株式会社 アイソー




2009年04月の日記

ジャッキ−・ロビンソン物語・最終章

[2009年04月30日(木曜日)|No.1615]

物語の続きのエピロ−グです。1947年、ブランチ・リッキーはロビンソンをメジャーに昇格させることに決めますが、ここでも、彼の前には人種差別の壁が立ちはだかります。
 
ブルックリンドジャースの選手の何人かが、ロビンソンを受け入れられず彼がチームに加わるのならプレーしないという請願書をリッキーに提出したのです。
 
リッキーは激怒し、この請願書にサインした選手を事務所によびつけ、破棄しないのならば解雇すると怒鳴りつけます。結局請願書は取り下げられましたが、選手の中に残る偏見と侮蔑がいかに根深いものかを思い知らされることになったのです。
 
そして全ての責任を自分自身が負うしかないと決断するのです。昇格後、ロビンソンは不調が続き、彼自身ですら自分の実力に疑いを持ち始めていました。そしてその野球人生で最悪の出来事が彼を見舞うのです。
 
フィラデルフィア・フィリーズとの3連戦中にロビンソンが最初の打席に向かう際、人種差別的な嘲りと侮辱の言葉が彼に襲いかかって来たのです。
 
自分の耳が信じられなかったよ。まるで巧みな指揮者の合図に合わせるかのようにフィリーズのダグアウトから憎悪の言葉が飛んできたのだから」ロビンソン自身の言葉です。
 
フィリーズの監督であるベン・チャップマンがダグアウトの奥深くから言葉での攻撃の音頭を取っていたのです。チャップマンは自他ともに認める黒人嫌いでした。
 
ロビンソンは、このような攻撃にさらされても成す術を全く知りませんでした。「フィリーズは俺をどうすれば気が済むんだ?右の頬を殴られたら、左の頬を差し出して。これじゃ、俺は人間とは呼べないじゃないか。俺は、奴らのダッグアウトにかけ寄って、奴らの頬を奴らが嫌うこの黒い拳で殴りつけることだってできるんだ
 
後に、この時ほどグラウンドで暴力をふるいそうになった事はない、と言っています。そして深呼吸をして気を落ち着け、バッティングに集中しました。変化が訪れたのはその時です。
 
ドジャースの選手の一人がダグアウトから乗り出すとフィリーズに向かってこう叫んだのです。「おい、聞けよ、臆病者ども!」「お前達、どうして言い返せる奴に向かって野次を飛ばさないんだよ!?
 
さらにもう一人の選手も叫びました。「お前達のチームが口と同じくらい野球が上手かったら、もっと強いチームになれるのにな!!
 
フィリーズの汚いやり方が、リッキーがいくら知恵を絞っても不可能だった事を、つまり、ロビンソンをチームの一員にするという偉業を成し遂げてしまったのです。
 
チームは、汚い野次にさらされても、為す術もない一人の黒人を助けるために団結し始めたのです。ロビンソンとプレーするうちに、黒人も同じ人間であると言う事をチームメイトは理解し、偏見の壁を壊してしまったのです。
 
ある試合で、ロビンソンが守備についている時、観客から憎悪のこもった野次が浴びせかけられました。「南部の紳士がどうして黒人なんかと一緒にプレーできるのか?」と。
 
その言葉にチームメイトは、ロビンソンに歩み寄り、彼に親しく話し掛け、そして、彼の肩に腕を回すという行動をもって答えたのです。観客は、それを見て黙ってしまったと言います。
 
また、ロビンソンが変えたのは、チームメイトだけではありませんでした。殆ど、全てのチームの選手がロビンソンを潰そうとしていて、彼が守備についているときは、誰もが当然のように彼の足めがけてスライディングしてきたのです。
 
だが、ある時、ロビンソンが激しいスライディングを受けて、足から血を流して、のたうちまわっているをみた敵チームの選手は考えを改めました。なぜなら、ロビンソンの血も、彼と同じ色をしていたからです。彼は、二度と、こんな卑劣な真似はすまいと心に決めたと言います。
 
また、ロビンソンを快く思わないチームの一つが彼を試合に出さないようにする為に、ストライキをしようとした事がありました。だが、これを知ったコミッショナーは激怒して次の声明を出したのです。
 
ここはアメリカなのだ。どんな人種であろうとも平等にプレーする権利があるんだ。メジャーリーグは全面的にロビンソンを支持する。
 
そして、ストライキに関わった人間を全て出場停止にするという脅しまで行ってロビンソンを守ったのでした。こうして彼をとりまく状況は少しずつ変わりつつあり、世間から憎悪を剥き出しにされても、それをものともせずにプレーし続けるロビンソンに、他チームの選手ですら敬意を感じはじめたのでした。
 
そしてシーズンが終ったとき、ロビンソンは151試合に出場し、打率.297、12HR、48打点、29盗塁という成績で、その年に新設された新人王に選出されたのでした。
 
新人王が、別名ジャッキー・ロビンソン賞と呼ばれるのも、これに由来してのことと言われています。その後1972年に交通事故で不慮の死を遂げますが、こうしてジャッキー・ロビンソンがたった一人でメジャーリーグに渦巻く人種差別、侮蔑と偏見に対して、勇気と信念をもって立ち向かい、その道を切り開いたからこそ今日があるわけです。
 
そんな彼の不滅の功績を称え、ドジャース時代に付けていた背番号「42」をメジャーリーグ全球団で永久欠番としているのです。
 
もし彼が1回でも我慢に耐え切れず手を上げることがあったら、10年遅れるどころか、果たして今日のメジャ−リ−グの隆盛が築かれていたかどうかも定かではありません。素晴らしい選手の伝記を大いなる感動に包まれて読ませていただき、ただただ感謝しています。


悲しい死

[2009年04月28日(火曜日)|No.1614]

タレントの清水由貴子さんが亡くなってしまいました。母親の介護に疲れ果て、自殺に追い込まれたということですがとても残念です。
 
清水さんは笑顔の絶えない明るい女性だったと思います。そしていつも周囲の人々には人一倍気を遣う人だったとも言われています。
 
その人がなぜ?と思わされるものですが、自分ひとりで一生懸命抱えていて行き詰ってしまったのでしょう。それだけ、この介護という問題には考えていかなければいけない、大きなテ−マが潜んでいるものと思われます。
 
清水さんは8歳のとき父親が亡くなり、それ以後、妹と自分の二人はこの母親の女手一つで育てられたと言います。それだけに30年前から腎臓病と糖尿病を患い、目や足が不自由になった母親に対して、可能な限り誠心誠意尽くしたのでしょう。自身は女の幸せとも言われる結婚をすることもありませんでした。
 
また3年前からはタレント業も休止し、パ−トに出てオペレ−タ−として働いていたとも言われています。こうして父が眠る富士霊園のお墓に二人で出掛け、ひっそりと亡くなっている本人だけの姿が発見されます。その傍らには雨に打たれながらも一晩過ごしたと思われる、意識のない母親の姿もあったと言います。
 
