株式会社 アイソー




2009年12月の日記

1年に感謝して!

[2009年12月28日(月曜日)|No.1745]

いよいよ今年最後のカキコミとなってしまいました。今日は会社大掃除の日なのですが、生憎と朝から雨が降り出しています。でも夕方から、社員はまた磐田のほうに出張してもらうことになっていますので、留守番部隊のこちらとしても贅沢は言っていられません。精出して一年の塵を振り払いたいと思います。
 
今年を振り返ってみますと、一口に言えばあまり良い年ではありませんでした。巷ではリ-マンショック等の影響を大きく伝えていますが、弊社のような小規模零細企業の採る道は、まだまだいくらでも残されているものと考えます。同友会のよく言うところの、自立型企業になり切れていないからです。
 
つい先日見た同友会新聞にも、鋤柄会長が対談の中で、「日本は重要なインフラ整備が遅れているので小さな仕事はいっぱいある。下請けでいいという人もいますが、上から仕事は来ない時代である。自立性が大事で、全員営業、宅急便が来てもお客と思う、社員が総力挙げて取り組むという、団体戦の時代です」と述べています。
 
まさにその通りではないでしょうか。今年を表わす漢字1文字は「新」、そして「政権交代」という言葉が今年のキ−ワ−ドになりました。政権は交代しましたが、一向に明るい兆しが見えてこないというのが実情ではないでしょうか。
 
年の初めに平山郁夫さんの「一歩ずつ慌てずに、彼方を目指して進む牛のようにありたい」という言葉を紹介させていただきました。その平山さんも今は既にお亡くなりになり、遠いあの世に旅立ってしまいました。
 
世の中がどんなに不況だとかデフレと言って厳しい状況を迎えても、このように時は待つことなく確実に刻まれているものです。来年早々、私自身も還暦を迎えることになります。暦が一回りするわけですから、来年の干支は庚寅(かのえとら)ということになるのでしょうか。
 
私は今まで長いこと、この庚寅を「ごうのとら」と、てっきり思い込んでいましたが、どうやらそれは違うようです。「ごうのとら」とは「五黄の寅」ということで、九星が「五黄土星」で干支が「寅」の年に当たるわけですから、八白土星の来年は当てはまらないみたいです。
 
話が逸れてしまいましたが、そんなわけですので生まれ変わったつもりで、来年から心機一転、新たな人生を切り拓いていきたいと思っています。
 
今日、これからやることになる会社のトイレ清掃も、一年に1回ではなく、毎日とは言わないまでも定期的にやり出していくつもりです。まさにこれに象徴されるように、積もりつもった垢をいっぺんに落とすのは大変です。それよりも毎日の欠かさない積み重ねがあれば、苦もなく事の処理は簡単です。
 
まさに極意はこのへんにあるのではないでしょうか。今年も1年間、いただきましたご厚情に深く感謝申し上げ、来る年が素晴らしい年でありますよう祈念申し上げます。いろいろとお世話になりまして有難うございました。
 
新しい年は6日から営業いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。


気持ちを伝えたい

[2009年12月25日(金曜日)|No.1744]

今年も残すところ後わずか、本当に押し迫りました。毎年のことですが、まだまだやり残したことが多く、気ぜわしい毎日です。今日は首相官邸から定期的に送られてくる、鳩山内閣メ−ルマガジンに載っていた、ある作文を紹介したいと思います。
 
熊本県に住む、小学校4年生の藤崎 未夏(ふじさき みか) ちゃんの書いた[気持ちを伝えたい]という作文です。
 
私は、生まれつき左足がなくて、義足をつけています。学校生活の中で、足がいたい時やプールの時など義足をはずす時があります。
 
四月になり、一年生が入って来ました。一年生は、まだ入って来たばかりで、私の事を知りませんでした。
 
五月に運動会の練習が始まりました。体育館での練習の時、半そで半ズボンにはだしでダンスの練習をしていました。半ズボンだったので、義足をはめた足が目立っていました。
 
その時、一年生が何人か集まって、「にせ物の足だ」と言いました。私は、すごくいやでした。今までも、同じような事を言われてきたからです。だから、いつも足が見えないように、長ズボンばかり着ていました。
 
そして、いろいろ言われるのがこわくて、にげるように義足をかくしていました。本当は、何を言われても気にせずに、どうどうとしていたいと思っていたけど、その勇気がありませんでした。だから「にせ物の足」と言われた時も、がまんしていました。
 
授業が終わり、担任の先生に相談しました。先生は、「一年生に足の事を話してみようか」と言いました。私は、みんなの前で話せるか、自信がなくてまよっていると、先生が、「話してみようよ」とはげましてくれました。
 
その夜、私は一年生に話す文を考えました。内容は、「どうして足がないのか」とか、「みんなと同じことが出来る事」とか、「義足をはめた時は、どんな感じなのか」など、一年生にも分かるように書きました。
 
一年生教室に話しに行きました。三人の友達が、一しょに来てくれました。一年生は、私の話しを、「すごい。」と言って聞いていました。その後、みんなの前で義足をはずした姿を見せました。一年生は、びっくりした様子で私を見ていました。
 
その時私は、「やっぱりここでやめようかな」と思いました。でも私は、勇気を出して見せたり、質問をうけたりしました。その質問は、1「走っている時義足は、はずれないの」と、2「手じゅつをする時は、いたくないの」などの質問です。
 
その時私は、こう答えました。1つ目は、「ゴムみたいな所がすべり止めになるから、はずれません」と答え、2つ目は、「ねむっているから、いたくないです」と答えました。
 
一年生に、義足の事を分かってもらうために、話をして、いやだった事とか、分かってほしいこととか、自分の気持を伝えられたし、一年生の気持ちもよく分かったのでよかったです。これからは、「にせ物の足」と言われないと思うと「ホッ」としました。
 
