株式会社 アイソー




2008年01月の日記

素敵なお店(その4)

[2008年01月31日(木曜日)|No.1363]

今日は早朝より秦野の方に2箇所、お客様の引き合いがあり出掛けたのですが、お昼はこの五味八珍でいただきました。素敵なお店ですね。私が気に入っているお店の1つです。
 
ごゆっくりどうぞ」このお店では注文した品物を置いて帰るとき、必ずこの言葉を掛けていきます。何とも心地よい響きではないでしょうか。この言葉に反して、お店はいつも混んでいることが多いように思えます。
 
今日も入口で番号札をもらい、少し待ちました。従ってお店の本音としては、どんどん食べてもらい、その回転をよくしたいところでしょうが、そんな素振りは少しも見せず、優しくこの言葉を掛けていきます。
 
私は昔からこの食事のときは、たった一人でも全然苦にならないタイプです。そしてどちらかと言うと一人でも、食事をよく味わって優雅に(価格ではなく気分的に)食べたい方です。
 
ですから「ごゆっくりどうぞ」と言ってもらうと、何となく嬉しくなるものです。そう言えば、近頃食事を提供しているお店で、この「ごゆっくりどうぞ」という言葉を掛ける所は少なくなってきたのではないでしょうか。
 
それから、もっと気にいっているのはランチメニュ−など、とにかく安いですね。ラ−メンと中華風おかずが1品、それにごはんが付いて何と580円(消費税込でも609円)です。豊富なボリュ−ムで嬉しくなりますね。
 
またこのチェ−ン店どこのお店に入っても、店員さんの教育がよくできています。それは上からやらされているというものを感じないからです。1つには「ありがとうございました」や「お待たせ致しました」などの言葉を、語尾までしっかり話していることにも表われています。
 
変に語尾が上がったり、伸ばされたりするのや、しっかり発音していないのも、あまり感じがよくないものです。こうしたわけで、時々は日曜日にも家族で、家内の炊事骨休みも兼ね、訪れているお店です。やはりお店が繁盛しているのは、それなりの理由があるものです。


素敵な日曜日その3

[2008年01月30日(水曜日)|No.1362 ]

久しぶりのコンサ−トに心躍らせながら、会場である富士ロゼシアタ−に向かいました。そのコンサ−トが”さだまさしさん”ともなるといっぱい人が集まるものです。2000人近く入る会場は満員で、ことごとく埋め尽くされていました。
 
見たところ、やはり中年以上の方が多かったでしょうか。”道化師のソネット”という、比較的ポピュラ−な曲で幕を開けたコンサ−トはこの歌はもちろんのこと、まっさんのお喋りがとても素晴らしいものでした。
 
まっさんのトークは事前にとても面白いと聞いてはいましたが、これほどまでとは思っていませんでした。その幾つかをここで紹介したいと思います。
 
まず朝青龍問題について語っていました。なかなか相撲通のように思われたのですが、土俵には女の人を上らせないということに触れ、女の人どころか普段では一切、人を上らせないことを話していました。
 
それは土俵が神そのものであるという理由からです。知らなかったのですが、土俵の中にはお酒とかスルメ、昆布等のいわゆる神へのお供え物が納まっていると言います。従って神棚のようなものなのです。
 
このため国技館でも場所が終わると一旦は取り壊され、新しい場所前にこうしたお供え物を内蔵して、祝詞をあげ、お清めをして作られると言います。それゆえ神聖なものだけに滅多に人を上げないのでしょう。
 
それから横綱についてですが、昔は大関までしかその地位がなく、大関の中から強さはもちろんのこと品格、識見に優れた人を選び、綱を締め始めたのがそのいわれとのことです。
 
また朝青龍がすっぽかした地方巡業については、今では興行の意味合いが強いのですが、元々は普段行けない日本各地に奉納するという意味合いで行われていたものです。
 
それゆえ、綱を締めた横綱は不可欠なのです。ですから、それをすっぽかして母国に帰り、サッカ−に興じるなどとは不届き至極で、とんでもないことなのですと話していました。
 
こうした経緯を面白おかしく話される話術も大したものです。またサ−ビス精神にも富んでいて、ちょうどその時間帯、白鳳−朝青龍の決戦が行われていて、その勝負も見たいがそれを捨てコンサ−トに詰め掛けてくれた観衆に、感謝しながらしっかりとその結果も伝えてくれました。
 
青−白の対決で白が勝ったと知らされたとき、やはり皆からの拍手は一際大きかったものです。他にも新幹線の話や自分の両親のことなど、面白い話がいっぱいありましたが、ここでその全てを紹介できないのが残念です。
 
そんな中で一つだけ、さだまさしさんが1987年から20年間、広島の原爆記念日の8月6日に、長崎で、しかも無料でやり続けたコンサ−トの話は胸を打つものがありました。20年で区切りをつけた後、翌年たった1回、今度は長崎の記念日に広島で行われました。
 
