株式会社 アイソー




2010年10月の日記

ご連絡

[2010年10月30日(土曜日)|No.]

11/1(月)は軽井沢のモノレ−ル工事で仕様変更の依頼がありましたので、早朝より一日出張します。カキコミは休ませていただきます。


今年のドラフトから

[2010年10月29日(金曜日)|No.1910]

今年のドラフト会議が終わりました。注目の早大・斎藤投手の指名権は4球団競合の結果、日本ハムが得ました。正直、隠れヤクルトファンの私にとっては、何とかそのクジを引き当てて欲しいと願っていたのですが、残念ながら叶いませんでした。
 
また同じ早大の大石投手には6球団が指名し、西武ライオンズがその権利を獲得しました。そんな中、意中の球団でなければ大リーグへなどと、ほのめかしていた中大の沢村投手はその戦法が実って、巨人が単独指名という形で交渉権を得ることができました。
 
何しろMAX157kmを投げると言いますから、そのスピ−ドは半端ではありません。漁夫の利というものではありませんが、一番よい買い物をしたのはこの巨人のような気がします。
 
この沢村投手は斎藤佑ちゃんなどと違って、高校時代は無名の選手でした。しかも控えの投手だったのです。そして中大に進学した後、どうしたら速い球を投げれる投手になれるのかを自分なりに研究して、トレ−ニングに励んだのです。
 
ですからどちらかと言うと遅咲きの選手でもあり、甲子園、神宮とあれだけ活躍したハンカチ王子こと斎藤投手などに比べれば、ずっと使い減りしていないとも言えるから、プロでは楽しみではないでしょうか。
 
まあ蓋を開けてみなければ結果は判らないものですが、今年は総じて大学生に投手を中心とした、良い選手が集まっていました。上記以外にもサウスポ−No.1と言われている仏教大・大野投手、やはり早大の、愛媛・済美高で甲子園優勝した福井投手などの、これからのプロでの活躍が楽しみです。
 
この大野投手は母親一人で育てられたと聞きました。本当にいい親孝行ができたものです。それにしても、近年は注目の投手がパリ−グに偏るものです。人気と戦力均衡といった点からはとてもよい傾向だと思いますが、なかなかテレビで観る機会が少ないだけに、ちょっぴり残念にも感じています。
 
と言っても今年の日本シリ−ズをはじめ、プロ野球そのものがあまりテレビで放送されなくなっているのが現状です。是非、今年の有力新人の力で再度、日本プロ野球を盛り上げてもらいたいものです。
 
蛇足ですが、ドラフト前、天命を待つと言ってその心境を語っていた斎藤佑ちゃんですが、果たして意中の球団だったのでしょうか。
 
しかし事後、日ハムの指名を受けたことについては、心から感謝していますとのコメントを残しているのはさすがです。あれだけ騒がれた甲子園から、既に4年の月日が経ったわけですが、少しも驕りがない爽やかな姿勢には、やはり人間的にも少なからず好感を抱くものです。


ある学校での出来事から

[2010年10月28日(木曜日)|No.1909]

大阪府箕面市の小学校で起こったことです。2年生の担任の教師がクラスメ−トをいじめた男の子に対し、「バカなんじゃないか」「相当な心の病を抱えているとしか言いようがない」などと、家庭への学級通信で非難をしたということが騒がれています。
 
事前に学校側が把握しておらず、この通信が保護者の手に渡ってから知らされ、校長は「内容は許し難いことで、子供を傷つけ大変申し訳ない」と平謝りしたとのことですが、ちょっと考えさせられてしまいました。
 
言われるとおり、確かに教師のとった行為は行き過ぎだと思われますが、果たして校長の言うように、このことが許し難いことなのでしょうか。
 
聞くと、このクラスでは特定の女児について、十数人が「○○菌」などと呼ぶなどのいじめが起きており、問題になっていたそうです。
 
従って教師は授業の中でこの事実関係を確認し、いじめをやめるよう指導したのですが、それから3日後の掃除の時間で、また女児が持とうとしたモップについて「このモップ持つと菌がつく」とはやしたて、いじめが続けられたのです。
 
こうしたことから危機感を募らせ、この学級通信でいじめの中心は3人と指摘し、「たった3名でクラスが崩壊させられることもある」と表明し、冒頭のような表現で非難をしたということです。
 
考えるのに、この教師はとても真面目な方ではないかと思われます。ですから人一倍真剣にいじめという問題を考えていたのではないでしょうか。
 
近年、こうしたいじめがあちこちで繰り返されているのにも関わらず、無関心を装い、見てみぬ振りをしている指導者が少なくありません。そして昨日も報道されていたように、小学生でもそれが原因で自殺まで追い込まれることもあるのです。
 
この群馬県桐生市の小6の女の子は自宅で首を吊って亡くなっていたそうです。そして昨日になって、生前、「やっぱり『友達』っていいな!」というタイトルの漫画を描き残していたことがわかりました。
 
友達から無視され続けた結果がこんな悲惨な結末となってしまったのです。こうなってしまったら、いったい誰が責任を取ってくれるのでしょうか。
 
やはり事なかれ主義はいけません。そうした問題に逃げることなく、敢然と向かっていく方法を少し間違えただけなのです。ですから私は決して許し難いことだとは思っていません。
 
また今となっては話は別ですが、当初の学級通信はこのクラスの関係者だけに配布されたもので、起きている問題を保護者の間でも真剣に考える必要があると思って行ったことです。
 
ですから、ただ我が子可愛さでその権利を主張し、マスコミもそれに輪を掛けて一教師を追及する姿勢には、大きな疑問を感じます。
 
極論を申し上げると、臭いものに蓋をして逃げ回っているより、こうした真剣に何とか問題を解決しようとすることの方が、ずっと価値あるものと私は考えています。


朝礼でのスピ−チ

[2010年10月27日(水曜日)|No.1908]

我が社でも朝礼は毎朝、必ず実施しています。その始まりの部分で、もうそろそろ1ヶ月になるでしょうか、過日ご紹介した、スクワット10回と片足立ち30秒の筋トレスロ−トレ−ニングを行っているわけですが、だんだん様になってきたようです。
 
やり始めの当初は片足立ちにしても、それぞれがグラグラと体が傾いて、なかなか落ち着かなったみたいですが、1ヶ月もやり続けるとやはり少しは安定してくるものです。継続は力なり、3年先が楽しみです。
 
さて、そんな朝礼において、我が社でも1週間の当番制で順番に、社員が心に残ったことや最近感ずることなどを簡単なスピ−チとして発表してもらうわけですが、一人が1週間も続けて毎朝発表するのには、なかなかネタ探しが難しいようです。
 
そんなネタ探しに参考にと、あるメルマガに載っていましたので紹介したいと思います。その極意というほど大げさなものではありませんが、次の4つを挙げていました。
 
① 日常で目に入るものは、全てネタと思うべし
 
② 通勤途中はネタの宝庫!中吊り広告などに注目
 
③ 成功者の生き方は鉄則!自叙伝はネタのバイブル
 
④ 未知の世界はスピ−チ名人への入口

 
そして以下のようなアドバイスを送っています。スピーチの本来の目的は、社員の気持ちを明るくさせ、1日の仕事へのモチベーションをアップさせること。
 
何もすばらしくイイ話をしなくても、ぽっと心が和むエピソードを紹介すれば十分なのだ! まず始めてもらいたいのが、日常生活のなかからネタを探す練習。どんな場所でも和みエピソードはあるはず。
 
ここで重要なのは、単に見聞きしたことをストレートに語るのではなく、それによって自分がどう思ったか、何に気がついたか、自分自身の「気づき」に焦点を当てて話を展開すること。日常から自分改革の糸口を見つけることで、より深いスピーチになる!