勇気を出して話をしたことで、少しずつ自分の気持ちが変わりました。いやだった半ズボンやスカートがいやじゃなくなり、どうどうとできるようになりました。
 
今では、一年生とも仲良く遊んだりしています。だれも「にせ物の足」と言わなくなりました。
 
先生や友達から、勇気をもらって、自分の気持ちを一年生に伝えられました。ありがとうございました。これから、新一年生や新しい友達と出会った時は、勇気を出してどうどうと、自分の気持ちを伝えたいです。

 
この作文は今年度、心の輪を広げる体験作文の小学生部門で内閣総理大臣賞を受賞したものです。何も解らない人たちに勇気を出して伝えていくことで、また新しい道が拓けることを4年生の未夏ちゃんが教えてくれています。私達も嫌なことから目を背けず、勇気を出して向かっていかなければいけませんね。


鹿児島のイチロ−

[2009年12月24日(木曜日)|No.1743]

イチロ−はイチロ−でも鹿児島のイチロ−さんの話です。この人、聞くとホ−ムラン王だと言うのです。しかも御歳70歳です。
 
興味をひかれて読んでいくと、地元・鹿児島市にあるバッティングセンタ−のホ−ムラン王だと言うのです。センタ−の中にあるホ−ムランの的に当て続けること、実に現在まで2200回以上にも及ぶとのことです。
 
去る7月には前人未到の記録でもある、9年掛かりの通算2000本塁打も達成しています。何とも凄い話ではないでしょうか。
 
私も何回かバッティングセンタ−でこの的に当てようと打ったことがあるのですが、そんなに簡単に当たるものではありません。それを9年かけて2000本以上打つというのは並大抵のことではないのです。
 
このイチロ−さんを鹿児島の本拠地に訪ねると、故障や記録の重圧と闘いながら、さらに必死になって進化を続ける姿があったそうです。実はそのライバルが現われたからです。
 
ライバルというのは、通算記録と共に、イチロ−さんは同センタ−の8年連続の本塁打王でもあるわけですが、今年その存在を脅かす若者が出てきて、8月時点でその差60本まで迫ってきたからです。
 
このため、9年連続のタイトルを保持しようと、その負けん気でいつもの4倍の1日500球を打ち込んだということです。1日500球打つのも大変でしょうが、もっと大変なのは通い詰めるのにはそれなりの元手が掛かります。
 
その資金を稼ごうとアルバイトのそば打ちを始めたら、今度は肩の神経を痛めたと言うのです。夜、布団に入ると激痛が走るほどで、医者から止められたということですが、それでも毎晩50回の素振りは欠かしません。
 
でも痛くて眠れない日々が続いたことから、一時は引退も考えました。しかし取材やテレビ出演でも知られていたので、周囲からは「続けてほしい」「あなたは70代の星です」などと温かな激励が寄せられ、それに感動してまた続けていく力になったそうです。
 
また苦しんだおかげで、今年は精神も肉体も成長できたとも話しています。こうなると、まさに本物のイチロ−さんそのものですね。
 
本物のイチロ−さんの方も、WBCで始まった今年は最初から苦しんだ年でもありました。でもしっかりと前人未到の9年連続200本安打を見事に達成しています。
 
その上、早々に来季も200本を達成すると、力強く宣言までしています。やはり本人しか解らない苦しみを乗り越えると、また新たな世界が開け、大きな自信となるのでしょう。
 
継続は力なり」たかがバッティングセンタ−などとは、とても言えないほど、どちらのイチロ−さんも大したものだと恐れ入りました。


歯磨きの効果

[2009年12月22日(火曜日)|No.1742]

意外な歯磨きの効果について、テレビから知ることができました。それによると、1日2回以上磨いている人はガンに掛かりにくいと言うのです。
 
あるところで調査したところ、1日2回以上歯を磨く人は、口の中や食道のガンになる確率が1回の人に比べ、およそ3割低いと言われ、逆に全く磨かない人は1回の人に比べ、1.8倍もの危険性を持つとのことです。
 
従って全く歯を磨かない人は、2回以上磨く人に比べて2.5倍以上、口の中の舌癌や咽頭ガン、また食道ガンに掛かりやすいということになります。
 
これは歯を磨くことによって、発ガン物質であるアセトアルデヒドというものを作る細菌が一緒に流されるからだと言います。そう言えば、特に朝なんか、口の中はいっぱいの雑菌があると言われていることから、前の晩に歯を磨かないで寝てしまったときは特別、気持ち悪いものです。
 
こうしたときに、歯を磨かないでまた飲んだり食べたりすることが、とても悪いのではないでしょうか。もっとも、磨かないで寝た後の口の中はネバネバしているようで、とても歯を磨かなければいられないものですが...
 
このため、朝起きたときにこうした口の中が気持ち悪くない為に、寝る前の歯磨きはできる限り励行しているものです。それでもそのことが解っているのですが、なかなか守れないのが外で飲酒をしてきた時です。
 
いい気持ちになったほろ酔い加減のためか、面倒臭くなってしまうのでしょう。いつもはしっかりと磨いてから寝るのに、億劫になり、ついついそのまま休んでしまうのです。
 
特に忘年会など、飲み会が続くこの時期はままならないものです。この説によると、こうした時ほど良くないのでしょう。この「解ってはいるけど止められない」は、今は亡き植木等さんの殺し文句なのですが、十分気をつけたいものです。
 
とにかく必要以上に長生きはしたいと思ってはいませんが、生きている以上は快適に過ごしたいものです。そのためにも快食・快便・快眠ともう一つ、快歯磨きですね。自分の歯を守ることがガン予防にも繋がれば一挙両得というものです。心がけたいものです。


冬の富士山

[2009年12月21日(月曜日)|No.1741]

