株式会社 アイソー




2010年05月の日記

思わぬ落とし穴

[2010年05月31日(月曜日)|No.1827]

簡単に考えているときこそ落とし穴があるというお話です。日曜日、協会の役員をやっている関係で、オサカベ杯というソフトボ−ル大会の開会式を済ませから、磐田にあるお客様のところへ出張しました。
 
リモコン制御に使う、パタ−ン・グル−プ設定器という機器の納品と、弊社で納入した分電盤の中に使われている機器に一部不良が出た為でした。
 
ですから正直、納品して機器を交換してくるだけですから、現地では1時間も掛からず、トンボ帰りのようなつもりでいました。
 
ところがそうした甘く考えているときに限って、問題が待ち構えているものです。現場ではリモコン制御に使う、リレ-制御用T/Uユニットという、不良の機器を予備回路の同機器と交換してありました。
 
まず交換する前に、念のため不良機器の動作を確かめました。やはり設定ができないことから持参したものに取替え、リモコンスイッチの設定をし直しました。
 
ところが2つあるスイッチのうち、1番目の個別スイッチはアドレス指定し、すぐ設定できたのですが、2番目のグル-プスイッチとして使う設定がどうしてもカキコミできないのです。
 
以前は盤に付属する設定スイッチによる、別の設定方法で行っていたのですが、今回の設定は納品で持参したパタ−ン・グル−プ設定器という機器で行いました。しかしながら使用するのは今回初めてでした。
 
ここに油断があったのです。取扱説明書と首っ引きでいろいろ試みてみたのですが、どうしてもうまくいきません。こうして2〜3時間は直ぐに経ってしまい、お客様の担当者まで引っ張り出す始末です。
 
そして二人で首をひねりながら葛藤しているうち、その設定器に付属しているケ-ブルがあることに気がつきました。そうです、パタ-ンやグル-プの設定は他のアドレス指定などと違い、フル2線式の伝送回路に接続しないとカキコミができないのです。
 
今までの苦労が嘘のように、こうして付属のケ-ブルを接続したら、いとも簡単に設定できたのです。時は既に18時を過ぎていました。何と1時間も掛からないと思っていたのが、この始末です。
 
やはり片手間のような仕事のやり方はいけません。別に気を抜いていたわけではありませんが、こうした出張でも事前にしっかりと学習し、準備していかなければいけません。お客様にもとんだトバッチリでご迷惑を掛けてしまいましたし、帰り道、しっかりと反省しなければと心に言い聞かせたものです。


書店のピンチ

[2010年05月28日(金曜日)|No.1826]

新聞によれば昨年の書籍・雑誌類の販売売上額は2兆円を下回り、前年比4.1%だと言われています。2兆円を下回ったのは実に21年ぶりとのことです。
 
また、この10年間で6400店あまりの書店が消滅していると言います。これも郊外に位置するス−パ−の中とか、大駐車場を完備する大型書店ができたため、小さな本屋さんがどんどん撤退していかざるを得なくなったからです。
 
ですから本を読む人が激減しているとか、活字離れが極端に進んでいるというわけでもありません。やはり昔からの商店街同様、車などで行きやすく、まとめていろいろな買い物や娯楽を楽しめるアミュ−ズメントストアに人々が流れているからでしょう。
 
また小さな書店は立ち読みなどがしにくいものですが、大きなところはそうした制約も少ないからだと思われます。
 
こうした書店の衰退に輪をかけるようなことが起こりました。「iPad」なるものの出現です。米アップル社が出した新型マルチメディア端末なのですが、本日からその販売を開始したのです。
 
ニュ-スなどによると、この新製品を求めるため、徹夜で行列に加わる人も出たと言われます。既に先行販売したアメリカでは1ヶ月で100万台以上売れているという代物です。
 
これはスマートフォン(多機能携帯電話)とノートパソコンの間に位置づけられるもので、スマートフォンより大きな画面で電子書籍やゲームなどを楽しめるのが特徴とされています。
 
ですからiPadがあれば、インタ−ネット上の書店から自由にダウンロ−ドでき、本を読むことができるのです。しかしながら日本ではこの書籍の電子化が遅れ気味で、書籍の品揃えは薄いと言われています。
 
でも時間の問題ではないでしょうか。いよいよ本もこうした端末で読む時代がやってきたのです。今までの携帯でも読めていましたが、何しろ画面が小さかったことから、それを改善している今度の端末には多くの人達が飛びつくものと思われます。
 
書店が益々ピンチに見舞われるような気がします。一部には本が見直されることから、相乗効果も期待できるという楽観論もありますがどうでしょうか。
 
個人的には今までのアナログの本の方が、読破した後にも形が残るわけですから、ずっと好きなのですが...こうした時代の変遷にある意味、複雑な思いを覚えるものです。


口蹄疫問題

[2010年05月27日(木曜日)|No.1825]

