを防ぐ意味でも、これからのシ−ズンは意識的に水を摂ることが大切となるわけです。
 
自分もお付き合いで、結構お酒と仲良くなる機会が少なくないわけですから、以上の理由からも、最近ではこの水を定期的に飲むように心がけています。こうした気のせいか、痛風の前兆のような症状も全くなく、快適な毎日を送らせて頂いております。ですが歳を重ねるごとに、体も老化し乾燥するとも言われています。少しでも若々しさを保つためには、適度な運動と、こうした自己管理がやはり求められることになるのではないでしょうか。毎日を快適に健康で過ごしたいものです。


中国出張の旅からその2

[2005年11月17日(木曜日)|No.897]

 途中渋滞の中イライラしたのですが、何とか上海虹橋空港19時40発鄭州行きのCZ3598便に間に合うことができました。ところが乗った飛行機が大変でした。これは成田から乗ってきた便と同じ会社の中国東方航空でしたが、気象条件が悪かった為か、とにかく揺れました。また座席が最後尾から2番目の席だったから、余計ひどかったかもしれません。今までに経験のないほどの揺れで、同行者は頭を抱えていたほどです。でも私は案外平気でした。それというのも、飛行機に乗った以上全てその身を委ねるしかしようがないと、日頃割り切っているからかもしれません。
 
こうして予定のフライト時間を少しオ−バ−して鄭州空港に着いたのが21時40分過ぎです。
現地機関である担当責任者の方々に丁重に迎えられ、遅い夕食についたのがほぼ10時半近く、日本では考えられない時間ですが、中国でも同様ではないかと思います。無理を言ってお店を開けてもらっていたのでしょう。お店には他の客が他に一人もいなかったほどです。
でも歓迎の夕食は12時過ぎまで続きました。とても温かいおもてなしで、様々なご馳走に加えて独特な酒・マオタイ酒を小さなグラスに入れ、話がはずむごとに乾杯です。この乾杯も一気に飲み干さなければいけない風習で、いくら小さなグラスと言えども、38度のアルコ−ル分ですから大変です。とにかく中国のこうしたもてなしぶりには、お客さん絶対優先の心地よい温かなものを強く感じ、嬉しくなるものです。
 
そしてほろ酔い加減でホテルに着いたのが、もう深夜とも言える時間、くたくたになり何はともあれベッドが恋しく、バタンキュ−で1日が終わったのです。翌日は7時半出発の強行軍、いよいよ目的の面接です。この続きはまた次回紹介させて頂きます。


紀宮様の結婚

[2005年11月16日(水曜日)|No.896]

 昨日、紀宮様と黒田さんの結婚式が行われました。大変喜ばしいことで、心からお祝い申し上げます。これで皇族から民間人となったわけですが、隠された部分では私達の計り知れない、それなりの決意があったものと思われます。でもお二人の様子を見ていると、ずいぶんと幸せそうで、その愛でこの先に待ち構えるハ−ドルも難なくクリヤ−していくのではないでしょうか。
 
紀宮様改め黒田清子(さやこ)さんとなったわけですが、皇后様からいっぱいの愛情を受けて育まれたせいか、この方にとても控えめで落ち着いた優しさのようなものを感じます。ニュ−ス等によると、旅立つ当日の朝、皇后様が嫁ぐ娘を強く抱きしめ、「大丈夫よ」と何度も話されたと言います。
ご自身とは全く逆の立場になるわけですが、ある意味ではそういった娘に自分の適わぬ願いを託していたのかもしれません。娘の幸せを強く願う母の気持ちを感じます。また昔から女性にとって最大の幸福は結婚であるとも言われています。母のできなかった部分まで、結婚生活を楽しんで頂けたらとの想いは、国民多くの望まれているところではないでしょうか。
末永いお幸せをお祈り申し上げます。


中国出張の旅からその1

[2005年11月15日(火曜日)|No.895]

 9日から13日までの5日間、中国に出張してまいりました。これは来年度から中国人研修生を受け入れることを決めた関係で、現地で対象者への面接と、紹介された私ども関連企業先への訪問を兼ねたものです。
 
