株式会社 アイソー




2007年08月の日記

プロの凄さ

[2007年08月31日(金曜日)|No.1279]

8月も今日で終わりです。本当に暑かった夏もそろそろ終わりを告げようとしているのでしょうか、今朝の愛犬との散歩時などは、秋風を思わせる風が頬を撫ぜ、とても心地よいものでした。
 
人間というものは本当に身勝手なもので、暑い時には逆に寒い冬が恋しくなるのですが、いざその暑さに別れを告げるときになると、急にもう少しそのままでいてもらいたいような、もの悲しい思いになるものです。でも9月になってもまだときどきは、この暑さは戻るものと思われますので、完全にお別れはもう少し先ですね。
 
先日の旅行時、今回は2泊3日で仙台、松島、角館、八幡平、盛岡等の北東北を回ってきたわけですが、この間お供してくれたバスのガイドさんと運転手はそれは見事なものでした。
 
双方、いずれも私と同じぐらいかそれ以上の年配の方だったのですが、まずガイドさんについてはその記憶力の良さにはびっくりさせられたものです。
 
私達ぐらいの年代になると、やはりこうした落ち着いた対応をして頂けれる人のほうが、ただ見た目が良いだけで内容のない人よりずっと有難いものです。
 
とにかく各所でその土地にまつわる、様々な話をして頂いたわけですが、歴史などに出てくる人物の名前や年号などの豊富な記憶には驚かされるものがあったわけです。圧巻は最終日の盛岡です。ご当地が生んだ偉大なる二人の詩人、宮沢賢治と石川啄木のうち、啄木の歌を何と20首近く読み上げたのです。
 
てっきり歌集を見ながら紹介しているのかなと思っていたら、何とその手には何も持っていないのです。つまり頭の引き出しから全て紹介しているのです。
 
ですから聴いているこちらとしては、思わず拍手が出てしまいました。やはりこれがプロの凄さというものでしょう。そのような指摘にご本人はだいぶ謙遜していましたが、ある種爽やかな畏敬の念を抱いたものです。
 
またドライバ-は努めて安全運転に徹していました。30人ぐらいの中型バスに10人しか乗っていないわけですから、それでなくても快適には違いありませんが、ドライバ-の温かい配慮で、旅の快適さが一層増したというものです。その姿は黙して多くを語らず、決して愛想が特別よいというわけではありませんが、本来の自分のやるべき仕事に徹してくれていたのです。
 
どうですか、最近こうした、いわゆるプロの方が少なくなったと思いませんか。自分の職業に強いプライドを持って接している方です。まだまだこのような方がいるのを感じただけでも、ちょっと嬉しくなる、十分意義のある今回の小旅行だったと思います。そしてそういった貴重な方々はいつまでも残っていてもらいたいと、つくづく感じさせられたものです。


朝青龍問題の報道について

[2007年08月30日(木曜日)|No.1278]

一連の騒ぎの中、逃げるようにして朝青龍がモンゴルに帰国しました。難しい名前がついた精神疾患とのことですが、ひと頃の憎たらしいまでの強い横綱からは想像もつかない話です。
 
そもそも体調不良を理由に巡業を回避し、ズル休み的な一時帰国の最中にサッカ-に興じ、判明したのが事の発端ですが、協会はこのことにより2場所出場停止の重いペナルティ−を課しました。
 
こうしてこの謹慎処分が出るや否や、このストレス障害たる病気が表沙汰になってきたのです。後で判ったことですが、この間、1億円の申告漏れ問題も煩わしい中にはあったのでしょう。それから本人の気持ちを代弁すれば、もう一人横綱ができた途端、急に協会が自分に冷たくなったという、苦い思いもないわけではないと思われます。
 
さんざん今まで自分一人で、横綱という最高位を支えてきたにもかかわらずという自負があるからです。そうした複雑な状況に置かれている中、謹慎ということですから、外に出て憂さ晴らしをしようにもできず、今まではできた気分転換も図れなくなったのです。
 
これではさすがの横綱・朝青龍もめげるのではないでしょうか。ですからワガママだとか何とか周囲で囃し立てていますが、ほっといてやればよいような気がします。
 
びっくりしたのは帰国したモンゴルまで、大勢の日本の報道陣が押し寄せたことです。出国していった成田ならまだしも、現地にまで追っかけていったのには驚きました。人々が飛びつくことなら何でも記事にするという、この姿勢が私には全く理解できません。
 
報道には確かに人々にいろいろなことを伝えていくという義務があるかもしれません。でもそれが使命的な強い信念に基づいていることでしょうか。正義感に駆られ、曲がったことでも正していき、時にして権力に押し潰されそうになっても、敢然とその使命を貫くというのが本来の姿ではないでしょうか。
 
パパラッチのように、金魚の糞のごとくついて廻っているのではスト−カ−と何ら違いがありません。そしていったい横綱・朝青龍をどうしようとしているのでしょうか。横綱をこのまま潰してもいいと思ってやっているようにも感じられるのです。
 