何とまあ侘しい情景ではないでしょうか。ある意味ではこれが介護に疲れた行く末の現実かもしれません。介護関連の記事に次のような記載がありました。
 
施設に頼らず、自宅で高齢者の面倒をみる在宅介護。「親孝行」や「家族思い」に見えるが、介護者本人はさまざまな問題や悩みを抱えているのが現実だ。
 
報告書によると、在宅介護者の4人に1人が軽い鬱(うつ)。さらに、介護者の年齢が50歳前後の場合で約2割、65歳以上のいわゆる「老老介護」では約3割が「死にたい」とまで考える状態にあるという。

 
清水さんの場合も無理かもしれませんが、タレントの仕事を続けていれば、こんなに思い詰めなくても済んだかもしれません。自宅で要介護者をみる家族は孤立しがちで、離職はそれに拍車を掛けるとも言われています。
 
我が家でも、デイサ−ビスやショ−トステイにお願いする以外は、母親から片時も目が離せないと言われています。その母親に対して、可能な限り自分が面倒をみると言ってくれている家内には全く言葉がありません。
 
決して他人事ではなく、現実的に差し迫っている問題であることから、改めて介護の大変さと、心から感謝しなければいけないことを強く知らされたものです。


WBCの後遺症

[2009年04月27日(月曜日)|No.1613]

見事世界一に輝いたWBC侍ジャパンのメンバ−ですが、その後の様子が少し気になるところです。やはり激戦の後遺症なのでしょうか、公式戦に戻ったそれぞれに少なくない影響が見受けられるものです。
 
まず負傷による戦線離脱者の代表がMVPに輝いた松坂投手です。レッドソックスに戻って開幕を迎えた後、いまいち内容がピリッとしなかった同投手でしたが、疲労からか右肩の違和感を覚え、とうとう故障者リスト入りです。
 
これに先立ち、開幕戦からそのリスト入りとなったのがイチロ−選手です。胃潰瘍と診断され、8試合ほど出場できなかったのは周知のとおりです。私たちの想像以上に大きなプレッシャ−を抱えていたのでしょう。
 
その他にも、ここにきて城島捕手も肉離れとのことで休んでいます。また国内でもゲ-ムは休んではいないものの、それなりの影響が出ているのではないかと思われる選手が何人もいるものです。
 
全試合に出場した青木選手がまずその一人です。ほぼ20試合を消化して、打率240はこの選手としてはかなり出遅れているのではないでしょうか。WBCからの帰国直後、背筋痛や発熱に襲われたのも少なからず死闘とも言えるWBCでの後遺症と言えるものと思われます。
 
また西武の中島選手も未だにホ-ムランがないとのことです。それから小笠原選手にしたって、本塁打こそ5本あるものの、打率も260と低迷しています。3人とも本音を言えば、もう少し休んで疲れを癒してからペナントレ-スに入りたかったのではないでしょうか。
 
一方そんな声とは全く無関係に、快進撃を続けているのがパリ-グを背負って立っているエ-ス陣です。楽天の岩隈、田中、日本ハムのダルビッシュ、西武の涌井の各投手です。
 
やはり若いからでしょうか、現在の投手成績5位以内にこの4人全員が顔を並べています。特にマ−君こと田中投手は、今シ-ズンに入ってから3連続完投勝利をあげ、怖いもの知らずの素晴らしいピッチングを繰り広げています。
 
願わくば、是非この4人にはこのまま好調を維持していってもらいたいものです。また私たち多くの日本人を感動と興奮に包んでくれた、他の野手陣や松坂投手についても、故障や不調から早く立ち直ってもらい、WBCでの結果同様、素晴らしい成績を残してもらいたいと願っています。
 
それでなくてはWBCでのくたびれ損になってしまいます。無理して出た結果が本人にとって、大きなマイナスになってしまったら、今後の開催にも影響が出てくるというものです。
 
そんなわけですので、イチロ−選手の9年連続200本安打や松坂投手の20勝は、こうした年だからこそ是非達成してもらいたいと願うものです。
 
蛇足ながら、アンチ巨人のこちらにとっては癪な話なのですが、唯一WBCの良き効果をそのまま持ち続けているのが原監督です。このまま勝ち続けていったらペナントレ-スが面白くなくなってしまうだけに、少しはセ−ブしてもらいたいものです。でもやはり今年の巨人は突っ走るでしょうね。


過ぎた酒が招いたもの

[2009年04月24日(金曜日)|No.1612]

SMAPのメンバ-の一人である、草彅剛くんが逮捕されてしまいました。公然ワイセツ罪だとのことです。その罪を聞いたとき、私はてっきり女性に善からぬことをしたのかと思ったのですが、そんなことではなく、泥酔して全裸で騒いだということでしたので、ある意味では安心しました。
 
というのは草彅くんというタレントに何となく好感を持っていたからです。マスコミは揃って今、彼を袋叩きにしようとしています。いやマスコミだけでなく、地デジのCMに使っていた総務省の大臣まで、最低の人間だと激怒しています。
 
しかしどうでしょうか。最低の人間とまで言われることなのでしょうか。確かに決してその行為は社会的にも認められるものではなく、無理に正当化するつもりはないのですが、彼が作られたタレント以外の部分で覗かせた、ある種人間的な部分ではないでしょうか。
 
だからと言って全裸で騒いでよいとはなりませんが、深酔いしたがゆえに全く装った部分が取り除かれ、人間としての素の部分がそのまま出てしまったものと思われます。
 
ですから考えようによっては、彼はそれだけストレスが溜まっていたのではないでしょうか。そのはけ口が運悪いことに、全く意図していなかった部分で出てしまったものと思われます。
 
確かにメンバ-の中でも、比較的清潔で真面目なイメ-ジが強かった草彅くんゆえに、ファンとしても裏切られたような気持ちになる人もいるかもしれません。
 
また多くの抱えていたCMについても、そのイメ−ジが大きく損なわれて及ぼす影響が少なくないかもしれません。でも全部が全部、一斉に降板とか打ち切りとしなくてもよいのではないでしょうか。
 
極めて人間的な部分を覗かせてくれただけに、1社ぐらいは「意図することではなかったといえ、大変ご迷惑を掛けまして申し訳ありませんでした」と、本人が出てきて謝罪した方が、また寛大な企業としてのイメ−ジも生まれ、別の効果があるようにも思えます。
 
今回の事件はそれなりの法律に背いたのですから、やはり罪と言えるかもしれません。しかし人を殺めたわけでもなく、その疑惑を持たれたことから家宅捜査されたように、覚せい剤を使用していたわけでもありません。
 
従って罪というよりは、むしろ過ちとか失敗と言えるかもしれません。こうした人の過ちや間違いを、それこそ鬼の首を取ったように、寄って集(たか)って痛めつけるのはどうかと、私は思います。
 
もう少し失敗した人間がまたすぐに立ち直れるような、寛容で優しい社会になってもらいたいと願うものです。それにしても過ぎた酒は怖いものですね。


ジャッキ−・ロビンソン物語その2

[2009年04月23日(木曜日)|No.1611]

昨日はお客様のモノレ-ルが動かなくなったので、ちょっと見てもらいたいということでしたので、朝早くから軽井沢に出掛けてきました。天気が良かったせいか、途中通る清里や野辺山辺りから望める八ヶ岳の眺望は素晴らしく、半分雪に包まれたその姿は季節の中で一番美しいものではないでしょうか。
 