最初と最後の日はほとんど移動だけですが、中国の訪れた先は鄭州(チョンチョウ)と洛陽(ルオヤン)です。成田から上海まで飛び、上海国際空港から車で2時間近く飛ばした所にある、上海虹橋空港からさらに1時間30分ぐらい、国内線の飛行機を乗り継いでいきます。
まずびっくりしたのが上海空港の入国手続きです。成田を飛び立ったのが午後2時過ぎ、約2時間ちょっとかかり、上海空港に着いたのが4時半頃。中国人と外国人向けのイミグレ−ションがそれぞれ10数カ所あると思われたのですが、列を作り並んではいるのですが、一向に進みません。
30分近く待ったでしょうか、あまりにも進まず、乗り継ぎの飛行機の時間が気になり始めた関係で受入アシストである同行者が他列の前方に並んだ方に事情を話し、ようやく割り込ませて頂き、くぐり抜けたほどです。おそらくそのままであれば1時間は優に待っていたのではないでしょうか。
従って時間的にも次の飛行機に乗ることができたかどうか定かではありません。
 
また、ちょうどラッシュの時間帯に遭遇してしまった為か、次の空港に向かう道路は異様な感じでした。それぞれの車が我先にと飛ばして、争っているようにも見えるのです。またクラクションはあちこちで鳴らされ、日本では考えられないほどの光景です。でもよく見ると案外冷静なのですね。
やはりお国柄の違いでしょうか、私はとてもここでは運転できないものを感じさせられました。
その他、今回の旅でいろいろな気づきがありましたので、また追って紹介させて頂きます。
とにかく一言でお話しすると、”中国は大きい”というのが何よりの実感です。


技能五輪大会からその2

[2005年11月14日(月曜日)|No.894]

 先日の技能五輪の続きです。様々な部門で出場している、23歳以下の若者達のひたむきさに心打たれました。私達が応援した広告美術部門の他、左官・タイル張り・配管・家具・建具・美容・理容・建築大工・電子機器組立等、同一会場で見て廻ったどれもが素晴らしい取り組みでした。
一見、茶髪でピアスなどのいでたちを眺めると、それだけで判断してしまうのが私達世代の悪いところです。こうした偏見を何するものぞと、それぞれに賭ける目の輝きは一種独特な羨ましいものを感じたものです。
 
先にもお知らせした通り、沼津東高・2年生の岡田朋子さんが見事、この広告美術部門で敢闘賞(金・銀・銅に次ぐもので第4位)を獲得しました。現地で彼女のお母さんと、指導に当たったアカツキ工房の遠藤社長にお会いし、いろいろとお話を伺ったのですが、人を見抜くという凄い力を改めて考えさせられました。
 
彼女は現在でも高校生ですから、もちろん今までは全く無縁の世界にいたわけです。それが中学時代、開かれた技チャレンジ教室というものがあって、その広告美術部門で、20人ぐらい参加した生徒の一人だったそうです。そして主催していた当時の看板組合沼津支部長だった遠藤さんが、一人抜群のセンスを兼ね備えた女の子がいたことを覚えていたのが、そのきっかけとなったのです
2007年に沼津で開かれる技能五輪世界大会の関係で、今回、県ではどうしても2人同部門で出場させなければいけない事情がありました。それが予定していた人に逃げられ、急遽この8月になってから、この遠藤さんが見抜いた朋子さんに白羽の矢が立ったのです。
 
それから2ヶ月の間、遠藤さんがつきっきりで指導され、見事、今回の受賞となったわけですが、その素晴らしい指導はもちろんのこと、それを全て自分の力に変えていった彼女の努力と才能は大したものです。来年、香川で開かれる同大会で金賞を受賞すると、世界大会への出場資格を獲得できるとのことです。是非チャレンジを望みたいものです。若い人の持つ無限な可能性を十分堪能させて頂きました。


第2期経営指針を創る会

[2005年11月08日(火曜日)|No.893]

 先週末の5,6日、かんぽの宿・焼津で中小企業家同友会・経営指針を創る会1泊研修会が行われました。その名の通り、2日間缶詰になって、メンバ−自らの手によりお互いの会社経営指針作成のため、協議しながら自社を見つめ直していくものです。今回は主に経営理念の作成やその見直しを中心として、各社の発表を基に進めていきました。
 