そのとき、8月8,9の2日間、広島のシンボルとも言える広島球場を提供してくれたのです。翌日の10日にプロ野球の2軍戦が行われることから、グランドに釘1本でも落とすわけにはいかない秘話や、大音量でコンサ−トを2日間やり続けても、周囲からの苦情が一切出なかったことにも感謝していました。
 
この方は心の底から優しい人なんだなと感動したものです。コンサ−トの終わりにそのメッセ−ジで以下のように述べていました。「ほんの短い間でいいから、あなたの大切な人の笑顔を思い出して下さい。そしてその笑顔を守るために、あなたに何ができるか考えて下さい。そのために1つでも動いて下さい
 
爽やかなコンサ−トでした。コンサ−トの3776回目には、またこの富士山の地に来てくれるとのことですので楽しみに待ちたいと思います。そしてこの素敵な日曜日、自分にまだ、こうしたワクワク感動する気持ちが残っていて、ちょっぴり胸を撫で下ろした1日でもありました。


素敵な日曜日その2

[2008年01月29日(火曜日)|No.1361]

こうして心地よい思いで帰路についた車中、ラジオを点けると大阪国際女子マラソンを中継していました。聞くと今回マラソン初出場の福士加代子さんが序盤、2位以下に大きく水を開けて独走態勢です。
 
この福士さん、トラックでは3000m,5000mの日本記録を持ち、抜群の強さを誇っていますが、ハ−フマラソンでもその記録を持っていることを知りました。
 
それだけに北京五輪の出場権のかかる、この大会には初出場と言えども、大きな期待が掛かっていました。このまま福士選手の独走で、名古屋を走るQちゃんにとっては強力なライバルになったと、先回りしてその想いを巡らしていたところ、大阪城を抜ける30km手前付近で異変が起きたのです。
 
急にペ−スダウンし、とうとう35km手前で、一時600mもの大差がついていた2位以下の選手に追いつかれ、どんどんとその後、後退してしまったのです。
 
やはりマラソンは30km過ぎからが勝負と言われているとおりの結果となってしまいました。少し残念に思ったのですが、まだ若いからと思い直し家路を急いだわけです。帰社してトラックを置き、自宅に戻った途端、家内の私を呼ぶ声が聞こえるのです。「早く、早く」と。
 
慌てて家に入ってみると、テレビからこの福士選手が、もがきながらと形容したいくらい、必死に走っている姿が映し出されていたのです。思わず胸が熱くなりました。聞くとこの競技場に入る前に1回、そして競技場内で3回転倒したと言います。
 
後で競技場が見えてから頭の中が真っ白になり、ほとんど憶えていないと言っているくらい、わけも分からず大変な状態で、ただ気力だけで走っていたのでしょう。
 
普通なら棄権するところですが、そこがこの人の違うところではないでしょうか。転んで立ち上がるときも、いつもの福士スマイルを忘れません。この最後まであきらめず、やり抜くといった福士選手の不屈な闘志と精神に、少なからぬ人が感動を覚えたのではないでしょうか。
 
この日にいただいた感動はまだまだ続きます。この後、夕方家内と出掛けたマッサンこと、さだまさしさんのコンサ−トからの報告はまた明日紹介させていただきます。


素敵な日曜日その1

[2008年01月28日(月曜日)|No.1360]

昨日は様々な感動に包まれた素敵な日曜日でした。まずこのところ業務が忙しくなっている関係で、新年になって4日以降、一度も休んでいない社員に休日をとってもらおうと、私が納品と少しの改造仕事を引き受けました。
 
いつも私が出張するときはこの社員がしっかりと出張準備をしてくれます。ですから気がついたもののみ足していけばよいわけで、私は至って楽をさせていただいております。
 
この前日も共に休出で会社に出ていたわけですが、夕方遅くになってからこの準備をしてくれていたのでしょう。現地での仕事は大したものではなく、メインブレ−カと分岐ブレ−カを漏電遮断器(ELB)に交換する仕事です。
 
ところが簡単だからと言って甘く見ていると、えらい目に遭うのが私たちの仕事です。現場の盤は古いため、このブレ−カを取り付けてある中板が鉄板ではなく木板なのです。
 
今この種のブレ−カの取付ネジは、どういうわけか40mmぐらいの長いビスを使用しています。このため木板となると、普通のビスではなく、これに合う長い木ネジを使わなければなりません。ですが長い木ネジとなると、今度は径が太くなるため取付穴に入りません。従って長い木ネジは使用できないのです。
 
こうしてこのままではお手上げだったのですが、PRするわけではないのですが、そこは百戦錬磨のこうした、いろいろな場面に遭遇している社員です。予め取付が木板と知らされていた段階で、しっかりとその対策を練ってくれていたのです。
 
漏電遮断器を直接、木板に取り付けするのではなく、鉄板の取付台を加工してそれに設置してくれていたのです。これなら短い木ネジでその取付台を取り付けすることができるからです。
 
自分が出張に行くわけでもないのに、作業者のことを想定した、こうした優しい心遣いはとても嬉しくなるものです。お陰で何事もなく短時間で作業も終わることができました。やはり、こうした簡単に見える仕事ほど落とし穴が待ち受けているものです。事前での段取り7分とか8分と言われているのがよく解ります。
 