またやはり長野は寒い所なのでしょう。私たちの方では散ってしまい、跡形もない桜がちょうど満開で見頃な時期を迎えていました。まさに北国の春なのでしょう。
 
さて引き続きジャッキ−・ロビンソン物語を紹介させていただきます。しつこくて恐縮です。
 
リッキ−は予想される様々な嫌がらせや中傷にも耐えられ、メジャーで活躍できる実力をもつ、黒人初のメジャーリーガーになると思われる人物を探していました。そしてその条件を備えた選手をとうとう発見するのです。その人物こそ、ここに挙げるジャッキー・ロビンソンだったのです。
 
ロビンソンとリッキーとの出会いは1945年8月28日、リッキ−の事務所に呼ばれた時には新チームの選手とばかり思っていたロビンソンは、黒人初のメジャーリーガーを探しているという真の目的を知らされます。
 
そしてその対話は3時間に及び、最後にこう尋ねたそうです。「ミスターリッキー、貴方は売られた喧嘩を買うのを恐れるような選手が欲しいのですか?」
 
これにリッキーは「私は売られた喧嘩をかおうとしないだけの勇気をもった選手が欲しいんだよ」と答えたとのことです。そしてこの言葉をロビンソンは生涯忘れなかったと言われます。
 
こうしてオ−ナ−、審判はもとより、新聞記者の中にも味方が少なくない、またファンだって敵に回す恐れもある、メジャーリーガーとしてのいばらの道を歩みはじめることになるわけです。
 
まずマイナ−リ−グ時代、人種差別の激しい南部の州では、出場すら許されず、本拠地以外の観客からは罵詈雑言を投げつけられました。時には相手チームの選手がグラウンドに黒猫を投げ込み「お前の親戚がいるぞ!」という仕打ちもされることもあったのです。
 
しかし野球選手としては無類の活躍を見せたのも事実で、気がつくとモントリオ−ルの人気選手にもなっていたのです。ここでの覇者を決めるリトルワ−ルドシリ−ズで、相手方チ-ムの主催ゲ-ムで相手がとった黒人ファンの入場制限により、敵地は人種間の緊張が高まり始めたのです。
 
大きな騒動にはならなかったものの、ロビンソンにとっては最悪なもので、彼の一挙手一投足に憎しみのこもった野次を浴びせ掛けたのです。これが災いし3試合で1本しかヒットを打てませんでしたが、本拠地モントリオ−ルに戻ると、地元ファンが敵地で受けたこの仕打ちに激怒し、相手チ−ムの打席には一斉に耳をつんざくような野次を浴びせるのです。
 
こうしてホ-ムでの力強い声援のお陰もあり、チ-ムはシリ-ズを3連勝し逆転して、ものにしたのです。そして優勝を決めた後、観客はロビンソンの名前を叫びながらフィールドになだれ込み、ロビンソンを肩にかついでフィールドを一周しました。
 
そのときの様子をある記者はこう語っています。「白人の群集がリンチしようと思ってでなく、慕っているからこそ黒人を追いかけるのは多分史上初めてのことだろう
 
1947年、ブランチ・リッキーはこうしてロビンソンをメジャーに昇格させることを決めるのですが、まだまだ彼の試練は続くのです。(次回に続きます)


ジャッキ−・ロビンソン物語その1

[2009年04月21日(火曜日)|No.1610]

先日紹介した、偉大なる黒人初の大リ−ガ−、ジャッキ−・ロビンソンの話の続きです。ここまでの苦難を乗り越えてきたということを、その物語から知らされましたので、どうしても伝えたいと思い紹介させていただきます。しばらくお付き合い下さい。
 
士官学校に入ったあと、駐屯地の野球チ−ムに加わろうとしたことがありました。そのとき受けた露骨な仕打ちを、当時のチ−ムメ−トがこのように振り返っています。
 

ある日、黒人の少尉が一緒にプレーしようとチームにやってきた。ある仕官が一緒にやることはできないよ、そして黒人チームなら君を入れてくれるよと彼に言った。それは冗談で黒人チームなど基地にはなかった。
 
その黒人少尉は何も言わず、我々が練習するのを見ながらそこにしばらく立っていた。そして背を向けて歩いて行った。その時は彼が誰だか知らなかったが、あれが私が初めてジャッキー・ロビンソンを見たときで、今でも彼が歩き去っていく姿が目に浮かぶよ。

 
と、このように彼の前途は暗いものでした。そして陸軍除隊後、ニグロ・リーグの名門カンサスシティロイヤルズに入るが、その生活は決して楽なものではありませんでした。
 
でこぼこだらけの道をバスで走っての遠征、黒人を泊めてくれないホテル、食事を出さないレストランが多かったので、バスの中で食事をし、寝泊りすることも少なくなかったのです。
 
しかし、ブランチ・リッキーという一人の男が彼の運命を変えることになるのです。ブルックリンドジャースのマネージャーに就任していたこの人は当時、野球界における最もすぐれたマネージャーとして高い評価を受けていました。
 
リッキ−にはある胸に秘めた思いがありました。彼が大学監督を務めていたとき、チームにはチャーリー・トーマスという黒人の一塁手がいましたが、遠征先のホテルで黒人であるという理由で宿泊を拒否されてしまいます。
 
リッキーはホテルの管理人に頼んで自分の部屋に彼が寝るための簡易ベットをいれてもらいました。それは当時、宿泊客に同伴する黒人召使のためにホテルがよくやっていた事なのです。
 
その晩、黒人選手が自分の肌の黒い色をこすり落とそうとするかのように、両手をこすり合わせ泣いているのを目撃します。
 
黒い肌!黒い肌!」泣きながら、「この黒い肌を白くすることさえできたら、自分もみんなと一緒に扱われるんです。そうでしょう?リッキーさん?」と語りかけていたそうです。
 
それをきっかけにリッキーの心は大きく動き、後にこう語っています。

私は誓ったんだ。チャーリー・トーマスが経験したような屈辱を他のアメリカ人が味わわなくてすむようにする為に自分のできることなら何でもしようと
 
リッキーはこの約束を40年間に渡って、自分の胸のうちにしまい、人種隔離が基本の野球界に異議を唱えるのに相応しい時期を待ちつづけていたのです。
 
こうしてドジャースのGM兼会長になってから、極めて慎重に事を運び、新しい黒人チームを作ると偽って全米にスカウトを派遣し、有望な黒人野球選手をリストアップさせたのです。
 
(また次回に続きます)
 
明日、22日は急遽、軽井沢への出張作業が入ってきたため、カキコミを休ませていただきます。ご了承下さい。


東京五輪誘致

[2009年04月20日(月曜日)|No.1609]

2016年の夏季五輪開催地が果たして東京に決まるのでしょうか。昨日そのIOC評価委員会の一行が東京の現地調査の全日程を終了しました。
 
記者会見で「ビジョン、概念に感銘、招致に向け一丸となった強い協力体制が感じられた」との好意的なコメントを残し、その計画に一定の評価を示しました。
 
また全体的に非常にいい水準で、プレゼンテーションの質が高く、国民の五輪を望む声も強いとの、関係者のコメントからもその感触はよいように思えます。
 
しかしながら安心はできません。この評価委員のメンバ−は好意的な歓迎体制から、お世辞こそ並べ立てますが決して否定的なことは言わないというのです。
 
またシカゴという強力なライバルも控えています。今回の4つの候補地の中で、何と言ってもこのシカゴが一番の強敵ではないでしょうか。
 
今をときめくアメリカ大統領・オバマさんの地元でもあるからです。アメリカはそうした関係で、今後大攻勢を掛けてくるものと思われます。またシカゴはミシガン湖のほとりにある、緑豊かな米国のほぼ中心にある水、陸、空路の要所でもあります。
 