とにかく、このことに限らず、現在の屈折した報道スタイルは改めなければなりません。しっかりとした報道理念なきものは、どんなに伝えようとも人々の心には遠く届かないものです。


悔いなし、アッパレ桑田投手

[2007年08月29日(水曜日)|No.1277 ]

ちょっと日にちが経ってしまいましたが、大リ−グ・パイレ−ツに所属していた桑田投手に戦力外通告が出されてしまいました。この欄でも頑張れ桑田投手!と精一杯、エ−ルを送っていただけに、ちょっと残念な思いがしています。
 
でも本人のコメントを聞くと、「もう十分。何も悔いなし」と言っているだけに、十分満足のいく結果ではなかったかと思われます。昨年、長い間栄光のジャイアンツのエ−スナンバ−18番を背負い続けていた桑田投手が、追われるようにして球団を去りました。
 
こうして、これをきっかけとしてオ−ルドル−キ−の、夢に見た大リ−グへの挑戦が始まったのです。そもそも球団を追われるくらいですから全盛期の勢いはありません。それをカバ−できるのは唯一、持ち合わせた天性のピッチングの巧さとセンスしかありません。ですから、遅かれ早かれ、近いうちにきっと迎えなければならない宿命だったのかもしれません。
 
しかし、夢を追い続け、それを実現しようとする姿には多くの声援と、少なからぬ感動を呼び起こすものです。パイレ−ツに入団した桑田投手には、こうして海を越えた多くの期待と願いが届けられたのです。
 
キャンプ当初、順調な仕上がりを見せていた桑田投手でしたが、オ−プン戦で思わぬアクシデントに遭ってしまいました。球審と激突転倒して右足首をねんざしてしまったのです。このため誰もがあきらめかけたメジャ−のマウンドでしたが、6月にはしっかりとメジャ−に昇格し、夢に見たマウンドに立てたのはご承知のとおりです。
 
私達は知らなかったのですが、ご本人がブログにも書かれているとおり、捕手のサインがよく見えないほど右目の視力が衰えていたのですね。終わってから初めて知らされました。このブログに爽やかなコメントが載っていますので、一部紹介致します。
 
キャンプで痛めた右足首も、毎日、テーピングで固めて投げていたので、限界を超えていたと思う。
ここまで持ちこたえてくれた体に、心より感謝したい。
 
また、共に戦い、心から応援してくれた友に、「ありがとう」と伝えたいよ。
20歳の頃の夢であった、メジャーへの扉をこの年齢で開けさせて頂けたこと、そして、自分の目で見て、肌で感じ、触れ、心で全てを見ることができた。アメリカで、充実した毎日を過ごさせて頂き、今は達成感で一杯なんだ。今後は、しばらくピッツバーグに残り、お世話になった方に挨拶回りをして、それが済んだら、もう少しアメリカに残って野球の勉強をしたいと思っているんだ。
 
最後に、ジョーブ先生に会って、恒例の握手をして帰国するよ。
もう、夜中の2時になってしまったよ。そろそろ寝るね。
野球の神様に感謝しながら

 
最後のマウンドに上がる日、最愛の息子達を球場に呼び、しっかりとその姿を見せつけたと言います。それは彼らにとって何よりの、力強い無言のメッセ−ジではなかったかと思われます。
 
大リーグで投げることができて幸せだった」この言葉の中に含まれる、感謝の気持ちが彼をここまで支え、また人々の感動を呼び起こしたものと思います。爽やかな感動に感謝し、今後の人生に幸多かれと祈ります。


増強活動より学ぶもの

[2007年08月28日(火曜日)|No.1276]

3年に1回の夏休み旅行も無事終わりました。以前にも触れたことと思いますが、近所に住む5組の親しい夫婦10人によるものですが、終わってみると、あっという間に過ぎ去ったように覚えます。また旅での楽しかった思い出は別の機会に触れたいと思いますが、これでやっと夏が終わったような気持ちと、少し物悲しい想いが重なって、ちょっぴり複雑な気分となっています。
 
先週の水曜日、中小企業家同友会沼津支部の8月例会が沼津市民文化センタ−で開かれました。同友会独特の”我が経営を語る”形式の報告に、あるテ−マに基づいたグル−プ討議(同友会ではこれをバズセッションと呼びます)を加えた例会スタイルですが、会員の他にオブザ−バ−としてゲストの皆さんが何と14人も参加していただきました。
 
有り難いものです。グル−プ討議などで、それぞれの考え方の違いを学んでいくのには、様々な新しい人たちとの出会いを活かしていければ何よりです。この会に入会直後、県事務局からよく言われた、会員増強という言葉には、何か設営面での金銭的問題だけを重視しているようで、正直抵抗があったものです。
 
