株式会社 アイソー




2006年03月の日記

悲しい自殺

[2006年03月30日(木曜日)|No.970]

 誰の責任なのでしょうか。耐震強度偽装に関わった、姉歯元1級建築士の奥さんが飛び降り自殺で亡くなりました。可哀想な話です。家族には全く責任ないのですが、居た堪れない状況にずっと置かれていたのでしょう。
 
病気のため精神科に通院していたとも言われ、姉歯氏が仕事が無くなると、収入がなくなりこの治療にも事欠くような発言をしていたことが思い出されます。
だからと言って、決してその理由にはならないことですが、本人ではなく家族に犠牲者が出てしまいました。自殺にその遺書は見つからないとのことですが、改めて事件が及ぼすその罪深さを感じています。やはり昔からの日本の風土では、まともな人ほど、その罪の重さに耐えきれないものなのでしょうか。姉歯氏本人にも、このことをしっかりと受け止め、二度とこんな悲劇が起こらないよう解明すべき構造的問題にしっかりと触れ、正していく姿勢を見せてもらいたいものです。
それが不幸にして亡くなられた故人への冥福になるのではないでしょうか。ご冥福を祈ります。
 
明日は早朝より工事で出張しますので、カキコミは休ませて頂きます。


第2期”経営指針を創る会”最終発表会から

[2006年03月29日(水曜日)|No.969]

 先週末、25,26日の2日間、ウェルサンピア沼津で静岡県中小企業家同友会”経営指針を創る会”最終発表会が1泊2日で行われました。昨年は発表者の一人として参加したのですが、今年は第1期卒業生としてスタッフの立場で応援させて頂きました。
 
と言っても、発表者である第2期のこの11人のメンバ−は、レベルも高く、逆にこちら側が教えてもらうことが多々あるほどでした。1日目は朝9時から夜10時まで、そして1泊の後、翌朝8時半から18時までの長期戦です。同友会が目的とする、良い会社創りに、また良い経営者に、そして良い経営環境を築き上げるのに、会社の羅針盤でもある、この経営指針は不可欠なものです。
それぞれから発表のあった経営理念・戦略・計画は、オブザ−バ−であった自分達の会社に置き換えても、大いに参考になるものでした。やはり缶詰となって2日間費やしただけの価値はあります。
 
大切なのは経営者として謙虚な姿勢で、自社やその経営を見つめること、そして同友会の独特な手法でもある、学び方の違いを学ぶこと、言い換えればいろいろな人の考え方の違いや、取り組み方を謙虚に学び取ることにあります。また経営指針の成文化に留めることなく、何よりもその実践の大切さにあると思います。私も昨年、やっと果たした経営指針の成文化ですが、検証という意味では創りっぱなしに終わっているのが正直なところです。もう1回、自社の経営指針を見直す意味でも、大いにメンバ−から啓発され、その気にさせて頂いた、意義深い発表会でした。
 
また終了後、このメンバ−の一人でもある、富士の天ぷら屋さんで打ち上げを行ったのですが、びっくりさせられたのが、それぞれにセットされたテ−ブルに置かれたお品書きです。そこにはしっかりと、第2期経営指針を創る会卒業生の皆様へと、心配りされた印刷が施されていました。
やはり、学んだからには即実践で、少しでも差別化を図っていくためには、こうでなくてはいけません。


もったいない その2

[2006年03月28日(火曜日)|No.968]

 牛乳が捨てられているという話を聞きました。もったいない話です。
全国の生産量の半分を誇る北海道でのことで、生乳が何と1000トン(1リットルパック約100万本)廃棄されることになっているそうです。
 
今年度は飼料の出来が良く、生産量は増加したのですが、逆に他の飲料(スポ−ツドリンクやお茶など)に圧され、売れ行きが減少しているからとのことです。また余った生乳がバタ−や脱脂粉乳など加工製品に回されているわけですが、既に工場の空き地がなく、持ち込めないほど大量でやりくりできないとも言われています。このため酪農家が子牛に飲ませたり乳を止めての生産調整に励んだり、またス−パ−でもこの牛乳パックに付けて、何かをプレゼントするサ−ビスも始めているのですが、追いつかず余剰品は肥料や焼却処分に回されているのが現実です。
 
海の向こうのアフリカなどでは、食べ物がなく餓死する子ども達が未だに後を絶たないという現実なのに、何という矛盾でしょうか。こうした所へ贈るなどのプランがないわけでもないのですが、加工や冷却保存などのコスト面で実現困難とのことです。
 
一方では食べ物に事欠くという所があるのに、我が日本ではそれがむざむざ捨て去られています
また美食飽食の結果、残飯排出についても、我が国が世界一とも言われています。こんな不公平があってよいものなのでしょうか。そうならなければよいのですが、こうしたツケは廻り廻って、必ず私達に返ってくるように思えるのですが...