ニュ-スを見ているだけで本当に気の毒になり、思わず目を逸らしたくなるほど痛々しい、宮崎県の口蹄疫の問題です。
 
これまでに殺処分対象となった牛や豚は、何と15万頭余りに及んでいます。その処分状況を綴った新聞を読むと、改めて処分される牛や豚の悲惨さや、ここまで動物を追い込んでしまった人間のエゴを感じないわけにはいきません。
 
以下がその描写の記事です。獣医師が5〜6人がかりで1頭ずつ牛舎の外に連れ出し、薬剤を注射する。注射を打たれた牛はしばらくよろよろして、ドスンと大きな音とともに倒れる。
 
その後、両足をロープで結んで重機で引き上げ、隣接する深さ5〜6メートルの穴に並べて埋めるのだ。職員らは牛舎からワラなどを運び出しながら殺処分を見守った。
 
殺処分された中には子牛もいた。「ショベルカーの操縦者もかわいそうに思ったのか、母牛の上に重なるようにゆっくりと穴に降ろしていた」。少し離れた場所で、年老いた農家の主人がぼう然と作業を見つめていた。「誰も声をかけられませんでした」

 
いったい誰がここまでの惨劇にしてしまったのでしょうか。聞けば最初にこの問題に気がつかず、見過ごしてきた期間があると言います。覆水盆に返らずで、今さら言ってもどうにもならない話ですが、その時から早く処置しておけばこんなにも大きな被害にならなくて済んだはずです。
 
悔やまれるものです。また今回のことで初めて知らされたことですが、全国に出回っているブランド牛のル−ツがこの宮崎県にあると言います。その種牛までが殺処分の対象となっているから、畜産業を主力産業とする宮崎県においては死活問題にまでなっているのです。
 
民間で種牛を飼育している、ある畜産農家は畜産を始めて50年、種牛改良を始めて22年になるそうです。「やっとここまで来た」という思いがあるだけに、殺処分を意味するワクチン接種への無念の思いは計り知れないものがあるようです。
 
牧場を営むご主人は「これからという時だった。人生をかけて育ててきた私の魂が、種牛を失えば消えてしまう」と声を落としていました。
 
本当にお気の毒な話です。意味合いが違うかもしれませんが、たった1匹でも可愛がっている犬や猫が殺処分されたら気が狂わんばかりになるものと思われます。
 
畜産農家にとっては、永年手塩にかけてきた牛や豚だってこれと同じだと思います。築き上げてきたものを一気に壊され、夢や生きがいを奪われる結果となってしまったのです。
 
そんな中、唯一の救いが全国から寄せられる義援金や励ましの声です。先週女子ゴルフで優勝した宮崎県出身の横峯さくらさんんも、賞金の一部を寄付したとの報道がありました。
 
今後の再建には想像を絶するほど大変なものがあることと思われますが、とにかく問題が早く収束し、関係者が少しでも元気に回復することを願っています。


ちょっと良い話part61

[2010年05月26日(水曜日)|No.1824]

少しお休みをいただきましたが、孟宗竹についてのちょっと良い話です。愛読するメルマガに載っていましたので紹介させて下さい。
 
竹やぶではない、手入れの行き届いた孟宗竹の竹林には、凛とした気品がある。
 
張競著『「情」の文化史——中国人のメンタリティー』(角川選書)を題名にひかれて買ってきた。いま、「情」というものに関心がある。当節は、いたるところで情が闊歩している。著者は明治大学教授で比較文化論が専攻とか。ぱらぱらとめくっていたら、孟宗竹の話があった。
 
『「情」の文化史』によれば、三国時代の呉に孟仁(もうじん)という人がいた。本名は孟宗(もうそう)。かれの母親は、孟子の母親同様、教育ママであった。寄宿舎生活をはじめる息子のために、厚い綿の敷き布団と大きい掛け布団をつくった。母親がいう。
 
「子どもは徳がなければ、いい友だちはつくれないし、どのように交友するかも知らない。だが、学校には貧乏な学生が多い。大きい布団を持っていくと、貧しくていい布団を持っていない人と友だちになることができる」
 
偉い母親ではないか。以下、本からの抜粋である。
 
<一生懸命勉強した甲斐があって、孟宗は魚の養殖池を管理する役人になった。親孝行のかれはみずから編んだ網で魚を捕り、鮓(さ)、つまりなれ鮨(ずし)をつくって母に贈った。しかし母はそれを受け取らない。「お前は魚の管理を担当する役人だから、みずから魚を捕り、なれ鮨にしてわたしにくれると、職権乱用の疑いがかかるだろう」とたしなめた>
 
こういう話は、政治家や役人にぜひとも、読んでもらいたいもの。ふたたび抜粋。
 
<孟宗の母はタケノコが好物だ。ある冬、タケノコがまだ生えていないのをみて、孟宗は竹やぶに入り、嘆き悲しんだ。すると、不思議なことにタケノコが生えてきた。孟宗竹とは、かれの名にちなんだものである>