真っ白な富士山を会社から望むことができます。北側の隣接地にエホバの何がしとかいう宗教団体の建物ができた関係で、もう見えなくなるかなと懸念していたのですが、幸い建物が平屋だったことで写真のようにしっかりと眺められます。
 
やはり冬の富士山は綺麗ですね。でもこの冬の富士山ほど、山登りで危険な山はないみたいです。先日も元レ−サ−の片山右京さんが率いる3人のパ-ティ-がこの富士山で遭難をしてしまいました。
 
片山さん自身は自力で下山して救助隊に助けられたのですが、残された行方不明の社員の二人が残念ながら遺体で発見されたのです。
 
片山さんは会見でこの二人を助けられなかったと、号泣して詫びていたとのことですが、この事故からいろいろなことを考えさせられています。
 
まず亡くなったのが二人とも片山さんの営む会社の社員さんだったことです。聞くと現在の片山さんは世界の最高峰の山々を極める、登山家としての道も歩んでいるそうです。
 
そしてこの25日には、南極最高峰のビンソンマシフ(標高登頂4897m)登頂を目指していたとのことです。その練習の意味で今回の富士登山が計画されたそうですが、事故が起きた当日は下界でも強風が吹き荒れた一日でした。
 
真冬の富士山はマッタ−ホルンより厳しいとも言われています。周囲に高い山がなく、まともに強風を受けるからです。そして気温が氷点下25度ぐらいでも、この強風の為、体感温度は氷点下40度ぐらいになるそうです。
 
またアイスバ−ンで地面がカチカチになり、テントもなかなか張れない為、これを使わず雪に穴を掘ってビバ−クすることが多いとも言われています。
 
しかし片山さんたちはテントを張っていて、気がつた時には二人のそれが吹き飛ばされてなかったと言っています。また当日の厳しい天候と併せて、こうしたことに十分配慮が為されていたのでしょうか。
 
片山さんが世界の最高峰をめざす、プロの登山家だっただけに、その判断がちょっと考えさせられるところです。それから二人を現場に残して、一人だけ下山したということも引っ掛かります。
 
助けを求めるために下山したということで、そこに片山さんがもし残っていても助けることができたかどうかは判りませんが、心情的には難しいところです。もし二人が自分の家族や子どもだったら果たしてそこに残していったでしょうか。
 
亡くなった社員さんたちも登山経験があり、山の素人ではなかったということですが、やはり社員という立場で何らかの拘束されたものがなかったでしょうか。そうした懸念があるだけに、自分だけが助かったという事実は一生、重くのしかかることになるのではないでしょうか。
 
助かったのが会社の社長であるし、山のリ−ダ−でもあったことから、冬の富士山を甘く見た責任は重く、貴重な社員さんを失った今回の遭難に対し、リ-ダ-の在り方という点で複雑な思いを抱かされたものです。


川勝知事

[2009年12月18日(金曜日)|No.1740]

7月の初めに静岡県知事となった川勝平太さんを見直しています。見直すと言っても、それまでにどうのこうのということではなく、ただ知らなかっただけなのですが、なかなかの人だなという印象を持ちました。
 
1つは先日行われた、県主催の”感動を呼ぶものづくり道場”です。冒頭、開会の挨拶に立った知事はいわゆるお定まりの挨拶ではなく、参加者の心に強く響くような、まさに感動的な挨拶をされたのです。
 
後で知ったのですが、今、県がそのスロ−ガンとしている富国有徳という言葉も、元々は学者である川勝さんの著書「富国有徳論」から前知事が引用しているのです。
 
ですから政治家ではない、文化人としての発想だから嫌味もなく、すんなりと受け入れられるのかもしれません。この道場の構成も素晴らしいものでした。
 
基調講演は東京大学名誉教授の月尾嘉男氏の「足元の宝物で地域を元気に」というお話でした。この道場のテ−マとした6次産業(1次、2次、3次産業を掛け合わせたもの)に着目という観点にピッタリの、まさに足下に眠るものをもう1回見直していかなければという内容でした。
 
この月尾教授も川勝知事とは旧知の間柄で、知事にどうしてもと乞われたから断るわけにもいかなかったと、お忙しい中、出番となったようですが、聴きやすく素晴らしい講演だったと思います。
 
また先進的な取り組みをしている企業2社の事例発表がありました。その中の1つである県内の静岡油化工業(株)には午前中の会社見学に引き続いて、画期的な取り組み内容を紹介して頂いたのですが、これからの企業のあるべき姿を教えられたようで、何とも凄いものを感じました。内容についてはまた改めて紹介させていただきます。
 
そして開催した場所が良かったのです。行われたのは興津にある、由緒あるお寺・清見寺です。徳川家康が幼少の頃、今川の人質として駿府にいたとき、ここで学問についていたというお寺です。
 
初め研修会場がなぜお寺なのか、疑問に思っていたのですが、道場という名前のとおり、知事の発案ということでその意味がよく解りました。文化人の発想はやはり、ありきたりのものではありません。
 
それから2つ目は昨日、JALの西松社長と静岡空港問題で話し合いの場を持ったということですが、当初、県とJALで交わしていた70%の搭乗率保証の支払いを、知事が断固、拒否したというのです。
 
今年度いっぱいの来年3月には静岡空港から撤退するJALは、同社の都合での一方的な撤退で、信義に反するから支払いに応ずることはできないというものです。
 
まさにその通りです。いくら経営に行き詰ったからといって、開港したばかりの撤退は言語道断のことです。空港そのものの価値基準は別の話として、今後に及ぼす影響が少なくないだけに、当初の公約に搭乗率保証の撤廃を掲げた、川勝知事が吼えてくれたのです。
 
何とも胸のすく話ではないでしょうか。70%を1%下回るごとに、約2800万円もの大金を払うのです。こんな契約を取り交わした前体制にも問題があるのですが、それをはっきりノ−と言える現知事は少し頼もしく好感が持てるところです。