 
話されているように、無理にイイ話をしようとすることはありません。その話の中に気づきや、できれば心が動かされたことが入っていれば、こんなによいことはありません。
 
以前、見学させていただいた大阪の山田製作所さんでは、当番の発表者が話した後、別の方が必ずその内容についてのコメントを発表していました。これは事前に内容が知らされていないだけに、咄嗟に判断しコメントを出さなければならないものです。
 
それだけに他人の話もよく聞くようになるし、仕事上でもお客様との会話で咄嗟の判断を求められるときの、よい訓練になるものと思われます。
 
とにかく借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で話すことが何よりです。たとえそれが上手に話せなくても、ひたむきさと気持ちを込めたものがあれば、聞き手にはずっとその思いが伝わるのではないでしょうか。


ゴジラ松井選手の行く先

[2010年10月26日(火曜日)|No.1907]

巨人が意外にだらしなくコケて、日本シリ−ズは中日対ロッテの対戦となりました。余分なお節介なのですが、この対戦カ−ドで果たして茶の間は盛り上がるのでしょうか。
 
聞くと、日本シリ−ズを放映するテレビ局はその取り決めとして、最初から最後まで全て放送しなければいけないと言います。それだけに、ゴ−ルデンタイムとぶつかったりすることを考えれば、テレビ局は二の足を踏むでしょうね。
 
それはさておき、海の向こうではワ−ルドシリ−ズの対戦相手も決まり、当該チ−ム以外はいよいよ来シ−ズンに向けての、選手の補強や放出の動きが激しくなろうとしています。
 
そんな中、今シ−ズンからエンゼルスに移籍した、我らの松井選手の去就に少し注目が集まっています。というのも、非公式なのですが、球団が松井選手と再契約する見込みがないと伝えられているからです。
 
故障を抱えている膝の調子が悪くないものの、打率は昨年と同じ2割7分4厘でしたが、本塁打21本、打点84は昨年以下で、チ−ムが期待していた以上の結果を残すことができませんでした。
 
そしてチ−ムも昨年までは地区3連覇を達成しており、松井加入で4連覇が期待されていたのですが、それもならないどころか、負け越してしまったのです。また松井選手は当初の契約が1年限りだったからです。
 
それと、カール・クロフォードという3拍子そろった外野手が、このオフFAとなり、宿敵ヤンキ−スとの争奪戦になるものと見込まれています。そして松井選手が務めたDHには、契約があと1年残るボビー・アブレイユが外野からDHに回ると見られていることから、構想外と伝えられているのです。
 
それでは、このDH専門の松井選手の受け皿は他にあるのでしょうか。もっともDH専門と言っても、私はまだまだ十分守れるものと思っていますが、大リ−グ各球団のおおよその見方であるゆえ、何分致し方ありません。
 
そんな中、浮上してきているのが、ピンストライブのユニフォ−ムを再び着るのではないかという見方です。ご存知のようにヤンキ−スは今シ−ズン、ワイルドカ−ドからの出場でプレ−オフに出場したものの、リ−グ1位決定戦でレンジャ−スに敗れ、ワ−ルドシリ−ズ出場を逃しました。
 
しかし昨年はこのヤンキ−スがワ−ルドシリ−ズの覇者で、しかもそのMVPが松井選手だったのです。このように大試合に強い松井選手に比べ、ヤンキ−スが今シ−ズン獲得した選手が十分働いていないのです。
 
またこの球団が、過去にプレーした選手を好む傾向もあるということから、実現不可能ではないことです。とにかく赤のユニフォ−ムは松井選手には似合いません。どうせなら再度ピンストライブのユニフォ−ムを着た、颯爽とした勇姿を是非見てみたいと思っています。


整理解雇

[2010年10月25日(月曜日)|No.1906]

あの憧れだったJALが、とうとう整理解雇という処置をしなければいけなくなっているようです。今月22日まで募集していた希望退職者が、目標数に達しないからです。
 
当初、総額で2兆円以上もの負債を抱え、会社更生手続き中のJALにとっては、募る希望者数の目標は1500人でした。そして最初の募集を締め切った9月末では、この目標を大幅に下回り、500人に留まっていました。
 
このため、2次募集として22日までを期限で再募集をかけ、従業員への説明や再就職支援を強化したことで、1100人余りが応じる見通しが立ちましたが、まだ300人ほど目標数に達しないとのことです。
 
従って主にパイロットと客室乗務員を対象に、この整理解雇という手段をとらざるを得なくなっているみたいです。また当初の募っていた目標数は、パイロットが約370人、客室乗務員が約600人と言われていましたから、その数字から少し驚きを覚えたものです。
 
私達素人が考えても、パイロットや客室乗務員がいっぺんに1000人近く辞めて、果たして運行が正常にできるのだろうかと思うのが普通です。でも裏返せば、いくら路線を縮小したにしても、それだけ人がダブついていたということにもなるわけです。
 
やはり親方日の丸の体質が抜け切れなかったのでしょう。でもパイロットや客室乗務員といったら、一時期、誰もが憧れる花形の職業でもあったわけです。それが、まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。
 
この整理解雇というのは、会社都合による解雇のことで、実施するには、次の4つの要件を満たしている必要があるとのことです。
 
それは①人員削減の必要性 、②役員報酬カットなどの解雇回避努力、③解雇者の人選の妥当性、④労働者側との協議ということですが、JALの場合、4番目の項目が一番のポイントになるみたいです。
 
組合がこれに応じなければ会社更生が一向に進まず、再び破綻する可能性も出てくるからです。またもう一つ、この人員整理により懸念されることは、その対象に45歳以上のベテラン社員が狙われていることです。
 
それは一般の会社でもそうですが、ベテラン社員がいきなり多数抜けて大丈夫だろうかということです。特に安全性を最優先とする飛行機の運航ですから、不安定でリスクが大きくなるのではないかという懸念です。
 
とにかく、人員解雇で会社更生はしなければいけない反面、運行上の安全性の確保を一層求められているということから、JALにとっては板挟みの頭の痛い問題だと思われます。
 
羽田空港が再び国際空港として再出発するというのに、JALは何とも皮肉な時期にぶつかってしまったものです。かくなる上は、何としてでも再生するしかないですね。


食に伴う体のバランス

[2010年10月22日(金曜日)|No.1905]