でも入会後、十数年の時を隔てると、目的は決してそんなことではなく、本来の会の目的である良い会社を作る、良い経営者になるためだと、素直に理解できるものです。同じメンバ−だけで運営を続けていたらどうでしょうか。息はぴったり合うかもしれませんが、その先の枠を超えるものはいつまで経っても生まれてはきません。
 
従って私達の会社同様、それ以上の発展がないのです。組織は絶えず活性化していなければなりません。また時代を敏感に洞察できる目を持ちながら、いろいろな角度から様々な手も打っていかなければなりません。会社もこうした会も何も違いがなく、やはり新しい風が求められているのです。
 
そうした意味でも、最近の我が支部は極めて前向きで好ましいものです。そこには絶えず会員間で貴重な情報交換を交わす、メ−リングリスト等が活躍し、絶えずお互いが情報を共有し功を奏しています。でもそれより何より、何と言っても、やはり以前とは違う、それぞれの目的意識の大きさや明確さではないでしょうか。企業同様、リ−ダ−の果たす役割というものに、少なからぬものを一層感じている昨今です。


白昼の襲撃劇

[2007年08月24日(金曜日)|No.1275]

地元・常葉菊川が敗れただけに、一層力を入れ応援していた佐賀北が見事、初優勝を飾りました。望みどおりの結果となったわけですが、それにしても勢いというものは凄いものです。
 
決勝戦も0−4とリードされながら8回裏に満塁ホ−ムランを含む5点を挙げ、一挙に逆転して掴んだ栄光です。まさにミラクルそのものでした。それにもう一つ凄いのは、全チ−ムの中で一番試合イニングが多かったことです。
 
1回戦の開幕試合に始まり、2回戦は延長15回でも決着がつかず、翌々日に再試合、そして3回戦を経て準々決勝の帝京戦は先にも触れましたが延長13回での攻防、そして準決、決勝と合計すると何と7試合73イニングにも及びました。結果からすると、まさにこの学校に始まり、全て終わったようなものです。
 
本当に見事なものです。聞くと普通の進学校と言われています。それだけに嬉しいものです。私達、中小企業が大企業に向かっていって勝ったようなものだけに、何とも言えない快感でした。心より祝福申し上げます。
 
こうして夏もそろそろ終わりかなと思っていたら、今日の出張帰り、とんでもないことが起こりました。小田原からの帰路、まさに箱根で突然爆発に遭遇したような思いになったのです。
 
運転していた側の、側面の窓ガラスが粉々に砕け散ったのです。ちょうど山道の下りでカ−ブに差し掛かったところでしたから、一瞬何が起こったのか判らないような状態でした。
 
大袈裟ではないのですが、ド−ンと大きな音がして窓ガラスが粉々になったわけですから、その時はピストルにでも撃たれたのではないかと思ったくらいです。半信半疑の半ばパニック状態で、慌てて車を寄せて停め、ドアを開いたらガラスの破片が、一気に座席から足下までこぼれ落ちてきたのです。
 
これもまた怖いものでした。幸いケガは何もなかったのですが、茫然と車から降り、車の横で立ちすくんでいると、こちらに呼びかける声がしたのです。「たぶん私のせいだと思います。大丈夫ですか」と。
 
少しずつ正常に戻りつつ頭でそちらを見ると、反対側車線の路肩の石垣の上で草刈りをしている人が目に入ったのです。それでようやく、草刈りの時、石が飛んできて起こったものと判ったのでした。
 
それにしても、体験者でなくてはとても解らないものと思いますが、一瞬の迫力は凄まじいものがあるものです。かつてケネディ大統領がダラスで暗殺されましたが、そんなことまで思い出されるくらい、ど迫力があったわけです。
 
私の仕業だと、正直に自分の方から申し出て頂いたお陰で、一件落着できたことは幸いでした。きっと申し出て頂かなければ、何でそうなったのか判らずじまいだった思われます。
 
これが不幸中の幸いというものなのでしょうか。親切にその後の責任は全て当方で見ますとの、その方の物腰はとても好感が持てたものです。まだまだ世の中、捨てたものではありません
 
思いがけない白昼の襲撃劇をちょっと紹介させて頂きましたが、このくらいで済んで何よりでした。いつ、どこで、何が起こるか判りません。皆様もくれぐれもお気をつけ下さい。
 
明日25日より27日までは、個人的に遅い夏休みをとらせていただきます。従って27日はこのカキコミもお休みさせていただきますので、ご了承下さい


痴話げんか

[2007年08月23日(木曜日)|No.1274]

またまた安倍首相の指導力が問われるような出来事です。既に後任は、問題の二人に所縁(ゆかり)の無い第三者の方に決定しましたが、小池百合子防衛大臣と守屋次官との確執の問題です。
 
一口に言って大人げない痴話げんかのようなものです。誰かが言っていましたが、携帯電話に二度電話したのにもかかわらず、返事がないと言って無視されていると思うのも、まるでよく見られる恋人同士の関係のようでどうかと思われます。
 