マスコミの偏重

[2006年03月27日(月曜日)|No.967]

 フィギュアスケ−トの小塚崇彦選手って知っていますか。過日、世界ジュニア選手権で初優勝を飾った選手です。トリノオリンピックで優勝した荒川静香選手とか、女子ジュニアで惜しくも優勝を逃した浅田真央ちゃんなどは、よくマスコミに取り上げられていますが、この小塚選手のことを果たして何人の人が知っているでしょうか。
 
またこの荒川選手の金メダル1つと、惨敗に終わったオリンピックに比べ、金2・銀5・銅2と合計9ヶのメダルを獲得した、同じトリノ・パラリンピックの選手の活躍を何人の人が詳しく知っているのでしょうか。聞くと今までの冬季五輪において最高の成績を上げたとのことです。
金メダルを獲ったスキ−の大日方(おびなた)邦子選手の滑りなど、障害者の方々に多くの勇気と希望を与えたと言われていますが、それのみならず、私達にも大きな感動を頂きました。
マスコミはただ受け狙いを目指すのではなく、もっと本来のその使命通り、広く公平な報道を望みたいものです。


何が起こるか分からない

[2006年03月24日(金曜日)|No.966]

 昨日は思わぬアクシデントがあったため、このカキコミもできませんでした。
と言うのも、療養に行ったはずの母親が、旅先で転倒して骨折したという連絡が入ったからです。
 
連絡を受けたのが一昨日の15時過ぎだったでしょうか。家内が河津・七滝にある、この温泉場に両親を送り届けてから、間もなくの出来事らしいのです。送迎の車がまだ沼津まで戻らないうちに父親から連絡があったのです。どうやら風呂場で滑ったみたいです。ほとんど貸切状態でしたので幸い動けなくなった本人にはすぐ気づいたらしいのですが、そのまま石廊崎の近くの病院まで救急車で運ばれたとのことです。
 
こうした突発な出来事の時、本当に助かるのは友人の存在です。南伊豆の病院では付き添いもできないため、夕方病院の所在の判った後、直ちに整形外科病院を営む、この友人に電話を入れ、相談に乗ってもらいました。ちょうど出掛ける時だったらしいのですが、全てこちらの希望を受け入れて頂き、一晩経った後、翌日に転送することになりました。こうしてその翌日である、昨日の早朝急遽こちらを出発し、現地に出掛けることになったのです。
 
折角の温泉療養がとんだことになり、年寄り夫婦、特に父親にとっては、散々な目に遭い気の毒だったのですが、これも致し方ありません。恐らく、温泉に行ったはずが、満足に湯船に浸かることもなく、ご馳走にもありつけないで終わったことでしょう。本当に何が起こるか、判らないもので、こんなこともあるのですね。でも有り難いもので、知っているからこそ、即座にこちらのわがままも受け入れてくれるというものです。持つべきものはやはり友達です。こうした、いつも周囲で自分を支えてくれている存在に、ただただ感謝あるのみです。


WBCが残したもの

[2006年03月22日(水曜日)|No.965]

 とうとう我ら日本が世界の頂点に立ちました。先日も触れたように、韓国戦の勢いに乗って、キュ−バにも勝つような予感がしていました。その通り、文句なしの勝利です。

昨日は休みだったものの、息子の高校野球の応援があり、ゲ−ムは観ることができませんでした。
でも途中経過は気になるもので、初回に日本が4点取ってリ−ドしていると聞き、このまま日本のペ−スで進んでくれたらと、ただひたすら願っていました。途中冷や冷やした展開もあったようでしたが、最終回にも詰めを怠らず、強豪・キュ−バをものの見事に打ち破ることができました。
 
こうした日本中が熱狂したように、私達日本にとっては結果オ−ライの形でその幕を閉じましたが、第1回WBCがもたらしたものは少なくないのではないでしょうか。
 
第1に何と言っても、イチロ−選手について新たな発見があったことです。誰もが孤高でク−ルだと思っていたところですが、全然違う一面を見せつけてくれました。今回、日の丸を背負ってあんなに熱い想いになるイチロ−選手を、誰が予想できたでしょうか。日本の選手の中では、雲の上の存在として、感じている若手の選手達も少なくなかったと言います。それをチ−ム一丸となるため、自分から声を掛けて、雰囲気作りに努めていったとも言われています。とても嬉しくなる話で、気がつかなかった一面を知り、またファンが増えたのではないでしょうか。
 