松井選手の去就

[2009年12月16日(水曜日)|No.1739]

昨日は一日、出張の為カキコミができませんでした。どうぞご容赦下さい。
 
やきもきさせていた松井選手の去就がやっと決まりました。アメリカの西海岸・ロサンジェルス近郊にある、アナハイム・エンジェルスです。まずはやれやれ、ホッとしました。
 
それにしてもワ−ルドシリ−ズ優勝の立役者・MVPの松井選手を、このようにいとも簡単にほおり出してしまうのがアメリカ野球なのです。
 
何と言ってもその決め手になったのが、守備につくか着かないかです。ヤンキ−スは若返りの一環として、来シ−ズンはDHをジ−タ−やA・ロッドはじめベテランが交代で務めることを主張していました。
 
もちろん松井選手が残っても、このDHの位置しか用意されていません。従って守備機会がないわけですから当然、その出番は減ってしまうのです。
 
この試合に出られないというのが一番辛いところではないでしょうか。本人は痛めていたひざの回復にも自信があるのでしょう。それとこれからの選手寿命ということを考えても、少しでも出場機会に恵まれた方がよいものと思われます。
 
ですから年俸が今期の半分に減っても踏み切ったのではないでしょうか。もっとも、仮にヤンキ−スにDHで残ったとしても、大幅に買い叩かれたものと思われます。
 
また来シ−ズン、松井選手が守れるとなれば、これからはDHのあるアメリカンリ−グのみならず、大リ−グ全球団にまた売込みができるというもので、自身の価値も高めることもできます。
 
こうしたことから、賢明な選択ではないでしょうか。来季、開幕戦は古巣ヤンキ−スとの戦いと聞きました。大リ−グデビュ−戦の華々しい満塁ホ−ムランとまではいかなくても、こうしたモヤモヤを打ち消す大活躍を願いたいものです。
 
それにしても、余分なことですが、エンジェルスのチ−ムカラ−は赤です。明らかに松井選手には似合わない色のように思えるのですが、これも余分な心配なのでしょうか。とにかく、ヤンキ−スが放出して後悔するような大活躍を願っています。
 
明日17日は一日、暮れの挨拶回りで東京他、各所に出掛けますので、カキコミは休ませていただきます。


普天間移設問題

[2009年12月14日(月曜日)|No.1738]

鳩山政権発足後90日が経ったそうです。ハネム−ン期間と呼ばれる期限まで、あと10日となりました。何か実態がなく、陰の力によって揺れ動いているようにも伝えられていますが、果たしてそれは本当でしょうか。
 
あるメディアでも「助けた亀に噛み付かれた」とか、社民党みたいな小さな政党に振り回されているのはだらしないなどと言われていますが、私はもう少し鳩山さんという方を信じていたいと思っております。
 
なかなか決着が見られず延び延びとなっている基地問題にしても、決して社民党にただ振り回されているのではなく、鳩山さん自身に今までのような隷属的にアメリカに支配されたくないという思いがあるからではないでしょうか。
 
ある所で、それは鳩山一族に受け継がれたDNAにも影響されているということが伝えられていました。祖父の鳩山一郎氏が一時公職追放になったのも、アメリカの原爆投下を批判したことに端を発しているようです。これも首相の座を目前にしての追放です。
 
そして吉田茂首相のアメリカ中心の外交から転換し、首相に就いてから日ソ国交回復を成し遂げたのも鳩山一郎氏なのです。当時貴族的でワンマンな吉田氏は不人気だったのですが、上記のような不遇な目にあった鳩山氏の方は同情を集め鳩山ブ−ムまで起こったのです。
 
それが1代置いた孫の時代に、太郎氏と由紀夫氏との関係に繋がるのですから、何ともその因果関係は面白いものです。でも当時の人気がそのまま、今のこの二人にまで繋がっているのですから妙なものですね。
 
このように対アメリカといった点では、鳩山さんの体内には少なからず、今までの路線をそのまま踏襲することなど考えられない土壌が築き上げられているはずです。
 
ですから鳩山さん自身に、決してアメリカの言うとおりにはならないぞといった、強い気持ちがあるのではないでしょうか。それから私達は基地の街として見過ごしてきた沖縄を、今一度見つめ直すときではないでしょうか。また政権が変わった今だからこそ、アメリカにも新たな要求ができるのです。
 
沖縄は日本の一部なのにずっと今日まで虐げられてきました。なぜ沖縄ばかりなのか、また戦時中から長いこと苦汁を味わってきた沖縄県民のことを、もっと考えなければなりません。とにかくグァムなら何も問題ありませんが、そうならなくても普天間とか辺野古以外の基地を探さなければならないと考えます。


技術提供の裏側に潜む罠

[2009年12月11日(金曜日)|No.1737]

日本のエアコンの大手メ−カ−であるダイキンが、中国・最大手の珠海格力電器という会社と提携を結びました。家庭用エアコンでは世界一の生産台数を誇っているという中国のメ−カ−です。
 
世界中で省エネが叫ばれている中、中国でも例外ではなく、その規制がどんどん強まっているのが現状です。こうした中、省エネの技術では特段優れている日本のインバ−タ技術を、ダイキンから得ようとしているのです。
 
一方、技術を提供するダイキン側は、その代わりに現地の安い部品と労働力を使って基幹部品の生産を行ない、それによって得られる市場を獲得しようとするのが狙いです。
 
この提携には外部だけではなく、ダイキン内部の技術陣からも「ひさしを貸して母屋を取られる」ことになるのではないかと、懸念する声が少なくなかったのですが、敢えてその提携に踏み切りました。
 
ダイキンの会長は「中国の環境規制は想像より速く進んでいる。うちがやらなくても他社がきっとやる」といった判断なのですが、果たしてその結果がどうなることか心配になるものです。
 