そしてまた深夜に電話を掛けたというから、相手がすぐに出なかったと言っても仕方がないかもしれません。でも防衛省の中ではボスとして君臨してきた守屋次官の方にも問題大ありです。そもそも、後任人事がマスコミに発表されてから、両方でこのポストについて官邸に駆け込むというのも、とんだ茶番劇です。
 
元々前大臣の失言によって急遽任命された小池大臣を、一時的な繋ぎのように思っていたのでしょう。一方の小池大臣の方は、27日以降に組閣される新内閣としても、真剣に防衛大臣を引き継いでやっていくつもりでいたから、このように先走ってしまったものと思われます。
 
ということは、こうした問題が表ざたになってしまうのは一体何なんでしょう。首相の指導力不足以外の何ものでもありません。しっかりとした方向性を早くから示していれば、こんなことにはならなかったはずです。
 
それから痴話げんかが始まってからも、首相のコメントがいまいち歯切れが悪かったですね。もっと素早い毅然とした判断力が一国のトップには求められているものです。
 
参議院選挙の惨敗の後のコメントやその責任感といい、現首相は場の空気が読めない人なのでしょうか。今、若い人の間ではK・Yという隠語がはやっているそうです。場の空気(K)が読めない(Y)人を指してこう呼ぶのだと言われています。官僚ごときにナメられない、強い指導力を持って政治に当たってもらいたいものです。
 


忘れてはいけないもの

[2007年08月22日(水曜日)|No.1273]

先日の天声人語に歌手・淡谷のり子さんのことが取り上げられていて、ちょっとよい話だったのでご紹介します。
 
「ブルースの女王」、と聞いて淡谷のり子さんを思う人は減りつつあるだろう。きょうが誕生から100年と聞き、戦時中も軍歌を拒み続けた硬骨の生涯を思った。レコードだけではない。兵を死地に追いやる歌だと、戦地の慰問でも歌わなかった人である。
 
 平時と変わらぬドレスで舞台に立ち、流行歌を歌った。アイシャドーに真っ赤な口紅、つけまつげ。「不謹慎だ」と憲兵が怒鳴ると、「(こんな不器量が)素顔でステージに立って、どうなるのですか」と言い返したそうだ(『ブルースの女王・淡谷のり子』吉武輝子)。
 
 一度だけ、舞台で泣いたことがあった。九州の特攻基地でのことだ。歌の途中に出撃命令の下った隊員らが、一人ひとり敬礼して中座していった。こらえきれず、背を向けて涙を流したという。
 
 淡谷さんを泣かせた特攻を、日系米国人が追った映画「TOKKO 特攻」が上映されている。狂信的自爆のイメージばかりが米国では強い。だがリサ・モリモト監督は丁寧な取材で、元隊員の「生きたかったよ。死にたくはなかったよ」という本音にたどり着く。
 
 「特攻兵」というロボットじみた人間など、どこにもいなかったのである。「兵士」という特別な人間も。誰もがただの人間だった。そのことを、淡谷さんは分かっていた。
 
 前線の慰問で、軍歌を聞きたがる兵はいなかった。リクエストはきまって十八番(おはこ)のブルースだった。生きて帰ることを願っているただの男たちのために。そう念じながら歌ったと、彼女は後に述懐している。

 
8月の原爆や終戦記念日を過ぎると、だんだん悲惨な戦争の話題が薄らいでいきます。この淡谷のり子さんや、女優・吉永小百合さんのように、毅然としてそのライフワ−クから離さず、強い信念を持ち続けている人を尊敬しています。
 
広島の江田島や鹿児島・知覧の博物館を訪れると、若くして散っていった前途有望な青年達の、人生の志半ばにして旅立たなければいけない無念さがひしひしと伝わってきます。上田の無言館もしかりです。
 
こうした多くの儚く散っていった方々の犠牲の下に、今日の日本の豊かさが築かれているのではないでしょうか。それゆえ日本人として絶対忘れてはいけないことのように考えます。私の父は日頃、戦争の話題をあまり語りたがりません。それだけ悲惨な記憶を思い出したくないからでしょう。
 
戦争を知らない私達の世代の義務として、その無念の気持ちを引き継がなければいけないものと思います。それゆえ、中途半端な武器などは全てかなぐり捨て、日本でなくてはならない役割を世界に果たしていかなければいけないのではないでしょうか。


高校野球の魅力

[2007年08月21日(火曜日)|No.1272]

甲子園もいよいよベスト8が激突し、高校野球の醍醐味を十分堪能できる、息詰まる熱戦が続いています。久しぶりの休日となった日曜日、第3回目となった技能五輪清掃活動を午前中に終え、午後からはゆっくりとこの高校野球のテレビ観戦ができました。
 
準々決勝の第1試合、佐賀北−帝京戦は手に汗握る好ゲ−ムでした。両チ−ム3−3と相譲らず、延長戦に突入した10回表の帝京の攻撃、先頭バッタ−のセンタ−オ−バ−の二塁打を、1死3塁に進めた直後のスクイズは見応えがありました。
 