もしこの仕事がこのように順調にいっていなかったら、その後に続く感動もなかったことでしょう。心地よい思いでついた帰り道と帰宅後に味わった感動はまた明日に続きます。


中川球童老師の死

[2008年01月25日(金曜日)|No.1359 ]

少し時間が経ってしまいましたが、毎月2日(最近では行けないことが多くなっていますが)に開かれている座禅修養会で法話をいただいていた、竜澤寺・中川球童老師が昨年末お亡くなりになっていたことを知らされました。
 
去る1月10日の今年初めての修養会で、開催場所である東方寺住職から、この発表がありました。年齢こそ、その発表では80歳とのことでしたが、ずいぶんとお元気だっただけに意外でびっくりさせられたものです。
 
また突然だっただけに、あの人懐っこい笑顔や、楽しい法話がもう聴けないとなると、とても寂しい思いになり残念です。
 
お歳よりずっと若々しい話の感覚や、度々イスラエルやアメリカなどを訪れている関係でずいぶんと国際的でウィットなところにも、もう触れることができないのが惜しまれます。
 
そんなわけですので、偲ぶ意味でも少し老師の語録を振り返ってみたいと思います。
 
言葉はよく練ってから使うこと。願いを叶えるのには努力と辛抱が大切。物は考えよう、心の持ち方しだいである。
 
笑う門には福来る。見る目がない人は他人の評価に左右される。子を持って初めて知る親の恩。健康な体に生んでくれたことにまず感謝。帰る家があることは有難い。
 
人には添ってみよ、馬には乗ってみよ。不平が言えるのは元気な証拠。手のひらはごまかしがきかない。
 
初めから力まないこと、物事は誠実にコンスタントに。力みがとれないといけない。ただこれだけは一歩も譲るわけにはいかないものを持つのは構わない。
 
人のことを言う人は自分も人から言われている。人の口には戸は立たぬ。人が認めてくれたものは本物。人がいるから自分も生かされている。

 
このように、たった一日の法話のメモを見直しても、内容は豊かで広軌に及んでいます。改めてそれに触れ、教えられることが少なくありません。
 
また生老病死、形あるものは必ず壊れるとも言われていた老師自らが、こうしてお亡くなりになることも万物流転の表れで、そこにものの哀れを感じさせられるものです。葬儀は竜澤寺で2月14日に執り行われるとのことです。謹んでそのご冥福をお祈り申し上げます。


スタッドレスタイヤ

[2008年01月24日(木曜日)|No.1358]

スタッドレスタイヤではなぜいけないのでしょう。昨日は前夜から引き続き雪が降っていた関係で、箱根の山間部でもいろいろと道路規制が出ていました。
 
この雪の影響もあることと思って、平塚のお客様に10時訪問との約束をしていたので、いつもより1時間も早く7時半頃会社を出発しました。予め箱根新道の料金所に電話を入れ、チェ−ン規制でないことを確認して出掛けたのですが、箱根の登り口まで来たらラジオでその規制に変わったと聞きました。
 
仕方がないのでまた引き返し、東名で向かうことにしました。途中御殿場辺りはかなり吹雪いていましたが、そこは天下の東名高速、しっかりと雪を払う作業車が先導し、流れは少しゆっくりだったものの交通には何ら支障が出ませんでした。
 
こうしてお客様のところを無事済ませた帰路、雪がまだチラついている箱根を通るかどうか迷ったのですが、電話したところ規制ではないがチェ-ン携行とのことでしたのでそちらに向かいました。
 
そして箱根新道の入口に来た途端、車を停められチェ-ンがあるかどうか聞かれたのです。チェ-ンは持たないがスタッドレスは履いていると説明したのですが受け入れてもらえません。
 
以前その規制のときスタッドレスでも駄目とは聞いていましたが、規制ではなく携行とのことでしたので少し食い下がったのですがやはり駄目です。
 
あきらめてそれから東名に廻るのも少ししんどかったので熱海経由で戻ることにしました。そして向かってすぐ、近くにあった箱根タ−ンパイクの入口には標識が出ていて、眺めるとチェ−ン規制、スタッドタイヤ可とのサインが出ています。
 
これって何なの?と思わせられたものです。冬場、長野などの雪道を走るのには特にこうした規制はありません。当たり前の現象で、チェ-ンやそれ用のタイヤを履いていなければ、とにかく走ることができないからです。
 
こちらでは雪に不慣れなこともあって、そうした規制が出るのでしょう。そしたらなぜスタッドレスがいけないのでしょう。凍っている道などの影響で、チェ-ン規制になっているのでは仕方がないと思いますが、そうでない場合ちょっと首を傾げてしまいます。
 
冬場、名神の関が原辺りを通ることもあると思い、わざわざ用心のため、この時期タイヤを履き替えているものですが、この箱根の対応にはいつも不可解で、考えさせられてしまうものです。


イチロ−選手の凄さ

[2008年01月23日(水曜日)|No.1357]