その他、誤審を含めた審判の在り方の問題、組合せや開催国の利権にまつわるエゴ等、反省しなければいけない点は多々あることでしょう。予選リ−グ6勝した韓国がたった1敗して敗れ去り、3勝3敗の日本が準決勝に残り、結果的には優勝というのも、アメリカの仕組んだ思惑通り進まなかった、予期せぬ番狂わせとも言えるものでしょう。
でもこんな一国の都合がまかり通っているようでは、まだまだ国際大会とは言えません。第2回に向けて、英知を結集して大いに見直してもらいたいものです。そこで栄冠を勝ち取ることができれば、日本も真の世界の頂点に立ったと言えるのではないでしょうか。
 
多少こうした見直すべきものがある今回でしたが、とにかくこのやり方で日本はその頂点に立つことができたのも、紛れもない事実です。これは素直に喜んでいいことで、憧れていた大リ−グに近づくことができた証しでもあります。また私達、野球を愛する者としては、野球がもっともっと面白く魅力的であることを、少しでも多くの方々に解って頂くことのできた機会として、とても喜んでいます
この優勝をきっかけとして、プロ・アマ共に益々日本野球界が発展することを願っています。
やはりこのようにエキサイティングで高レベルなものを心がければ、人々は目が離せられないほど強く引きつけられるものです。


胸のすく勝利

[2006年03月20日(月曜日)|No.964]

 日本人だったら誰もが胸のすく思いをしたのではないでしょうか。昨日のWBC・準決勝で宿敵・韓国にようやく快勝しました。ちょうど予定されていた、自分のソフトボ−ルも前夜からの雨でグランドコンディション不良のため中止となり、朝からこの試合が予定されていたお昼までの時間が、とても待ち遠しいものでした。
 
いやはや、その面目を保つことができました。イチロ−選手が言っていたように「きょう負けるということは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」というように、同じ相手に三度も続けて負けるということは、彼らにはとても許されないことであったのでしょう。
このイチロ−選手の気合いの入り方も、いつになく物凄いものがありました。3安打、2盗塁、そしてだめ押しの5点目の1打点、「自分の生涯で一番屈辱的な日である」と言って、珍しく痛飲するほど口惜しがった前回の韓国戦の負けから、強く自分に期するものがあったのでしょう。
 
試合は前半の6回ぐらいまで、こちらが何度もチャンスを作るのですが、いまいち詰めができず、嫌なム−ドが立ちこめてきそうな感じでした。野球というのは不思議なもので、再三再四チャンスを逃し、ものにできないと流れが相手に行ってしまうのです。この重苦しい空気を打ち破ったのが、福留選手の会心の一発です。テレビを観ていた私でも、思わず大声で「やった!」と立ち上がって小躍りしたほどです。とにかく、この試合に限らず、今までのうっ積したモヤモヤが全てこの一発で吹き飛びました。そのくらい値千金の、溜飲を下げた、見事なホ−ムランでした。
また言い忘れましたが、観ていて全く心配のなかった上原投手のナイスピッチングがあったからこそ、生まれたとも言えるでしょう。
 
この一戦ではめずらしく日本中が燃えたのではないでしょうか。予想より不本意な結果に終わっていた、今回の日本代表チ−ムですが、この勝利で決勝戦に弾みがつくことと思われます。
元々、アメリカがメキシコに破れるという、ラッキ−な波乱があったから掴んだ、予想外な準決勝進出です。こうした一度死んでいる身ですから、ある意味では気楽に思い切ったことができるというものです。相手は過去の五輪からなかなか勝てないキュ−バですが、今度は何か、良いことが起こりそうな、そんな予感を覚えています。ここまで来たら優勝です。ニッポン・頑張れ!


ちょっと良い話 part 10

[2006年03月17日(金曜日)|No.963]

 全国で初めて知事等特別職の退職金を廃止するというニュ−スを目にしました。
宮城県の村井知事が昨年の知事選で、公約として掲げ、それを受けて県議会で条例を可決したものです。
 
素晴らしい話ではないでしょうか。とかく口では格好いいことを並び立てていても、その職を辞す時支給されるべらぼうな退職金には、我々一般市民からは遠く及ばないほど隔たりがあっただけに特別な違和感があったものです。
この措置は全国でも初めての話で、知事、副知事らの退職金を合わせると、4年間で1億5000万ものお金が削減できると言われます。
 