決してまずいバントではなかったと思います。このスクイズを防いだ佐賀北・馬場投手のフィ−ルディングが見事でした。予感があったと後で述べていますが、投手前に転がったスクイズをグラブで掴むやそのままトスする、いわゆるグラブトスで見事に三塁ランナ−をホ−ムで刺したのです。
 
全く同様なケ−スが12回にもありました。この二度目の帝京のスクイズも、馬場君の見事な守備で防いでピンチを凌いだのです。一度ならず二度までもスクイズを必死にこらえ、守りきったことで、それ以後の流れが少し佐賀北に傾いたかもしれません。
 
そして13回表、帝京・投手の垣ヶ原くんの打った大飛球は、センタ−オ−バ−の会心の一打でした。これを背走し、グラブに見事に納めた佐賀北・馬場崎君の、取ってからフェンスに激突したものの、グラブからボ−ルを絶対逃がさないス−パ−プレ−を呼んだのです。
 
こうなると野球は面白いもので、益々その流れが加速するのかもしれません。二死ながらこの馬場崎君のヒットから始まった3連打で、佐賀北がサヨナラ勝ちを収めたのです。両軍、随所にしっかりと守った好プレ−があり、つまらないミスも全く無かった、本当によい試合でした。
 
試合終了後もスタンドから惜しみない拍手が両軍に送られていました。このような息詰まる熱戦はやはり観ている私達を何よりも魅了してくれます。こうして戦前、優勝候補の最右翼にあった帝京高でしたが、ほぼノ−マ−ク状態から、一戦一戦着実に力をつけていった佐賀北に敗れ去ったのです。両軍の息の抜けない集中したプレ−が、このような好ゲ−ムをもたらしてくれたのでしょう。
 
だから高校野球は面白いのですね。その日の第2試合で今治西が敗れたことで、これで佐賀北高が唯一の県立高となりました。判官びいきのこちらとしても、地元・常葉菊川と併せ、この佐賀北にもっともっと頑張ってもらいたいものです。やはり高校野球はいいですね。


ちょっと変だなNO.4

[2007年08月20日(月曜日)|No.1271]

先週まで続いた夏期工事も、お陰さまで無事終了することができました。とにかく暑かったですね。全国的にも40度を超える所がいくつもあったみたいで、各地で熱中症に掛かり運ばれる方が少なくありませんでした。
 
その中でも40.9度という記録的な暑さを観測した熊谷市では、一部ショッピングセンタ−で無料のアイスクリ−ムが配られたと言います。猛暑の中、一服の清涼剤になるはずの話ですが、とてもそんなものでは太刀打ちできないほど、限度を超えている異常の暑さが伝えられていたものです。
 
さて、そんな中で気になったことが1つあります。工事期間中、毎日、箱根越えで平塚まで通っていたわけですが、涼しい箱根の山中でも窓を閉め切って運転している車の多かったことです。
 
すれ違う対向車のうち、窓を開け広げて高原の爽やかな冷気を採り入れていたのは、10台中1台ぐらいだったでしょうか。この車のエアコンは、ほとんどの方が24度から25度ぐらいにセットしているものと思われます。
 
何と峠に近づくに連れ、外気温はこのエアコンの温度と同じか、それ以下にまでなっているのです。そうすると無理してエアコンをかけなくても、窓を開ければ涼しいということになるのです。
 
こうしたことを知ってか知らずか、お構いなしにエアコンを掛けっぱなしで、通り過ぎていく車があまりにも多いように感じます。ガソリンの高騰が伝えられ、少しでも省エネをと叫ばれている今日にも関わらずにです。
 
毎日、平塚まで往復、通っていましたので、ガソリンの消費についてその違いが顕著であることを、改めて知らされました。少なくとも山道を走る際、エアコンを入れて走るかそうでないとでは、明らかにその違いが出ているのです。
 
これって、やはり無駄なことの1つではないでしょうか。そもそもこの異常な暑さも、私達が今日まで積み重ねてきた仕業なのかもしれません。それゆえに私達にできることから、まず無駄をなくしていこうではありませんか。


ホ−ムレス襲撃事件

[2007年08月10日(金曜日)|No.1270]

何とも卑劣な行為で強い憤りを覚えています。またまた少年達によるホ−ムレスの襲撃事件が伝えられていました。東京都北区では公園のベンチに寝ていた男性に火をつけ、やけどを負わせたとして少年5人が逮捕されました。
 
事件が起こったのは5月半ば頃の話ですが、周辺ではホ−ムレスが襲われる事件が相次ぎ、いずれも少年達の仕業だと判明されました。他にも足の不自由なホ−ムレスの男性や女性などが別の少年達に集団暴行を受け、殺害されるという事件が起こっています。
 
上記の少年達のリ−ダ−は襲う理由を次のように語っています。「ホ−ムレスはゴミだ。人間として最低で、世の役に立っておらず、犬や猫と一緒。生きていようが死んでいようが気にしない」
 