何しろ中国では「エアコンのベンツ」までとも呼ばれている、高級イメ−ジを持たれているダイキンなのです。その虎の子でもあるインバ−タ技術を簡単に売り渡してよいものでしょうか。
 
相手の中国企業会長は「技術がないのは金がないより怖い。ダイキンの数十年の蓄積を1年で獲得し、さらに自力で発展する」とまで言っているのです。
 
ご承知のとおり、模倣技術に長けた中国に技術を渡せば、あっという間に模倣品が広まることになることと思われます。どうやら、それでもこの提携に踏み切らざるを得ない、背に腹を代えれない事情がダイキン側にもあるようです。
 
世界同時不況や冷夏で、先進国の市場は販売不振に陥り、ダイキンも2期連続の減収減益のようです。従って今後の成長のカギを新興国のみならず、先進国の市場でも売れ筋価格の商品開発をめざそうとしているのです。
 
またダイキンの生産規模は格力の1/4で、広大な敷地に2万人が働く、まさに世界の工場とも言われる労働力と価格競争力は捨てがたい魅力的なものなのです。
 
同じこのような悩みや課題を持つ、日本企業は少なくないものと思われます。しかし、いくら優れた技術を持っていても、簡単に売り渡してしまえば、日中間の技術格差はますます縮まることにもなるわけです。
 
市場や労働力が比べものにならないくらい巨大な中国だけに、私は日本の優れた技術を簡単に売り渡さない方が長い目で見れば賢明だし、それによるリスクは想像以上に大きいのではないかと危惧しています。


ちょっと良い話part54

[2009年12月09日(水曜日)|No.1736]

定期的に送って頂くメルマガに、こんな素敵な話が載っていましたので紹介させていただきます。「喜ぶ顔が見たいから」という話なのですが、長文ですので、途中少し省略させてもらいながら紹介致します。
 
「どうして、こんなにまでして下さるのですか?」岩手県のホテル安比グランドに滞在した時のことです。フロントの東芝吉宏さんは、とにかく、サ−ビス精神が旺盛で一を聞くと十の答えが返ってきました。
 
「十和田湖へドライブに行きたいんだけど..」などと尋ねようものなら大変です。地図やガイドブックのコピ−の他、途中の名所スポット・食事処・休憩場所などを書き込んだ行程表まで作ってくれるのです。
 
そこには区間ごとのキロ数やおおよその時間まで記入されています。十和田湖の天候を尋ねると、「霧が発生しやすい場所なので」と、わざわざ電話で知り合いのレストランに現在の気象状況まで聞いてくれました。
 
その仕事振りを見ていると、いかにも楽しそう。そのパワ−の源はどこにあるのか興味が湧き、正直に聞いたのでした。「こんなホテルマンに会ったことがありません。いつでも誰にでもそうしているのですか」と。
 
すると、長い話になりますがと前もって断わり、こんな話を始められました。東芝さんは大学生の時、バイクで全国47都道府県を旅したといいます。貧乏な旅でしたので、三度の食事がたったの300円で、賞味期限ぎりぎりの食パンを買って食いつないでいたそうです。
 
台風が近づいてきたある日のこと、ニセコに向かう道でタイヤがパンクしてしまい、近くの修理工場に駆け込みました。たらいに水を張り、チュ−ブの穴が開いた部分を探すのですが、「これはちょうどいい」と思い、東芝さんはそのたらいに頭を突っ込み、髪を洗ったそうです。
 
その奇妙な光景を見た、通りすがりの男性に声を掛けられました。事情を説明し、修理が終わると、半ば強引にその人の家に連れて行かれました。そこはお寺で、男性は住職さんでした。
 
勧められるまま風呂から上がると、食卓にはジンギスカンと毛ガニが用意されていて、腹いっぱいになりました。また布団も敷かれていて、久しぶりに温かな一夜を過ごせると、「おやすみなさい」と言って休もうとすると、住職にぶっきら棒に「お前にはもう一つやる事がある」と言われました。
 
一宿一飯の恩義もあり、何をやらされるかちょっと不安になり、次の言葉を待ちました。すると住職はコ−ドを引っ張り、部屋の隅にあった電話機を目の前に置いたのでした。
 
「両親に電話をしろ!無事だと伝えなさい」言われるままに電話をしました。両親は突然のことでびっくりしましたが、途中で住職が電話を代わり、「息子さんは元気にやっていますよ。無理しないようにと叱りました」と、またまたぶっきら棒に言いました。
 
感激して、今すぐできないが将来何かお礼をと話すと、住職はこう答えたそうです。「あなたが嬉しいと思うのなら、あなたがもしも、今後困っている人に出会ったなら、同じように親切にしてあげなさい」
 
ホテルのお客様とは、ほとんどの場合が一度きりの出会いになり、一期一会の気持ちでフロントに立ちます。どうしたらお客様に喜んでいただけるだろうか、そればかりを考えているとのこと。もちろん、忙しい時には限界もあります。
 
でもこの時の経験が、今の人生、そしてホテルマンとしての仕事の源だと言います。
人の喜ぶ顔が見たい、それが何より嬉しいということです。
 
この話からも、改めて「一期一会」の出会いの大切さと、「人は何のために働くのか」を教えられたような気がします。人生はたった1回、どうせなら明るく楽しく、人には親切にしたいものです。
 
明日10日は工事で出張のため、カキコミは休ませていただきます。


大工への大卒希望者が殺到

[2009年12月08日(火曜日)|No.1735]

大卒で大工の希望者が殺到しているとの記事が目に留まりました。見ると何と地元・沼津の企業なのです。以前からその名前が知られた平成建設という会社なのですが、この会社が全国から注目をされていると言うのです。
 