昨日は高校の同級生との集まりがあり、お休みを頂いたわけですが、懇親会の席上、20人近い参加者からひとり一人近況報告を伺いました。ちょっと意外に感じたのは、多くの仲間に共通していたのがダイエットの話題です。
 
ある人は朝食をバナナ1本で済ませているから、女房からとても喜ばれていると笑わせたり、また他の人は糖尿病予備軍として医者からお墨付きをいただいているくらいで、食事制限をして10kg近く痩せることができたなどと話していました。
 
また以前から血圧が高く、医者からの薬を飲み続けているものの、それでも140−90ぐらいあった血圧が、女房が進めた健康食品を飲み始めたら120−75と驚異的な数字になったという人間もいました。
 
やはり60歳に手が届くと、いろいろと自分の身体のことを考えているのでしょう。言い方を換えると、それだけ、それぞれの体にガタがきていて、無理が利かなくなっているものとも言えるわけです。
 
聞いていて、こちらも少し食事のことを考えなければいけないなと反省しましたが、それでも生来の食いしん坊は直りません。とにかく何を食べてもおいしいですし、こうした時間が何よりの至福のときでもあるからです。
 
この食事と密接な関係を保つ腸について、過日、この欄でも紹介した若返り術の放送の中で、やはり腸年齢の若返りということを取り上げ、女優の山本陽子さんを紹介していました。山本さんは68歳にもなるのですが、何と生まれてこの方、一度も便秘になったことがないと言うのです。
 
そしてその腸年齢が問診の結果、44歳と24歳も若返っているのです。特別その腸に気遣った生活を送っているわけではないそうですが、ライフスタイルから探り出したその秘訣を挙げていましたので、ちょっとご紹介します。
 
① 朝コップ1杯の水を飲む(水を飲むことによって、今まで寝ていた胃や腸が動き出す)
 
② 四季を感じながらのウォーキング(ただ単に歩くより、風を感じたり景色を感じたりしながら歩くことが重要)
 
③ 野菜中心の料理(繊維質のものなど、腸にいい食べ物を摂る)
 
④ 自分の好きなことに没頭し、リラックスする(交感神経を休めるのによい)

 
最後に挙げた、この交感神経というものがなかなか曲者みたいです。野菜中心の食生活を送っていても、便秘になる人はいくらでもいると言われます。それは毎日の生活に余裕がなく、忙しくてイライラが多く募る人にその傾向が見られると言います。いわゆる自律神経の乱れというものです。
 
自律神経には興奮した時に高まる交感神経と、リラックス時に高まる副交感神経があるとのことですが、交感神経が高まると腸は蠕動運動をしているものの、便が出にくくなるというのです。
 
ですから、やはり生活の切替は大切で、ストレスを発散し、時には自分自身を解放して身体をリラックスさせることが必要となるわけです。だからと言って四六時中、ノンベンダらりんとするわけではないのですが、60歳を超えた今、今まで気がつかなかった魅力的で生きがいのある人生も見つけていかなければと思うこの頃です。


古田敦也さんト−クショ−よりその2

[2010年10月20日(水曜日)|No.1904]

古田さんのお話の続きです。ご存知のとおり、野村さんのID野球の申し子とも呼ばれた古田さんですから、野村さんとの接触はいろいろと多くあったものと思われます。
 
しかしベンチではいつも横にいて何かと教わっていたようですが、一緒に食事などに行ったりすることはまずなかったと言います。選手と監督の線引きをしっかりしていたのでしょう。
 
従ってこんな面白いエピソ−ドがあります。例によって、野村監督は同じポジション出身のキャッチャ−ですから、よくボヤキます。なぜあそこはカ−ブだったんだとか、あんな配球では打たれるのは当たり前だと、その都度よく叱られました。
 
初めのうちはハイ、ハイと素直に聞いていた古田さんでしたが、あるとき、なぜカ−ブを投げなかったんだとベンチでえらく怒られたことがあります。でも、打たれたのはそのカ−ブでした。そんなことは度々あることで、またかと周囲はその監督の誤りに明らかに気づいているような様子です。
 
そんなベンチの雰囲気や期待に応えようとしたわけではないのですが、ノンプロ時代のトヨタの新人研修で、イエスマンになるなと教えられたことから、「お言葉を返すようですが、監督、言われるそのカ−ブを投げました」と言ったのです。
 
そうしたら、野村さんは「おまえ、誰にものを言ってるんだ」と、頭から火が出るほどカンカンになって怒ったそうです。それだけ選手と監督との壁は厚かったのでしょう。
 
こんな監督ですから、あるときは投手へのサインが出せなくなるほど、手が動かなくなったことがあるそうです。いわゆるイップスというもので、精神的に追い詰められると身体が動かなくなる現象です。
 
そのくらい監督というものは絶対的なものだったと話します。また準備段階である程度、勝敗は決まるもので、予測することの大事さとよく考える野球を身につけていったとのことです。
 
この野村さんと比べ、次に監督を引き継いだ若松さんは全然違っていたそうです。野村さんは全てにトップダウン、一方若松さんの方はコ−チに任せて各部門の権限を委譲するタイプです。
 
トップダウンがきついと怖くて、若い芽が伸びづらいとも言われます。きっかけを与えると伸びる瞬間がある、またそうした伸び伸びとしたム−ドの見えない力も大切だと、この二人の監督から学び取ったそうです。
 
とにかく私達企業にも言えることですが、人を育てるというより育てる環境をいかに作っていくかが大事ではないでしょうか。蛇足ながら、古田さんは現在トライアスロンに挑戦中とのことで、それも学校に行けない子ども達が行ける環境作りに協賛した活動だと言っていました。
 
その心意気に感銘すると共に、もう一度ユニフォ−ムを着た、古田さんの勇姿を見たいと願ったものでした。
 
明日は一日私用でお休みをいただくため、カキコミは休ませて下さい。


揺れ動く中国

[2010年10月19日(火曜日)|No.1903]

中国で反日デモが相次いで起こっています。四川省成都に始まり、陝西省西安、河南省鄭州、四川省綿陽、そして昨日は湖北省武漢と3日連続で数千人規模のデモとなっています。
 
どれも皆、内陸部で起こっているものですが、尖閣諸島沖の漁船衝突事件に抗議する反日運動と言いますが、果たしてそうなのでしょうか。
 
首都・北京では次期執行部を決める、大事な党中央委員会総会が開かれているというのに、内陸部でのこの騒ぎです。伝えるところによると、デモは内陸部のみ許されているとのことですが、上海、蘇州などの沿岸都市部に比べ、内陸部の生活は窮乏を強いられ、その格差がどんどん拡大していると言います。
 
そしてデモの中心となっているのは学生を中心とした若者ですから、就職難や今後への大きな不安を抱えているものと思われます。また現体制への不満を表わす抗議活動は一切ご法度となっている国です。
 
そうした、ぶつけようのない不平不満が、反日運動という名前を隠れ蓑として起きているのではないでしょうか。ですから日本製品を扱っている店や日本レストランが被害の標的に遭っているようですが、鬱憤のはけ口として利用されているのに過ぎないのです。
 