国家の品格の著者、藤原正彦氏はその著書でこう語られています。武士道精神を自分に叩き込んでくれた父(作家・新田次郎氏)の教えで、弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろと常々聞かされていました。
 
それには力を用いてでもよいとまで教えられています。但し、次の5つの禁じ手は絶対に守れと約束させられました。
 
①大きい者が小さい者をぶん殴っちゃいかん。 ②大勢で一人をやっつけちゃいかん ③男が女をぶん殴っちゃいかん ④武器を手にしてはいかん ⑤相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん
 
ホ−ムレスへの襲撃はこの5つの禁じ手の全てに当てはまるのではないでしょうか。全くもって論外の話で、人間としてこんな卑怯なことはありません。汚いものは排除するという、今の子ども達特有の心理の現われとも言われていますが、こんな人間こそ最低でゴミのようなものです。
 
学校でのいじめもそうですが、私達親の世代がもっともっと「弱い者いじめはするな」と根気よく言い続けていく必要を強く感じました。
 
明日11日から17日までは夏期工事期間で出張予定となっています。従ってカキコミは20日より再開させていただきます。暑い中、くれぐれもご自愛下さい


注目されている母校の活躍

[2007年08月09日(木曜日)|No.1269 ]

いよいよ夏の高校野球甲子園大会の開幕で、夏本番のピ−クに差し掛かります。先日亡くなられた作詞家の阿久悠さんは、この時期全ての仕事をキャンセルし、テレビの前にじっくりと腰を据え、全試合を眺めていたと言われていました。こうした隠れた熱狂的な高校野球ファンが少なくないものと思われます。
 
先週の土曜日、沼津東急ホテルで母校・沼津東高の同窓会(香陵同窓会)が開かれました。総勢参加者は400人にも及ぶもので、全てが各学年ごとに丸テ−ブルに着席した懇親会の席は、圧巻とも言えるものでした。
 
これに先駆けての総会の席でも、大先輩や現役の校長先生からの挨拶の中で、盛んに触れられていたのが母校野球部の活躍です。先日も紹介したとおり、ベスト16には残ったものの、惜しくも4回戦で敗退した戦いぶりに触れていたものです。
 
校長先生の話では、対戦して敗れた静清工高ですが、20人の登録部員のうち、何と15人もの選手が他県出身者とのことです。残りの県内5人も県内あちこちから、かき集めた選手で、いわば助っ人集団です。そして優勝した常葉菊川高も同様で10人が県外、残りも県内のあちこちからとのことです。
 
これに引き換え、こちらは20人全ての選手が地元出身です。校長先生が強調したいのがよく解るというものです。それゆえに母校の選手諸君は本当によくやったと言えるのではないでしょうか。
 
また今回の甲子園出場校49校のうち、先の特待生問題に引っ掛かったのが半数の25校と言われています。でも中にはこの問題が影響して、地方大会1回戦で早々に姿を消していくチ−ムも少なくありませんでした。
 
改めてこの夏の大会終了後、協議されるものと思われますが、こうした特待生でも何でもない母校生徒達の活躍に清々しさを覚えています。それから意外だったのが、今、開かれているインタ−ハイの県内出場校の中で、母校は飛龍、清水商、浜松商に次ぎ4番目に多くの選手を送り込んでいると聞きました。
 
文武両道をめざす高校としては面目躍如たるものがあるわけです。こうした同窓会の席での挨拶や、お会いする先輩諸氏とのお話の中で、その多くを占めた野球部活躍の話題から、かなりの同窓生がしっかりと注目しているものを改めて感じました。
 
こちらもOBとして野球部に携わる一員として、その責任を強く感じないわけにはいきませんでした。いつの日か訪れる、多くの方々が望まれる甲子園出場という悲願達成に向け、更なる精進を積み重ねていきたいと思っています。


弓道優勝

[2007年08月08日(水曜日)|No.1268]

佐賀で開かれている高校総体(インタ−ハイ)で地元・沼津商の弓道部が見事、全国優勝を遂げました。昨日の決勝ト−ナメント2回戦から4試合、勝ち続けて獲得したものです。
 
この女子弓道は優勝したからというわけではなく、予選の試合から少し注目していたものです。というのも、知人の娘さんがこの沼津商で2年生ながらレギュラ−で出場していたからです。
 
山田小百合さんという彼女ですが、昨日の4試合は2回戦1中、準々決勝1中、準決勝3中、そして決勝3中という成績(1試合で4回試技のうち、的に当たった数を〇中と呼ぶ)で、尻上がりに調子を上げていき、その優勝に貢献できました。
 
私はやったことがありませんのでその難しさは判りませんが、見るからにプレッシャ−が自分にどっぷりと掛かって大変な競技ではないでしょうか。決勝では14−13という僅差で川崎商を下しました。
 