その取り組みがユニ−クで、地元の私達には以前から知られていたところですが、平成建設は大学で建築を学んできた新卒の学生を正社員に採用し、大工や左官の技能者として育てています。
 
そして在来工法の木造住宅や、マンション建設を手掛けている同社なのですが、この不況にもめげず、今期の決算では前年を上回る、売上高103億円を計上し、好調な業績を上げているとのことです。
 
社員数はグル−プ企業と併せ415人、今年4月採用の大卒社員50人の出身地は青森から沖縄にまで及んでいて、同数の来春採用予定者に対し、全国各地からその志望者が1000人にも上ったと言われます。
 
また50人の採用予定者のうち、県内出身は4人だけですから、まさに全国区の企業とも呼べるものではないでしょうか。
 
何とも羨ましくなる話です。建設業界の不況も知られているとおり、ご多分に漏れないところです。しかし、そうした中、しっかりと自社の立ち位置を見極めて、独自の戦略を打ち出しているからでしょう。
 
それはこの度出版されたという、社長の書かれた「高学歴大工集団」という本にも、、「中小企業はニッチな世界の金メダルを目指せ」ということや、人材採用の際には「何か一つでも取り柄があれば、それでいい」などといった、独自の考え方や会社の方向性が示されているとのことです。
 
平成元年に創業されたこの会社は、創立以来、建設業界では珍しいオ−ル内製化ということで、設計はもちろん、デザインから施工管理・型枠・大工・メンテナンスに至るまで、その主要部門を外注に頼ることなく、自社で行っています。
 
ですから高学歴の社員を採用することによって、より提案力の優れた営業や、技術水準の高い大工・多能技能工を養成しようとしているのです。
 
こうした同社の画期的な取り組みはカンブリア宮殿など、様々なメディアにも取り上げられているところです。やはり大卒集団が敢えて大工や多能工になりたがるのも、やりがいのある職場として社内的にその仕組みがしっかりと作られているからでしょう。
 
とかく気候が温暖で、私を含めポワッ−としている人間が多いこの地なのですが、やる人はそれなりにしっかりとやっているものです。とても足下には及ぶものではありませんが、弊社もとりあえず学んできた3S活動から改善に着手し、少しでも生き残れる会社を目指していきます。


18歳の賞金王

[2009年12月07日(月曜日)|No.1734]

何とも凄いものです。18歳の石川遼君が日本ゴルフ界の頂点に立つ、2009年度の賞金王になりました。その額、1億8350万円ですか、言葉も出ないほどの凄い数字です。
 
昨日の最終戦、日本シリ−ズJTカップで決めたわけですが、ここまで賞金王を争ってきた、池田勇太選手もまだ23歳、当分日本ゴルフ界はこの二人の時代が続くのではないでしょうか。
 
それにしても石川選手、初日、2日目と、スタ−トは出遅れたのですが、後半の2日間はしっかりと67、66で廻ってきています。このへんが人気だけではなく、実力が兼ね備わってきた証拠ではないでしょうか。もっとも実力がなければ賞金王なんて、とっても獲れるものではありませんが。
 
面白いのは、これからの日本ゴルフ界を背負っていくと思われる、石川、池田両プロがいろいろな面で対照的なことです。知られているとおり、スリムな遼君はオシャレだし、全てに現代的な格好良さを持しています。
 
一方、ジャンボ尾崎選手にあこがれてゴルフをやり始めたという池田選手ですが、これを真似てか、ズボンなどもダボダボなものを身に付け、どちらかと言えば今流の若者から外れたような感じです。
 
またインタビュ−などにしても、丁寧に優等生的に応える石川選手に比べ、池田選手はぶっきらぼうで、いかにも頓着ないスポ−ツマンといった感じです。
 
どちらがいい、悪いの問題ではないのですが、二人の違いは今後いろいろな面で比較されることになるのではないでしょうか。特に池田選手の、構えたらすぐ打つパタ−など、テンポや思い切りの良さなどは遼君にとっても少し参考になるかもしれません。
 
とにかく二人して、これから世界を目指していくことになることと思われます。昨日も優勝した丸山茂樹選手が、早めに米ツア−に挑戦したほうがつまらない雑音も入らず、よいと思うし、十分通用するというエ−ルを送っています。
 
ただ折角盛り上がっている男子ツア−の人気やスポンサ−の関係もあって、なかなかすぐの実現は難しいでしょうが、本人の夢でもあるマスタ−ズ優勝のためには、そうした方が一番の近道でもあるのではないでしょうか。
 
またこの日のJTカップまで、海外を含み17週連続という殺人的なスケジュ−ルで出場し続けた裏には、やはりこうした人気面や周囲の事情を考えた本人の優しい配慮がなかったわけではありません。
 
今はゆっくりとこの激戦で疲れきった体を癒し、来年に備えてもらいたいものです。とにかく私達多くのゴルフファンの視線を釘付けにした、その魅力あふれるプレ−ぶりにただただ感謝しております。


ある展示会から思うこと

[2009年12月04日(金曜日)|No.1733]

県のしずおか産業創造機構からのご案内で、無料のバスを出してくれるということなので、ビッグサイトで開かれていた国際ロボット展を見学に行ってまいりました。
 
無料で貸切バスまで用意してくれるというのは、今年度から始まった静岡県中小企業成長基盤強化事業という、何やら難しい名前の事業の一環とのことですが、都心と違って、なかなかその地の利に恵まれない私達にとっては有難いことです。
 
その地で同時開催されていたシステムコントロ−ル展もあって、一挙両得の思いもあり、単身この見学会に参加させて頂いたのでした。
 
この展示会には最新鋭のロボット技術ということもあって、やはり多くの人々が押し寄せていました。ファナック、安川電機、富士重工業など、ロボット技術に長けている企業の展示には見応えがあるものでした。
 