民にできることは官から民へとか、地方にできることは国から地方へと、小泉首相からプレッシャ−をかけられている地方だけに、財政再建のため、自らが率先垂範で難局を打開していくという姿勢は、大いに評価されるのではないでしょうか。またなかなか口では言っていても、いざ実行となると自分に跳ね返ってくることだけに、その実践が難しいものです。
為政者たる者、こうでなくてはいけません。後に続く人が少ないものと思われますが、こうしたことが先日のマ−タイさんの話ではないのですが、「自分にできることをする」といった意味でも、人々にとって、少しでも世の中が良くなっていくきっかけではないでしょうか。


中国人研修生来社

[2006年03月16日(木曜日)|No.962]

 昨日、中国人研修生の王強クンと徐青松クンが初めて弊社にやってきました。2月20日過ぎに来日し、岐阜で3週間の研修を終えて、ようやく沼津の地を訪れたのです。
 
そう言っては語弊があるかもしれませんが、さすが二人とも現地での大学を出ただけのことはあります。礼儀正しいし、受け答えもハキハキしていて、とても好感が持たれます。
びっくりしたのは、社員全員に紹介したとき、本人達の口から「中国からやってきた○○と申します年は26歳です。これからいろいろとお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします」との、流暢な日本語の挨拶が自然に飛び出したことです。
何よりも現場の皆さんにいち早く溶け込もうとする、本人達の強い意欲が感じられます。当分は我が社の製品や業務内容を早く習得するため、現場の仕事から入ってもらおうと思っていますが、きっとそう時間は掛からないことでしょう。将来的に楽しみな存在です。
 
奇しくもまた当日の夜は、中小企業家同友会沼津支部の臨時総会があり、18年度沼津支部長の大役を拝命致しました。よくこの同友会では言われていることですが、自社の経営と同友会活動は車の両輪であるとのことからも、新しいチャレンジへの出発の記念すべき日だったようにも思えます。また研修生二人にいつの日か、この会社に入って良かったと、心から言ってもらえる会社になれるよう、自分自身にも密かに誓った日でもありました。


WBCアメリカ戦から

[2006年03月15日(水曜日)|No.961]

 「野球がスタ−トした国でこんなことがあってはいけない」WBC日本の王監督が言われるとおりです。そもそも、このWBCはサッカ−のワ−ルドカップに対抗し、少しでも全世界的に野球を普及していこうというのが、その狙いだったことと思われます。
 
でも今回のように、一国の都合でゲ−ムが左右されるようなことがあってはいけません。まず自国の審判が当該試合を担当する制度が、果たして国際試合と言えるでしょうか。こんなことが続くようでは、野球は世界的なメジャ−なスポ−ツにはとてもなれないことでしょう。対するサッカ−ではないことと思われますが、もしあったとしたら、国際問題にまで発展しかねないとも言われているくらいです。私は仕事がありましたので、問題の西岡選手のタッチアップは見ていませんが、誰に聞いても全く問題ないと言っています。またご当地、アメリカの新聞等でも大きく取り上げているくらいですから、多くの人達が疑問を持たれたのではないでしょうか。
 
それにしても日米の野球格差が縮まりましたね。イチロ−選手の先頭打者ホ−ムランも見事でした。聞くとイチロ−選手の野球人生で、日の丸を胸に付けてのプレ−経験は今までにないと言われています。それだけ今回の大会に臨む想いは、並々ならぬものがあるわけでしょう。
 
昨日はお隣・韓国がこのアメリカを下しました。日本もこの韓国のように、7−3と文句なしの勝利をあげれば何も問題なかったわけですが、結果は出てしまったことで致し方ありません。
後は今日のメキシコ戦と続く韓国戦を連破し、再度準決勝でアメリカへのリベンジを是非果たしてもらいたいものです。そして今度はたとえ疑惑があっても、そんなものをものともしない、胸のすくような日本の圧倒的な勝利を強く願っています。


地に落ちたブランド

[2006年03月14日(火曜日)|No.960]

 日本航空と言ったら、誰もが憧れの企業だったはずです。それが相次ぐ航空機トラブルや、経営陣の内紛により、かつてのブランドがガタガタとなって、地に落ちようとしています。
 
学生の希望就職先も、以前は他の航空会社をダントツに離してトップだったのですが、今ではANA(全日空)に大きく水を空けられるほど、人気薄の企業に変わっています。聞くところによると、その内紛は凄まじいものがあったそうです。
 
役職の階段を上り詰めるとき、周りを敵と味方に色分けして、勢力の拡大を図り、ただ自らのエゴで突き進んでいては、組織は乱れる。またこの役職が「授かりもの」で、伴ってくる人材が「預かりもの」という考えなら問題ないのだが、役職は「取りにゆくもの」で組織は「わがもの」という支配が長く続いたなら、いずれ息詰まるものだ。
 