5人のうち小百合さんは3番手だったのですが、凄いのは5番手の彼女です。4試合ですから全部で的を射る試技が16回あるわけですが、そのうちの14回を見事射止めています。大したものです。
 
この競技こそ、心・技・体を一層求められているものではないでしょうか。ベストコンディションで臨まなければならず、決められた形で技を磨かなければ的も射止めにくいものでしょう。しかも精神集中して冷静に競技に臨まなければなりません。どの要素を欠いても良い結果が出るわけがないのです。
 
とにかく、この素晴らしい結果で、佐賀まで彼女を追っかけて行ったお父さんも喜んでいることでしょう。彼女も高校になって初めて弓道をやり始めたわけですが、中学時代頑張ったソフトボ−ルで培った体力も、少なからず功を奏しているものと思われます。
 
先日、お父さんがひと言こんな言葉を漏らしていました。「自分は野球を大学までやったが、全国レベルまでは極めることができなかった。そういった意味では全国出場を果たした娘にはもう足下にも及ばなくなった」出場どころか全国優勝まで果たした娘さんには、これですっかり頭が上がらなくなったのではないでしょうか。とにかくおめでたい話で心地よいものです。


我が街の良さ

[2007年08月07日(火曜日)|No.1267]

我が街をもっともっと見つめ直したい記事が載っていました。新鮮な魚介類や水産加工品を売りにした、約80の飲食店や物販店が軒を連ねる沼津港周辺の飲食街の話題です。
 
それによると、1年間に訪れる行楽客は推計で92万5000人にも上ると言われています。1日平均にすれば2500人以上です。また平日の昼食時にもかなりの賑わいを見せているそうです。
 
他の県内のこうした施設と比べてみると、国道135号線沿いの伊東マリンタウンは年間で約232万人、また東名・焼津インタ−のすぐ近くの焼津さかなセンタ−は約156万人とのことです。
 
しかしこの沼津港周辺は東名の沼津ICからもかなり離れていて、沼津駅からも決して近いとは言えない距離です。ですからこうした条件からも、ここはかなりの集客力を持っていると指摘しています。
 
そしてここはさかなセンタ−などとは違い、元々は集客目的で作られたものではなく、魚市場に来る人たちが食べに集まるところだから、魚もおいしいには違いないといった口コミで人気が広がっていった所です。
 
また11月には魚市場も新しくなり、セリの風景もガラス越しで見学できるそうです。さらに来年秋の完成を目途に、水産物販売と飲食街との共存共栄を図ったマ−ケットモ−ルの建設も計画されています。
 
この素敵な施設を活かさないこともありません。すぐ横には狩野川が流れ、この堤防沿いからは綺麗に富士山も望められる風景は、ロケ−ションとしても申し分ありません。先日も触れたように、ただ駅高架一辺倒ではなく、人々のニ−ズをしっかり捉えた施策が今求められているのではないでしょうか。


原爆記念日

[2007年08月06日(月曜日)|No.1266]

62回目の広島原爆記念日を迎えました。その慰霊の平和式典には約4万人の人が参列したと伝えられています。これに先立ち前日には、安倍首相が首相としては6年ぶりに被爆者代表と会い、原爆症認定基準を緩和する考えを表明しました。
 
良い傾向だと思います。願わくばもっと早くから真剣に見直しに着手して欲しかったのですが、主管の厚生労働省が寝耳に水のような話ですから、降って湧いたような話かもしれません。
 
それにしてもアメリカはとてつもなく怖ろしいことをしたものです。この日までに原爆に関する死没者の数は25万人を超えるとまで言われています。
 
そして先日の新聞には、原爆投下の標的候補に何と皇居までが含まれていたと載っていました。それが大空襲で焼野原になった東京では、原爆の効果を計るのにイマイチという判断で、その候補から外されたようです。
 
これを聞いて無性に腹が立ちました。効果とは何でしょうか。多くの人間をただ虫けらのように殺戮することなのでしょうか。あんなことは人間のすることではないし、人類史上二度とあってはならないことです。とても「しようがない」などと言って済まされることではないのです。
 
昨日の平和式典に世界から参加してくれた国々の中で、核保有国は唯一ロシアのみと聞きました。核廃絶を訴える世界中の声にまだまだ応えていないような気がします。
 
テレビで伝えていましたが、道行く若い人に8月6日は何の日と問い掛けても、ピント外れの日本人が増えつつあります。いわゆる平和ボケなのでしょう。
 
でも何回も言うようですが、世界でたった1つの被爆国である、我々日本人がそれを忘れて何としましょう。残念ながら、たとえその悲惨な現実的状況からどんどん薄らいでいくことになっても、韓国の”恨”(はん)の思想同様、子々孫々まで悲劇的事実を語り繋げていくことに努め、二度と大悲劇が起こらないよう訴え続けていかなければなりません


感動探し

[2007年08月03日(金曜日)|No.1265]