特にスバルの富士重工業で開発され、東京駅や地下鉄のホ−ムなどでも既に活用されている掃除用ロボットなどはこれから先、大幅な需要も見込まれるものではないかと思われ、興味深く見させていただきました。
 
こうした展示会の合間、集合が15時という、比較的時間にも余裕がありましたので、一人ではありましたがゆっくりと食事をとろうと、会場内にあるレストランに入りました。
 
だいたいお定まりのコ−スが多いものですが、昼食にはハンバ−グステ−キを選びました。ス−プ・ライス付で1180円ですから、そんなには安くありません。でも多くの人が押し寄せる、この種の会場内ですからテナント料も安くはないでしょうし、利用者はほぼ一見(いちげん)のお客とも思われます。
 
そんなことからやはり金額は妥当かな、でも大阪だったらちょっと違うだろうななどと、考えながら食事をとっていました。そしてほぼその食事も終わりに近づいてきたとき、いきなり何の断りもなく、ウエイトレスが食器を下げに来たのです。
 
それこそ「おい、おい」と言いたくなるものです。そうは言わなかったものの、付いていた手ふきを慌てて取り除けました。これではいかにも、「後がつかえているから、食べたらどんどん出て下さい」と、暗黙のうちに急かされているようなものです。
 
面白いもので、こうなると食べ終わったメニュ−が妙においしくなくなるもので、その上、割高感まで出てきます。ガストの日替わりハンバ−グメニュ−の方がよっぽど安くておいしい、とまで思ってしまうのです。
 
接客業の難しいところです。でもこのように思ったら、二度とそこのお店には行かなくなるものです。それがたとえ一見であろうと、もう1回あのお店に行きたいと思うようにさせなければなりません。
 
先日、お邪魔した山田社長がブログに書かれていたとおり、 「一期一会」
 
もうこの人とは二度と会わないかもしれない・・・
だからこそ、精一杯のおもてなしをしよう・・・ 
まさにその通りですね。


技能功労者

[2009年12月03日(木曜日)|No.1732]

平山郁夫さんがお亡くなりになりました。ついこの間、その美術館に立ち寄らせて頂いただけに、ちょっと身近にも感じていて惜しまれるものです。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
先日、本年度推薦された沼津市技能功労者の一人として表彰をいただきました。その規約としては沼津市内に居住し、同一職業に30年以上従事し、満55歳以上の人がその対象となります。
 
ここまでは私の場合、何も問題ないのですが、次の条文が気に掛かります。すぐれた技能を有し、引き続きその職業に従事して、後進の模範と認められる方となっています。
 
とても私ごときにもらえるものではないのです。頂いた表彰にはとても有難たく、また決してそれに対してケチをつけるつもりはないのですが、優れた技能があるわけでもないし、後進の模範となるようなものも備わっておりません。
 
このため、当初この候補として推薦をしていただいた中小企業家同友会沼津支部の関係者に、とても私はその対象ではないからと辞退を申し出たのですが、なかなか受け付けてもらえないのです。
 
この表彰は理容師さんとか金属加工、塗装、建築大工他、いわゆる腕に技術を身につけている方が本来の対象者であるものと考えられます。
 
そして必ずそれぞれの分野での組合とか団体による推薦がないと、これは名前が挙がってくるものではありません。従ってそうした会とか団体に所属していなければ、優れた技術があっても推薦してもらえないのです。
 
そこで推薦をいただいた私がここで固辞するようなことがあると、数年前から市との間でやっと築かれた、そうした推薦枠が続かなくなるような話も聞いたことから、考え方を少し改めてみました。
 
口幅ったいような言い方で恐縮なのですが、対象が私ではなく、自分の親父だったらと考えたのです。ここ1年ぐらい前から会社を退いてしまっているわけですが、会長である親父は永年、それこそ70年近くこの道に携わっている人です。
 
そして昭和40年には技能検定国家試験にも合格し、1級配電盤組立て技能士の授与もいただいていることからも、技術に関しては何ら問題がないのです。余分な話なのですが、この労働大臣の名前での合格証明書が第13号というのも、当時での草分け的なものではないかと思われるものです。
 
このように現在、会社が扱っている制御盤や配電盤等のモノ作りの基礎を築いてくれたのは、全てこの会長のお陰です。仕事には厳しく、職人気質のところから一切の甘えや手抜きは許されません。こうした会長がいたからこそ、今まで会社が継続でき、その技術の伝承が為されてきたのです。
 
しかしながら会長は今まで組合等には一切属していなかったことから、こうした功労とかの表彰にはとんと縁がなかったのです。それなら私の名前ではありますが、会長の代わりということで、お受けしてもよいのではないかと考えたのです。
 
ですから私の名前では少々気恥ずかしい思いでもありましたが、喜んでこの受賞をお受けした次第です。そんなわけですので、わざわざお祝いの電話などをいただいた方もあり、とても感謝しておりますが、どうぞその事情をお汲み取り下さい。欲を言わせてもらえば、親父の名前であればもっと良かったと思っています。


ETC本四架橋を渡る旅その3

[2009年12月02日(水曜日)|No.1731]

高松道・高松西ICを下りてすぐの道を左折すると、そこは待ちに待ったうどん屋さんです。トッピングで入れる天ぷらなどの具も50円と安く、嬉しくなってしまいます。店内はセルフ式になっていて、それぞれが思い思いのお好みのうどんをオ−ダ−し、おでんなどを加えているわけですが、9人全員でも4500円も掛からない安さです。
 
何とも嬉しく満たされた気持ちになるものです。うどんもおいしく、小・中・大と3通りある中で、欲張って二玉もある”中”を私は頼んだお陰で、お腹いっぱいになったものです。
 
こうして高松港から出る小豆島・土庄港行きの13時40分発フェリ−には楽々間に合うことができました。小豆島の父の配慮で、向かった2台の車のうち、1台は高松港の近くのパ−キングに一晩泊めることにしました。
 