また一部では、中国はこのように一度に多箇所においてデモが起こるはずがないということから、政府が陰で操っている官製デモとの見方もあります。いずれにせよ、本当に奇怪な国です。
 
このような反日デモが起こっていると言うのに、ノ−ベル平和賞を受賞した、劉暁波さんの釈放を求めたり、言論の自由や民主化要求の運動が少しも表面に出てきません。
 
劉さんの奥さんは自宅で軟禁状態に置かれていると言い、自宅の周囲はバリケ−ドが張り巡らされ、買い物すら行けない状態だと聞きます。どうして若者の貴重なエネルギ-がそちらに向けられないのか、不思議で仕方がありません。
 
まあ、今のこうした年代の若者たちが、かつての政権である、対日強硬派の江沢民前国家主席から愛国教育を受けた世代だからという声もありますが、今朝の天声人語にも書かれていたとおり、こういう若者だからこそ、日本に来て欲しいものです。
 
我が社の研修生も然り、自国とは全く違った、全てが自由で大いに議論や批判もできる、日本の良さというものが解るはずです。以前、採用する研修生面接にデモが起きた、この鄭州の地を訪れたことがあります。決して豊かとは言えませんが、何かほのぼのとしたようなものを感じました。
 
この地が暴徒化するようになるのには、やはり何かに問題があるのです。胡錦濤国家主席の次は習近平さんがその職に就くということです。昨年末、日本にやってきて慣例を破って天皇陛下とお会いした御仁でもあります。日本好きと言われることから、関係修復に向け、その手腕に期待したいものです。


古田敦也さんト−クショ−よりその1

[2010年10月18日(月曜日)|No.1902]

住友生命から案内をいただき、元ヤクルト監督・古田敦也さんのト−クショ−に出掛けました。節丸裕一さんという、スポ−ツ専門のフリ−アナウンサ−の問い掛けに答える形の、「スポ−ツマネジメントと組織力」という題のト−クショ−でした。
 
ユニフォ−ムを着ている古田さんは実際に見たことがあるような気がしますが、こうした颯爽としたス−ツ姿の実物は初めてです。その第1印象は思ったよりスマ−トな人だなという感じです。
 
野球選手というと、尻が大きくて太ももを中心に、下半身ががっちりしているというイメ−ジを持ちますが、古田さんは今若者たちに流行の細身のス−ツを着こなしているせいか、背も高くスマ−トな印象を持ちました。
 
やはり頭がよいせいか、語り口も爽やかですね。いくつか言われていたことを思い出してみたいと思います。まず最初に仕えた野村監督のことに触れていました。
 
春先のキャンプは2月1日にスタ−トするのですが、実質のキャンプインは前の晩の夜7時から始まる、全体ミ−ティングがそれに当たるそうです。ニコリともせず、ブスッとした表情で現われた野村監督は、ホワイトボ−ドに向かって耳と順という言葉を書き出しました。
 
そしてこの言葉を知っている奴は手を挙げろ、と言ったのがその第一声です。もちろん、そこにいた野球選手は誰一人としてその言葉を知りませんでした。
 
耳順(じじゅん)と読み、「人は目から物事を吸収しやすいが、耳からは往々にして聞き流してしまう。耳から入ってきた良い事をどんどん採り入れなさい」という意味です。
 
そして野球の技術的なことには一切触れず、「人間として成長しなければ野球でも大成しない。ただ野球をやればよいというものではなく、ファンなど多くの人と関わった以上、その人たちを喜ばすのが仕事。
 
また「それにはチ−ムが勝たなければいけない。チ−ムが勝つためには何をやるか。個人の利益より全体の皆が良くならなければならない」という野球技術以外のことから、いろいろと学んでいったそうです。
 
このように、野球選手はよく個人事業主と言われますが、単なる個人のことだけを考えているのではなく、全体がよくなるのには自分が何をするか、ということを教え込まれたと言われます。
 
それは自分の結果が良ければチ−ムの好成績に繋がるといった考えとは、同じようでも根本的に違うとも言われていました。こうして古田さんはただ野球をやっているだけでなく、地域を盛り上げることも仕事の1つとして考えるようになったと話していました。
 
その他まだまだご紹介したいことがありますが、続きはまた後日お話ししたいと思います。蛇足ながら先週末に、神奈川県知事が横浜ベイスタ−ズを買収しようとしている、住生活グル−プのトップの発言を少し批判していました。
 
企業の宣伝ということを考えれば安い買い物だという、発言です。そしてそのまま横浜に居座るかどうかも未定だと言っているのです。
 
この知事の批判同様、プロ野球の球団は単なる1企業の私利私欲の対象ではなく、ファンを巻き込みその地域を盛り上げていく、公共性を有しているものと考えます。またそんな考えでは、折角の多くのベイスタ−ズファンが皆、逃げてしまうのではないでしょうか。


私が子どもだった頃その1

[2010年10月15日(金曜日)|No.1901]

日曜日のお昼前、NHKテレビの「私が子どもだった頃」という番組を観ました。そのときが初めてという新番組で、第1回は建築家の安藤忠雄さんを採り上げていました。
 
私の友人でこの安藤さんが大好きな人がいることから、その作品の実物もいくつか拝見し、少なからず興味を持って眺めていた方です。
 
番組ではいつも怒っている、怒る男と紹介されていましたが、最後の方で紹介していた、この人のOFFのない人生がそうさせているものと思われます。つまり、いつも真剣そのもので全力投球しているからでしょう。
 
またその幼児体験がやはりその人間形成の上で、大きく影響をもたらしているものです。安藤さんは双子の兄として生まれたため、母親の実家である祖父母に養育され、安東姓を名乗ります。
 
ちびのくせに気が強く、しょっちゅう喧嘩しながら育った子ども時代には、この祖母の影響が強かったようです。ある日、仕事を終えた祖母が家に戻ると、珍しく勉強をしている安藤少年に向かってこう言います。
 
宿題は学校で済ませてきい。そうすれば重い教科書を持って帰らずに済む。勉強は読み・書き・そろばんができればいい」。このそろばんが後に人生の計画と考えればよいと、受け取ったとのことです。
 
また具合が悪く、病院で診てもらうときも一人で行かされ、人には頼らない自立心が養われます。そして住んでいる家は、冬でも隙間風が容赦なく入り込む、大阪下町の長屋住まいです。
 
こうした「腹立たしい家だからこそ新しいエネルギーが生まれる」という下町の生活体験が、住吉の長屋などという高評価の建築を生み出す原動力になっているわけです。
 
住吉の長屋は「使いにくい」とか「雨の日に傘を差さないとトイレに行けない」などの批判があったものの、機能性より中央の1/3を中庭として、通風、採光を考えた独創的なデザインを駆使したものです。
 