唯一水道からの水がおいしい飲料水となるとPRした東京に対して、ここは近代的都市の真ん中で、尚かつレイクサイド周辺に広がる、緑に包まれた巨大な公園での開催を大きくアピ−ルしています。
 
思い起こしてみると、前回の東京オリンピックが開かれたのが、ちょうど私の中学3年生のときです。それだけにしっかりと記憶に残っていますが、当時カラ−テレビが出始めた頃で、同級生の家に入れたばかりのこのテレビで、映し出される開会式の様子を目を凝らして眺めたものです。
 
今でも最後に入場してきた日本チ−ムの真っ赤なブレザ−が強烈な印象として残っているくらいです。この感動を自分の子どもたちの世代にも是非味わってもらいたいと思っています。
 
シカゴの不安材料は過去6大会のうち、2度まで米国で開催されていることです。それと強いてあげればテロの標的になりやすいということも言えるかもしれません。
 
とにかくまだまだ判りません。願わくば開催時、還暦を過ぎた自分たちの世代でも、もう1回このオリンピックの醍醐味を自国で是非堪能したいものです。また日本が元気になる意味でも、東京開催を切に願っています。


ジャッキー・ロビンソン

[2009年04月17日(金曜日)|No.1608]

昨日は故障者リスト入りでシ−ズンのスタ−トが遅れた、イチロ−選手の開幕戦でした。その試合であと2本に迫っていた、張本選手の日本安打通産記録3085本にあっさりと追いつくのですから大したものです。
 
またその記念すべき安打が何と満塁ホ−ムランですか、いやはや、この選手らしい達成の仕方です。本当に恐れ入るものですが、この日4月15日は奇しくも「ジャッキー・ロビンソン・デー」でした。
 
お昼休み、イチロ−選手が出る、このマリナ−ズ戦をテレビで観たのですが、何と全員の背番号が42なのです。見間違ったと思い、眺め直したのですが、マリナ−ズだけでなく相手のエンジェルスも全員42番を付けています。
 
しばらく解説があるまでその意味が解らなかったのですが、ジャッキ−・ロビンソンにちなむ日と聞いてようやく理解できました。それにしても大リ−グという機構は凄いですね。この日、この2チ−ムだけでなく、全チ−ムが同じように全員背番号42を付けてプレ−したと言うのです。
 
言い方を替えれば、ジャッキ−・ロビンソンという選手がそれだけ凄い選手だったとも言えるわけです。この黒人初めての大リ−ガ−と言われる選手について、少し調べてみました。
 
まず4月15日はこのロビンソンがデビュ−した日なのです。付けていた背番号42は、今ではメジゃ−全球団の永久欠番となっています。日本では「しに」番なのですが、日本にやってくる外人選手が42番を好んでつける理由がやっと解りました。
 
昨年まではこの日に限って、希望する選手には42番の着用が認められるということで、昨年など300人を超える選手が着用したとのことですが、今年は全チ−ムの監督、コ−チから選手全員ということになったそうです。
 
また選手としての記録は、10年の選手生活で通算打率.311、137本塁打、734打点、197盗塁と、歴史的記録までは残していませんが、その功績はそんな記録よりはるかに尊いものがあると言われています。
 
とにかくこの選手がいなかったら、あと10年は遅れたと言われるくらい、黒人選手にとっての大リ−グへの登竜門を切り開いた人なのです。
 
貧しい奴隷の孫として生まれたジャッキ−・ロビンソンは生後6ヶ月で父が蒸発してしまったため、家計を一身に背負いながら、愚痴一つこぼさず、必死になって働く母親の手で育てられます。
 
しかしながら、10代で非行への道に染まり始めますが、「このままではお母さんを悲しませることになる。人に追従することは誰にでもできるが、大切なのは個性を発揮することなんだ」という知人の言葉に救われることになります。
 
やがてスポ−ツ選手としての頭角を現し始めますが、黒人ゆえに何の希望も持てず、なかなか前途が開けません。悲観したあげく、元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・ルイスのコネで当時黒人には許されていなかった士官学校への入学を果たします。
 
また後日この続きは紹介いたしますが、とにかく黒人ゆえに私たちの想像を絶するほどその道を極めることは困難だったのです。それゆえに全員が42番をつけるほどの理由がよく解りました。アメリカという大国での人種差別が半端ではなかったゆえに、その道を切り開いた人の偉業はやはり尊いものです。


サプライズ

[2009年04月16日(木曜日)|No.1607]

いよいよ総会シ−ズンの到来です。先週の土曜日、トップを切って中小企業家同友会静岡県総会が開かれましたが、昨日はその沼津支部総会でした。
 
ここで新しい方に支部長を引き継ぐ私にとっても、支部長としての最後の総会でもありました。また来賓には栗原沼津市長はじめ商工会議所市川副会頭など6名もの方のご出席を頂きました。
 
総会の冒頭、支部長最後の挨拶で、3年間毎回私の長い挨拶を黙って聞き続けていただいた会員の皆様に、まずお詫びと感謝の気持ちを伝えました。
 
それから昨年の全県行事はじめ支部事業が会員の強い支援と協力でつつがなく行うことができたこと、そして何よりもその活動が楽しくできたことに心から感謝致しました。
 
やはり楽しくなければ長続きはしないものです。仕事でもそうですが、このまず楽しく活動することが原点ではないでしょうか。
 
こうして総会の議案審議も順調に進み、新体制として何の不安もなく無事スタ−トを切れたわけですが、閉会の前に予期せぬサプライズが待っていました。
 
支部長を3年間務めた私への功績とのことですが、感謝の花束と記念品の贈呈があったのです。ここまでなら何もサプライズではないわけですが、贈呈者が何とこの記念品とともに会場に乗って現れたのです。
 
そうです、ななんとその記念品は自転車だったのです。これにはさすがに驚かされました。事前に何か記念品を用意しているとは、うっすらと気がついてはいましたが、それが”商売繁盛”と書かれた垂れ幕とともに、きらびやかに飾り付けられた自転車だったとは露知るところもなかったのです。
 
とにかく嬉しかったですね。決してそういったモノではないのですが、何か皆さんの気持ちがそのまま伝わってくるようで胸がいっぱいになったものです。エコの時代とも言われるこれから、この自転車に乗って仕事にも精出して走り回れとの応援メッセ−ジなのでしょう。
 
またこの自転車に乗って帰宅したのですが、家についてよ−く自転車を眺めてみましたら、次のようなメッセ−ジが添えられていました。
 

3年間、私たちの為に本当にありがとうございました”、”支部長職お疲れ様でした!支部の盛り上がり秋山さんの人柄ですネ
 
とにかく何も言うことがありません。3年間のその職に決して苦労とも思ってはいなかったのですが、全て吹っ飛びました。改めてやってよかったと、しみじみ噛みしめたものです。