テレビでイチロ-選手の素顔に近いところを知りました。もっともこれもカメラが廻っているわけですから、まるっきり地のままではないと思いますが、イメ-ジより外れた意外な一面を覗くことができました。
 
まず野球をしているときと普段では全然違うように思えました。ずいぶんとお茶目だし、賑やかで饒舌にもなります。また食事など、イメ-ジ的にはしっかりと体を気遣った管理をしているものと思っていましたが、そうではなく、好きなものを好きなときに毎日でも食べているとのことで意外でした。
 
ですからどちらかと言うと、野球をしている時はよそゆきな姿なのです。本人もユニフォ-ムを着るときは違った自分でありたいと述べています。お正月に料理を自分で作る番組にも出ていましたが、こうした茶目っ気いっぱいなところが本来の姿かもしれません。
 
そうしてみると、素顔とは違って野球を究めるために打ち込み、また違った自分に追い込んでいる姿はとても真似できないものと、強く感じました。これを本人が「自分に厳しいものだけが自分を貫ける」と述べています。
 
また今日があるのも仰木監督との出会いのお陰だと、感謝の気持ちも忘れていません。当時その独特な打法を変にいじらず、才能を見出し抜擢してくれたからです。
 
インタビュ−の中で、「変なおっさんだな」という形容をしていましたが、気持ちの面でもずいぶん救われたという逸話を述べていました。それは負けた試合後バスの中で、皆が沈んでいるので同じように沈んでいたら、「お前は二塁打1本打っているのだから、もっと喜べよ」と語り掛けてくれたというエピソ−ドです。
 
また重圧には弱い人間だと認めています。過去7年連続200本安打達成の過程で、このことは何度も取り上げられていることでもあります。2006年までだったら、その途端、脈が変わり、何度も逃げ出したくなったと言っているほどです。
 
それが昨年を境に変わったとのことです。重圧を受け入れ、前に進むことができる何かを掴んだのです。「プロ野球入団当時、めざしていたのはまず人に勝つということ、それが敵は自分の中にいるに変わり、ようやく今、自分とも戦い敵とも戦うという気持ちになった」と言い切っています。
 
2007年度に掴んだものに手応えがあったのでしょう。揺るぎない自信さえ感じさせられます。こうなると8年連続の大リ-グ新記録をめざす今年が本当に楽しみになります。
 
そして最後に4割は不可能な数字ではないと言い切っていました。でもイチロ−選手ならではのものを感じたのが次の言葉です。「夢は4割を打って50歳で引退すること」いやはや何とも凄いものです。今年の活躍が益々楽しみになりました。
 


金の成る木

[2008年01月22日(火曜日)|No.1356]


正月の5日に、家内も行ったことがないということから、久能山東照宮に行ってまいりました。ご存知、徳川幕府を開いた家康公を祭っていることで知られている所です。
 
下の茶店ならず土産物屋に車を置き、本殿まで1159段とも言われている石段を登っていきます。途中、徳川家の支配下以前、武田信玄がこの久能城を築城したことから、その軍師である山本勘介が掘ったと言われる井戸も見られます。
 
こうして登り詰めた本殿の、更にその奥に神廟と呼ばれる、遺体が埋葬された場所があります。しかしそれは翌年2代将軍、秀忠により日光へと移されたとも言われています。
 
この神廟のすぐ脇に「金の成る木」なるものがそびえ立っています。私たちが知るその木は、ずいぶんと増え続けることで知られている、その葉が少し弾力性のあるものですが、ここで言うところの「金の成る木」は杉の大樹のことです。
 

 
3代将軍、家光公によって植樹され、樹齢350年にもなると言われます。置かれている看板のいわれを読むと次のように書かれています。
 
家康公は「金の成る木」ものを次の3つの木に例えています。「よろず程のよ木」「志ひふかき(慈悲深き)」「志やうぢ木(正直)」の3つを指して、これを常々信用すれば必ず富貴を得られようと述べたとのことです。
 
後に、細川忠興公がこれに左右の枝をと添えて、次なるものを付け加えています。
 
「あさお木(朝起き)」 「いさぎよ木(潔き)」 「志んぼうつよ木(辛抱強き)」 「ゆだんな木(油断なき)」 「ようじょうよ木(養生良き)」 「かないむつまじ木(家内睦まじき)」
 
どれも欠くことのできない要素ではないでしょうか。とんとお金には縁がない私ですが、人間としての徳を積み重ねるためにも、参考にすべきだと自分に言い聞かせたしだいです。


食べ残し

[2008年01月21日(月曜日)|No.1355]

昨日の男子都道府県対抗駅伝は広島で行われましたが、小雪がちらつくようなお天気でした。東京でも少し雪が降ったのでしょうか、本当に寒い毎日が続いています。
 
さてラジオからですが、子ども達の給食の食べ残しがあまりにも多いと聞きました。調べでは東京都が供給する給食の食べ残しの量が何と7000t、そのうち7割がゴミとなるそうです。
 