 
筆者も言われるとおり、「李下に冠を整さず」という言葉もあります。スモモの木の下で冠を直すと、その実を盗んでいるように疑われるからしない方がよいとの意味ですが、今の日本の大モノと呼ばれる政治家に当てはまるものでしょうか。
 
またまた不起訴処分になった人や、一番偉い人にも言えることです。秘書が全てやったことで私は知らないでは、果たして世の中通るものなのでしょうか。疑わしきことは避けて通らなければいけないのが大モノの務めです。孟宗の母親の爪の垢を煎じて飲ましてやりたいものです。


中小企業憲章

[2010年05月21日(金曜日)|No.1823]

一昨日の夜は久しぶりの同友会支部例会でした。今月は通常行っている会員からの「我が経営を語る」という形式ではなく、県の役員をお呼びしての講師例会としての設営です。
 
タイトルは「中小企業立国への道標」という、何やら難しそうなものでしたが、平たく言うと、日本全体で80%もの社員が属する中小企業の役割を、国が正当に評価し、豊かな国づくりの柱としてすえ、社会基盤整備やル−ルをしっかりと定めるということです。
 
これは中小企業憲章と呼ばれ、現在、全国の中小企業家同友会でその制定運動が盛んに叫ばれているものです。今、日本の多くの国民は雇用・収入・老後について大きな不安を抱え、先行き不透明な時代の閉塞感を強めています。
 
このような不安や閉塞感をもたらしたのも、グロ−バル経済の中、安い労働力を求めての大企業の海外進出による産業空洞化の問題や、未曾有の不況と呼ばれているリ−マンショックに始まる今日の状況において、大企業の危機回避策として採られた雇用調整による大量の失業者の発生が起因しています。
 
一方、私たち中小企業においてはどんなに苦しくても、社員を簡単に解雇するなど、到底できることではありません。しかしながら、大型店の無差別な出店競争や規制緩和による競争至上主義などの政策により、国内は大きな格差を生み出し、商店街のシャッタ−通りなど地域経済の衰退を招いていて、私たちを取り巻く環境に大きな影響を及ぼしています。
 
こうした地域経済の再生をはかり、日本経済の新生をめざすには、旧来の大企業優先の考え方を見直し、全国至るところにある中小企業の活力を高めることや、新たな企業の誕生が不可欠であるという考え方です。
 
講師のお話で面白かったのは、大企業の在り方は餌を求めてあちこち動き回り、食べ散らかしては移動する、まさに動物のようだと指摘していました。そして一方の中小企業はと言うと、地域にしっかりと根を張り、その地元から養分をいただき、また地域に貢献するといった還元を行う植物に喩えていました。
 
また別の方の書いた、これに関する資料には、次のように書かれています。世界中の大企業が草を食べ尽くした羊が別の草原を探すように、安い労働力を求めて韓国、中国、ベトナムへと進出と撤退を繰り返してきました。
 
そしてその羊を追って肉食動物が移動するかのように、新興市場を求めてNIES、ASEAN、BRICSへと開拓のタ−ゲットを拡げ続けています。
 
食べ尽くされたかに見えた草原も季節が巡り、雨が降れば元の緑を取り戻します。地に根を張った植物は、この営みを繰り返して、徐々に大きな群落に成長します。その地の気候に順応する進化を遂げ、大地を肥沃な土壌に変えて、やがては多様な動植物が共生する緑豊かな大地となります。

 
まさに多様性に富んだ植生の中でしか昆虫や動物が棲息できないように、元気な中小企業群なくしては、地域の暮らしも、経済も、大企業も、自治体も、国家も成立しないのです。その通りですね。自助努力が何よりと言う同友会の中で、中小企業憲章がなぜ必要なのか、が少しずつ解ってきました。
 
来週24〜25日は所用で会社を留守にしますので、カキコミを休ませていただきます。


おやじのせなか その1

[2010年05月20日(木曜日)|No.1822]

好んでよく読む記事なのですが、朝日新聞に「おやじのせなか」という欄があります。先日は元駒大苫小牧高校の野球部監督だった香田誉士史さんのことを書かれていました。
 
香田さんの父は電気工事の職人です。職業柄、器用で子どものために何でも作ってくれたそうです。野球を始めてからは、ボ−ルにひもをつけて木からぶら下げ、バットで打つようなものや、キャッチボ−ルで川に落ちないようバックネットまで作ってくれました。
 
あるとき香田少年がまだ小学生だった頃、自宅に親類が集まり酒を飲んでいた席で、おじさんがこう言いました。「誉士史は少年野球でレギュラ−だけど、兄ちゃんは高校で補欠か」と。
 