安藤さんはこのように、「人生で大切なことは全て放課後から教わった」「子どもは子どものときに子どもをすることが大切」と言われます。そして遊ぶ時間は自由で、発想のできる時間に繋がることから、今の世の中は慌てすぎて無駄にしていると、指摘して再考を促しています。
 
また自身がプロボクサーの経験を持つことから、仕事は喧嘩だと言い放ちます。仕事はボ−ッとしていれば終わるものゆえ、ボクシングのリングに立っているような気持ちで、仕事をしなければならないとのことです。
 
また建築がクライアントに全財産を預け、受け持つことから、責任感がなければならないものであり、良いものというより、思いのあるものを作らなければいけないと言います。
 
その安藤さんの、予定がびっしりと詰まった手帳からも、幼少時代からのハンディキャップを取り戻そうとし、常に勉強し自分の身体に知恵を貯えようとする、強い思いが感じられます。
 
エンディングに登場した「小さい頃に見た風景は、これから生きていく為の大きなエネルギ−になるでしょう」という言葉は、まさに安藤さんの生き方そのもので、幼少年時代の大切さを改めて感じさせていただいたものです。


奇跡の生還

[2010年10月14日(木曜日)|No.1900]

今日はやはりこの話以外にはないでしょう。南米・チリの落盤事故で地下に閉じ込められていた人たちの救出が進んでいます。既に朝出てくるときのニュ-スでは26人が救出されたと言い、今日の午前中にも33人全員の生還が見込まれています。
 
実に69日ぶりの生還と言いますから、奇跡的とも言えるのではないでしょうか。フェニックスと呼ばれる救出カプセルにより、地下622mから引き揚げる作業には、全世界から惜しまずそのノウハウの提供を受けたと言います。
 
ですから全世界中が救出のその瞬間を見守っていたわけですが、ちょうど昨日のお昼頃、最初の人が引き揚げられたときは、こちらまで感動のお裾分けを頂いたものです。
 
それにしても人間の生命力って強いものです。ジグザグ状態になっている地下坑道付近で、巨大な岩石が崩れ落ちたことによる事故とのことですが、33人の全員が近くの避難所にたどり着けたことがまず奇跡です。
 
そして避難所の広さが約50平方メ−トルと言いますから、およそその感覚は縦7m、横7mぐらいの広さに33人が詰め込まれていたことになります。
 
そして室温が35度、湿度は90%もあるとのことで、想像しただけでその住環境はずいぶんと過酷だったことが解ります。
 
それに追い詰められている精神的不安やストレスが加わっているわけです。普通ではとても耐え切れなかったことでしょう。伝えるところによると、地上との連絡がとれた後、3グループに分かれて作業、休憩、睡眠を交代でとる規律正しい生活を送っていたそうです。
 
こうした団結力とそれをまとめていたリ−ダ−の力によるものではないでしょうか。とにかく、何事もなくあと数人の救出が無事完了することを願うばかりです。
 
しかし帰還者の中には、集中治療室で治療を受けなければならない人が既に7人もいて、うち1人は急性肺炎を患っているとも言われています。ですから予断は許さないものです。
 
今回のこうした救出劇も、チリ政府の全面的な協力をはじめ、NASAの閉鎖環境における、このような長期滞在へのアドバイスや、各国の切削やカプセル作りの技術提供に至るまで、全世界の協力と支援の賜物です。
 
その中には、日本の宇宙飛行士が着用した消臭・抗菌性の下着の提供も、大いに感謝されたみたいです。33人の生きるという希望の強さと、そのためにはどうしなければいけないかという、連帯感と絆の深さを知らされた今回の事故でした。命は大切にしなければいけないものです。


大沢親分の死

[2010年10月13日(水曜日)|No.1899]

大沢親分が亡くなってしまいました。日ハムなどで監督を務めた後、最近ではテレビでその爽やかな語り口が人気を呼んでいたものです。私も亡くなる2〜3週間前まで出演していた、このTBS「サンデ−モ−ニング」のスポ−ツコ−ナ−が大好きでした。
 
張本さんとコンビを組み、見事な結果や取り組みには「アッパレ」、そして不本意な結果や前向きな意欲が感じられない時は「喝!」と発して気合を入れていたわけですが、毒舌の中にも憎めない、何とも言えない温かな気持ちが感じられていたものです。
 
ちょうどその最後の出演に当たる時でしょうか、たまたまその日は家にいたことから、大好きなそのコ−ナ−を久しぶりに眺めたとき、親分、ずいぶん痩せたなと感じたのが正直な印象でした。なぜかそれが気になってはいたものの、まさか見納めになるとは思ってもみなかったものです。
 
原因は胆のうがんということですが、家族以外の周囲には一切知らせていなかったことから、亡くなる直前まで第1線の現場に就いていて、まさに生涯現役を貫いたとも言えるのではないでしょうか。
 
この大沢さんという人は、ずいぶんと面倒見のよい人だったと言われています。監督時代、自由契約になりそうな選手には球団からキャンプ費用が出ないため、大沢さんが自腹を切って参加させたという経緯もあり、また野球を辞めた選手の、その後の世話までしっかりと就けてやったと伝えられています。
 
また立大時代の2級先輩に当たる大沢さんには、ミスタ−プロ野球こと、長嶋茂雄さんにまつわる話もあります。長島さんの大学時代、大沢さんが進んだのが当時の南海という球団でしたので、この長嶋、杉浦両選手の獲得に、球団は早くから乗り出していました。
 
先輩に当たる大沢さんを利用して、大学の現役当時から差し入れ等、いろいろと手練手管を施して何とかひも付きにしようとしていたのです。そして卒業時、真面目な杉浦さんはそのまま南海入団を決めましたが、長嶋さんはやはりその他の大きな事情があったのでしょう。
 
90%以上入るものと思われていた南海を蹴って、ご存知の巨人に入団したのです。これが結果的には日本のプロ野球を大きく盛り上げることに繋がったわけですが、長嶋さん自身は大沢さんに対しても長い間、ずっとそのことが引っ掛かっていたみたいです。
 
このように誰からも好かれた大沢さんでしたので、その面倒見の良さから、まさに親分という名がぴったりだったのでしょう。78歳というお歳はまだまだで、惜しまれるものです。
 
また亡くなる直前まで病床で硬式ボールを握り締めていたというから、本当に野球が好きで愛していたのでしょう。10日の同氏を追悼する番組のコ−ナ−で、張本さんが一人でとても寂しそうだったのが印象的です。
 
私も以前、1回だけ大沢さんの講演をお聴きしたことがあります。ほぼ80分か90分ぐらいだったと思うのですが、その間ずっと笑いっぱなしだったのを、しっかりと憶えています。彼女の話から、自分は立大卒業ではなく、立大野球部卒業という話に至るまで、聴き手に楽しく、歌まで歌いながらその場を盛り上げていました。
 
ですから根っからサ−ビス精神が旺盛だったのでしょう。多くの人から愛された、大沢親分のご冥福をお祈りします。日本のプロ野球もボヤボヤしていたら、来年は天国から親分の大きな「喝!」が届くかもしれません。