また子ども達にアンケ-トを採ってみても、その9割以上が食べ残しの経験があると言われています。何とも考えさせられてしまう問題です。
 
というのも、現在の日本は食料自給率が40%をも切るような状況だからです。この給食に限らず、今の風潮は自分の好きなものだけを食べるという傾向が強く見られます。
 
私たちのことを言っても、とても今の人たちには受け入れられないことと思いますが、かつては少しでも食べ残しがあったりすると、目がつぶれると、祖母達からたしなめられたものです。
 
それゆえ自分が箸をつけたものに関しては残せなかったものです。その少年期の体験があるせいか、未だに宴会等に出ても自分の割り当て分については、全て平らげてしまうところが残っているかもしれません。
 
この給食の問題も、究めればやはり家庭での躾に尽きるでしょう。好き嫌いはもちろん、幼児期からの育てられ方にあるのではないでしょうか。もっとも親自身が子ども達のよい手本になっているかを問われれば、いささかその懸念も少なくないことですが...
 
でも地球環境問題同様に、自分たちの撒き散らかしたものはそのツケとして、必ず自分のところに返ってくるものです。美食飽食のツケはこの先何年後かに、食糧危機問題として必ず日本に訪れるのではないでしょうか。
 
何度も採り上げる問題ですが、地球の裏側では毎日の食糧すら十分確保できない地が少なくないからです。一方では大量のゴミとして放出し、また反対側では食べものに事欠き餓死しているのでは、あまりにも不公平というものではないでしょうか。
 
一部の学校では既に、この食糧生産者の思いを伝える活動が始められているそうです。人間の食べ残しを豚が食べ、この豚からソ−セ−ジ等ができる過程を見学させたり、生きている豚の心臓の音を聞かせ、こうした命の恵みを知ってもらうのです。
 
何年か先、そのツケが出てくることを決して願うわけではありませんが、命の恵みをいただいていることに、少しでも多くの人たちが気づき、改善していかなければいけない必要をつぶさに感じているものです。


インフルエンザ

[2008年01月18日(金曜日)|No.1354]

このところ寒い日が続いています。その前が春を思わせるような小春日和だっただけに、体調を崩される方もいるのではないかと思われます。くれぐれもご自愛下さい。
 
言ってみれば今の気温等が普通なのでしょうね。地球温暖化の影響がやはりあるのでしょうが、近年不規則な天候が続くのも心配されるところです。
 
この寒さですが、北海道・旭川では−33℃を記録したと伝えられています。今朝も一番で平塚まで納品に出掛けたのですが、往きの箱根山頂はまだ気にならなかったものの、帰りの9時頃では雪が降り出していて除雪車までちょうど出発するところでした。
 
気温は−4℃、車のヒ−タ−をかけていても弱では寒く感ずるほどの凍てつきでした。もう少し時間を置いていたらチェ−ン規制にもなるように思われ、やはり早起きは3文の徳とも感じられたものです。
 
さてこの寒い冬にはインフルエンザがその勢いを増すものです。我が地方ではいち早く、昨年12月くらいから一部の学級閉鎖など見られたほど、猛威を振るわんとしているような状態です。
 
このインフルエンザについて、先日NHKスペシャルでその脅威を取り上げていました。通常のインフルエンザはタミフル等の特効薬があるものの、鳥インフルエンザなどの新型インフルエンザがもし人間に感染したらという想定で、初日のドラマ仕立てと併せ、2日間にわたり伝えていました。
 
結構恐ろしい気持ちにさせられました。ドラマは大袈裟に仕立てられていて、特効薬がなく人間がバタバタと死んでいく有様を描いていましたが、人から人へと感染した実例が実際にインドネシアなどで既に起こっていると言われています。
 
エイズとかこの新型インフルエンザなど、まだ治療薬が開発されない、こうした難病がもし周囲に蔓延したらと思うとぞっとさせられてしまいます。
 
人類が自ら撒いたツケだと言ってしまえば、それで二の句が告げないものですが、私たちの亡き後の子々孫々のことまで考えたら由々しき問題です。やはり心がけなければいけないのは、少しでも私たちが地球環境に配慮しながら生きていくことではないでしょうか。
 


朝青龍

[2008年01月16日(水曜日)|No.1353]

朝青龍が3場所ぶりに出場するとあって、今場所は連日満員大入りのようです。これも日本人の物好きさが手伝っていることのように思えます。
 
ご存知のとおり、7月場所で優勝した後、腰痛療養とのことで巡業にも不参加で、モンゴルに帰郷しているときに例のサッカ-に興じていたことで、2場所出場停止となりました。
 
その後様々な話題のやり玉に挙げられていましたが、ようやくこの本業に戻ったわけです。国技館は若貴以来の盛り上がりを見せていると言います。
 
でもこれも久しぶりに復帰した朝青龍の、以前のように憎らしいほどの圧倒的な強さを期待する人より、こんなはずじゃなかったと、久しぶりの相撲にあたふたする姿を求めている人のほうが多いのではないでしょうか。
 