私も昨年に引き続き2回目の参加となったわけですが、今回は昨年の受講生というものではなく、第1期の卒業生という立場で、そのスタッフとして応援やアドバイスを送らせて頂きました。
ですから私にとっては自社の分析から直接は離れたわけですが、一言で申し上げると、こうした意味合いであっても、自社に持ち帰るものはとても大きかったと思います。
 
まずそれぞれが厳しい経営環境の中、今までの待ちの”受注型企業”ではなく、攻めの”提案型企業”へとしっかり戦略を立てていることです。それはお互いが異業種であっても、ヒントは何も変わるものではありません。そして厳しい現実に目をそらすことなく、少しでも糸口を見つけようと、前向きに向かう姿です。またその戦略には自社の強みを活かし、差別化を考えた仕事への熱い思い入れが存在していることです。これら全てが自分にも啓発されるところが多かったと思います。
 
また寝食を共にするという効果も少なくありません。1日目には少なかったメンバ−相互へのアドバイスも、中には明け方近くまで戦い続けたメンバ−もいるくらい、熱い交わりがあったお陰で、2日目は本人のことを真剣に考えたアドバイスが飛び交っていました。忙しい中、2日間もこうした研修に時間を割くだけのことはあります。そして中小企業にとって自社を変えていくのには、このように現状に甘んじることなく、常に改革意識を持って、私達経営者自らのその実践に何よりもかかっているものです。
 
明日、9日より13日まで、上記意味合いも兼ねた出張のため、会社を留守にします。カキコミを休ませて頂きますのでよろしくお願いします。


いただきます

[2005年11月07日(月曜日)|No.892]

 新聞の投稿記事から考えさせられてしまいました。以下その記事の概要です。
 
ラジオを聞いていると、ある学校のお母さん達が給食の時、子ども達に「いただきます」を言わせないでほしいと、学校に抗議したという話をしていました。給食費を払っているのだから、恵んでもらっているわけではない、というのがお母さん達の言い分らしい。学校側も、この抗議を受け、給食のときの「いただきます」をやめたということだった。...
 
以下、これについて嘆いている投稿者の思いが寄せられていたのですが、私もびっくりしました。
日本もここまで来ているのか、といった想いです。記事にも書かれていましたが、「いただきます」の本当の意味を理解していないのです。それによると本当の意味は「あなたの命を私の命にいただきます」というのが正しい解釈とのことですが、それを作ってくれたことや、そうした食べ物を口に入れることができることへの、感謝の気持ちを代表する言葉だと思います。
 
権利ばかりを主張し、義務という観点や物事に感謝することが、近年特に薄れているような気がします。それが嘆かわしい、顕著に見られる食べ散らかしの飽食へと繋がっているのでしょうか。
それはまた、ますますアメリカナイズされ、古来からしっかり守り引き継がれてきた日本文化の衰退のようにも思えます。以前にも書いたと思うのですが、薬師寺館主であった故・高田孔胤師に教えられた通り、私も家では夕食の前、「喜びと、感謝と、敬いの心を持っていただきます」、という挨拶を心がけています。ただ権利ばかりを主張するのではなく、親として次世代を担う人達に教えていかなければいけない役目が少なくないのではないでしょうか。蛇足ながら学校側にも、信念を持った、毅然とした姿勢が望まれるものです。


女優・森光子さん

[2005年11月04日(金曜日)|No.891]

 森光子さんが文化勲章を受章されました。大変喜ばしいことです。「老いてまだ盛ん」というよりは、老いを知らないといった表現がピッタリな女優さんです。
 
御歳、85歳と言いますから、何ともびっくりさせられます。また誰もが知る芝居「放浪記」の上演は実に1795回を数え、この先2000回を目指しているとのことですから、その体力・気力の充実ぶりに多くの人達が発奮・刺激を受けるのではないでしょうか。
 
案外知られていないところですが、芸歴70年を誇る森光子さんでも、デビュ−後すぐには認められず、劇作家・菊田一夫さんに見いだされて踏んだ、初の主演舞台は41の時だったと言われています。遅咲きだったのです。売れない時代に作って詠んだ川柳が「あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ」というものです。ですから「下積みの苦労はお金を出してでもするもの」と、ご本人が言われているとおり、下積み時代の貴重な経験が今日の大輪を咲かせる大きな要因ともなっているわけです。
 