マスタ−ズでの教訓

[2009年04月15日(水曜日)|No.1606]

マスタ−ズでの話の続きで、石川遼くんについて少し触れたいと思います。まずは17歳6カ月という大会史上2番目の年少者としての出場でしたが、本当によくやったと思います。
 
2日目、終盤の16,17番で連続のダブルボギ−が響き、惜しくも予選通過はできませんでしたが、このダブルボギ−も通過を果たそうと攻めた結果であり、仕方がなかったのではないでしょうか。
 
私は遼くんの予選ラウンドでの2日間、可能な限りテレビにかじりついていたわけですが、ある種爽やかな感動をこの選手からいただくことができました。
 
特に73の1オ−バ−で回った初日、途中11番を終わって4オ−バ−までいった段階で、このまま崩れてしまうのかと不安になりました。ところが14番、15番と連続バ−ディ、最終の18番でもバ−ディを入れ1オ−バ−まで戻してフィニッシュしたのです。
 
会社へ出掛けなければいけない時間になって、私はこの3つのバ−ディの場面に遭遇していないのですが、後でこのことを知り、やはりこの選手の持つ人並みではない、特異な才能を強く感じました。
 
普通の選手だったらきっとズルズルと後退していったでしょう。ましてや前半からのプレ−は地に足がつかず、何をやっているのか全く分からなかったとも言っています。それを踏みとどめたのはこの選手の持つ、いつも前向きな、その年にはそぐわないようにも見える、強い精神力ではないでしょうか。
 
2日間終わったテレビインタビュ−で、仲間からも言われ楽しくプレ−しようと乗り込んできた大会だったが、回った36ホ−ルの1つも楽しくプレ−することができなかったと述べています。
 
それは全ての選手に言えることで、このコ−スのセッティングから考えても、1ホ−ルとして息を抜けるホ−ルはないと言えるのではないでしょうか。だから選ばれたマスタ−(名手)に相応しいコ−スとも言えるわけで、それぞれがめざす優勝が一層価値あるものとなるわけです。
 
石川遼くんにとっては、今回のマスタ−ズから貴重な経験を積んだことにより、今後の大きな財産にもなることと思われます。本人が帰国して述べているように、自分に足りなかったものやこれからの課題を強く知らされたからです。
 
それだけにきっとこの選手はまた一回り大きくなることでしょう。本人の掲げる、20歳でのマスターズ優勝という目標も夢ではありません。ホ−ルアウト後、去るときに人知れずさりげなく頭を下げ、コ−スに別れを告げ、再会を期していたように、この謙虚なひたむきさをずっと持ち続け、頑張ってもらいたいものです。


補助金の申請

[2009年04月14日(火曜日)|No.1605]

地域産業総合支援事業費補助金というものをご存知ですか。ややこしい名前のものですが、平たく言えば新商品・新技術などの事業や販路開拓事業への補助金のことです。
 
これは経営革新計画承認企業に対して設けられているもので、その計画実現をめざすために後押しする補助金制度です。
 
弊社も昨年の7月にこの承認をいただいている関係で、申請資格を有していることから、補助金の申請をしようと先週からこの書類作成に取り掛かりました。
 
しかしもっと早くからやり始めていればよいのに、学生時代の勉強のように、切羽詰らないとやらないことが災いして、明日15日が提出期限だというのにギリギリの前日である、今日やっと書類をまとめて送り、辛うじて間に合わせたような次第なのです。
 
幾つになってもその習慣というものは直らないものです。それにしても、こうした補助金等の申請書類は結構ややこしくて、取っ付きにくいものなのです。
 
計画に係る事業の概要他、この補助事業における目標や具体的取組内容、また補助事業の必要性等を詳細に記載し、経費の積算明細を算出して記入しなければなりません。
 
こうした書類の作成に慣れている人ならよいのですが、私のような不慣れな者ではなかなか集中して入り込めないものです。先週末になって、期限が迫ってきたことから、ようやく何とかその気になって作成に入り込むことができたものです。
 
やはりこのような仕事は人のいない時に限ります。朝早くとか、休みで電話もないような時です。しかし今回に関しては、朝早くはマスタ−ズがあった関係で、折角早く出社したにもかかわらず、結果が気になりついついテレビを横目で眺めてしまう始末です。
 
それでも何とかかんとか、金融機関のサポ−トもあって間に合わせてまとめることができました。面倒臭いから何度も投げ出したい気持ちにも駆られましたが、今となってみれば曲りなりにまとめ上げた達成感があるものです。
 
途中で投げ出しては何も実りません。先日もこの欄で触れた、稲盛和夫さんの言われるように、成功者と不成功者の差は紙一重、不成功者には最後の粘りがないとの言葉どおりです。
 
大したことではないかもしれませんが、面倒臭いことや、目の前の煩わしさから逃げてはいけません。逃げ出してもまたきっと襲い掛かってくるものです。またいつもそうしたものから目を背けず、前向きに向かっていけばきっと道は拓けるものです。
 
煩わしさから解放された私の今夜の晩酌は、きっとその心地よさから、格別おいしいものになるに違いありません。


ゴルフの夢の祭典

[2009年04月13日(月曜日)|No.1604]

ここ数日、朝早くからテレビにかじりついた人がきっと多かったことと思われます。ゴルフの夢の祭典、マスタ−ズが開かれていたからです。私も例外ではなく、4日間とも5時前には起き、素晴らしい熱戦に朝早くから胸を熱くしていたものです。
 
それにしても日本人の3選手、本当によくやりましたね。特に片山選手、予選ラウンドから帽子に日の丸が付いているのは見えたのですが、最終日には何とウェアの背中に付いていました。これが本人も事後のインタビュ−で言われていた、文字どおりの日の丸を背負ってプレ−していたのでしょう。
 
先のWBC効果も少なくないものと思われます。あれだけ日本全体が感動した興奮に、少なからず片山選手も俺もという気持ちになっていたのでしょう。やはりその気になった選手は違いがあるものです。
 
解説の中嶋さんも言われていた通り、強風が吹き、一番コンディションの悪かった2日目に耐え忍んで、最後の18番でこの日唯一のバ−ディをとったのが大きかったと思います。今までは大概期待して眺めると、最終日に崩れていく日本人選手のパタ−ンが常だったのですが、今回は片山選手のお陰で気持ちよく応援できたものです。
 
特に最終日、上がりの3ホ−ルで見せた、片山選手のこの大会に賭ける執念は見事なもので、鳥肌が立つほどの感動を覚えたものです。
 
16番のあわやホ−ルインワンかと思わせるショットの後の下りのバ−ディパット、また17番で左のバンカ−に入れてしまった後の3〜4mぐらいあったパ−パット、そして最終18番でのグリ−ン右からの4mのバ−ディパット、これを執念でことごとく入れてしまったのです。とにかくお見事でした。
 
それから初出場の今田選手もよくやりました。ちょうどここでテレビ放送が切れた2日目の18番、2打目を右のバンカ−に入れてしまい、ここをパ−で切り抜けないと予選通過できないピンチに見舞われたのですが、必死の思いがあったのでしょう。2.5mぐらいだったとのことですが、これも執念で入れて決勝ラウンドに進出したのです。
 