例によって、場所前は以前より十分稽古を積んだとは言えないように聞いています。日本人の判官びいきなところから、ひたむきに精進し、復活を遂げるならまだしも、以前のようなマイペ-スな姿で挑んで勝てるわけがないと、人々の間ではそんなことを半ば期待しているような気持ちもあるのではないでしょうか。
 
それが少し証明されたのが、2日目の稀勢の里戦です。日本人の若手のホ−プに完敗したのです。いつもなら逆なのですが、朝青龍が土俵下にたたきつけられるように突き落とされたのです。
 
この姿を喜んだ人は少なくないはずです。あの横綱が土俵下にたたきつけられるなんて、滅多に見られるものではありません。それゆえに心ある相撲ファンの中にも、相撲をそんなに甘く見るなという気持ちが少なからず潜んでいるように思えたものです。
 
さて3日目を終わり2勝1敗でスタ-トしましたが、この先どうなるのでしょうか。今日の取り組みは今どんどん地力をつけている、やはり若手のホ−プ、豪栄道との対決です。
 
稀勢の里同様、思い切った相撲が期待されているところです。でも面白いもので、朝青龍憎しと騒がれていても、相撲人気が今場所同様その朝青龍に頼っているというのも皮肉なものです。従って稀勢の里や豪栄道など、活きの良い日本人若手力士の台頭が何よりも望まれているものです。
 
明日17日は会社不在のため、カキコミは休ませていただきます。


ちょっと良い話part26

[2008年01月15日(火曜日)|No.1352]

ちょっと年配の方でないと分からないかもしれませんが、昔「雨のバラ−ド」などのヒット曲を出した歌手の湯原昌幸さんという方がいます。この人の奥さんは荒木由美子さんと言って、やはり美人のタレントさんでした。
 
結婚を機に、この荒木さんは芸能界を引退したのですが、何と結婚後2週間で湯原さんの母親(荒木さんからは義母)が病気で倒れてしまいました。従って二人は新婚旅行にも行けなかったと言います。
 
それから20年間の長きにわたって、荒木さんはこの義母の介護に務めました。来る日も来る日も毎日、病院通いです。そして今、その時代を振り返り、請われて介護生活の厳しさや乗り切る方法等の講演活動を行っているそうです。
 
その中で語ったことと思われますが、20年もの長い間続けることができた訳を聞きました。どうして続けることができたのでしょうか。聞くまで全くその訳が分からなかった私ですが、その理由を知って胸が熱くなりました。
 
ご主人である湯原昌幸さんの、奥さんへの労わりの言葉だったのです。それも毎日欠かすことなく、荒木さんの母への介護に対し、「ありがとう」と「感謝」の言葉を言い続けていたそうです。この優しい気持ちが挫けそうになりそうな自分の気持ちを、いつも支えてくれたと言います。
 
以前、幸福をもたらすツキを呼ぶ言葉として、この欄でも取り上げたことのある、五日市剛さんが指摘している「ありがとう」と「感謝」の言葉なのです。
 
お恥ずかしい話なのですが、認知症にかかっている私の母親も夕方になると毎日、ここが自分の家なのに家に帰りたいと騒ぎ出します。ほとんど毎日繰り返される、その様子に、父親やたまにしか家にいない私は我慢ができなくなって、つい怒り出してしまいます。
 
それを家内は辛抱強く、同じことを毎日本人に言い聞かせています。私たちには「病気だからしょうがないでしょう」と言って。この務めてくれている姿にいつも頭が下がります。
 
荒木さんのことを教えてくれたのは、他でもないこの家内なのです。彼女の言葉の言外に、内心で感謝していても口に出さなければそれが伝わらない、また言葉に出してくれるから次にまた繋がることができると言われているような気がしました。
 
ちょっと恥ずかしいのですが、今年は気持ちを言葉に代えて少しでも伝えるよう、心がけていきたいと思っています。やはり、「ありがとう」と「感謝」の言葉は不可欠です。


マラソンから銭湯ブ−ム

[2008年01月11日(金曜日)|No.1351]

風が吹けば桶屋が儲かるではないのですが、マラソンからちょっとした銭湯ブ−ムが起こっているという話を聞きました。
 
近年、マラソンやジョギングに精出している人たちは少ない数ではありません。私の周囲にも洞爺湖100kmマラソンを完走したという方や、この春の静岡市で行われる駿府マラソンへの出場を早々に決めたという方がいます。
 
かつてはこの駿府マラソン(と言っても5kmの部ですが)に2度ほど出場したことのある私ですが、周囲のこうした動きにちょっぴり刺激がないわけでもありません。
 
この5kmの部ですが、やはり制限時間があり、それをオ−バ−するとタイムを録ってくれません。私が出た、かつては確か30分が制限時間だったのですが、今では40分に延びたようです。それだけ広範囲な層に出場が及んでいるということでしょうか。
 
さて余分なことを申し上げました。ご存知かもしれませんが、東京の皇居周辺ではこのマラソンに備えようと、多くの方々が練習を繰り返しています。昨年から始まり、大勢のランナ-を集めた東京マラソンも、今年は来る2月17日に開催されます。
 