その途端、父が血相を変えて「ふざけんな。最後までやり遂げることが大切だろ。補欠だとかレギュラ−だとか関係なか」と大声を出し、つかみ合いになったそうです。
 
香田さんは「ああ、これが父さんなんだ」と述懐しています。この話を読んでいてとても嬉しくなりました。レギュラ−を掴んだ弟の方はよいとしても、補欠の兄さんの気持ちを考えたら、ここまで言い放ってくれるオヤジは最高でしょう。
 
誉士史さんの名前はこの父が付けてくれたと言います。「誉」は一番になるように、「士」は武士のように潔く、そして「史」は勉強もできるようにとの願いからです。
 
見るからに熱血漢そのもののように見受けられたのですが、監督時代甲子園で夏2連覇、その翌年も再試合の末の準優勝と、見事な手腕を振るっています。ちょうどマ−君こと楽天の田中将大投手を擁していた頃のことです。
 
しかしそれまではずっと勝てず、選手にも理解されなくて弱音を吐いていた時代もあったようです。そんなとき、父の墓参りに行くと不思議と慰められ、「ずっと見守っていてね。頑張るから」と声をかけると、またその気になったとのことです。
 
確か部員の不祥事で、その後、駒大苫小牧高の監督を辞めなければいけなくなったと記憶しています。この香田さん、楽しく酒を飲んでいると最後に歌いたくなるのが、長渕剛さんの「鶴になった父ちゃん」とのことです。
 
ずっと生きていて欲しかったという言葉を裏付けるように、おやじのせなかがいつまでも生きているような気がします。子どもにとって、おやじのせなかは強く逞しくなければいけません。


子ども手当

[2010年05月19日(水曜日)|No.1821]

一昨日も触れた子ども手当について、ちょっと話題が古くなってしまいましたが、過日とんでもない申請がありました。
 
尼崎市に住む韓国人の男性が、妻の母国のタイで養子縁組したという554人分の子ども手当の支給を申請したというのです。
 
この子ども手当、面白いのは子どもがどこにいようと、その保護者が日本に住んでいれば支給対象になるのです。これはそれ以前の児童手当の受給資格を引き継いでいるものですが、元々は日本国籍で日本に居住する親のみが対象であるはずです。
 
それが子どもが海外留学等で海外にいても、受給資格を与えなければということもあり、そのようになっていたのですが、国際化の流れで1982年に国籍が撤廃され、外国人でも日本に住んでいればその対象となったのです。
 
またもう一つ考えさせられるのが、日本人であり、子ども本人が日本に居住していても、保護者が(単身赴任などにより)海外に居住しており、生計を維持する者が日本国内にいない場合は支給対象にはならないということです。
 
こうした法律の隙間を縫って突いてきた申請なのですが、タイに住む子どもたちと養子縁組をしたという証明する公的文書があっても、教育の実態がないという理由で尼崎市は却下いたしました。
 
とんでもない話ですが、ずいぶんと欲張ったものです。今年度の支給額は月に1万3000円ですから554人となると1年で8600万円余りの大金になるわけです。
 
さすがにここまでになるとおかしいと気がつき、受け付けないものでしょうが、この制度を悪用して不正受給をはたらく外国人がこれからも増えるのではないでしょうか。
 
何しろ月額の13000円だけでも自分たちの現地での月収と同じか、それ以上という人たちも少なくないはずです。悪用されれば、私たちの税金で海外にいる外国籍の子どもたちを養育することになるのです。
 
それほど今の日本には余力はないはずだし、自分たちの頭のハエさえ追えない状況なのです。昔から身の丈に合わないことは行なわないと、先人から教えられてきたはずです。財源が乏しいのにもかかわらず、背伸びした政策にはやはり無理と欠陥があるものです。


岡村隆史さん

[2010年05月18日(火曜日)|No.1820]

ナインティナインの岡村隆史さんのことが新聞に載っていました。記事からは、普段私たちが受けている岡村さんの印象とは全然違う、素顔の真面目な側面を覗くことができました。
 
私たちも学生時代、よく聴いていたラジオの長寿番組「オ−ルナイトニッポン」を、岡村さんはパ−ソナリティとして17年もやり続けています。
 
それはいろいろな大物が務めてきた中、ダントツの長寿記録を更新しているとのことです。またこの番組に備えて岡村さんはいつもオンエアの3時間前に入るそうです。
 
売れっ子であちこち引っ張りだこの岡村さんですから、毎週未明の2時間もの生放送番組になぜ出続けるのか、そして律儀に3時間も前にスタンバイする姿勢を崩さないのか、人々の疑問だったようです。
 
この記事を読んで私も感動したのですが、以下に挙げるその答えが全て岡村さんの人間性そのもののような気がします。
 
全国にはハガキ職人と呼ばれるヘビ−リスナ−がいて、笑いを狙ったネタを葉書に1つずつ書いて番組に送ってくるそうです。その数は時には1000枚を超えるようです。
 
そして受け取るのが岡村さんで、放送局に3時間前に入り1枚1枚を読んでいきます。また番組で紹介するネタを選ぶのも岡村さんの役目です。読み違えて折角のネタを台無しにしたら申し訳ないということで、読む練習も欠かしません。
 