また打ち込む姿勢がとてもいいですね。現在の芝居でも、自分よりずっと歳の若い演出家にかなり厳しい注文をつけられても、顔色一つ変えることなく「また怒られちゃった」と舌をぺろっと出しながら、素直に従っているとのことです。そこにはさも自身が大女優であるかのような驕りは微塵にも感じさせません。そして体力作りには毎日、ヒンズ−スクワットを朝晩で150回欠かさないと言われています。長い間、活躍を続けられる秘訣がここにあるわけです。また人生幾つになっても、このような謙虚な姿勢が人々の共感を得るものと考えます。
 
85歳の人が、芝居で72歳の役作りのため老け役に努めなければと言っても、少しも違和感を感じさせない不思議な存在であり、そして嫌味のない笑顔がとっても素敵な森光子さんです。
人生において、晩年の顔は自分自身で創り出すものとも言われています。「美しく素敵に老いる」人間こうありたいものです。いつまでもお元気で、まだまだ私達を楽しませて頂きたいと思います。
その受賞に心からお祝い申し上げます。


隠された事情

[2005年11月02日(水曜日)|No.890]

 あまり触れたくないのですが、マスコミが興味本位であまりにも取り上げすぎるので、少し言いたくなりました。
 
我が県、伊豆の国市の高1女生徒が母親を毒殺しようとしたのではないかという事件です。
その後、少女のホ−ムペ−ジ(ブログ)から、克明に綴った観察日記が見つかったと言われていますが、この少女が現在、まともな精神状態であるかどうかを早急に確かめる必要があるように思われます。そして全ての報道はその結果如何が判明するまで、少し自粛することができないものなのでしょうか。
 
聞くと県下でも有数の進学校で、伊豆の国市にあると言えば、粗方予想がつく名門校です。ここでトップクラスの成績だと言われているくらいですから、頭の悪い子ではありません。それがなぜと思われるような出来事ですが、私達が想像できないくらい、この子を追い詰めた何かがあることに着目しなければいけないようにも思えます。
 
一方的に非人間的などと言えない、当人がそこまで精神的にも追い込まれた裏側の事情があるのではないでしょうか。以前インドの方だったと思うのですが、狼に育てられた二人の子どもが存在しました。この子達は結局は人間として同化できず、長くは生きることができませんでした。
ですから育てられた環境というのは、人間の本来持ち合わせている本性を超えるものがあるようにも思えます。人間の持つ、本来の優しさとか忠孝などは、私達がその環境で作り出していくものではないでしょうか。


技能五輪大会からその1

[2005年11月01日(火曜日)|No.889]

 早いもので2ヶ月毎のカレンダ−では、いよいよ最後のペ−ジになりました。光陰矢の如し、歳を重ねるごとにその実感が加速されてきます。
 
先週末、山口県で行われた技能五輪大会に行ってまいりました。2年後の2007年、我が街・沼津市でこの技能五輪世界大会が開催される関係で、関係団体にも行政からの協力要請があり、その視察調査という意味合いで出掛けたものです。
 
まずはその開催に向け、正直な感想としては「果たして我が街で大丈夫だろうか」というのが実感です。今回行われた新山口市では障害者のアビリンピックと同時開催されていたとは言え、きららド−ムを中心としたきららスポ−ツ交流公園や、別会場の維新新百年記念公園などの広大な敷地や立派な施設が提供されていました。現在のところ、沼津市では皆無と言ってよいほど、その受入施設は整備されていません。関係者によると心配はないとの返事がありましたが、国内どころか世界大会だけに非常に気になるところでもあります。
 
沼津東高の現役2年生である岡田朋子さんが、広告美術の部門で見事、敢闘賞を獲得しました。
たった2ヶ月ぐらいの専門家の指導を受けただけでのこの成果に、優れたそのセンスや非凡なものを作品からも十分感じ取ることができました。来る世界大会に向けても大いに期待が持てるもので、また楽しみが増えました。この岡田さんに限らず、会場からは様々な部門で、参加者の若者達から熱い投げ掛けを感じましたので、また改めて触れさせて頂きたいと思います。やはり遠く山口まで出掛けただけのことはあり、彼らから教えられ、学ぶところが多いものです。