そんな影響もあるのでしょうか、大勢の方々が周辺道路には見かけられると言います。そして中にはわざわざ電車等の交通手段を使ってまで駆けつけると言われています。
 
そうした方々にとってちょっと不便なのは、着替えや荷物の保管です。そこで目をつけたのが周辺に存在する銭湯です。予め着替えた荷物をそのロッカ-に保管してもらい、練習を終えてからのんびりと銭湯に浸かり、綺麗な体で家路に向かえればこんなによいことはありません。
 
幸い銭湯の経営者もうるさいことは一切言わず、快く受け入れてくれたとのことです。こうしたことから噂が噂を呼び、一人またひとりと増えていって、今では多くのランナ-がこの銭湯を訪れているそうです。
 
元々お客が少なくなって経営的に少し頭を抱えていた銭湯の方も、これにより少し息を吹き返しているとのことです。ランナ-も銭湯側もお互い良ければこんなによいことはありません。やはりお客様の要求にフレキシブルに応えていくことが必要で、何が幸いとなるか判らないものです。


中国の教育事情

[2008年01月10日(木曜日)|No.1350]

お正月にNHKスペシャルで、中国の子ども達の教育事情を描いた番組を見ました。私にとってはかなり衝撃的なものでした。
 
日本でも今、実施されている教育に決して不満を持たないわけではないのですが、中国のその様子には日本以上のものを感じ、この先の不安を少なからず感じさせられるものでした。
 
というのは小学生の段階で、宿題付けの毎日で、勉強、勉強の一点張りの様子なのです。そして何よりもそれに一番力を入れているのが子ども達よりむしろ親の方なのです。
 
何家族か、自宅までカメラが入り込んでその実態を紹介していましたが、どこも当初務めていた職場をリストラされた親達が自分のようになって欲しくないと、高学歴をつけようと必死に子ども達の尻を叩いていました。
 
今の中国ではこのリストラで職場を追われるケ-スが多いらしく、それを防ぐには名門の大学卒の肩書きを持つしかないと言われています。従ってただ大学を出ただけでは当てはまらず、名のある大学でなければ身分が保障されないようです。
 
従って親達はやっきになって、小さな時から進学しやすい学校に進ませようとします。また子ども達の間でも学校生活の中で、学級委員等をはじめ、クラスの中でイニシアティブを取れるか取れないかはこの成績が全てを左右します。
 
こうした中である問題が起こりました。成績の良い子達の1グル-プがある日、当番の掃除をしないで帰宅してしまったのです。理由は早く家に帰らないと宿題も片付けることができないし、夜遅くまで勉強しなければいけない関係で、眠る時間が少なくなるという理由からです。
 
教師は厳しくこのことをたしなめました。そして子ども達が抱えている問題を、親を呼んで話し合う中から真剣に考えていきます。
 
こうした実態はこの国が採っている、一人っ子政策が起因しているように思えました。子どもが一人しかいないと必要以上に期待を掛け過ぎることになるからです。
 
このように何よりも成績が全てというように育てられた人たちだけで、トップを占める社会がどんどんと形成されていったら果たしてこの国はどうなるのでしょうか。それでなくても画一的な国だけに、この先少なからず危惧を覚えるものです。
 
やはり知育・徳育・体育と言われる、バランスのとれた教育が望まれるものです。番組の中で唯一の救いは、人間にとって大切なものは決して成績だけではないと、奮闘していた女性教師の存在です。心身ともに、人間としてその骨格が形成されていくまでの段階では、改めてこの教師の存在の大切さを感じさせていただきました。


たすきの重み

[2008年01月09日(水曜日)|No.1349]

今年の箱根駅伝の波乱はまだ人々の記憶に新しいのではないでしょうか。何しろ昨年の覇者である順大が、往路の最後の区間である5区で沈没してしまったからです。
 
それも残り500mのところで、フラフラとなる脱水症状を起こしてしまい、ついには動けなくなって棄権してしまったのです。でもたすきの重みというものでしょうか、動けなくなってもまだ必死に走ろうと、もがくその姿に熱いものを覚えてしまいました。
 
昨年はこの5区に、山登りのスペシャリスト・今井選手がいたのですね。その区間新となる劇走のお陰で順天大がトップに立ち、見事往路のみならず総合優勝まで飾ったのです。
 
それが今年は残りほんの僅かのところで棄権せざるを得なくなるなんて、誰が予想できたでしょうか。全く何が起こるか判らないのが、この競技の魅力と言えるかもしれません。
 
また全て個人で取り仕切るところのマラソンと違い、この駅伝というのはそれぞれの好不調に関わらず、失敗が全く許されないのも大変なところです。
 
野球などでは不調なら途中から代打ということもありますが、駅伝では蓋を開けてしまったら、もう変更がききません。それゆえに余計このたすきの重圧がかかるのではないでしょうか。
 
今年はこの他にも復路で東海大と大東文化大がやはり棄権となってしまいました。両校ともコ-チが必死になって止めようとするものの、最後まで走り抜こうとする姿や、無念にも棄権せざるなくなり泣き崩れるその様子に、こちらまで胸が熱くなったほどです。
 