平和賞による中国の行方

[2010年10月12日(火曜日)|No.1898]

ノーベル平和賞に中国の人権活動家・劉暁波氏の受賞が決まりました。劉氏は2008年に08憲章と言って、中国の共産党1党独裁を見直す、民主的な言論や宗教の自由を訴えた憲章をインターネット上に発表した人です。
 
このため、国家政権転覆扇動罪ということで、懲役11年の実刑判決を受け、現在服役中の身です。また天安門事件のときも民主化運動の推進を学生たちに呼びかけ、武力鎮圧が起こると、戒厳部隊との交渉に当たった「四君主」と呼ばれた一人です。
 
このような劉さんですから、今回の平和賞ノミネートに有力候補と聞きつけた中国政府は、事前にこのノルウェーのノーベル賞委員会に対し、授与は非友好的行為だと警告を発し、圧力を掛けていたくらいです。
 
ですから今回の受賞はそうした中国の圧力にも屈せず、毅然としていて、大いに評価されるものではないでしょうか。ちなみにこの平和賞だけは、他の賞が全てスウェーデンで取り仕切られていても、ノーベルの遺言により、ノルウェーで行われているとのことです。
 
しかし受賞を耳にした中国国内は大変です。伝えるニュースが突然切れて画面が真っ黒になったり、ネットで劉暁波や平和賞と入力すると、検索ができない報道管制が敷かれています。
 
でも逆の見方をすれば、先の日本への不法な圧力といい、今回の受賞に関する、こうした見苦しい規制措置は一党独裁のひずみが、来るべきところまで来たという感じがしています。
 
もちろん、今回の受賞は劉さんのみならず、中国という国家に対して、GNP世界第2位の経済大国として、世界中の各国から認められるような、それにふさわしい資質と責任が求められ、期待されているからでしょう。
 
従って中国政府のこのような必死の抵抗があっても、遅かれ早かれ今回の平和賞受賞が、民主化推進の動きを加速させるきっかけになるのではないでしょうか。
 
またこれで進まなければ、急成長する経済とのバランスがとれないばかりか、軍事力増強による、大国としての強権的な一面があるだけに、ただ浮いた存在として、世界から取り残されていくのではないでしょうか。
 
とにかく、尖閣諸島沖問題で、屈辱的にいろいろと強権を発動され、振り回された我が国にとっても、劉暁波氏の平和賞受賞は時代を大きく変える、大変喜ばしいことだと思っています。


ノ−ベル賞受賞

[2010年10月08日(金曜日)|No.1897]

今年のノ−ベル化学賞3人の受賞者のうち、日本人が2人も受賞されました。北海道大学の鈴木章・名誉教授とアメリカ・パデュー大の根岸英一・特別教授です。大変喜ばしいことです。
 
その対象となった研究は「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」という、何やら難しいものですが、この実用化によって、海の生物などから採取した物質をモデルにした抗炎症剤や、エイズ治療薬、抗がん剤、抗生物質などの優れた医薬品の開発につながったと言われています。
 
お二人は、かつてパデュー大の同じ指導教官に学んだ同窓生とのことですが、性格等は好対照だとも言われています。鈴木さんは純日本人的で、その道ひと筋の控え目の人と言われます。
 
今回の受賞についても、「非常にラッキー。ほかの研究者がいい仕事をしているのに申し訳ない」と言っているくらいです。「当たっちゃった」との、流行語にもなりそうなコメントを発した奥さんとも、高校時代からの旧知の仲で、研究生で収入のない苦学時代、保育士などの働きで支えてもらっていたみたいです。
 
そしてこうした産業界の利益につながる研究成果にもかかわらず、鈴木さんは特許をとっていなかったそうです。早くから父をなくし、貧しい中で育ったのに、お金には執着していない、鈴木さんの無欲さを窺えるものです。
 
また一方の根岸さんは究極の楽天家とも言われ、発言も行動もきびきびしていて、研究を極めたいと渡った米国での生活は半世紀近くになるそうです。
 
そして還暦の祝いで出された書物には、「人生の目的は永遠の楽天主義で幸福を追求すること。しかし科学における真理の追求と同じで、何が幸福で何が真理かは誰にも分かっていない。神のみぞ知る」という文章を寄せています。
 
これで日本人のノ−ベル賞受賞はこの化学賞7人を含み、18人にもなると言われ、我が国の学術研究のレベルの高さと、その層の厚さが感じられるものです。
 
でもある紙面に書かれていたのを目にしたのですが、確かに今回までの受賞者の功績は素晴らしく、何も異を唱えるものではないのですが、今までの栄えある受賞者は過去何十年にも及ぶ研究の成果が認められたものです。
 
それゆえ、日本のこれからということを考えた場合、少し危惧する点があると指摘するのです。過日もこの欄で触れましたが、日本人の海外への留学生がどんどん減っています。
 
そして学生の理科系離れという現象も目につきます。そうすると今の日本は過去の遺産のようなもので、辛うじて世界に繋がっているとも言えるのです。そう言われないためにも、世界に果敢に飛び出して行く、若い人たちの勇気ある挑戦を是非とも期待したいものです。お二人の受賞に心から祝福申し上げます。


ちょっと良い話part66

[2010年10月07日(木曜日)|No.1896]

地元の新聞に載っていた、ちょっと良い話を紹介させて下さい。「11歳への伝言」という投稿文ですが、一部省略してまとめてあります。
 
10年ほど前、当時、1小の6年生だったH・N君にインタビュ−を受けたことがある。彼は夏休みの宿題の自由研究に、昭和の時代、ことに戦争中、自分と同じ年代である11歳の子ども達が、どうしていたのか、知りたくて課題として選んだ。
 
教科書を見ても、先生やお母さんに聞いても答えは見つからなかった。結局、近くに住む、当時11歳ぐらいの人に聞いてみようということになり、私ともう一人の人がインタビュ−を受けることになった。
 
二人とも昭和9年生まれ。小学校が国民学校と改称され、軍事教育を受けた同期の桜のような間柄。特に11歳の頃のこととなれば、沼津は丸焼け、そして終戦と、戦禍をくぐり抜けた記憶を忘れることはない。
 
食糧不足で、サツマイモのつるや、すいとんを食べ、ひもじさを我慢し、日本は神国で神風が吹いて敵をやっつけ、必ず勝つと信じ、「欲しがりません、勝つまでは」と、空腹でやせ細っていても、気持ちだけは元気だったことなどを話した。
 
インタビュ−に答えながら、当時の鮮烈な思いが友達の顔と交錯し涙が溢れた。H・N君は無言で私達をみつめていた。そして彼は夏休みの宿題として、その感想を立派にまとめて発表した。
 
それがきっかけとなり、1小の6年生に戦争体験を話すことになった。質問を交えながら約2時間。もう一人の方は空襲におびえながらの学校生活、軍歌を大声で歌いながらの登下校、空襲で一面焼け野原になって沼津駅から海が見えたこと、友達の死、そして終戦。焼け跡に新校舎が落成した喜びなど、時々、声を詰まらせながら話した。
 