それでは忙しいのになぜ出続けるのか?と本人に問うと「勉強になるから」と答えるだけですが、番組のディレクタ−は「たとえ採用されなくても、岡村さんが必ず読んでくれることを知っているから職人たちは毎週送り続けてくれる。それが続く限り、岡村さんは決して終わりを口にしない」と答えています。
 
そしてテレビの現場でもカメラが回るまで絶えず確認を続け、決して遅刻をしないそうです。こんな岡村さんを、一緒に20年もやり続けている番組制作会社の社長は「彼はミッキ−マウス。みんなに幸せを振りまくけれど、着ぐるみを脱げばぐっしょりと汗をかいている」と表現しています。
 
ちょっと人気が上がると、自分の足下が見えなくなる人が少なくない中、星の数ほどいる芸人の人気は水物で、芸能界の一寸先が闇であることを、過去の苦労からしっかりと学び取っているのでしょう。
 
このように画面からはじけてくる岡村さんの姿と、物静かな普段とではとても落差が大きいとも言われています。テレビからただ映し出される虚像だけで人は判断してはいけないと教えられ、真摯な姿勢を貫く岡村さんがちょっぴり好きになりました。


ちょっと良い話part60

[2010年05月17日(月曜日)|No.1819]

世の中こんな人たちばかりだったらよいのにという、ちょっと良い話です。
 
「早くバス来ないかなあ」。3歳の長男が待ち遠しそうに話しかける。ベビ−カ−に乗せた2ヶ月の次男も連れて少し心細い私の気持ちを、彼は知らない。
 
しばらくすると停留所にバスが到着し、ドアが開いた。畳んだベビ−カ−を持って、首のすわらない次男を片手で抱き、長男にバスに乗るように促したが、なかなか進んでくれない。
 
そんな時、後ろに並んでいた70歳ぐらいの女性が、「一緒に乗ろうね」と言いながら、長男の手を引いてくれた。すいていた車内に喜んだ長男は、小走りで最後部の席に。私には別の女性が、ベビ−カ−を置きやすい座席を譲ってくれた。
 
離れた席に座った長男は、私と同年代の男性と隣り合わせて、何かおしゃべりをしていた。しばらくすると眠ってしまったが、男性は長男が座席から転げ落ちないように見てくれた。
 
眠った長男を抱いて降りる時には、運転手さんが固定していたベビ−カ−を取り外し、次男を乗せて歩道まで運んでくれた。
 
子育ては大変なことが多い。その中で、見知らぬ人たちにこんなに温かい経験をさせてもらい、その日は一日中、幸せな気分で過ごすことができた。
 
私が同じ場面に遭遇した時、スッと手を貸せるようになりたい。それがバスで出会ったみなさんへの恩返しになるはずだと思う。

 
私たち男性には気がつかないところで、女性は特に、このような大変な思いをして子育てをされているものと思われます。それを世の中全体で、やはり支えてあげなければいけないでしょうね。
 
財源のない中、バラマキとも言える子育て支援の子ども手当の支給以前に、この話のように、みんなで温かく支えあう世の中を作り上げることのほうが先決だと思うのですが...


土光敏夫さんその2

[2010年05月14日(金曜日)|No.1818]

やっと本題に入ります。前置きが長くて申し訳ありません。記事によると、会議は2時間以上してはならないという、土光さんの考え方を紹介しています。
 
お前たちは立って会議しろ。座って会議するとダラダラ無駄が多い」とまで言われています。この会議ではないのですが、埼玉県の方にある会社で、今までの座り作業を全員立ち作業に変えて仕事の効率が良くなり、業績も上がったという話は聞いたことがあります。
 
これと同じことが言えるのかもしれませんが、ダラダラと会議の為の会議になるのかもしれません。しかし、だからと言って土光さんは人間をコストとは考えてはいませんでした。
 
企業にとって人間は資源。不況だからと言ってすぐに採用を減らすのは誤りだ。苦しいときほど有能な人材を集めるべきだ」と主張しています。
 
日本には人間、人的資源のほかには何もない。不況で採用を減らすのは年寄りの都合で、若者たちに申し訳が立たない」とも言われています。
 
また重役会で女性がお茶を出すのを見て、「女性をお茶くみに雇っているのか、女性の能力を活用しなければならぬ」と言って、早速、会議室に冷水やお茶の装置を置いてセルフサ−ビスにしたそうです。
 
重荷主義といって、重要な仕事を与えれば人は自然に精鋭になり、採用した人間を生産性のない仕事から、価値を生み出す高度な仕事にどんどん連れていくのが経営者の仕事だと、土光さんは信じていたようです。
 