この史上最多の棄権による影響は少なからず来年以降あるものと思われます。一部にはこの過酷な箱根駅伝の影響で、有望なマラソン選手の寿命を短くさせるとも言われています。
 
でもすっかりメジャ-となり、正月の風物詩となったこの箱根駅伝、いつまでもその爽やかな感動を私たちに届けてもらいたいものです。


表札

[2008年01月08日(火曜日)|No.1348]

やっぱり年賀状は昨年の暮れ、29日いっぱい掛かってしまいました。でも無事終わると何とも言えない安堵感が湧くものです。
 
県外、県内、市内にそれぞれ分け、郵便局の本局まで届けるのが、ここ何年もの恒例になってしまいましたが、投函する時はとても心地よいものです。遅まきながら近くのポストではなく、わざわざ本局まで持っていくのは少しでも早く届けたいという、せめてもの気持ちの表れなのでしょうか.
 
この年賀状ですが、全国では20億通を超える数に上ったと言われています。大したものです。1億数千万の人が一人20通平均で出したと思われる数です。と言っても乳幼児等は含みませんから、結構馬鹿にした数ではありません。
 
日頃の筆不精をせめて年一回でも改める、良い機会とも言えるものではないでしょうか。やはりメ-ルにはない新年の清々しい香りというか、日本古来からの情緒が感じられて欠くことができないもののように思われます。
 
さてこの年賀状の配達なのですが、郵便局は思いのほか苦労があるようです。というのは近年、表札を出さない家が増えているからです。
 
届ける人にとっては、全てこの住所の番地や表札が頼りです。同じ番地でも複数のお宅が含まれるものも少なくありません。それからマンションやアパ-トでは尚更のことです。
 
これも近頃はやりの個人情報保護法とかいうものの仕業なのでしょうか。電話帳にも名前を載せない人が増えていると言います。私たちがとても気がつかないところにまで、いたずらや迷惑行為が増えているからでしょうか。
 
何とも寂しいものです。家は他のものと違って、一生の間で何度も作れるものではありません。それゆえに私の住んでいる家、私が作った家と堂々と誇れるもののはずです。
 
この表札がある意味で今の時代を象徴しているようにも思えます。他人よりまず自分ありきの風潮の仕業です。そうではなく、自分が今日あるのは周囲のお陰、また皆に支えられているから、毎日明るく豊かに生きていくことができると思えないものでしょうか。
 
そんなわけで郵便配達も困っているわけですから、昔のように胸を張って表札を出すことのできる、当たり前の世の中に早く戻りたいと願っています。


あけましておめでとうございます

[2008年01月07日(月曜日)|No.1347]

あけましておめでとうございます。
 
素敵なお正月を送られたことと思います。お天気も良く、穏やかなお正月で、今年を占うかのような日和にも思えたのですが、さて幕を開けてみてどうでしょうか。
 
長男が3日早々に大阪に戻るとのことでしたので、大阪まで送りがてら奈良まで足を延ばし、薬師寺に初詣に行ってまいりました。
 
ご存知、高田 好胤先生が以前管主を務めていたことからも知られるお寺ですが、広大な敷地に落ち着いた雰囲気と飛鳥の風情が漂う、行ってみて良かったと本当に思わせられたお寺でした。
 
現管主・安田 暎胤さんの法話には時間がありすぎてお聴きすることができませんでしたが、境内の数箇所で録事と呼ばれる若い僧侶のお話を少し聴くことができました。
 
それによると、元々このお寺は普通の寺のように檀家を一切持たない関係で、葬儀等の定期収入がないため、維持管理は全て寄進に頼らなければならないとのことです。
 
そして写経を始めたのもこのお寺が元祖とのお話で、納められた写経は全て薬師寺内のいずれかの建物に保管されているとのことです。この写経を納める供養料により、ほとんど建物の維持管理や改築が為されていると言ってよいかもしれません。

 

お経を見る事には非常に大きな功徳があり、また、声に出して読むと更に大きな功徳があり、更には書き写す事で非常に大きな功徳があると言われています。
 
またお経を一文字一文字心をこめて書き写すのは仏像一体一体を刻む事と同じ事で、どんな人々にも本来清浄な心があり、自らの手でお経を書写することにより悟りを開くのが写経の最大の功徳であるとのことです。私ももう少し心に余裕が出てきたら、是非始めてみたいと思ったものです。
 
また境内一番奥には日本画の大家・平山郁夫画伯が30年もの長い間かけて描いたという、大唐西域壁画がこの時期のみ特別に公開されていました。
 
いやはや素晴らしいものです。この絵だけ眺めても来た甲斐があったというものです。中国やインドに渡り、その幻想かつ広大な景色から、自分の力以上に増幅されるものがあったのではないでしょうか。
 
こんなわけで帰り道、Uタ−ンラッシュにちょっと引っ掛かったものの、そんなことも少しも苦にならないほど、久しぶりに家族揃っての小旅行は十分満喫させられるものでした。少しでも功徳を積み重ねることができたらと願っています。本年もよろしくお願い申し上げます。