株式会社 アイソー




2008年07月の日記

白隠禅師座禅和讃その2

[2008年07月31日(木曜日)|No.1468]

7月も今日で終わりです。昨日少し雨が降って、埃っぽかった辺りが潤いましたが、依然として暑い毎日が続いています。弊社も今期が始まってもう2ヶ月経ちました。あまり幸先よいスタ−トは切れませんでしたが、月が替わって気分新たに、目標に向かって取り組みたいと思っています。
 
さて久しぶりに、白隠禅師が説かれた座禅和讃から学んでみたいと思います。
 
たとえば水の中に居て  渇(かつ)を叫ぶが如くなり
 
長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
 
六趣輪廻の因縁は    己が愚痴の闇路なり
 
闇路に闇路を踏みそえて  いつか生死を離るべき
 
夫(そ)れ摩訶(まか)えんの禅定は  称嘆(しょうたん)するに余りあり
 
布施(ふせ)や持戒(じかい)の諸波羅蜜(しょはらみつ)
 
念仏懺悔(ざんげ)修行等
 
其品多き諸善行
 
皆この中(うち)に帰するなり

 
 
私たちのような煩悩を捨てきれない人は、例えて言うなら水の中に
いて水が欲しい、水が欲しいと、渇を叫んでいるようなものである
 
それは長者(金持ち)の家の子として生まれたにもかかわらず、
その家を出て貧しい物乞いの生活をしているようなものである
 
六趣輪廻(六道輪廻)という六つの迷いのはじまり、因縁は
自らの無知、迷いからきており、闇をさ迷わせているのである
 
そのような無明の闇路を歩き続けていては
いつまで経っても、迷いから離れることはできない

 
大乗(成仏の教義を説く仏法)の教え、まことに偉大な禅定(心を一つに集中して安定した状態)
という大きな船(悟りへ導く大きな船)は褒め称えてやまない
 
布施や持戒などの波羅蜜(迷いの世界から悟りの世界へ渡る)
真の念仏、懺悔(清浄なる自己に立ち返ること)
 
その他にも仏教には様々な修行がありますが
それらは皆、この中(摩訶(まか)えんの禅定)に帰するのである
 
という解説なのですが、難しくてよく解らないところもあります。要は六波羅蜜として挙げている下記の6つの事項や念仏、懺悔等が、悟りを開き浄土への近道ということだと思います。当たり前の話ですが、私たち凡人が極めるのにはやはり難しいものです。
 
① 布施(人に与えること。ほどこし)  ② 持戒(いましめを守ること)  ③ 忍辱(耐え忍ぶこと)  ④ 精進(善い行いをし、悪を断つ修行)  
⑤ 禅定(心を静める、座禅で悟る)  ⑥ 智慧(仏になる智慧)


夏の高校野球全国選手権大会始まる

[2008年07月30日(水曜日)|No.1467]

いよいよ今週の土曜日、2日から夏の高校野球全国選手権大会が始まります。今年は北京五輪のNHK放送の関係でその時期が早まったようです。
 
例年なら各県代表チ−ムが事前に甲子園練習の予定があるのですが、日程的に詰められていることから、施設見学ということに変わり、昨日から45分間ぐらい各チ−ム始まったようです。
 
でも今大会は記念の90回大会です。従って東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、北海道、千葉、埼玉などがそれぞれ2地区に分かれて代表チ−ムを送り込んでいます。強豪ひしめくこの55校の戦いは、やはり息詰まる熱戦が展開され、目が離せなくなるのではないでしょうか。
 
さて我が静岡県ではやはり常葉菊川高が勝ち上がりました。3回戦でチ−ムをこの目で見て、一番余裕があるように思いました。決勝戦ではそれまで猛打を振るってきた静岡高を全然寄せつけませんでした。
 
これで春夏、甲子園4季連続出場となり、県では戦後初めてとのことです。さすが、見事な戦いぶりでした。こうなると、たらればの話を今更しても仕方がありませんが、もし我が沼津東高が3回戦で、戸狩くんの出番をもう少し遅らせていたらと思うと、とんだ番狂わせが起き、この常葉菊川の出場はなかったかもしれません。
 
その後のこのチ−ムの快進撃や試合ぶりからしても、唯一危なかったと言える試合ではなかったかと思われます。今朝の新聞にも、常葉菊川は軟投派の投手には苦戦すると書いてありました。まさにそのとおりの展開であり、我が母校の善戦は褒められるものではなかったでしょうか。
 
でも何といっても、こうした実力のあるチ−ムが甲子園に出た方が期待を持てるというものです。エ−スの戸狩くんがとにかく安定しています。おそらく左打者はあの打ちにくいカ−ブやスライダ−には苦戦するのではないかと思われます。初戦で当たる福知山成美(京都)は難敵ですが、これに勝てば順調に駒を進めるのではないでしょうか。
 
とにかくこの常葉菊川高のお陰で、一時期下がっていた静岡県の野球レベルをまた上げてくれました。4季連続ですから甲子園もすっかり自分の庭のように振舞えることでしょう。またこのチ−ム独特の、こせこせしない、のびのび野球を是非見せてもらいたいものです。


そうめん

[2008年07月29日(火曜日)|No.1466]

先月、三輪そうめんの老舗メーカーによる賞味期限の改ざんが発覚しました。販売先からの返品の品物に賞味期限を書き換えて出荷していたとのことです。牛肉、鶏肉、うなぎ、お菓子等々偽装はとどまるところをしらず、繰り返されていますが、そうめんお前もかといった感じです。
 
でもそうめんの場合、ちょっとニュアンスが違うみたいです。業界では“そうめんは古ければ古いほど旨い”と言われているらしいのです。それでは家庭に眠っているそうめんがお宝かと言うと、それも違うらしいのです。
 
専門家によると、メーカーが管理しているそうめんは、古ければ古いほどということではなく、2〜3年ものがおいしいといわれています。ですから家庭で何年も眠っているそうめんが、決してうまいわけではありません。
 
それではなぜおいしいのか、ということになりますと、以下の理由を挙げています。
 
材料として大概使われている中力粉には、製造工程で水分が含まれます。それが長期間熟成されることによって、水気が抜けて固くなり、めんの歯ごたえや喉ごしが良くなるんです。業界では製めんして1年経たないものを『新』、2年物を『古』、3年物は『大古』と呼んでいて、『大古』などはお中元用として高級品扱いされています。
 
ビンテージワインならぬ、ビンテージそうめんです。ただ、これはメーカーの厳密な温度・湿度管理のなせる技。一般家庭の保存状態ではうまく乾燥しないので、新しいものでもメーカーの定めた概ね2年の賞味期限のうちに食べてほしいとか。もちろん大古も1年半ほどの賞味期限が設定されているそうです。

 
またどうせ食べるならおいしく頂きたいものです。おいしく食べるには「ゆで上がったら氷水に入れて一気に冷やし、旨みを凝縮すること。風味が逃げるので温かいうちは手で触れないように」とのことです。
 