意外と馬鹿にならないのがこのフェリ−代で、一行を島ではもう1台、父の車で案内してもらえるからです。生憎とこの日は高松に着いたあたりから雨模様で、真っ先に向かった紅葉の名所である寒霞渓も例外ではありませんでした。
 
でも雨に煙る、紅葉の寒霞渓も乙なものです。ここにはこうした天候にもかかわらず、多くの人が押し寄せていて、何度も訪れている私でさえびっくりしたものです。
 
その後、丸金醤油の醤油博物館に寄ってから、この日の宿泊場所であるリゾ−トホテル・オリビアンに皆をお送りしました。こうして先日も少し記したように、翌日、父の見送りを受けて再度高松に向かい、帰途についたわけです。
 
帰りも往きと同じく、淡路島経由を選びました。とにかくその先の渋滞は覚悟していたものの、大阪ぐらいまではすんなりと行きたかったからです。ですからこれで本四架橋は全部で4回も通ることになります。
 
この読みは見事に当たりました。大阪まではいたって順調で、連休最終日と言えども渋滞は全くありませんでした。そして1〜2日目と異なり、時間を気にする必要はなかったので、この日は所々ご婦人たちの願う買い物もあることから、比較的多めに休憩をとりながら家路についたわけです。
 
だから途中、渋滞がなかったわけではないのですが、予想したよりずっと楽だったように思えます。振り返ってみますと、3日間で全走行距離がおよそ1650kmです。そして1台当たりの高速料金がこれだけ廻って、何と13800円しか掛からなかったのです。
 
まさにETC効果と言えるものです。通常の本四架橋のそれぞれの通行料金を調べましたら、西から順番に4700円、4100円、5200円もするのです。それが各1000円で渡れるのですから、本当に嬉しくなるものですし、この割引がなければとてもこのように幾つも廻れないはずです。
 
このように全体的にはちょっと強行軍でしたが、比較的経費も掛からず、十分楽しめる旅でした。これも小豆島の父などの協力がなくしては成り立たなかったわけですが、気の合う仲間だからこそ、楽しく行ってこれたものです。
 
よくこの父が話されることですが、旅というものは、考えようによっては行く前の事前が一番楽しいのかもしれません。今回もまた実感したのですが、何よりも楽しいことはすぐ終わりが来てしまうからです。父のように迎えてくれる立場になって考えてみると、尚一層、そのお気持ちが十分理解できるというものです。


ETC本四架橋を渡る旅その2

[2009年12月01日(火曜日)|No.1730]

こうして20時に松山市内に食事を予約してあった関係で、道後温泉入浴後、土産物屋さんにもゆっくり立ち寄ることもできず、道後温泉を後にしました。
 
この食事場所に向かう帰路のタクシ−の中で、運転手さんが「お客様たちどちらからお出でになったのですか」という話になり、道後温泉内のホテルが取れず、市内のビジネスホテル(と言っても値段の割には良いホテルでしたが)に泊まり、その近くの食事場所を予約したという経緯を話しました。
 
そしたら、「お客様、その方が正解ですよ。道後温泉内も価格が高いばかりのホテルが増えていますから、市内でそうしたおいしい食事を取る方がよいかもしれません」とのことです。
 
その通り、予約場所は20時半近くに押し掛けたにもかかわらず、出てくる料理も比較的ゆっくりで、存分においしく楽しめるものでした。
 
2日目、朝7時半過ぎにはホテルを出発し、この日訪れる二番目の橋である、しまなみ海道に向かいました。松山市内をただ通り過ぎるのも、なぜかもったいなく感じ、ナビに誘導されるまま少しお城の方に向かっていましたら、本当に偶然なのですが、秋山兄弟生誕の地という看板を見つけました。
 
坂の上の雲の主人公である、日清・日露戦争で活躍した秋山兄弟の生誕地なのです。まだ朝でもあり、ドラマが始まっていないことから、このときはひっそりと静まり返っていました。
 
そこにあった、兄の秋山好古の馬に乗った銅像を眺めてきましたが、ドラマがスタ−トしたことからも、これからだんだんこの場所も賑やかになっていくことではないでしょうか。
 
そして松山ICに戻り、松山道と今治小松道を経由して、しまなみ海道と呼ばれる西瀬戸自動車道に入りました。ここでのお目当ては途中の生口島にある平山郁夫美術館です。
 
日本画の大家として知られる平山郁夫さんですが、美術館はご自身が生まれ育った、風光明媚なこの島の中にあります。こうした瀬戸内の素敵な風土が画家・平山郁夫さんの偉大なる感性を育んだとも言われているものです。
 
その道の大家と呼ばれる御仁には、やはり幼少の頃からその片鱗が覗かれるものです。5歳や10歳のときの絵画が館内に飾られていますが、尋常ではないものを感じました。特に中学生ともなると、描く絵はとても真似のできないほど、抜きん出ています。
 
少し優雅な気持ちに満たされた後、こんどは尾道に出て山陽道を経由して、倉敷JCから、いわゆる瀬戸大橋と呼ばれる瀬戸中央自動車道に入りました。電車では何度も渡るこの橋も自分が運転する車では初めてです。
 
入った途端、まずその橋の凄さを見せつけられました。建設に関わるご苦労話を聞いてはいましたが、実際自分の目で見ながら運転して橋を渡ってみると、何とも偉大な橋脚やら吊り下げられた太いケ−ブルなどのスケ−ルの大きさを肌で感ずるものです。
 
こうして瀬戸大橋を抜けると、そこは坂出、高速を降りる高松まではあと少しです。四国に来たらやはり、うどんです。昼食に待ちに待った、おいしいうどんを頂いてからの続きは、また明日紹介させていただきます。