このように、それを象徴して、あるコラムに書かれていました。内紛が一気に噴きだし、社長交代劇にまで繋がった、お家騒動は「連判状」まで飛び出したというから驚きです。
また経営も大変で、2兆円もの有利子債務を抱えると言われています。こうした内情を抱えていては、なかなか企業再生も厳しく難しいものでしょう。心なしか、ツルのマ−クも元気がないように見えるのはそんなところからでしょうか。
でも世界に羽ばたいていた、あの日航です。御巣鷹山の、悲惨な墜落事故以前は、誰もが安全な日航に乗りたいと願っていたはずです。もう一度、憧れていたツルの勇姿を眺めてみたいものです


ワンガリ・マ−タイさん講演その2

[2006年03月13日(月曜日)|No.959]

 マ−タイさんの講演内容(要旨)は以下の通りです。
 
自分が生まれた地のすぐ近くにある、ケニア山には神が住んでいる。お陰で自然保護の指定を受けたが、この地にある素晴らしい富士山も同様になることを願っている。
山の状態を見れば環境の実態が判る。今、エベレストの氷河が溶けている。人間の活動のために自然が破壊されている。それは20〜30年後にはきっと現れてくる。
京都議定書は大切。アメリカ政府の未調印のように、守らない国があるが、政府の動向に惑わされることなく、一人ひとりの行動と意識により推し進めたい。
 
ノ−ベル平和賞を受賞して、環境保全に努めるのが平和に繋がると初めて認識した。
この受賞は、「資源を責任持って管理するのが、次世代に引き継ぐ私達の役目である」と、私に世界中に伝えて欲しいとの意味に捉えている。資源において、様々な国によりそれは公平に分配されなければならない。そのことにより、多くの争いが防げるのではないか、また地球をどのように守っていったらよいか、資源をいかに公平に分配していけばよいか、環境と平和は密接な関係があるので、大学でも真剣に考えていって欲しい。
 
3R(リデュ−ス・リユ−ス・リサイクル)の運動は、1つの日本語で表現できるものである。それが”もったいない”という言葉である。この言葉には深い意味があり、資源に対して尊敬するという意味も含まれる。大地から頂くことに畏敬の念を抱き、感謝の気持ちで資源を受け取る。これはまさに日本文化の知恵である。地球に感謝と畏敬の念を持って資源を使う、地球を守るためにこの”もったいない”という言葉をもっといろいろ応用していけるのではないか。
ゴミから高価値な製品を生み出すくらい、日本は技術が進んでいることから、多くの行動に移すことを期待したい。
そして何よりも、若い人達に対し、特別な大きなことではなく、まず小さな自分にできることから実践することを呼び掛けたい。
一例をあげると、ある日巨大な森で大火災が起こった。ハミングバ−ド(はち鳥)だけは逃げなかった。小川に行き、くちばしに水を含み、火の中にかける繰り返しを行った。他の動物達はただ傍観するだけで、無駄だと思っていた。「私にできることをする」Doyourbest!
毎日の生活は平凡なことかもしれないが、その中でベストを尽くしていけばきっと世の中は良くなっていく。
 
まさに以前にも触れた、仏教の「一小燈一隅を照らす」という言葉と少しも変わりません。
国籍は違っても世界は1つですね。その素晴らしい講演に、心から精一杯の拍手を贈りました。


ちょっと良い話 part9

[2006年03月10日(金曜日)|No.958]

 昨日の朝、犬の散歩から家に戻ると、15mぐらい道路の先に人が倒れているのです。
慌てて犬を繋ぎ、家内にも連絡して現場に駆けつけました。
もうその時には既に救急車の手配は済んでおり、倒れている人を見ると頭や鼻から血を流しています。
 
その様子からすると、どうやら交通事故ではなく、道路につまづいて転倒したみたいです。そして流れている血も転倒した際に、どこかに打ちつけた外傷のようです。
でも少しポタポタと流れ落ちていたので、家内が家にタオルを取りに戻り、それで頭を押さえてやりました。
 
倒れていた人をよく眺めると、ズボンの裾も破れており、全体的にも薄汚れていて、ちょっとフ−テンぽい感じです。その為かどうかは分かりませんが、ちょうど通勤時間で信号待ちしている、多くの車の運転手は、こちらの様子に知ってか知らずか、一向に気にしている素振りが見えません。
そんな中で、たぶん最初から気づいてその場所に停まってくれていたのでしょう。
救急車がやってきた関係で、仕事があるからと断り、その場を立ち去ろうとする時になって、初めてそのことに気づきました。
 