私どももお世話になっている方々にはこの時期、そうめんをお届けしています。家内の実家がその名産地としても知られている小豆島だからです。個人で営んでいる、そんなに大きくない、そうめんやさんなのですが、ここのそうめんが格別おいしいのです。
 
島の中でもそうめんの製法は千差万別なのでしょう。ですから一概に全てがおいしいというわけではないかもしれませんが、手前味噌ながら、私どもが毎年送っていただくこのお店のそうめんには満足しています。
 
毎日、猛暑が続きます。やはり、このようなときに、さっぱりとしたそうめんがいいですね。この暑さに負けないよう、くれぐれもご自愛下さい。
 


夏祭りクリ−ン作戦

[2008年07月28日(月曜日)|No.1465]

この土曜日、日曜日の2日間は地元・沼津市の夏祭りでした。夜の狩野川花火大会をメインに近隣の市町村からも多くの人たちが訪れます。今年は運良く雨に見舞われることもなく、つつがなく祭りは進められていました。
 
兵どもの夢の跡ではないのですが、この夜祭りで出るゴミも半端ではありません。市民の手で実施されている夏祭りクリ−ン作戦に初めて参加しました。
 
27日(日)の早朝、4時45分中央公園に集合して、5時から約1時間ほど行われるものです。私も数年前からその存在を知っていたものの、恥ずかしながら参加は今回が初めてのものでした。
 
今年こそ出てやるぞと、前夜目覚ましを4時にセットし、家を自転車で出たのは4時20分でした。まだ辺りは薄暗い時間帯です。それでも早朝の頬を撫でる風が心地よく、いったいどんな人たちがでているのだろうかと、興味と期待半々にペダルを漕ぎ、目的地に向かったのです。
 
会場に着くと既に大勢の人たちが詰め掛けていました。地元商店街の人々、ロ−タリ−クラブの面々、フレッシュ沼津の方々、そして市役所商工振興課の次長はじめ関係者等、顔見知りのメンバ−も少なくありません。そしてPTA時代の息の合った私たち仲間(育和会)も、もちろんです。
 
主催者の話によると、参加者は700人ぐらいに及ぶのではないかと話されていました。また小中学生などの学生さんは280人ぐらい受付での登録があったそうです。全てボランティアだけに嬉しいことです。
 
主催者からの説明の後、ビニ−ル袋を手渡され、さあいよいよクリ−ン作戦実施です。駅前から永代橋入口にかけての大通りを手分けして取り掛かるのです。この道路には前夜の余韻なのでしょう、何とも言えない食べ物の悪臭が漂います。
 
きっと捨てられていた多くの串などに付着していた臭いなのでしょう。でも多くの人たちの力は凄いものです。あっという間に、見る見るうちにどんどん綺麗になっていくのです。
 
こうして1時間も経たないうちに、道路はすっかり元の状態を取り戻すことができました。収集したゴミ袋を手に提げ、元の中央公園に戻ってさらにビックリさせられました。その収集したごみの多さにです。
 
でも、とかくその将来を不安視されている我が街ですが、ある意味では安心させられたものでした。これだけの人たちがこうしたボランティア活動に参加していることを知ったからです。今回でこのクリ−ン作戦も18回目を迎えたと聞きます。
 
おそらく中には18回全部参加している人もいるかもしれません。「ゴミを拾う人には捨てる人なし」とも言われています。それだけに我が街・沼津市の将来も、決して悲観するばかりのものではないと教えられたものです。
 
この参加者に配られたお茶の缶飲料を口にしながら、家に戻る自転車での帰り道は、来たときよりずっと爽快だったのはもちろん言うまでもありません。


ちょっと良い話part33

[2008年07月25日(金曜日)|No.1464]

岩手地方がまた大きな地震に襲われました。来る来ると言われて、なかなか来ない我が地域を避けているようにも思えますが、来てもらっても困るし、だからと言って他の地域の少なくない被害を目のあたりにすると、すごく複雑な思いに駆られます。被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
 
人は見かけによって判断するものではない、というちょっと良い話を紹介します。
 
20年も前の話です。当時、母は62歳、孫と二人で最寄り駅まで出掛ける途中で雨に降られたのです。大きな荷物を片手に、さらに片手には5歳の孫の手を引いて、途方に暮れていたときのことです。
 
通りかかる車もなく頭からずぶ濡れになり、泣き始めた孫をかばいながらタクシ−を探していると、大型トラックが止まり、見るからに怖そうな運転手が「ばあちゃん、どこまで行くの」と声をかけてきました。
 
「早く乗れ、そんな所に立ってると二人とも風邪ひくぞ」と母の荷物に手をかけ、孫を抱きあげたそうです。そのとっさの行動に驚いた母は「タクシ−を拾うから」と断ったのですが、「こんな所でタクシ−が止まるものか」と、強引に引き上げられたそうです。
 
車中では孫にタオルを貸してくれたりアメをくれたりと、駅までとてもやさしくしてくれて、母は見かけの怖さで人を判断したことをとても恥ずかしく思ったそうです。
 
駅に着いて「少しだけど、煙草でも買って」と千円札を渡そうとしたら、「俺はタクシ−の運転手じゃないんだから」と受け取らず、「坊や、気をつけて行けよ」との言葉を残し、走り去って行かれたそうです。
 
母は7年前に世を去り、孫も25歳になりました。あの時の運転手さん、どうしていらっしゃるでしょうか。母はあなたのことをずっと楽しそうに話してくれたものです。

 
外見はいくら良くてもオレオレ詐欺のような、不埒な輩もいっぱいいる世の中です。またどんなに綺麗な服を纏っていても、心が貧しい人たちも少なくありません。ボロは着てても心は錦ではありませんが、人が評価されるのは外見的なことではなく、奥に秘める内側の問題です。
 
日本は豊かになり過ぎたばかりに、昔から大切に守ってきたことを忘れ去ろうとしています。今、私たちの時代に何とかしないと、たとえ経済はそこそこでも、世界の国々から相手にされない民族に成り下がるのではないでしょうか。いつまでもこの大好きな日本に居続けたいためにも、私たちが出来ることから一歩ずつ改めなくてはと考えています。


人事でない年金記録漏れ

[2008年07月24日(木曜日)|No.1463]

いやあ驚きました。年金記録が社会保険庁のずさんな管理で記録漏れとは聞いていましたが、まさか自分のところまで被害が及んでいるとは少しも考えていませんでした。
 
私は現在の会社に入る前、サラリ−マン時代の修行期間がちょうど丸5年あるのですが、そのときは厚生年金に加入していました。そして27歳で独立し、父親とともに仕事をしていたのですが、いわゆる家業でしたから、それ以降平成3年までは厚生年金ではなく、国民年金を掛け続けていました。
 
そして平成3年の秋、社員が新しく入社してきたことにより、現在の厚生年金に切り替えたのです。従って昭和53年の5月から平成3年の11月まで、162ヶ月もの間、しっかりと国民年金を払い続けていたはずなのですが、社保庁から春先にあった通知によると、厚生年金だけの記録しか残っていません。
 