8月1日から、毎日の朝礼で読んでいた職場の教養をやめることにしました。私はこの倫理法人会には入会していないのですが、今までは、会計指導先から頂いていたこの本を当番制で読んでいたわけです。そして読み終わった後、ひと言当番が感想を述べていたのです。
 
もちろん、同じような記述が繰り返しあるにせよ、内容には一切不満はありません。ただ、感想をいつも聞いていると、そのように心がけたいとか、自分も同様な人間になりたいといった言葉が、毎朝繰り返されています。
 
だが実際にその言葉どおり、行動にすぐ繋げているかと言えばそれは疑問です。むしろ、その場での帳尻合わせではないにせよ、差し障り無くその場を切り抜けるだけで、ほとんどは行動や実践とは無縁なもののような気がします。
 
これでは毎朝だけに、貴重な時間が少しもったいないのではないかと考えるようになりました。それよりか、こうした受動的なものよりもっと主体的なものにしなければと思いました。
 
そこで思いついたのが、ひと言でいいから感動探しをして述べ合うということです。感動と言っても、決して大げさなものでなくてもよく、身の周りでおきたちょっぴり素敵なことや、お客様から頂いたこんな嬉しいことがあったというものでも構わないのです。
 
そうした自分を中心とした事柄に、目を注意して向けるほうがずっと意味があるのではないかと考えたのです。早速、昨日より実践しました。内容はやはり期待どおりでした。まず目の付け方が変わってくるのでないでしょうか。それは人から与えられたものより、自分の目や思いで見つけ出したことだけにずっとアクティブです。
 
そして社内的にも対外的や日常でも、こうした目が肥え、養われるのではないでしょうか。私達に今、求められているものは人から与えられるものではなく、自分自身で創り出していくことです。またこの感動探しの中から、違った形で皆様にも紹介できたらと思っています。


合格実績の水増し

[2007年08月02日(木曜日)|No.1264]

私立の大阪学芸高校が、合格実績の水増しということで、過日の新聞に取り上げられていました。これは大学入試センタ−試験の結果だけで合否が決まる制度を使って、一人の生徒が学校に頼まれ、延べ73学部・学科全てに合格していたものを学校の実績にあげていたものです。
 
「関関同立」と呼ばれている、関西の有名私立4大学を受験するよう学校から頼まれ、この全ての学部・学科に合格し、学校が受験料の約140万円を負担し、生徒に5万円と腕時計を贈っていたという事実が判明しました。
 
しかも同校は、この4大学の合格者を144人と公表していましたが、実際には半数以上がこの生徒一人の実績で、合格者の実数は33人と言われています。
 
いわゆる”やらせ”のようなものです。ここまでやるかというのが正直な感想です。これだけ、少子化等の影響で、学校を取り巻く環境が厳しくなっているものでしょうが、依然、偏差値等を重視した学歴社会の増長を煽る行為が、学校当局にも存在しているわけです。
 
少子化の影響で、どの大学に入ったかというのが社会的評価の基準になってきた現われなのでしょうが、益々進みつつある格差社会の中で、親が子どもを負け組にしたくないという気持ちを捉えた、学校間競争が激化しているためでしょう。
 
でも本来の教育とは、決してそうしたうわべのものではないはずです。ただ詰め込みの教育で、仮に名門大学に入学できたとしても、それで完結してしまう中味のない学生が少なくありません。大切なのはそれから先のことです。
 
変に中味のない学歴社会を増長するような、このような学校当局の姿勢に猛省を促し、もう少しプライドを持った独自の学校運営に努めてもらいたいと思っています。


横綱の品格

[2007年08月01日(水曜日)|No.1263]

この人にとっては、横綱になった時からずっと言われ続けていることですが、またまた品格を問われる事が発生してしまいました。腰の疲労骨折等全治6週間の診断書を出し、巡業を休んでいた朝青龍が母国・モンゴルに帰って、サッカ−に興じているのが報じられたからです。
 
私達から見ても、テレビから伝えられるサッカ−の姿からは、この人本当に腰が悪いのと疑われても仕方がないほど、普段と何も変わらないように感じられたものです。
 
この騒ぎで本人は月曜日に急遽帰国、そして昨日になって慌てて、モンゴル政府から相撲協会に正式に謝罪表明が文書で出る始末です。
 
一方の相撲協会巡業部はもうカンカンで、巡業に出なくてもよいと言い切っているほどです。聞くと元大関・朝潮の親方とも一部不仲説が飛び交っていて、四面楚歌の状態とも思えるものです。
 
こうしたことも、日頃の横綱の無愛想や仏頂面などが影響を及ぼしていることの少なくない要素です。やはり人間、可愛げがなければ駄目です。
 
それでなくても「出る杭は打たれる」との言葉どおり、トップに立ったり著名になると、周囲はその隙を見逃さないものです。ですから今まで以上に、その言動には注意しなければなりません。
 
そういった意味では今回の不祥事も身から出た錆とも言えるものです。横綱・朝青龍に大きな反省と、もう少し人間としての”可愛げ”が求められるものです。