この選手のプレ−を見ていると決して派手さはないのですが、パタ−も強気でしっかり打っているし、ショット・アプロ−チについても安定しているところから、遅かれ早かれこの先、アメリカ仕込みの経験とその試合度胸からきっと大きな花を咲かせることと思われます。期待したいものです。
 
それから石川遼くんもよくやりました。惜しくも予選通過はできなかったものの、私たちを予選ラウンドからテレビに引き付けたのは彼の功績です。頑張った遼くんについてはまた改めて触れたいと思います。
 
やはり優勝のプレッシャ−というものは凄いものです。優勝争いの3選手の中、最終日の終盤まで堅実なプレ−を続けてきた、48歳のケニー・ペリー選手にできれば勝ってもらいたいと思っていたのですが、最後の17,18番で崩れてしまいました。
 
テレビ画面からもしっかりとその表情が映し出されていたのですが、17番のティ−ショットの前からペリ−選手の表情が明らかに変わっていました。解説でも言っていましたが、これが勝てると優勝を意識し始めた瞬間からの大きなプレッシャ−なのでしょう。惜しいことをしたものです。
 
とにかく今年のマスタ−ズはこうした日本人選手の活躍もあったことから、大いに盛り上がりました。視聴率も早朝では異例の高い数字を記録したようです。これが良いのか、悪いのか、言い換えれば、みんなそれだけ暇だったと言えるかもしれませんね。


マイバッグの弊害

[2009年04月10日(金曜日)|No.1603]

ここのところス−パ−では環境問題に配慮して、レジ袋を有料化にしたりしている対策を取り始めています。そうしたところ、コンビニにゴミ袋に使うから余分にくれといった、厚かましい輩も増えてきているそうです。
 
しかもそれが男性に多いと言うのです。ずいぶん男のイメ−ジも変わってきているものです。さてこのレジ袋の代わりに最近、持参している人が多いマイバッグの話です。
 
何とこのマイバッグが増えてきたことにより、それに伴って万引きが多くなっていて、店内巡回を委託された保安員を悩ましているとのことです。
 
それというのも、精算が済んだということに目印になっているレジ袋でないため、その判別が難しくなっているからです。中にはカ−トごと店内に持ち出す大胆な万引き事件も発生しているそうです。
 
このレジ袋が消えたことにより、マイバッグに入れて通り抜けても、以前より不自然に写らなくなっているからです。
 
万引きにはレジを通らず、商品を袋詰めする「サッカー台」というものに直行してマイバッグに入れるのと、商品が入った籠ごと店外に出る「かご抜け」と呼ばれる手口があるそうです。
 
こうした手口で万引きを重ねている人間のコメントでは、レジ袋を断ったことにすれば、簡単にカ−トごと店外に出られると、平然と述べています。
 
いやはや、少しでも地球に優しくと、環境に配慮したはずがとんでもないお荷物を背負ったものです。全く今の世の中、多様化しているお陰で、いろいろなことが起きるものです。
 
今では地域によっては8割ものマイバッグを持参しているという中、その対策として、一部ではレジの前後で籠の色を変えるとか、レジからサッカ−台までの籠は取っ手を外すといった方法も採られていると言います。
 
とにかく様々な対策方法を採る前に、人のものをお金も払わず黙って持ち去るという行為がとんでもないことで、道徳心に反した、人間として恥ずべき最低の行ないということを知らしめなければなりません。
 
子どもたちの間ではこの万引きがある種、ゲ−ム感覚のようになっていることもあると聞きます。とにかくそれを厳しく諭す、親や社会の責任は大きいのではないでしょうか。ましてや親自身がそれに手を染めるなど、言語道断のことです。


貧困のない世界を創ろう

[2009年04月09日(木曜日)|No.1602]

中小企業家同友会新聞にムハマド・ユヌス氏の記事が載っていました。2006年にノ−ベル平和賞を受賞された方ですが、東京同友会でこの度、講演会が開かれたということです。
 
お馴染みではないかもしれませんが、この方は「貧困のない世界を創ろう」と、バングラディシュにグラミン銀行を創設された方です。
 
何ともその思想が素晴らしいのは、高利に苦しむ貧しい女性を対象に、「マイクロクレジット」と呼ばれる無担保融資を始めたのです。
 
五と六という言葉があります。これは朝500円借りたら夕方には600円を返すということで、毎日20%もの高い利子を返していくという意味らしいのです。
 
こうした人達が少なくなかったと言われます。読み書きができず、お金を手にしたことのない女性たちの意識を変えようと、最初、3000円ぐらいを融資し、鶏を飼い取れた卵を市場に売って、毎週返済をしていくというやり方から始めていったのです。
 
そして借主たちは少しずつその規模を大きくしていって、小さな仕事からしだいに大きく成長していったのです。一般の商業銀行では相手にもされなかった人達が、こうして自信と誇りを持って自立し、貧困から抜け出してきたのです。
 
お互いの信頼関係の上にこうして築き上げられた、その返済率は実に98%にも上るそうです。昨年にはニュ−ヨ−クにも支店を開設し、平均貸出額は22万円、500名の女性たちが利用していると言われています。
 
その融資を受けた女性たちが、一例では今までの手仕事だった掃除に機械を導入し、効率を高めて収入を増やしていくのです。このニュ−ヨ−クでの返済率は何と99.6%とのことです。
 
ユヌス氏は大切なことは「信頼」だと言われています。こうした強い信頼関係の上に立って、教育や医療、情報などの分野で、次々と新たなソーシャル・ビジネスを立ち上げていったのです。
 
また、このグラミン銀行の支援で大学を卒業した子どもたちには、「どこかに雇われることを考えるのではなく、自ら仕事を興し、雇用の場を広げてはどうか」とアドバイスしているとのことです。
 
まさに企業は何のためにあるのかと、私たちに大きく問い掛けられています。そしてこの新聞の結びにも、仕事を作り、雇用を増やし、社会や国を変えていくというユヌス氏の尊大な取り組みは、同友会が考えている「中小企業立国」の原点を示していると述べていました。
 
やはり企業が存在する以上、こうしたユヌス氏の尊い取り組みとまではいかなくても、人の役に立つ何らかの社会貢献を果たしていきたいものです。


エコカ−

[2009年04月08日(水曜日)|No.1601]

ホンダの車、インサイトが売れています。自動車業界が大きな不況に喘ぐ中、エコカ−である、この車に関しては例外のようです。インサイトは今、契約しても納車が3ヶ月待ちとも言われている大人気なのです。
 
この4月1日から、新グリ−ン税制と言われる、ハイブリッド車やクリーンディーゼル車についての、重量税や取得税を免除する優遇措置が実施されていますが、そうした措置も一層その動きに拍車をかけているものと思われます。
 
何と言っても、売れている理由はリッター30キロとも言われている低燃費です。インサイトの躍進から、同じくここで急遽対抗手段に出ているトヨタのプリウスと比較するデ−タが出ていました。
 
実際の燃費はカタログ性能の7〜8掛けとも言われていますが、まず街中を普通に走っている場合は、インサイトとプリウスはほとんど変わらず、16キロ前後とのことです。
 
また郊外のすいている一般道になると、インサイトの20キロに対してプリウス22キロ。高速道路を時速100キロで走り続けるとインサイトは25キロを超えるが、プリウスは21キロと大きく負けるとも言われています。
 