確か払っていたはずなのですが、当時の扱っていた母親はすっかりボケてしまっていて、その通帳やら証拠になるものが何も見つかりません。そんなとき、家内がどこからか、ちょうどこの国民年金から厚生年金に切り替えるとき、1か月分二重に払っていたみたいで、国民年金の掛け金を還付する当時のお知らせの書類を見つけてくれたのです。
 
早速、その書類を調査依頼している金融機関の担当の方にお渡しし、調べてもらうようお願いしました。そして一昨日、その結果が出て会社を訪ねてくれたのです。
 
それによると、対象者番号として、私自身の番号(基礎年金番号)が厚生年金と国民年金とで違っていたようです。本来ならこの番号は人間が変わらない限り同じはずなのですが、どうやら異なる番号になっていたため、把握ができなかったということです。
 
それにより、社保庁側の記録では国民年金は未払い扱いだったのです。教えてもらったところによると、この162ヶ月掛けたことにより、期間が来ると、1年間で支給額が267,000円ぐらい上積みになるとのことです。
 
決して馬鹿にしたものではありません。調べていただいた信用金庫の担当者と、証拠にもなる書類を見つけてくれた家内に感謝しなければいけません。それにしても社会保険庁のやっていることが、いかにずさんか、身の回りで起こってみて改めて知らされました。
 
お話しした私のケ-スがこんなものですから、もっといろいろなケ-スでの記録漏れや不具合が多いことと思われます。先日も名前の読み方ひとつ違っていたばかりに、10年以上も年金が支給されていなかったというケ-スもありました。とにかく、しっかりして欲しいものです。民間ならこのようなミスは絶対ないように思うのですが...。


21世紀型農業経営

[2008年07月23日(水曜日)|No.1462]

同友会沼津支部7月1泊例会で、浜松・京丸園さんに行ってきました。一言で言って、とても素晴らしい会社で、真似のできない取り組みをされていて感心するばかりでした。
 
姫ねぎや姫みつば、姫ちんげんなどの水耕栽培のほか、無農薬のお米や野菜などを作っている多角的農園です。社長は鈴木厚志さんと言って43、44歳のバリバリの経営者です。その名前が示すとおり、志が厚く、とにかく元気のよい方です。
 
何よりも素晴らしいのは笑顔創造という、その経営理念に示されるとおり、皆さんが力を合わせて楽しそうに仕事に取り組んでいることです。しかも40数名のパ−トさんの内、15名の障がい者の方々が責任を持って仕事に励んでいます。
 
普通、障がい者の雇用と言うと、どうしても上から下を見下ろすような、雇ってやるとか定められた義務的なものを感じるものですが、この会社は違います。
 
障がい者という分け隔てなく、どんな人にもある役割をいかに見出し、できることを伸ばして難しいことをお互い補っていくという考え方です。従って当然、その人たちの自立ということにも繋がっていき、生きがいを見つけることができるのです。
 
それから農業について真剣に考えています。それは今までのただ作って出荷するというものではなく、注文主を予め自分で見つけ、注文を取り付けてから計画的に栽培していくというやり方です。
 
こうすればその経営から不安定要素が取り除かれます。また私たちが見させていただいた、水耕栽培の温室はコンピュ−タ管理された自動制御まで取り入れ、製品の安全な均一的栽培まで心がけています。
 
このような前向きな取り組みですから、鈴木社長の意志に共鳴する、これからの時代を背負っていく若者がいくらでも増えていく可能性が大ありというものです。
 
まさにこの京丸園さんの経営姿勢は、私たち中小企業家同友会のめざしている、社員さんとの共育・共生や自主・民主・連帯の精神、そして21世紀の自立型企業そのものなのです。
 
会員ではない鈴木厚志社長がいち早く取り組み、実践しているというのも何とも皮肉めいたものを覚えますが、素直に認めて私たちも見習い、実践していかなければなりません。
 
とにかく胸を張って自社の取り組みを紹介する社長の姿というのは、輝かしくまぶしい存在で、羨ましくなるものです。このあと鈴木社長に案内していただき、着いた昼食は素敵なこの野菜がふんだんで、めちゃくちゃおいしかったことは言うまでもありません。ご配慮に感謝し、京丸園さんの益々のご繁栄を祈念します。


善戦及ばず、夏終わる

[2008年07月22日(火曜日)|No.1461]

19日、浜松球場の第2試合、対常葉菊川戦に駆けつけました。ちょうど1泊2日の出張で浜松に出かけていたのですが、如何せん、目と鼻の先で母校が奮戦するというのに、居ても立ってもいられず、足は勝手に浜松球場に向いていました。
 
球場に着いたのは、試合開始の予定時刻を優に過ぎていましたが、前の試合である興誠−清水東戦がもつれて延長になっていた関係で、ちょうど興誠がサヨナラ勝ちを収める直前でした。
 
結局、この試合二転三転で、最後は右翼手の判断ミス(記録はヒットになっていましたが)で決着が着いたのですが、清水東ナインの泣き崩れる姿が印象的でした。
 
こうした雰囲気の中、我が方も予期せぬ何かが起きるかもしれないと予感させられた試合前でありました。何しろ相手は昨年の春の選抜で全国優勝を果たしたチ-ムなのです。
 
普通ではとても進学校であるこちらが、野球学校を倒すなどとは考えにくいものですが、唯一勝算は相手がこちらを見くびり、油断してかかったときです。
 
元々常葉菊川というチ-ムはそうした、のびのび野球の雰囲気があるのかもしれませんが、深い守備の当方外野が塀際で取っていた当たりでも、ベンチに戻ってハイタッチを繰り返しているようなチ-ムなのです。
 
ちょっとナメているのかなと感じさせられたものですが、試合展開はまさにその予想通り、こちらの思惑に少しずつはまっていったのです。相手はいくら大きな当たりでも深い外野を抜くことはできません。投手・野中くんの緩急自在な頭脳的なピッチングに快音をあげられないのです。
 
そして4回表、とうとう、こちらの5連打で3点をあげ、先制したのです。3番芹澤くんから7番永井くんまでのまさに好球必打、積極的な見事な攻撃でした。その裏、常葉の攻撃も難なく抑え、勝負の綾となったのは、多分5回表のこちらの攻撃ではなかったかと思われます。
 
1死1塁から連続四球で満塁、ここで常葉はこの試合初めから投げていた野島君からエ−ス戸狩君にスイッチしました。そして2球目、果敢にスクイズを試みたのですが、カ−ブにタイミングが合わず、ファ−ルとなり、結局は2人とも三振で倒れたのです。
 
野球には流れというものが必ずあり、こうしたチャンスを逃したあとにはピンチを迎えるものです。5回裏、それまで鳴りを潜めていた菊川打線がようやく少し火を噴き、あっという間に3−3の同点としたのです。
 
そして次の6回裏、4番中川君の逆風をものともしない、右翼への大きな一発が決勝点となり、3−4で試合は敗れたのです。結果的にはエ-ス戸狩君に対し、それ以降手も足も出なかったわけですから、願わくばもう少し彼の出番を引き伸ばしていたら、こちらにもまだ勝機があったのかもしれません。
 