多くの人が無関心で通り過ぎていく中、その人は必死に車を路肩に寄せ、降りてきて介抱しようとしていたのでしょう。こちらの「どうぞ、出掛けて下さい」との言葉に、会釈して応えるその方の表情が、何とも言えない素晴らしいものに見えました。相手が誰であれ、人間らしく、いつもこうありたいものです。


WBC(ワ−ルド・ベ−スボ−ル・クラシック)から

[2006年03月09日(木曜日)|No.957]

 野球の流れというものをつくづく感じました。
日本がアジアNO.1を示したかったWBC・韓国戦での話です。2−0とリ−ドして迎えた4回裏、2死満塁で西岡の放った、ヒット性のライト線ライナ−を韓国右翼手、イ・ジンヨンがダイビングして好捕しました。これが捕れないで抜けていたら、満塁の走者は一掃したでしょうから、おそらく試合は決まっていたことでしょう。
 
この1つのス−パ−プレ−から試合の流れは大きく変わりました。その裏、韓国は1点返し、その後、日本のもたつく間に、とうとう8回の逆転2ランが生まれたのです。
聞くと、韓国の選手間ではその結果如何により、義務づけられている兵役免除という措置も与えられると囁かれています。プロ野球選手と言えども、何ら変わりなく課せられるこの2年間の兵役があるとないとでは、これからの選手寿命にも大きな違いがあり、決して選手を奮い立たせる意味での小さな要素ではありません。1つのス−パ−プレ−が生まれた裏には、そんな起因も考えられないわけでもないのです。
 
一方、何らそうした制約がなく、夢のような大金を手にする日本選手との、その違いは大きいのではないでしょうか。また今度のトリノ五輪でも、韓国の参加選手人数当たりのメダル獲得率は、段突に大きいとも言われています。片や、大選手団を誇った日本選手の不振はご承知の通りです。
この違いはやはりハングリ−さではないでしょうか。それと母国に対する執着心の違いです。
彼らには、そうした日本人選手にはないものを強く感じます。
こう考えてくると、アメリカでの2次予選が心配です。そうした不安が杞憂に終わればよいのですが...。とにかく日本選手のアメリカでの心機一転の発奮と活躍を期待したいところです。


自立

[2006年03月08日(水曜日)|No.956]

 県下でも高校入試がやっと終わり、ようやく受験シ−ズンが終わろうとしています。
嬉しい合格の声を待ち望む受験生が多いものと思われますが、先日の天声人語にこんな記事が載っていました。
 
先週、取材で訪ねた早稲田大学でも入学試験をしていた。大隈講堂の前に「父母休憩所」の立て看板があった。どんな空間なのか、のぞいてみると、100人近くが微妙な間隔をあけて、黙って座っている。8割は母親だろうか。
聞けば娘さんをひとりで東京にやるのが心配で、同行した人が多い。三重県からの母親は「けさも2人で必死に満員電車から降りました」。別の父親がぼそっと言った。「僕のころは休憩所なんてなかった。合格電報屋はいっぱいいたけれど」。そういえば、合否を電報で伝えるアルバイトを見かけない。
 
やはり時代の変遷なのでしょうか。大学試験にまで父母同伴の時代なのです。たしか大学は親から離れ、自治とか自主を育む所でもあったはずです。いつまで経っても乳離れしないのですね。
一方で最近少し気になっているのが、午後2時と4時に市役所から流されている広報です。
「小学生と中学生の下校時間です。安全に下校できるため、地域の皆さんのご協力をお願い致します」たしか、こんなような内容だったものと思われます。少しも問題ではないようなものですが、小学生ならまだ知らず、一緒に中学生まで含まれていることに、自立という観点からも、何となく引っかかりを覚えます。
 
もちろんご承知の通りの物騒な世の中ですから、安全を呼び掛けるのは当たり前の話です。でも毎日、毎日スピ−カ−から同じように流れてくる繰り返しに、ただ形だけを整え、本質に少しも迫っていないような、工夫の無さを感じています。
一方では地域の方々が真剣にこのことを考え、創意工夫を凝らしていることを知るだけに、よけいその物足りなさを感じます。でも無理な期待かもしれません。先日、行政から配られた、駅高架に対するお粗末なアンケ−ト内容から推しても、とても多くは望めないものと思わざるをえません。


選抜大会出場辞退

[2006年03月06日(月曜日)|No.955]