私なども会社のリスクを恐れ、なかなか責任ある仕事を任せれないでいた一人でした。でもそれではいつまで経っても企業の発展は得られないものです。認めて任せて励ます、これでなくてはいけないことを遅まきながら学んでから慌てて修正したものです。
 
最後に期待される社員像について、次のように述べています。
 
① 頭脳を酷使する人
 
② 先を見て仕事のできる人
 
③ システムで仕事のできる人
 
④ 仕事のスピ−ドを重んずる人
 
⑤ 仕事と生活を両立できる人

 
要は変化に柔軟に対応し、挑戦しうる人が求められています。これは社員さんに限らず、私たち経営者にもしっかりと求められていることなのですね。頭の痛い経営者がきっと多いはずです。


土光敏夫さんその1

[2010年05月13日(木曜日)|No.1817]

近くに住む地元地域の人たちは温かいものです。先日も朝、犬の散歩をしていたら、「お−い、野菜を持って行け」と遠くから声を掛けてくれ、ねぎなどの野菜をいただいてきました。
 
また今朝も自転車で会社に向かう途中、知人とバッタリ出くわし、散歩の途中だったのでしょう、手にしていたユッコラとかいう野菜を分けていただきました。本当に有難いものですが、これも自転車ならではの効果ではないでしょうか。
 
さて、ミスタ−臨調と呼ばれた、元経団連会長の土光敏夫さんについて書かれていた記事を読みました。ミスタ-臨調の言葉どおり、行革審会長として国の行政改革に奮闘した、質実剛健な方です。
 
当時の日常生活も、かつてテレビのドキュメンタリ−で紹介していたことがありましたが、人に改革を迫る以上、説得力のあるものが求められているものですが、まさにその通りのつつましやかな質素倹約を地で行っていた方だったようです。
 
映し出された、奥さんと二人きりでとる夕食のメニューには、メザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米が紹介されていましたが、これがその後「メザシの土光さん」のイメージを定着させました。
 
他にも戦後1回も床屋に行ったことがなく、息子にやってもらうとか、穴があきツギハギだらけの帽子や50年以上使っているブラシを愛用しているなどの様子が紹介されていました。
 
経団連の会長までやった人がなぜと思われるかもしれませんが、蓄財家でもなく月10万円も掛からない生活費を除いた多額の収入のほとんどは、学校などへの寄付に当てられていたとのことです。
 
このように一般庶民よりその生活は質素だったようです。会長時代も通勤には公共のバス・電車を利用していました。面白いのは疑獄事件での容疑が掛かったときのエピソードです。
 
早朝検事が自宅を訪ねると、奥さんから今出たばかりだからバス停にいるはずと言われたので、向かってみるとその通り、バス停で一人でバスを待っていたそうです。この時に検事は彼の無罪を確信したと後で述べています。
 
記事の内容に入る前に、土光さんにまつわる話がすっかり長くなってしまいました。申し訳ありませんが内容は明日、また触れさせていただきます。
 
記事とは関係なく申し上げたかったのは、こういった土光さんのような骨のある人が今の日本には少なくなってしまったということです。政治家や経済界を見回してもほとんど見当たりません。
 
これでは行革をやる、やると言っていても口先だけのことで終わってしまいます。今の日本のシステムを大きく変えてくれる、土光さんのような人は果たしていないものなのでしょうか。


W杯代表選出

[2010年05月12日(水曜日)|No.1816]

サッカ−ワ-ルドカップの日本代表メンバ-が決まりました。このところ得点不足で低迷を続ける日本代表だけに、サプライズがあるのかなと、ちょっと期待していたのですが、以前からの岡田監督のお気に入りの選手に落ち着いたようです。
 
そんな中、第3GKで川口選手が選出されたのが唯一のサプライズと言えるかもしれません。同じく4回目の出場となるGKの楢崎選手と並んで、34歳のベテランが選出されました。
 
ケガの影響から今シ-ズンまだ1試合も出場していないわけですが、監督はチ−ムのまとめ役として是非欲しかった選手だと言っています。それならフランス大会のときのカズはなぜ?と、口うるさい取り巻き雀は話していますが...
 
今シ−ズンその加入で快進撃を続けているエスパルスの小野選手はやはり選ばれませんでした。私の友人に言わせると、一番の天才は彼だが、むしろ選ばれない方がよいとまで指摘しています。
 
監督が彼の良さに気づいていないし、下手に使われては潰されてしまうかもしれないからとのことです。ですから喜んでいいのか悲しむべきなのか、複雑な思いなのですが、我が郷土の代表がそのメンバ−の中にいないのはやはり寂しいことです。
 
それにしても、この代表選出にあたっての巷の反応には凄いものがあります。直後のネットのカキコミをチラッと眺めたのですが、軽く数百件はありました。
 
中にはこれで3戦全敗で終わったとか、Jリ−グの得点王やMVPを無視していったい何を考えているのか、といった非難めいたものが多かったように思えます。
 
またFWの前田選手が外れたことに触れた内容も多くありました。サッカーをよく知らない私には、とてもどうのこうの言えるものではありませんが、果たしてサポ−タ−の力まで結集した、総力を挙げての臨戦態勢が組めるのか、ちょっぴり不安になったものです。
 