でも後輩たちは本当によく頑張ったと思います。常葉菊川の選手たちは新聞紙上で少しも慌てなかったなどと、言ってはいましたが、あわよくばの展開に私たちにも少し夢を見させてくれました。
 
3年生の選手たちにとっては胸を張って高校野球を完結できたのではないかと思います。OB、同窓生他、多くの人たちが望む悲願達成には及ばなかったものの、我が方にとって今年の夏は大きなヒントを頂いたような気がしています。
 
やはり目指すべきは今年の野中くんのような、緩急とコ−ナ−ワ−クを丁寧についた投手の育成と、それに応える守りをしっかりと強化することにあると思われます。そして加えてここ一番でのバッティングの集中力にあるのではないでしょうか。
 
ベスト16にも進めませんでしたが、彼らの上記活躍は後輩たちに大きな教訓を残してくれたのではないでしょうか。これがある意味で、沼津東高らしい試合ぶりだったような気がします。この悔しさはきっとあとに続く1,2年生が晴らしてくれるでしょう。
 
内容のある3試合を選手諸君に見せていただき、感謝しています。心よりお疲れ様の言葉を贈りたいと思っています。


トルネ-ドの引退

[2008年07月18日(金曜日)|No.1460]

トルネ−ドの野茂投手が引退を表明しました。その前にはサンフランシスコ・ジャイアンツのマッシ−こと村上投手がいましたが、現在の日本人メジャ−リ−ガ−を多く輩出する、その草分け的存在だったことには間違いありません。
 
それだけに野茂投手の引退はとても寂しく、惜しまれるものです。まさに草魂とか雑草のような表現が相応しいほど、晩年の野茂投手のサバイバルは凄まじいものがあったわけです。
 
でもそれまでの成績だって半端なものではありません。日米通算201勝のうち、大リ−グで123勝もあげているのです。それからアリ−グ、ナリ−グの両リ-グにわたって、2度のノ−ヒットノ−ランの大記録を打ち立てています。
 
近鉄時代のコ−チが野茂投手を見て、絶対にトレ−ニングを休まないこの選手にならい、トレ-ニングを積む他の選手が増え、選手寿命を長くしたと言っているほどです。そうでなくては、あのくらい大きく腰をひねって投げるわけですから、こう長くは続かなかったかと思われます。
 
残念なことに、ここ数年はメジャ-でほとんど登板機会がありませんでした。やはりフォ−クにしたって全盛期の半分の威力もなかったのでしょう。というか、このフォ-クを活かせるストレ-トの威力に欠いていたものと思われます。
 
こうした中、私たちは再びあの勇姿が見れることを楽しみに期待していたのですが、とうとうそれも叶わなくなってしまいました。とても寂しい思いに駆られますが、仕方がないものと思います。
 
でもこれで十分ではないでしょうか。胸を張って日本に帰ってきてもらいたいものです。その功績は偉大なものと思われます。野茂投手の大リ-グで活躍する勇姿を眺め、将来自分もと野球を始め、精出していった年代はきっと少なくないものと思います。
 
また球場外でも自身が立ち上げているクラブチ−ム、NOMOベ−スボ−ルクラブの存在にも触れないわけにはいきません。かつて社会人野球の企業廃部が相次ぐ中、野球を続けたくても続けれない選手の受け皿として創立したのです。
 
地域密着となっているこのクラブチ-ムを支えている志が何よりも素晴らしく、真似のできないものです。これからはこの第2、第3のNOMOベ-スボ-ルクラブを立ち上げ、野茂投手自身のような素晴らしい選手を多く輩出してもらいたいものです。とにかく本当にお疲れ様でした。


エコドライブ

[2008年07月17日(木曜日)|No.1459]

ガソリンが180円を突破してから、どうも車の数が少なくなったような気がします。特に高速道路など顕著にその傾向が表われているようです。
 
しかし仕事でも、どうしてもこの車を使用しなければいけないことがあり、まるっきり車から離れるわけにはいきません。そんな私たちが心がけることとして、テレビでもエコドライブというものを取り上げていました。
 
それによると私たちが気がつかないことがいっぱいあります。まずタイヤの空気圧が適正か否かで、その燃費にも大きな影響が出るようです。例えば50kpa低い空気圧で50km走ると、150ccの無駄が出ると言われています。
 
それから燃費に大きな違いが出てくるのがエアコンです。ご存知のことと思いますが、エアコンをかけて運転するのとそうでないのでは、燃費に違いが出てきます。それがどのくらいかと言うと、1km走行につき20mlガソリンが消費されると言われているのです。
 
大したことはないと思われるかもしれませんが、50km走るごとに1リットルも余分に消費されているのです。ですから、以前にも触れましたが、必要ではない所、例えば高原や山道の爽やかな所ではエアコンはもったいないというものです。
 
依然として、こうした所でも窓を閉め切ったままの車を多く見かけるものですが、考え直したいものです。それから高速道路などでは80km走行が燃費の面からもベストだと言われています。
 
1例によると、2台の車が140kmの道のりをテスト走行したらしいのですが、1台は100km、そしてもう1台は80kmの速度を保って走り続けた結果、大きな燃費の違いが出ているのを指摘していました。
 
100km走行の車は16.4km/lだったのに比べ、80kmの車は1.5倍の24.1km/lも走ったのです。この他にも、停車していた車の出発時、窓を全開にし外気を取り入れ社内の空気を入れ替えるのと、そうでないとでは、エアコンの設定温度にになるまでの時間が倍ぐらいの違いが出るとのことです。
 
やはり省エネを考えて、少しでも工夫していきたいものです。先日も朝、大井松田まで高速で出掛けたのですが、窓を開けっ放しでエアコンをかけずに試してみました。朝だからできたのかもしれませんが、窓を開けたらやはりスピ-ドは上げられません。
 
この2つの効果からだと思いますが、ガソリンの減り方は目で見てはっきり判るほど、大きな違いが出ていたものです。まあ、これができたのも時間に余裕があったからです。
 
ということは、慌てて駆けつけるのではなく、時間に余裕を持って運転するのが、エコドライブに繋がるということかもしれません。心に余裕を持って、少しでも無駄をなくしていきたいものです。
 
たまたま昨日出かけた会の席で、配られた袋にこんな文字が入っていました。Everything Eco Life(出来ることから一歩ずつ)まさにその通りですね。


竹島問題

[2008年07月16日(水曜日)|No.1458]

結論らしいものが出せないまま終わってしまった洞爺湖サミットが閉幕してから、早1週間が過ぎ去りました。環境問題について、もっと深刻にならなければいけない時期に直面しているというのに、世界各国の首脳については大きな責任回避とも言え、失望させられました。
 
さて、日本の中学校の教科書に初めて竹島問題が記載されたことにより、韓国内で大きな日本批判が起こっています。竹島(韓国では独島)が北方領土と同じように、日本の領土、領域について理解を深めさせる目的で、その記述が登場したのです。
 