さらに、高速道路を時速120〜130キロで飛ばすとインサイト19キロ、プリウス18キロと、どちらも燃費は悪化することになります。
 
このように飛ばすと当然、その燃費は落ちることになりますが、時速80キロぐらいで走行を続けると、インサイトはカタログに載っている30キロを超えることもあるそうです。
 
全体的には、燃費がいいのは街中や一般道でプリウス、高速道路ではインサイトと評価されていました。
 
その凌ぎを削るプリウスとインサイトの販売競争は今後益々激しくなるのではないでしょうか。私たち消費者にとってはとても好ましい傾向なのですが、トヨタのように相手の車が売れているのを眺めてから、危機感を覚え、値を下げてくるというのも、ちょっとえげつないようにも感じているところです。
 
私の2番目の娘もここで晴れて社会人となり、高齢者ゆえに少し小金持ちの祖父にねだって車を買ってもらうことになりました。若い女性に比較的人気のある、ラパンという可愛らしい中古車なのですが、乗ってみると軽自動車と言ってもなかなか馬鹿にしたものではありません。
 
それだけ車の性能が昔よりずっと上がっているのでしょう。何より嬉しいのはガソリンをくわないことです。やはり燃費のことをしっかり考え、努めていくのが、これからの時代、私たちに課された責務とも言えるものです。
 


執念

[2009年04月07日(火曜日)|No.1600]

事を成し遂げるかどうかは執念にかかっているとのことです。以下、雑誌「致知」記載の文章です。(一部省略)
 
青年は地方の大学を出、京都の会社に入った。就職難の時代。青年の喜びは大きかった。だがそれが色褪せるのにさして時間はかからなかった。
 
会社は赤字続きで給料遅配も珍しくない。これに対して労働組合は頻繁にストを繰り返している。青年はうんざりした。同期の友人と語らい、自衛隊に入ることにした。
 
その手続きのために戸籍抄本を送ってくれるよう、実家に頼んだ。だが戸籍抄本は来ず、長兄の手紙だけが送られてきた。
 
「働くところもないおまえを雇ってくれた会社になんの恩返しもせずに辞めるとは何事か」その叱責はズシンとこたえた。よし、この場こそ最高の場と思おう−−青年は生活を一変させる。
 
会社に布団や炊事道具を持ち込み、寝る間を惜しんで仕事に没頭した。その努力は認められ、会社は数人の部下をつけてくれ、開発された製品にある大手メ−カ−が注目、大量の注文が舞い込むようになった。
 
そんな時期、賃上げを要求して組合は全面ストに突入。工場にはピケが張られたが、青年は仲間と会社に泊まりこみ、仕事を続けた。
 
作った製品は裏門の塀から手渡し、納品した。その行為は全組合員から非難、罵倒された。青年は言った。
 
「私は会社の回しでも、皆さんの敵でもありません。今我が社で黒字はこの製品だけです。この生産を止めたら、それこそ皆さんの給料も払えなくなるのではないですか」
 
一歩も譲らない青年の姿勢。これには組合幹部も心を動かし、スト中も青年のチ−ムだけは仕事の続行を黙認されることになった。

 
この青年こそ、京セラ創業者、稲盛和夫さんなのです。その歳、25歳ごろの話です。努力は誰でもする。その努力が執念と呼べるほどのものになって、事は成ると、その文章で結んでいます。
 
また「成功者と不成功者の差は紙一重」とも、稲盛さんは言われています。その紙一重とは、不成功者には粘りがないと指摘しているのです。
 
まさに執念と呼べるものなのでしょう。周囲が今のような大きな不景気の時こそ、仕組みを大きく変え、他との差別化を図る、絶好のチャンスと言えるものです。そうしたチャンスのときだけに、遅々として進まない現状に、焦りのような気持ちすら覚えています。何とかしなければ...


ミサイル発射

[2009年04月06日(月曜日)|No.1599]

5日正午前、ついに北朝鮮はミサイルまがいのものの発射を強行しました。多くの非難の声があったのにもかかわらず、国際社会に対し、さも挑発するかのような愚行に踏み切ったのです。
 
まあこの国は何を言っても聞き入れるような国ではないのですが、その目的はアメリカを強く意識したものに違いありません。
 
伝えられるところによると、1998年に発射したテポドン1号の飛行距離は1600kmと言われていましたが、今回はそれをはるかに凌ぐ3000kmを超えたとも言われ、アメリカの主要軍事基地が並ぶグアムへは確実な射程圏内としたとのことです。
 
これに示されるように、こうした射程の長距離化は着実に進んでいるものと思われます。またイランなどへの売り込みのプレゼンテ−ションを図ったものとも思えます。
 
でもその上空を越される我が日本にしてみれば、穏やかな話ではないのも事実です。今回、初めてその不測の事態に備え、イージス艦搭載の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)と地対空誘導弾パトリオット(PAC3)という、ミサイル防衛(MD)システムを実際に配備しました。
 
それだけに平和ボケしている日本国民も、少しは北の脅威を感ずることになったのではないでしょうか。
 
それにしても4日のちょうどお昼頃、発令されすぐに取り消された誤報騒ぎはいったい何だったのでしょうか。いくら実戦に不慣れとは言え、誤報で余計な混乱を招いたのはちょっとお粗末過ぎるものでした。
 
しかしながら以前のテポドン騒ぎに比べれば、ずっとその察知能力も高まっています。昨日の発射では2分後には発射の第1報を、そしてその1分後にはミサイルが東北地方の上空を通過するとまで発表していました。
 
北朝鮮が事前に発射の通知予告をしていたとはいえ、格段の進歩が見られないわけでもありません。でも日本上空を長距離ミサイルが1000キロを超える高度で通過した場合、現在の防衛力ではなすすべがないことも判ったそうです。
 
こうした理不尽な北朝鮮のような国が隣国として位置しているのは、とても扱いにくく、これからの対応が難しくなるものと思われますが、気をつけてもらいたいのは、目には目をといった武装強化に頼ることだけは控えたいことです。
 
やはり日本独自の、平和を最優先した柔軟な対処法をしっかり考慮し、打ち出していくことを切に願っています。 


春の選抜から

[2009年04月03日(金曜日)|No.1598]

春の選抜が終わってしまいました。その開幕が盛り上がったWBCと重なった関係で、いまいち注目度が弱かったようにも思えます。
 
それでも春は投高打低とも言われているように、今大会は素晴らしいピッチャ−が目につきました。優勝した長崎・清峰高の今村投手や、同じく準優勝の花巻東の菊池投手などに代表されるように、羨ましくなる逸材が揃っていました。
 
特に今村投手の下半身は見事なものです。ユニフォ−ムの腰から下はパンパンではちきれそうでした。この冬場、相当走りこんだのではないでしょうか。5試合、44イニング投げてわずか1失点、素晴らしい投手です。
 
また花巻東・菊池投手もよかったですね。1回戦では9回1死までノ−ヒットノ−ランの投球で、惜しくも達成はできなかったものの、2戦連続で完封と2ケタ奪三振を記録しました。特に投球のテンポの早さが印象的で、今村投手同様、将来期待される左腕ではないでしょうか。
 