とにかくこれで泣いても笑っても南アフリカへの布陣は動くことがありません。門外漢の私としては、不人気の岡田監督が一躍スタ−となり、国民揃って笑いながら迎えられる大番狂わせを期待したいものです。


河村たかし市長

[2010年05月11日(火曜日)|No.1815]

民主党の衆議院議員から名古屋市長に転身した、河村たかしさんの活躍が相変わらず人目を引いています。ご存知、名古屋弁丸出しで、政治を庶民レベルの目線から変えようと奔走している方です。
 
もっともご本人は名古屋弁などと呼ぶのは地方差別に繋がると言って、東京語は標準語ではなく共通語とし、名古屋弁ではなく名古屋ことばと言うべしと主張し、NHKまでその呼び方を変えた人ですから相当な頑固者だと思われます。
 
しかし憎めないそのキャラクタ−が人々から愛され、市長就任後1年経った今でも61%という、高い支持率を誇っています。
 
昨年の4月末、市長になるや否や自らの報酬を800万円(年収)にまで下げ、議会の混乱を退けて公約に掲げていた10%の市民税減税実現にも着手しました。
 
ところが実際には減税での恩恵が、目指していた庶民よりむしろ対象が金持ちに該当するところから、少しずつ政策が狂い始め、さらにその後、議員定数半減と議員報酬半減を提案したことにより、議会との対立が決定的となってしまったのはご存知の通りです。
 
それでもその対抗手段として、市民の署名を集め議会を解散してでも実現を図ろうとしているくらい、相変わらずの意気軒昂の市長です。
 
こうした河村市長がこの度、市長の公用車をプリウスからダイハツの軽自動車に代えて、その利用を始めたとの記事を見つけました。競争入札のリ−ス契約で、月額1万4千円とのことです。
 
その就任当初から要望していたらしいのですが、今の車があるのに新しい車は要らないという、市議会の反対で先送りとなっていたのです。
 
そしてそのプリウスが更新期を迎えたことにより、1年越しで実現の運びとなりました。面白いのは市議会議長の公用車は高級車のセンチュリ−のままです。
 
多少、パフォ-マンスが過ぎるかもしれませんが、庶民派市長を自ら謳う河村市長の面目躍如たるところです。名古屋市民にその違いが果たしてどう写るのでしょうか。やはり率先垂範、為政者は自ら行動を起こしてこそ、民意を得ることができるものです。


長九郎山

[2010年05月10日(月曜日)|No.1814]

4月の長雨が嘘のようで立夏も過ぎ、風薫る素晴らしい季節を堪能できるこの頃です。週末の土曜日には連休の代休をいただいて、松崎の先にある21世紀の森林公園にまで足を伸ばし、長九郎山に登ってきました。
 
友人が誘ってくれたのですが、敢えて何処とは言いたくないほど、上り口はまさに目の洗われるような素敵な場所です。踏み込んでしまったら申し訳ないように、緑の苔むす絨毯が続いています。

そして綺麗に枝を落とされた、真っ直ぐに聳え立つ杉林から登り始めるのですが、前日の雨に洗われたお陰もあって、まばゆいような新緑の森林を抜けていくコ−スです。
 
友人が言っていましたが、これも地元・松崎町の並々ならぬ努力の賜物なのでしょう。ちょっと距離は延びるかもしれませんが、比較的平坦で歩きやすい道は整然と整備され、ゴミ一つ落ちていないのはもちろんのこと、迷わないように道標が至る所に施されています。

まさに森林浴とはこのことを言うのでしょう。歩く道からは車などの喧騒も一切遮断され、小鳥のさえずりだけが心地よく耳に飛び込んできてくれます。
 
鶯の鳴き声がこんなにも綺麗だったのかと改めて知らされたものでした。そしてお目当ての石楠花(シャクナゲ)は途中の林道を挟んで、登り始める原生林の中にあるのです。
 
途中、早々に下山してきた方と擦れ違ったとき、キョウマルシャクナゲは咲いているがアマギシャクナゲは今年はダメとお聞きしたが、植物に疎い当方には何のことか分からず、それでも咲いていればいいと楽しみに足を踏み入れました。 
  
しかしご覧のように、あたり一面というわけではなく、友人の話からは以前来たときと全然違うと言うのです。どうもこの石楠花にも、花の咲き方がいまいちの裏年というものがあるようです。
 
ですから来年はまた違った、素敵な石楠花の群生が見られるのではないでしょうか。その日をまた楽しみにしたいものです。欲を言わせてもらえば、コ−スは全然問題ないのですが、登り口まで来るのがちょっと大変です。
 