しかし韓国側にも一部配慮を示し、固有の領土という表現を避けたとのことですが、大統領はじめ韓国側の猛反発を受けています。
 
ソウルにある日本大使館前では抗議デモが行われ、建物に対して卵を投げつけるなどの怒りがテレビを通して飛び込んできています。また早々に駐日韓国大使を本国に一時召還させました。その他にも日韓交流で、とんだトバッチリを受けた自治体まであったようです。
 
まあどちらの領土なのかとか、いずれの国の主張が正しいかは、私も全く知る由もなく、一般的にも定かにされていません。
 
でも1つだけ大きく感じさせられるのが、韓国民の強いナショナリズムです。以前にも触れましたが、韓国の人たちの中には、今でも”恨(ハン)”という思想がしっかり根付いています。日韓併合時代の苦い思いからです。
 
これを私たち日本人は忘れてはなりません。もう日本では知らない世代が多いかもしれませんが、屈辱を受けた方からすれば、忘れたくても忘れることができない事実なのです。
 
だから何でも受け入れなければいけないというものではありませんが、よかれ悪しかれ現在竹島を実効支配しているのは韓国でもあるし、双方の関係には十分注意しなければいけないものと考えます。
 
もっとも受けて立つ日本が、牛肉輸入再開で大統領にはっきりとノ−を突きつけた、韓国民のような大きなパワ−があれば別ですが、それも無理と言うものでしょう。こうなったら、韓国の元首相が言っていたように、いっそのこと竹島が海に沈んでしまうのが一番いいですね。難しい問題です。


ちょっと良い話part32

[2008年07月15日(火曜日)|No.1457]

お金より大切なもの」という、ちょっと良い話です。耳の痛い人はきっと何人かいるのではないでしょうか。
 
私が小学校五年の時、保健室に子猫がいました。先生が言うには「この猫は心臓が悪いので、長生きしないだろう」とのことなので、「私だったらきっと大事にして長生きさせてみせる」と言って家に連れて帰りました。
 
すると両親に、「アパ−ト暮らしだし、猫を飼う余裕なんかないから捨ててこい」と言われてしまいました。しかし、私は泣いて、「迷惑を掛けないから、私のご飯を少し猫にあげるから」と強引に頑張り、何とか飼えることになりました。
 
ある日、先生の言ったとおり、猫が病気になってしまいました。動物病院に連れて行きたいのですが、両親に言えば「そんなお金がどこにある」と怒鳴られると思ったので、こっそりとある動物病院に電話をしてみました。
 
すると、「今すぐ猫を連れてきなさい。お金はあとでもいいから」と言われ、連れて行ったのです。食欲がないため、点滴をしてもらって帰り、翌日から三日間、往診もしてもらいました。こうして猫は元気になりました。
 
そのあと先生に、「お金は本当にあとでもいいのですか」と聞くと、「来年、お年玉が入ったら少しでも払ってくれればいい」と言ってくれました。
 
翌年、私はお年玉をもらってから、それに貯金を足してお金を一万円持って行くと、七千円もおつりをくれたうえに、「また猫が調子悪くなったら往診してあげるから」と言ってくれたのです。
 
それから、たびたび往診してもらいながら、猫は元気に十五年生きることができました。
世の中に、お金よりも命を大事に考えてくれるお医者さんがいることに、心から感謝したいと思います。
 
どこかの、このお金に走ったばかりに作り置きし、尊い人の命まで奪ってしまった人にも聞かせたい話です。やはりお金ではこの素敵な幸せは買えませんね。


2回戦も勝つ

[2008年07月14日(月曜日)|No.1456]

またまた嬉しい報せを届けることができます。母校が2回戦・対掛川工戦も4−3で制したのです。昨日の日曜日、スタンドはおそらく真夏の炎天下で35℃ぐらいあったのではないでしょうか。同行した85歳の父親はフラフラになって戻ってきたくらいです。
 
初戦と違ってこの日は初回からチャンスをものにすることができました。相手投手の立ち上がりの悪さから四球で出た走者を4番・望月くんがレフト前タイムリ−でまず1点、けん制で刺されかかったのですが、相手のミスもあって2塁に進塁、そして当たりはよかったのですが三塁真正面のゴロをトンネルで、さらに1点追加したのです。
 
1回戦の桐陽戦ではこうしたチャンスを4回まで続け、ものにすることができず流れが変わってしまっただけに、この日は最初からそうしたイライラを吹き飛ばしてくれました。やはり3番、4番を二人とも入れ替えたのがすぐに結果に結びついたのです。
 
でも相手だって、春西部5位で県大会に出場しているチ−ムです。この日は1回戦に比べ、いまいち制球力が甘かったこちらの野中くんをとらえ、4回から5回、6回と1点ずつ返してきたのです。
 
こうして3−3で迎えた8回、ヒットで出た3番芹沢くんを1塁に置き、やはり4番の望月くんのレフト線2塁打で2死2,3塁とし、ここで相手投手の痛恨のワイルドピッチが決勝点となったのです。
 
やはり前の試合もそうでしたが、こうした接戦は必ずエラ−が勝敗に結びつくものです。そういった意味でも、こちらはよく守っていたと言えるのではないでしょうか。
 
さあ、これで19日3回戦、常葉菊川高と対戦することになります。相手にとって不足ないどころか、全国レベルの学校との対戦です。もちろんシ−ド校であるこの学校は、昨日初戦で10−0と大勝していました。対戦した相手だってそんなに弱いところではないはずです。
 
はっきり言って、10回やって1回も勝てないかもしれません。でも私は望みを捨てていません。我が方の主戦・野中くんのようなタイプとは、練習試合を通してやったことがないかと思われるからです。
 
本当にこの投手を眺めていると、クレバ−だなと感じさせられます。ストレ−トはそんなに早くありませんが、これにスロ−カ−ブ、シンカ−、スライダ−を加えた緩急のピッチングにより、ストレ−トを速く見せる効果的なものが見られます。それにコ−ナ−ワ−クを見事についていけば、決して侮れないものと思われます。
 
これで大会前、選手諸君に言ったように、少しでも長く高校野球を続けることができています。ここまで来ると、外野である私たちはさらにその上をどうしても目指したくなるものです。常葉菊川を倒せばかつての春の覇者・浜松商を破ったときのように、おそらく全国版にその名が轟くことでしょう。
 
それを願いたいところですが、とにかく選手諸君にはここまで来たのだから、最後まで悔いの残らない高校野球を完結できるよう願って期待したいところです。


教職員の現実

[2008年07月11日(金曜日)|No.1455]

大分県で教員不正採用の事件が明るみに出ました。採用に当たる審議官に金銭の授受が行われたという事実で、それがどうも慣例化していたらしいのです。
 
教職に就いた人の問題がこのように出るたびにいつも思うのが、教えられている子ども達のことです。先生の権威がますます下がるような気がしてなりません。ただでさえ、とかく批判の対象にされやすい存在ゆえに、尚更強く思うのかもしれません。
 