 折角の甲子園出場を前にして非常に残念なことが起こってしまいました。
一昨年夏、そして昨年夏と、選手権大会を連覇した駒大苫小牧高の選抜大会出場辞退です。
 
考えさせられる問題が3つあります。
第1に出られなくなった1,2年生のことです。卒業する3年生が引き起こしたことで、彼達はこの3月23日より開幕する選抜に、必死に合わせて調整に励んでいたはずです。いきなり外されてしまった目標をどこに置いたらよいでしょうか。あまりにも残酷な仕打ちのようにも思えます。
また全国の出場校の中には、この駒大苫小牧高を倒す目標を置いていたところも少なくないはずです。そうした意味でも罪深い話です。
 
また当事者である3年生諸君の意識についてです。2年も連続して甲子園で優勝したチ−ムの一員として、あまりにもその考えが浅はかでなりません。自分達のしでかすことで、後輩達にどんなに迷惑が掛かるか、予め判らないわけでもありません。それより何よりも、自分達の人生においても2年連続優勝というものが大きな誇りと勲章になっていたはずです。それをいとも簡単に、こうした愚行によって捨て去ることができるものでしょうか。
 
そしてもう1つ、いきなりそうした光景を眺めて、注意することなく警察に通報した周囲の人達のことです。せめて一言注意してからでも、遅くなかったように思います。確かに大騒ぎをしていたことには違いはないでしょう。そして中に甲子園球児を見つけたとも書かれていました。それならなぜ、まず咎めることをしなかったのでしょうか。仮にも相手はまだ18やそこらの少年です。愛の鞭を振るう、大人の対応が一切なかったことが寂しく感じます。
 
何かやりきれませんね。目標を失った1,2年生に対し言葉がありませんが、これに負けることなく更なる大きな修正目標を、少しづつでも持っていけるようになることを強く願っています。
 
今日の午後より明日にかけて出張予定のため、明日のカキコミは休ませて頂きます。


メ−ルについて

[2006年03月03日(金曜日)|No.954]

 ご承知の通り、民主党議員によるお粗末なメ−ルにまつわる騒動に、このところ振り回されましたが、このメ−ルが今の私達の生活には切っても切り離せないことを知らされています。
 
と言うのも、使用しているOutlookExpressのメ−ル送受信が先週末からどうしてもできず、昨日になってプロの手を借りながら、ようやく開通したからです。その間、様々な案内や情報に閉ざされている関係で、まるで陸の孤島にいるような気分に陥るものです。
こちらがメ−ル受信できるとなると、現在ではいろいろな会議等の案内がメ−ルで送られてくるものです。もちろん不必要なものも多く含みますが、たった4,5日メ−ルが受信できないだけで、優に100通を超えるものが溜まっていました。ある意味では恐ろしくなるような世界です。
 
ちょっと視点を変えさせて頂きますが、先日の新聞にこのようなコラムが載っていました。
 
最近、若い世代とのコミュニケ−ションの難しさに頭を悩ませることが多くなった。年下とのコミュニケ−ションはもともと得意ではないが、メ−ルが発達してから特に壁にぶつかる回数が増えてきたある女性新入社員が研修のため、私についた初日のこと。たとえ短い期間とはいえ、自分を理解してもらえるように、現場になれてもらえるようにと、私はなるべく自分から話しかけるように努めたしかし、なかなかうまくいかない。彼女は萎縮しているのか口数が少なく、どうやってコミュニケ−ションをとっていいのか分からなくなった。
ところが、家に帰るとその彼女からメ−ルが届いた。今日の現場の感想や指導に対する反省文だカルチャ−ショックだった。帰りの車中でもだんまりだったのに、メ−ルでは流暢に言葉が続き、「楽しかったです。明日もよろしくお願いします」という結びの挨拶には、ハ−ト&にっこりマ−クの絵文字までついていたからだ。
メ−ルというものは、会話があって補足に使うものだと思っていた。しかし、彼女にとってはメ−ルがメインで会話が補足のように思えた。
 
電車に乗っても、ほとんどの若者が携帯に首っ引きになっている現在、これが一部の現実として率直に受け止めなければいけないのではないでしょうか。会話の持つ楽しさや、奥ゆかしさなどから、どんどん遠ざかっていくのは寂しい限りです。でもこうした世代や、前述のなくてはならないものとして、メ−ルがその存在感を高めている以上、無視することはできません。
またないときには、ほとんど頼ることもなく不便にも感じなかったものが、このように私達の生活に密着してくるとなると、口惜しいが頼らないわけにもいきません。つくづく、ややこっしい世界になってきたようにも感じている現在です。


言葉の不自由さ

[2006年03月02日(木曜日)|No.953]

 最近よく考えさせられるのが言葉の不自由についての問題です。
幼稚園児2名が殺害された事件は、耳を疑うような本当に痛ましいものでしたが、これも中国人の加害者が言葉がよく通じないために、自分自身が疎外されているように感じ、引き起こしたようにも言われています。
 