「戦争はしてはいけない」その答えをしっかり受け止めてくれたことを、子ども達の頬に伝わる涙の中に実感。11歳の諸君に11歳だった私達2人が、戦争の怖さを伝えることができたことを今も感謝している。
 
そのH・N君は今20歳。防衛大学の2年生。白い制服に大きなナップザックを肩に駅に向かう姿にインタビュ−時が重なる。彼が日本のために働く日の原点に、私達2人も少し貢献したかなと、これからに期待を寄せている。
 
沖縄の基地問題、北朝鮮はきな臭い脅しをかけてくる。私はどうしても孫と平和について語り合わなければならない。それが、あの時代を生き抜いた私の責任のような気がしている。

 
北朝鮮どころか、ご存知のように大国・中国が大きな圧力を掛けてきている現在、ソ連までが卑怯な手段で北方領土を自分たちのものとして、正当化しようとしています。
 
この国をいかにして守っていくか、そんなことは考えなくてもよいと、高をくくっていた時代が終わったような気がします。もちろん戦争は絶対してはいけませんが、日本の各地で山林が中国人の手により、買い占められているような現状に、穏やかでない戦慄に似たものを覚えます。
 
やはり自分の国は経済も含め、自分たちの手で守らなければいけません。自衛隊など不要なものとしてずっと思い続けてきた自分ですが、揺れ動く世界の情勢の中では、捉える意識が今、変わろうとしているものです。


病院めぐりから

[2010年10月06日(水曜日)|No.1895]

沼津市立病院に入院している母親の容態は依然として意識はありませんが、ある意味落ち着いているとも言えます。このため、同病院が急性的病院の使命を持つため、2ヶ月を過ぎた現在、そろそろ他の病院を捜す準備をして下さいとの依頼を受けました。
 
このため先週末、紹介されたIVH療法が可能な、いくつかの病院を弟たち夫婦と一緒に見学に訪れました。このIVH療法とは、中心静脈栄養法ということで、大静脈に留置カテーテルを挿入して、高カロリー輸液で栄養補給をするやり方のことです。
 
これは必要栄養量を経口摂取できない人のための方法で、母親の場合、鼻から管を通そうとすると下血したり、胃ろうという処置を試みようとすると痰が肺に溜まったりして、何かと支障をきたすため、この方法を医師の選択により採っています。
 
面白いもので、意識がないのにもかかわらず、管を通したり胃ろうの前処置を施そうとすると、本人が嫌がるみたいで、いろいろと拒否反応を示します。このため、あまり負担を掛けるのはやめようとのことで、IVHという方法を採ったのです。
 
でも医療方法としては、このIVHという方法は介護診療の段階が高いらしく、どこの病院でも受け入れてくれるというものではありません。従って地元・沼津にも該当する病院が少ないことで、御殿場、三島、伊豆の国市・長岡と廻ってきました。
 
感じたのはそれぞれの病院がどこも同じようではなく、それぞれに特色を持っていることです。ある御殿場の病院はIVH療法には対応しているが、介護診療ではなく一般医療診療として対応としている為、3ヶ月経てば他に転院しなければなりません。
 
またあるところは、全てそうした受け入れもしていて、用意万端整えていますが、入院費用が比較的高額となっています。その面会時間が午後1時から6時までと決まっているのも、付き添い不要で、ある意味ではそうしたことが不可能な人たちが依頼するところではないかと思いました。
 
そんな中、また午後から御殿場に戻り、見学させていただいた病院の中に、こちらのニ−ズと比較的合いそうなところを見つけました。その病院は患者が重症になればなるほど、その役割を果たしやすいと言われるのです。
 
ですから車椅子に乗って動き回るような、軽度な患者は少なく、逆にそのようになるまで回復したらお役目終了とも言える病院なのです。また施設も綺麗で、土曜日なので今日は看護スタッフの数が少ないと言われていましたが、こちらが眺めたところ、そんなに少ないようにも見えませんでした。
 
そして何よりも嬉しく思ったのは、こうしたスタッフがこちらと会うたびに、誰もが気持ちよい挨拶を投げ掛けていただいていることです。やはりその病院の持つ医療理念が徹底しているからでしょうか。
 
こうして何とか転院の目途は立ちました。まだはっきり今の病院から宣告されたわけではありませんが、いつ来るか判らないその時に備えなければいけないことから、目途だけはつけておきたかったのです。
 
それにしても今、日本で100歳以上のお年寄りが350名もいると言われます。そんな中で消えた高齢者などと、社会問題にまで大きく採り上げられているのがその実情です。
 
なぜ自分の母親の行方が30年もわからないのか、また支給される年金に頼らざるを得ない年金依存の生活、住んでいるはずと思っているだけで連絡すらしてない家族の無関心等、考えなければいけない問題は山積しています。
 
いつから日本はこんな国になってしまったのか、このように嘆かわしいことが少なくありませんが、せめて自分の身内ぐらいは可能な限り、最後までしっかりと看取ってやらなければと思っています。


もし小沢さんだったら

[2010年10月05日(火曜日)|No.1894]

小沢一郎さんが強制起訴となりました。この強制起訴というものは、検察側が起訴しなかった場合(不起訴処分)、検察審査会が二度の審査を経て、やはり起訴すべきとの結論を出したとき生ずるもので、法的強制力を持つ起訴です。
 
そして起訴は、裁判所により選任された検察官役の指定弁護士が行い、公判で起訴内容を立証するものです。
 
しかし永田町異聞なる、あるメルマガの情報によると、陸山会政治資金報告書、登記簿謄本、確認書、関連法律、検察審査会議決などを、すべてチェックしたところ、小沢疑惑なるものは全く根拠のないものであるとまで断言しています。
 
果たしてその真偽は私たちの計り知れないところですが、これからの経緯を見守ることにしたいと思います。この起訴という話題から少し離れて、今回の尖閣諸島問題に対し、もし小沢さんだったらという記事が載っていましたので紹介したいと思います。
 
その要約は次のとおりです。今度こそ法律に従って、淡々と手続きを進めるのかと思ったら、結局、6年前と変わらず、「日中関係への配慮」とやらで腰砕けになった。
  
中国漁船の船長が処分保留で釈放されたことは、中国政府の猛抗議や、ハイテク製品の生産に欠かせないレアアースの禁輸など、外交圧力に屈するかたちとなった。
 
小泉政権時代の2004年3月24日早朝、尖閣諸島の魚釣島に中国人活動家7人が不法上陸したときは、送検もされず二日ちょっとで強制送還となったが、このときも今回の仙谷官房長官と同様、親中派とされた福田官房長官の意向が強く働いたと言われたものだ。
 
この件で「事なかれ主義を露呈した」と小泉政権を批判したのが小沢一郎だった。夕刊フジに連載された「小沢一郎の剛腕コラム」を加筆修正して、出版された「剛腕維新」という本によると、次のように断言している。
 