でもこれでは一生懸命頑張っている多くの先生たちが浮かばれません。問題を起こすのはいつも一握りの人たちです。まあ、この教員採用に関する不正は、この大分県に限らず他の地域でもあるかもしれませんが...。
 
しかし多くの先生たちは学校で多くの問題を抱え、それに真剣に取り組んでいるのです。ご承知のとおり、モンスタ−ペアレントなる存在がいて、我関せずで自分のことだけを考えた利己的な人間が少なくありません。
 
そして本来は保護者である親が、しっかりとその子に伝えなければならないものまで、置き去りにして学校に押し付ける始末です。これでは昔のように、お互いの基本的なスタンスができていないで向き合うのですから、結果は明白で先生に掛かる負担も増すというものです。
 
ちょっと話がずれてしまいました。言いたかったのは、こうした一摘み(と願いたいところですが)のことが明るみに出てくるたびに、子どもたちからの先生に対する信頼がどんどん薄らいでいくということです。
 
昨日もあちこち挨拶回りで出掛けてきたのですが、ちょうど通りがかった学校の周辺で、下校する子どもたちが遠くにいる先生に向かって大声で「先生さようなら」と呼び掛けていて、若い先生だったと思うのですが「気をつけてな」と優しく応えていました。
 
何となくいい光景だなと感じた次第です。私事になりますが、この春から正式採用となりクラスの担任も任された長女が、本当に頑張っています。学校ではきっと全力投球しているのでしょう。毎日帰宅は11時を過ぎ、時には午前様になることもあります。
 
残っている仕事を家でやったらと家内に助言されるのですが、家に帰った途端、どっと疲れも出て、そうした気力を失ってしまうのでしょう。こんなわけですから、家のことは一切家内に任せきりで世話をやいてもらっています。
 
この家内が冗談半分に過労死してしまうなどと、心配しているのが現状なのです。娘が先生になって少しずつそうした現実が見えてきました。でも本人にとっては、それよりも何よりも、大きな使命とやりがいを感じてのことなのでしょう。
 
こうした大部分の先生方が頑張っているのを知らされれば、今回の不正採用などの権威を失墜するような行為は断じて許されるものではありません。自分で自分の首を絞めることに繋がるからです。
 
鬱になる先生も多いと聞きます。もちろん強くならなければいけませんが、それだけにお互いの立場をもっともっと尊重し合えるように努めていきたいものです。


生きていれば

[2008年07月09日(水曜日)|No.1454]

大野靖之さんってご存知ですか。青年版国民栄誉賞である、人間力大賞2008というものがあるそうですが、今年はミュ−ジシャンである、この人が受賞したそうです。
 
私も知らなかったのですが、先日テレビで放映されているのを見かけ、26歳という若い人ながら、凄い人だなと感じたものです。
 
甘く透き通るような歌声で、学校などを中心として、若者たちに生きる素晴らしさを伝えているのです。歌っている「生きていれば」という曲には、本人の強いメッセ−ジが込められ、それが彼らに自然に受け入れられるのではないかと思われます。
 
ちょっとご本人のブログを覗いてみましたので紹介します。
 
今日は偶然にも母の誕生日でもあります。この日がなければ、僕はこの世に存在していません。
 
この日がなければ、今の僕はありません。こんな素敵な記念日に、またまた偶然にも、素敵なビッグな出来事がありました。
 
僕はこの度、「青年版国民栄誉賞 人間力大賞2008」に、推薦され、ノミネートされました。国民栄誉賞は、過去に受賞された方々では、王貞治さん、美空ひばりさん、黒澤明さん、長谷川町子さんなど、とてつもない方々がいらっしゃいます。
 
その国民栄誉賞の「青年版」になります。青年版は有名、無名問わず、20歳から40歳までの、日本全国の若者たちの中から選ばれる賞です。
 
今回僕は、小田原青年会議所さんから推薦され、この素晴らしい賞にノミネートされ、沢山の「若者」の中から、なんと最終選考まで残ったのです。そして奇跡的にも今日がその受賞式でした。
 
会場はザプリンス パークタワー東京。多くの報道陣や関係者のいる中、華々しく式典が始まりました。
様々な分野で活躍する、素晴らしい「人間力」を讃える「人間力大賞」。
 
その名の通り、ノミネートされた方々、受賞された方々は、人のため、社会のために、命をかけて日々頑張っている、「人間力」に満ちあふれた方々ばかりでした。

 
何よりもまず自分の存在に触れ、それは生んでくれた母のお陰との、感謝の切り出しから入っているのも素晴らしいところです。
 
素晴らしい歌声に、しっかりそれぞれが生きていって欲しいとの願いが込められているから、強く響き渡るのでしょう。中学生などの中には涙して聴き入っている生徒もいたくらいです。
 
相変わらず、家族での殺傷事件や、若くして自分の命を絶つ自殺等が相次いでいます。大野さんが訴えているように、命を大切に、また生きていればきっと良いことがあると信じて、お互いが励ましあっていく社会を築いていきたいものです。
 
明日は終日、出張予定のためカキコミは休ませていただきます。


夏の大会1回戦から

[2008年07月08日(火曜日)|No.1453]

今日は嬉しいカキコミです。翌日の七夕が前倒しでその願いを叶えてくれたかのもしれませんが、6日の日曜日、我が母校・沼津東高が夏の大会1回戦を突破してくれました。
 
相手は昨秋コ−ルド負け、この春も東部大会で苦杯をなめている、地元・桐陽高です。同じ相手に3度まで負けられないところですが、春は県大会まで出ているチ−ムですから、侮れないものでした。
 
初回から4回まで、こちらの攻撃は毎回スコアリングポジションにランナ−を進めているのですが、あと1本が出ません。一方、投手の野中くんが相手チ−ムを4回までほぼパ−フェクトに抑えてくれていました。
 
野球とは面白いもので、状況がこうであっても、チャンスを再三逃していると流れが相手に移ってしまいます。案の定、5回裏の相手方の攻撃、ノ−アウトから出たランナ−をワンチャンスで簡単に得点に繋げてしまったのです。
 
そして次の回にもこちらのエラ−が加わり、更に1点追加され0−2とリ−ドされていたのです。6回、7回と淡白な攻撃が続き、ちょっと嫌なム−ドが漂い出した8回、相手エラ−と四球で1死満塁とした直後、7番の下山君の1打がこちらのモヤモヤを吹き飛ばしてくれました。
 
見事だったのが、果敢に初球から狙っていったことです。四球の後の初球狙いは野球の鉄則なのですが、この春まで4番を打っていた彼のプライドから、自分でなければ決められないという強い思いがあったのでしょう。走者一掃のセンタ−オ−バ−の見事な二塁打でした。
 
続く塗木君も同様な二塁打で続き更に1点、そして相手のエラ−も誘ってこの回計5点を入れて試合をひっくり返したのです。それまでがイラついた試合だっただけに、大いに溜飲を下げ、その喜びも一入(ひとしお)だったものです。
 