こうしたものと同レベルに考えるわけにはいきませんが、弊社もこの3月15日に中国人研修生2名が会社にやってきます。もう既に先月20日過ぎには来日しており、現在は主に日本語研修の目的で、3週間ばかり岐阜で研修を積んでおります。来日前も企業への採用が決まった後、自国で3ヶ月の研修が行われたと聞きます。これも主に語学研修に当てる時間が多いものでしょう。
 
このように事前に研修を積んでいても、なかなか初めは言葉の壁があるようにも聞いています。
ですから、いざ実業に就いてもこの言葉の障害はしばらくは付いて廻るものと思われます。
それはこちらの想像以上に大変なものではないでしょうか。
でも明るい材料としては、彼らは相当な勉強家とも聞きます。仕事が終え、宿舎に帰ってからも、この語学取得のため夜遅くまで勉強するとも言われています。それに期待するしかありません。
 
とにかく、一刻も早く、こちらの環境に馴染ませることが大切です。そしてただ実利を短兵急に求めることなく、ある意味では気長に育てていく、こちら側の受け入れ姿勢が必要になるものと思われます。それとたとえ国籍は違っても同じ人間、やはり血の通った気持ちのやりとりではないでしょうか。こうした期待と不安が入り混じった複雑な想いのこの頃ですが、一歩新たに踏み出していくには何かと不測のものが付きまとうものです。でも手をこまねいて、何も行動に繋げていかなければ道は開けません。「下手な考え、休むに似たり」何よりも行動に繋げていくことが、私達には求められているのではないでしょうか。


ワンガリ・マ−タイさん講演その1

[2006年03月01日(水曜日)|No.952]

 先週の初め、知人から富士常葉大学で開かれた記念講演の紹介を受け、行って参りました。
日本語の”もったいない”という言葉を世界に広め、”グリ−ンベルト運動”と称した環境保護活動を推進している、ご存知、ワンガリ・マ−タイさんの話です。
 
その学長を務める水野隆徳先生が主催している、「沼津水野塾」のメンバ−からお誘いを頂いたものです。ワンガリ・マ−タイさんはご存知の通り、ノ−ベル平和賞を2004年に受賞されています。
このため、当日は多くの方々がこの大学に駆けつけ、総数800人ぐらいになったことから会場も2つのホ−ルに分かれたほどです。
もちろん大学主催の記念講演ですから学生中心で、私達一般聴衆は直接の会場ではない、サテライトのホ−ルで聴くことになりました。と言っても、心配りのあるマ−タイさんは講演前、わざわざ別会場である私達の前に現れ、会場は離れていても心は1つであると言って気遣いのあるところを見せてくれました。
 
講演内容はまた次回触れることにし、マ−タイさんの境遇やその素晴らしい活動内容を少し紹介させて下さい。
1940年4月、ケニヤ山に近い村の農家に生まれ、6人兄弟で家は決して豊かではなく、多くのアフリカ女性と同じ境遇にありましたが、兄が両親を説得してくれたお陰で、学校に通うことができ、60年に政府留学生に選ばれるまでになりました。そして1966年に米ピッツバ−グ大学で修士号を取得、ドイツ留学を経て71年に、東・中部アフリカでは女性で初めての博士号を得ました。
祖国の貧困や環境破壊に心を痛めたマ−タイさんは、77年に貧しい女性達と「グリ−ンベルト運動」という植林活動を始めたのです。それは7本の木を植えたことから始まりました。
アフリカでは独立を達成した60年代以降、農業生産が人口の増加に追いつかず、農地を拡げたり燃料となる薪を得るには、多くの木が切られました。切った後の土地は荒れて植物や動物が育たず、水や食べ物や薪が得られないことから、人々の暮らしがより貧しくなるという悪循環が広がっていきました。生物が専門のマ−タイさんは「木を植えれば土地が荒れることも防げ、育った木によりお金や薪も得られる」と考えました。そしてこの木々は数年で大きくなり、美しい川も流れるようになって、川には魚が泳ぎ、鳥や小さな動物が戻ったのです。
政府の弾圧を受けながらも、こうしたマ−タイさんの運動には、これまでに述べ8万人が参加し、植えた苗木は実に3000万本にも上っていると言われています。
 
7本から3000万本ですか、凄い活動です。「ロ−マは1日にして成らず」と言われますが、コツコツと根気よく積み重ねた成果には驚かされます。予想していたより大柄で、終始笑みを絶やさないマ−タイさんには何とも言えない好感を抱きました。またそれ以上に素晴らしかった講演内容は次回紹介させて頂きます。