嬉しかったのは優勝の清峰高が県立高校だったことです。近年、私立の強豪校がひしめく中、よくやったものです。長崎では春夏通じて優勝は初めてとのことで、地元ではその喜びで沸き返っているものと思われます。
 
新聞に書かれていた清峰の監督さんの談話がまたいいものでした。自分が監督に就いてから、もう何年にもなるが、野球部を辞めていった人間が5人もいないはずだと言うのです。たとえ野球が下手でも、それぞれには必ず役割があるから、それを見つけていったとのことです。チ−ムの結束はそんなことからも益々強まるものと思われます。
 
それから今大会、21世紀枠で出場した宮城・利府高が善戦したのも記憶に残るところです。。1回戦で我ら地元・掛川西を破ったあと、習志野、早実の強豪校を撃破していったのは見事です。惜しくも東北勢同士の準決勝となった花巻東に敗れましたが、アッパレな戦いぶりだったと思います。
 
まあ、この学校のレギュラ−クラスの一部がブログで1回戦の相手校の悪口を書き込んだことが問題となりましたが、これも昔と違った現在の球児たちをある意味では反映していたのかもしれません。
 
掛川西も決して油断したわけではないでしょうが、あっけなかったものです。このように21世紀枠だからといえ、決して力の差が大きいわけではありません。高校野球は蓋を開けてみなければ判らず、それぞれが結構、紙一重のところにいるのではないでしょうか。
 
選抜も終わり、各地ではもう夏に向けてのシ−ドを決める春の県大会が始まっています。1回戦で我が母校は残念ながら負けてしまいましたが、夏に向け、しっかりとした目標を立て、捲土重来を期してもらいたいと願っています。そうそう、プロ野球は今日開幕ですね。野球からまた目が離せなくなりそうです。


消費者への裏切り

[2009年04月02日(木曜日)|No.1597]

2月の同友会・熊本全国研究集会のあと、この欄でも触れさせていただいた、美少年酒造で残念なことが起こってしまいました。
 
この研究集会のとき、同じグル−プに同会社の副社長がいて、昨年秋に起こった事故米混入による影響をいろいろ聞いていたからです。
 
いわば被害者同然のこの会社に同情を寄せて、別れ際には静岡に帰っても周囲に宣伝し、しっかりと応援するからと握手までして別れてきました。
 
そんなこともあっただけに昨日のニュ−スはショックでした。もちろんテレビでも伝えていたように、この33歳の副社長自身は寝耳に水の話で、何も知らされていなかったということを信じたいと思います。
 
今回の事件の手口というのは、例の事故米の張本人であった三笠フ−ズのグル−プ会社で辰之巳というところがあるのですが、美少年酒造がこことの間で、長年にわたって裏金の取引があったというのです。
 
伝えられているところによると、美少年酒造が国産の1等米を酒の原料米として仕入れたあと、辰之巳(東京)に加工を委託、辰之巳はこの米を等級の低い米に買い替えて精米し、美少年酒造に納入していて、売買価格の差額を年1回、現金でキックバックしていたとのことです。
 
しかも30年近くもの長い間にわたって、この等級の高い米と低い米の差額である140万〜200万円ものお金が、毎年、美少年酒造にバックされていたのです。
 
これを美少年酒造の社長は、焦げ付いた貸付金の穴埋めや接待費に使っていたということですが、差し替えられていた米が事故米ではなかったことを信じたいものです。
 
でも消費者の観点からは、果たして今回の事件はどう写るものでしょうか。地元・熊本では創業240年とも言われる、この大きなブランド力を誇る美少年酒造に対し、昨年秋からは被害企業として支援する動きもあったと言われています。
 
風評被害として1億円を超えたという、この会社がこうした動きもあったことから、ようやく業績を回復してきた矢先に出てきた出来事でもあります。
 
一度ならず二度までも消費者の気持ちを強く引き止めることができるものでしょうか。先の全国研究会・特産品ブ−スで、副社長自身が販売していたこともあり、”美少年”という酒を私も2本も買い込んで戻りました。
 
今となってみれば早く飲んでしまえばよかったのですが、貧乏性のためか、未だに2本とも手をつけていなかったのが果たしてよかったのかどうか、何となく、おいしかった酒にマイナスのイメ−ジが働いてしまいます。
 
好青年との印象が強かった副社長自身が何ら関与していなかったことを信じ、いち早く汚名を挽回し捲土重来を願っています。


エコアクション21

[2009年04月01日(水曜日)|No.1596]

花冷えと言うのでしょうか、ここ数日ちょっと温かくない日が続いた関係で、桜の開花に一旦はブレ−キがかかったようでしたが、今朝の散歩時にはようやく綺麗なピンク色が目立つようになってきました。いよいよ桜花爛漫の季節の到来です。
 
ちょうど年度末で区切りをつけるかのように、昨日はエコアクション21の現地審査が弊社で行われました。昨年6月にその説明会が行われ、沼津市が無料で支援した、9月以降5回の講習会を経て、やっと環境活動レポ−トなるものを作成したことから、その登録審査が行われたのです。
 
まずエコアクション21とは一口に言って、ISO14001の簡易版とも言える、環境マネジメントシステムです。近年、人類に大きく問われている、地球温暖化をはじめとした環境問題に対し、企業や団体でも環境に配慮した主体的な活動が求められていることによるものです。
 
主に環境負荷を削減することが目的なのですが、活動は大きな意味では ①電力やガソリン等の二酸化炭素排出の削減 ②産業廃棄物の削減 ③水や紙資源の節約 という3つに分かれます。
 
またISO14001に比べて、審査や維持に関する費用が安いことから、私たち中小企業でも比較的容易に取り組むことができるものです。
 
審査の冒頭、聞かれたことでもありますが、弊社の取得目的は今後どのようにその事業展開が広がっていくか判りませんが、異業種組合のような団体で複数の企業が連携して開発事業等を行ったとき、このような社会的信頼度とも言えるシステムの取得は、不可欠ではないかと考えたことによるものです。
 
平たく言えば、やる気はあっても、企業として必要最低限の信頼を社会から得ていなければ仲間に加われないのではないかということです。
 
それとこの活動を通して、何よりも無駄が省かれ、企業内の効率的運営と生産性向上にも繋がります。社内も最近ゴミの分別や廃棄物の仕分け、またスイッチや水道の蛇口に節電や節水のシ−ルが貼られ、以前とは見違えるほど整然としてきました。
 
また今まで気づかなかった無駄の多いことにも、改めて知らされているものです。そして社員一人ひとりの創意工夫も垣間見えています。
 
トイレのタンク内に1リットルのペットボトルを入れて節水を図ろうなど、三人寄れば文殊の知恵ではないのですが、やはり皆で考えればアイディアは生まれてくるものです。こうして更にこの活動を継続、推進していくことにより、社員それぞれが単なる企業の一員のみならず、立派な社会の一員として意識付けが図られたら幸いです。
 
余分なことですが、先日スタ−トを切ったETC一律1000円という経済対策は、こうした観点では二酸化炭素を撒き散らすのが多くなるなるだけで、やはりおかしいですね。それなら新幹線を安くしたほうが環境面ではずっと効果的なものです。