一緒に観戦していた、当時の監督でもあり恩師にあたる先生がこう言われていました。「あのまま終わらなかったのは、やはりそれなりの練習の積み重ねがあったからだ」と。また一緒に応援していた私より後輩のOBは選手をよく知り尽くしていました。
 
それは一挙手一投足、全てに的を得ていたと言ってもよいでしょう。やはり練習からこうした選手のフォロ−ができているのとそうでないとでは、少なからず結果に差が出てくるというものです。
 
これで次は今週の日曜日、やはり地元・愛鷹球場で掛川工と対戦します。またよい結果が報告できることを願っています。こんなわけで、昨晩同窓会が主催し、開かれた母校・運動部OB会長会の席が、この話で持ちきりだったことは言うまでもありません。
 
改めて人々の注目を集めていることを知らされたものです。現役選手諸君、そして一生懸命動いてくれているOB諸氏のお陰です。感謝!します。


北川前三重県知事講演よりその2

[2008年07月07日(月曜日)|No.1452]

北海道洞爺湖サミットがいよいよ今日から始まります。先日も触れた北川さんが、今回のサミットについてこう述べられていました。
 
かつては石油産油国より消費国の力が上回っていた。でもサブプライムなどの問題で既にアメリカを含むG8は先進国首脳会議と呼ばれているほどの力はない。石油問題もサミットだけではとても解決できない。ブリックスと呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国の経済成長著しい新興国等を含めなければ進めていけないものである。
 
こうして現在はその体質が変わらざるを得ない状況にある。世界も産油国と消費国の権力の交代が起こっているのである。今回の福田首相の役割として、
大きく変わりつつある環境に配慮しなければ、経済が成り立たないと言えるかどうかを問われている。
 
科学的合理性から政治的合理性を問えるか、この環境と経済の逆転現象について、ホスト国の首相としてしっかりと訴え、その役目が果たせるかである。

 
まあ、この政治がはっきりしないことから経済がいつまでも活性化しない、日本の一番の責任者に位置している人ですから大きな期待はできないかもしれません。でもいつまでもアメリカに、金魚の糞のようにへばりついている存在ではなく、日本の独自性を打ち出し、このサミットが環境を大きく見直す分岐点となってもらうことを願っています。
 
また北川さんは地方分権についても熱く語っていました。その中の1例として、破綻した夕張市で見られた価値の転換(パラダイム・シフト)についてこう紹介していました。
 
何でもかんでも国頼みではなく、そうした依存体質から、創意工夫をしながらあるもの探しをしていかなければならない。夕張市では破綻財政の関係から、成人式の補助金60万円までがカットされてしまいました。
 
それならと、このお役所などを当てにせず、市民ひとり一人の力で開催しようと努めた結果、全国から237万円ものお金が寄せられました。ご近所の底力がお宝を呼んだのです。またこのお宝は自分たちの力で作り出していけるのです。
 
また今までの選挙のやり方も、ここで大きく変えていかなければいけない。従来のお願いから約束にと変える、マニフェスト(検証可能な公約)型が主流になっていくものである。
 
それは成熟した世界だからこそ、あれかこれかの選択に迫られている。とにかく
民意が大きな力であり、市民の手に政治を委ねなければいけない
 
このような意味からも次期総選挙は歴史に残る選挙であり、日本の在り方を問われることになるものと指摘しています。またもしかしたら、サミット・北京五輪休戦の中で、日本で起こる可能性も十分あるとも言われていました。
  
我が沼津市でも10月で現市長が退陣し、市民グル−プが大きな変革を求め、立候補者を公募していましたが、新たな時代の流れが生まれるかもしれません。CHANGEの言葉どおり、そこに北川前知事のような熱い気概や情熱の持ち主の出現が待ち望まれていて、強く願っているものです。
 


北川前三重県知事講演よりその1

[2008年07月04日(金曜日)|No.1451]

今朝の大雨は物凄いものがありました。静岡では1時間で110mmを超える雨が降ったそうです。この辺でも6時ぐらいはそれに匹敵するような雨ではなかったかと思われます。
 
自宅の玄関にも水が押し寄せ、並んでいた多くの靴を上げなければいけないような状態でした。これを見て直ちに工場の方が心配になり、慌てて駆けつけたほどです。既に隣の畑は冠水していましたが、幸いにも工場には少し水が流れ込んだだけで、被害までには至りませんでした。
 
でも異常な雨ですね。かつては見なかったものが、このように各地で繰り返されるというのは、やはり地球環境が変わっているのでしょうね。
 
さて、先日友人のお誘いで、前三重県知事の北川正恭さんの講演を聴く機会に恵まれました。一口に言って、やはり改革派の知事として知られていた人だけに、頭脳明晰さや、ほとばしる気概や情熱がふんだんに伝わってくるものでした。そういった意味で少し元気を頂いた講演会だったと思います。
 
北川さんはご存知のとおり、今年3月に「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合(略称:せんたく)」を立ち上げ、その代表として進めている方です。
 
この会は超党派で組織され、私たち民意によって日本の未来を選択しなければならないという趣旨で進められ、そこに次期総選挙を歴史に残る政権選択選挙にしなければならないという強い想いが感じられます。
 
かつて、幕末の坂本龍馬が姉に宛てた手紙の一節「日本を、今一度 せんたくいたし申候。」からその名前をとったそうです。幕末同様、そのくらい、今の日本も丸洗いしなければいけない状態に置かれているからのことです。
 
現在の法律のほとんどは官僚が作っています。その官僚が居酒屋タクシ−などでビ−ル漬けになっているのが日本なのです。また秋葉原の事件は少しも容赦をはさめないほど犯人が悪いのですが、5500万人が働く中で、派遣等1000万人の200万円年収が存在している社会構造も見過ごせない事実なのです。
 
また昨日より今日と、少しでも豊かになろうと戦後、燃えるような気持ちで一生懸命この国を作ってきたのが現在です。そこには家族が置き去りにされ、子ども達にも目が行き届かず、男性中心の工業社会をめざした結果が伴なっているのも事実なのです。
 
かつて三重県知事時代、県庁の改革に努めました。その結果にああ、やれやれとそれなりの自己満足から、居合わせた女子職員に聞いてみたところ、一言、男の改革ですねと、鋭く指摘されることもありました。
 
またかつては、そうした自分たちをしっかりと国が守っていてくれました。だからこそ安心して頑張ってこれたのです。それが今ではどうでしょう。政治家にとって都合のよい政治が蔓延っています。いわば衆愚政治です。

 
このように述べられ、とにかく統治主体は市民でなければならない、この時代のピンチをチャンスと捉え、もう1回国民の手で作り直しをしようと呼びかけていました。
 
この他にもサミットを控えた当面の政治課題や地方分権の在り方など、いろいろと述べられましたが、それはまた別の機会に紹介したいと思います。ご本人は政治家はもう懲り懲り、今の方がずっとよいとのことですが、こういったまともな人こそ、その職に就いてもらいたいものです。でもその中に入ると、素直に見えていたものが、また見えなくなってしまうのでしょうね。 