沼津からは車で空いていてもほぼ2時間は掛かります。でもあんまり便利がよければ大勢の人たちが押し寄せるわけで、アプロ−チに時間が掛かるのは仕方がないかもしれません。とにかくおいしい空気をいっぱい吸わせていただき、十二分にリフレッシュできたハイキングで大満足です。


ちょっと良い話part59

[2010年05月07日(金曜日)|No.1813]

温かく支えてくれた人がいたからこそ今日があるという、ちょっと良い話です。
 
幼い頃、私には吃音(きつおん)の癖がありました。特にサ行とタ行の音が苦手で、小学生の時は国語の授業が苦痛でした。
 
中学生になって、駅の窓口で切符を買う時、サ行とタ行の駅名が言えず、顔中真っ赤になりました。周囲から吃音を笑われたり、からかわれたりするのが本当に嫌でした。
 
都立高に入学して間もないある日。国語の授業で音読の順番が回ってきました。私は覚悟を決め、読み始めました。最初の1行からもう駄目、つっかえつっかえです。
 
2行目、頭の音が出てきません。教室は静まり返り、私は開き直りました。もういい、どうにでもなれ、どもってやれ。
 
一体どれだけの時間が掛かったのか。ついに私は2ペ−ジを読み切りました。異様に静かな教室で、先生は何事もなかったように穏やかに「はい次」と授業を進めていきました。
 
その日を境に、私の吃音は少しずつ治っていった気がします。そして私は大学を卒業し、小学校教員になって30数年間、子どもたちの前で話し続けてきました。
 
あの時の〇〇先生の温かいご指導に感謝しております。黙って待った、先生の仁術で吃音は治ったのです。

 
吃音とはどもりのことです。そういうつもりは全くないのですが、どもりという表現がもし差別用語に繋がったらご容赦下さい。
 
周囲の反応を必要に気にするあまり、この先生のように温かく対処くれる人ばかりではありません。途中で打ち切られては余計萎縮してしまうというものです。
 
このようにその差はちょっとしたことだと思われます。本人の自信に繋がるか、さらに落胆させてしまうかは紙一重のことではないでしょうか。苦手なことを克服した人間は、何事もなくただ通り過ぎてきた人よりずっと逞しく強くなっているはずです。
 
やはりいかに素晴らしい出会いに遭遇できるか否かが分かれ目となるものでしょう。そういった意味でも、自分から進んで素晴らしい出会いの機会を見つけ、努めていくことも求められているのではないでしょうか。
 
意味合いはちょっと違いますが、自分の苦手な人を逆にファン(応援者)にしてしまえば、こんなに心強いことはないものです。


連休を振り返って

[2010年05月06日(木曜日)|No.1812]

ゴ−ルデンウィ−クが終わってしまいました。この期間に今回のような晴天が続いたのは50年ぶりだと言われています。とにかく素晴らしい天気のゴ−ルデンウィ−クで、皆様はさぞかしお休みを満喫できたのではないでしょうか。
 
私どももお陰様で無事工事を終わり、一日早く3日からお休みをいただくことができました。今回の工事に関しては社員一同精一杯取り組んでもらっていたお陰で、彼らの処理していた分に関しては何も問題なかったのですが、お手伝いした私自身がつまらないミスをしてしまい、少し足を引っ張ってしまいました。
 
ケアレスミス以外の何物でもありません。特に気を抜いていたわけではないのですが、今後に向けて大いに反省しなければと痛感しているところです。
 
さて3日間の連休を頂いたお陰で、家内と映画を観に行ったり、真ん中の娘の誕生日に家族中でドライブに少し遠出をしたりして、のんびりと過ごすことができました。
 
まず映画館に行くなんて何年ぶりだったでしょうか。入口で知人ともばったり会ったりしてビックリしましたが、久しぶりの映画は快適でした。
 
嬉しかったのが夫婦50割引というものがあるのです。通常では2000円ぐらい掛かるのですが、50歳以上の夫婦が揃って入場すれば二人で2000円という割引になるのです。
 
家内とも話したのですが、これなら良い映画があればちょくちょく観に来たくなるものです。ドライブは山梨と長野の県境にある白州まで足を伸ばしてきました。
 


お天気が良かったことから、写真にあるように北に八ヶ岳をしっかりと望み、また西側にも南アルプス(写真は北岳だと思うのですが)が綺麗なその姿を見せていました。
 
そしてこの地域は水が良いのでしょう。道の駅・白州にも大勢のマイカ−が押しかけ、駐車場が一杯で道路まではみ出していたくらいです。人々は手に手にペットボトルをぶら下げて、自然に湧いているおいしい水を味わいながら持ち帰っていました。
 
やはり、たまにはこのように空気の良い、違った素敵な場所でリフレッシュしたいものです。懸念された帰りの渋滞にも特に引っ掛かることもなく、順調に夕方には家路に着くことができました。もちろん、おみやげで買った白州のお酒が、特別おいしかったのは言うまでもありません。