ちょっと良い話part31

[2008年07月03日(木曜日)|No.1450]

久しぶりにちょっと良い話を紹介したいと思います。「小さな紳士」という題です。
 
手術で2ヶ月間入院し、退院して4,5日経った日でした。どうしても郵便局へ行く用事ができて杖を頼りに出掛けました。途中、国道を横断しなければならず、信号の青を待って急ぎました。が、気が焦っていたため杖につまずいて横転してしまいました。
 
体に力がなく、なかなか起き上がることができません。酔っ払いとでも思ったのでしょう、何人かの男女が傍を通り過ぎて行きました。しかし、年寄りの私には誰も手を貸してくれませんでした。杖も眼鏡も見当たりません。
 
その時、自転車に乗った5年生くらいの男の子が「おじいちゃん、待っててね」と言って自転車を道路端に立て、走って戻ってきました。
 
私を抱えるようにして起こし、小さな体に私を背負うようにして道端まで連れ出してくれました。勇気ある行動です。大人でもできないでしょう。
 
信号は青の点滅も終わっていました。しかし、停車している車は1台も発進しませんでした。その子は双方の車に向かって深く頭を下げていました。それは誠に自然でさわやかな態度でした。私がやらなければならないことをその子が実行したのです。待っていてくれたお礼の挨拶でしょう。
 
運転手さん達は窓から手を振ってくれました。中には拍手をしている運転手さんもいました。私は自然に涙が出てきました。「おじいちゃん気をつけてね」 その子はそのまま自転車に乗って走り去って行きました。私はあわててその後ろ姿に「ありがとう、ありがとう」と叫んでいました。
 
あの子の立派な行動を見て、あの子の両親の厳しいしつけと、あの子の通っている学校の教育の充実した実践を推し量ることができた気がしました。
 
お礼の言葉を言う機会を失した私は、後日あの子が通学していると思われる近くの学校へ、ちょうど手元にあったベルマ−ク約1500点を、匿名で届けました。

 
全てがこうであって欲しいものです。高齢者への労わりが、社会の至るところに尽くされている国がやはり”豊か”と言えるのではないでしょうか。我が国も忘れ去れてしまった”優しさ”を早く取り戻したいものです。


漂う閉塞感

[2008年07月02日(水曜日)|No.1449]

7月に入り、何から何まで値上げのスタ−トになりました。ガソリンはいよいよ180円台に突入です。この原油高騰に伴い、あらゆる商品が値上げせざるを得ない状況に追い込まれています。
 
つい先日も、価格変動がほとんどなく、物価の優等生と言われている卵までが、とうとう値上げに踏み切らざるを得なくなりました。私たち庶民にとっては、ますます閉塞感が増幅される昨今となっています。
 
値上げではないのですが、やはりこの1日から実施され変わっているのが、自動販売機でのたばこの購入です。タスポというカ−ドを持っていないとその購入ができません。でも愛煙家のまだ1/4しか、そのカ−ドを所有していないということから、全国では混乱が相次いだのではないでしょうか。
 
一部、運転免許証でも購入できる販売機があるそうですが、その数は600数台とのことですので、まだまだ全国には行き渡ってはいません。この購入システムにも、カ−ドの所有者の数が示すとおり、もうちょっと画期的なものが求められているのかもしれません。
 
さてガソリンが180円台になって、また車に乗るのが億劫になっています。給油するたびに感じられる割高感やもったいなさは全ての人に共通している想いではないでしょうか。
 
だからと言って、なかなか車から離れられなくなっている社会の仕組みや物流構造ゆえ、嫌でも使用せざるを得ません。でもここにきて、その使用方法は確実に変わってきているのではないでしょうか。
 
用がなければ無理に車に乗ることもないのは、自転車の使用者数が増えているように感じられることにも表われています。また昨日も秦野まで東名高速を往復使用して感じたのが、通行する車の数が少ないことです。
 
この煽りを喰らっている運送業界の悲鳴が聞こえてきそうです。一部その運賃に軽油価格高騰分を転嫁するというシステムも採られているとのことですが、中小企業では特定の荷主に頼っているところも多く、必ずしもそうはいかないものでしょう。
 
とにかく、この社会全体に漂う、どうにもならないような閉塞感を何とか払拭したいものです。この梅雨空が晴れれば、夏のギラギラした太陽が覗かせます。必ずしもこのようにはいかないかもしれませんが、人間万事塞翁が馬です。悪いことばかりではないと信じたいものです。


世界で活躍するためには

[2008年07月01日(火曜日)|No.1448]

今朝も一番で秦野まで飛んできました。現地で8時に現場調査を行いながら打合せをしたいとの、お客様の要望がありましたので、何よりも優先して駆けつけてまいりました。
 
大企業などに比べて簡単にこの差別化を図れるのは、こうした小回りです。大した技術や労力も掛からないことから、数少ないこの小企業の強みを益々駆使していかなければと思っております。
 
話はガラっと変わりますが、全米女子オ−プンが昨日の朝まで行われていました。パク・インベという韓国の19歳女子プロが、見事米ツア−初優勝でこのメジャ−ト−ナメントを制しました。
 
かつて母国の偉大な先輩、朴セリの全米女子オ−プン優勝に刺激され、ゴルフをやり始めた年代です。なぜか同世代の韓国女子プロが多く活躍するのには、この朴セリの影響が少なからぬあるものと思われます。
 
私も今大会は二日間ほど早朝よりテレビにかじりつきました。日本選手の3人も二日目まではまあまあでしたが、決勝ラウンドの二日間はやはり難しいコ−スにスコアがまとまらず、悪戦苦闘の状態でした。
 
そんな中、上田桃子選手が通産イ−ブンパ−で13位につけ、来年の出場権を得ることができました。でも本人はその結果に決して満足する素振りを見せず、悔しさが体いっぱいににじみ出ているようでした。その様子は観ていた私たちからすれば、むしろ頼もしく映ったものです。
 
その口から優勝した9アンダ−も決して不可能な数字ではないという言葉もこぼれました。またドライバ−の平均飛距離は出場選手中、第3位の280.6ヤ−ドとのことです。
 
最終日も追い風とはいえ、最後の18番(530ヤ−ド)を5番アイアンで2オンさせるのですから、半端ではありません。何よりもその強気の表情に全てが表われています。ある人からは愛嬌が足りないなどと言われているところもありますが、今はこうしたゴルフ一途でよいのではないでしょうか。
 
また逆に言えば、このくらいの強気でなければとてもアメリカでは勝てないかもしれません。優勝したパク選手も、12歳のときからアメリカに移り住んだと言われています。それだけ環境に順応しなければ成果は上がらないのかもしれません。
 
それを唯一凌ぐのはやはり持ち前の優れた技術と、本人の強い気持ちだと思われます。そうした意味でも、上田桃子選手の今回の奮闘ぶりから、近い将来、米ツア−での初優勝を確信したものです。また樋口、岡本選手に続き、3人目の日本人選手として、このメジャ−大会も是非制してもらいたいと願っています。