「僕が首相の立場なら、日本の主権を意図的に侵した活動家7人は法律にのっとって適正に処理する。そして、日本の領土である尖閣諸島に海上保安庁の警備基地などを設置して、国家主権の侵害を認めない」
 
そしてその後、北京で中国側とやり合ったときの模様を次のように話している。北京訪問の際、唐家セン国務委員(前外相)が尖閣諸島について「昭和53年に鄧小平副首相が訪日した際、『問題が難しいので、一時棚上げにしても構わない』と語った」とエピソードを披露したので、僕は断固としてこう主張した。
 
「このままだと(日中関係を悪化させた)サッカー・アジア杯どころの騒ぎじゃなくなる。中国は周辺海域で天然ガスを採掘するための施設建設に着手している。早急にケリをつけるべきだ」
 
毎年、数百人を連れて中国各地を訪問している小沢ならではの、明確な意思表示といえる。実際の行動を通じての相互信頼がなければ、言うべきこともいえないし、相手も真摯に聞かないだろう。

 
そしてこの記事の最後に、「領土問題の解決のためには、相手のリアクションを十分予想しながら、毅然とした姿勢で事の是非を論ずる外交交渉が求められる。ただ、現在の官僚任せの自民党政府では難しい。激動する北東アジア外交は乗り切れない」と締めくくっている。
 
この自民党政権をそっくり菅政権に置き換えて、今回のへっぴり腰を嘆いているだろうと結んでいました。このままでいいだろうか、日本のこれからという大局的見地で今、外交政策を見直さなければいけない重大な局面に立たされているというのに、相手のミスや責任だけを追及している国会の論議に、この国の行き先に大きな不安を抱えるものです。


母校に望むべきもの

[2010年10月04日(月曜日)|No.1893]

来年の春の選抜出場校を決める秋の高校野球県大会が終わりました。東部から出場していた韮山、加藤学園、飛龍高などの健闘があり、その活躍が期待されていましたが、惜しくも中部・西部勢に敗れ去り、最低条件となる東海4県出場は果たせませんでした。
 
特に韮山高は3位決定戦まで進み、あと一息だったのですが、宿敵・静高に1−3で惜しくも敗れ去りました。同校は母校・沼津東と学校の性質がよく似ている関係で、何とか勝ち進んで残ってもらいたいと思っていただけに残念です。
 
ところで今年の夏もそうだったのですが、母校の低迷が少し気になります。この秋も1回戦に強豪・飛龍高と当たりましたが、ほとんどゲ-ムにならないような状態でした。そして迎えた敗者復活戦で1回戦は何とかやっと勝ったものの、続く2回戦で富士宮北高に敗れ、春の夢は費えてしまいました。
 
しかし私たちの時代のように、部員の頭数に事欠くようなことはなく、現在は1学年15名程度の部員も揃っています。またもちろん、それなりの成績がなければ駄目ですが、学校側裁量枠の選抜制度もあり、野球の技量においても十分認められている選手も入部してきています。
 
では何が不足しているのでしょうか。ある時、浜松商、掛川西高の監督として春夏8度の甲子園の土を踏んだ、上村敏正さんが新聞にこう述べていました。
 
考えることを重んじて、頭とハ−トを使った野球を目指していたと、次のように言われています。「野球は常に動いているスポ−ツではない。2時間のゲ−ムの中で、ボ−ルが動くのは10分ちょっと。ボ−ルが止まっている間は一生懸命ものを考える。
 
前がこうだったから次はこうかなと分析して、次の動きを選択するんです。また精神的な弱さがゲ−ムに響いてきます。従って失敗したときに気持ちを切り替えたり、ダメ−ジを最小限に抑えたりする練習が必要になってくる。頭を使ってハ−トを鍛えると、ゲ−ムをコントロ−ルできるようになります

 
つまり「うまくやりたい」という気持ちが、「失敗したらどうしよう」という気持ちに勝たなければいけないと指摘しています。それともう一つ、声という要素を挙げています。
 
言葉を出すと脳神経が刺激され、身体を動かすようになると言います。ですから上村さんは自分のやりたいことを口に出せって教えたそうです。思ったことを口に出すと、良いイメ−ジが自分の中に出てくるということからです。
 
とにかく、韮山高にできて我が校にできないことはありません。考える野球、とりわけマインドコントロ−ルして、常に前向きな発想ができる、何よりも元気のよいチ−ムになってもらいたいものです。古豪復活は決して夢ではありません。


身体年齢若返り術その2

[2010年10月01日(金曜日)|No.1892]

昨日の続きで、今度は筋肉年齢の若返りについて紹介したいと思います。筋肉特に下半身の筋肉は年々衰えを感ずるものです。この筋肉年齢を50代から20代まで若返らせた会社を紹介していました。
 
岡山県倉敷市にある石油化学メーカー「日本ゼオン水島工場」という会社です。名付けて「足マッチョカンパニ−」と呼ばれます。この会社は社員の平均年齢が55.6歳と、そんなに若くはありません。
 
このため、数年前、工場のオートメーション化や、この高齢化に伴い、つまづきによる事故が立て続けに発生したそうです。広い工場内にある、ちょっとした段差でも、このつまづきが見られるようになりました。
 
そうした事故をきっかけに、社内で筋力アッププロジェクトを立ち上げたのです。この結果、わずか3年で筋力が弱りきった社員たちの足腰を飛躍的に若返らせ、このつまづきの恐怖から開放したと言われています。
 
それでは、どのような取り組みをしたのかと言いますと、アクティブ体操というものを採り入れたのです。これはすこぶる簡単なもので、一般的なスクワット10回と片足立ち20秒を行なう、というだけのものです。
 
でも専門的な先生の言うのには、元々筋力のない人が無理なく基本的な筋肉がつく、最適なトレーニングと評価しているのです。特につまづき防止に効果のあるのは、片足立ちだと言われています。
 
片足立ちをすることで、歩く際のバランスをとるのに必要な足の裏の状態を感じとる力や、筋肉をコントロールする力など、あらゆる能力を鍛えられるというのです。
 
そしてこの会社では、工場内を歩き回る社員の方の歩くスピ-ドが速いのです。速く歩くほど、蹴りだす力も、止める力も大きいため、より負荷がかかり、下半身の全ての筋肉UPに繋がると言われていますから、さらに効果的なのでしょう。
 
また以前は広い工場内を自転車を利用していたのですが、現在はよほどの緊急時以外は使用せず、歩くのに徹しています。これがまた一層その効果を増しているのではないでしょうか。
 
こうした取り組みにより、61歳にして20代の筋肉を持つ社員の方が現われたのでしょう。筋肉量は20代をピークに、50代で急激に落ち込み、80代には何と40%も減ってしまうと言われています。
 
そんなことからお年寄りの転倒事故が増えるものと思われます。思い起こせば、私の母親も湯治に出掛けた際、お風呂場で滑って転倒し、大腿骨を折ったところから認知が進み始めました。
 
そうならない為にも、今からでも遅くないと思い、我が社でも毎日の朝礼でこのアクティブ体操を採り入れたいと思います。そのコツは無理なく行うことだと言われます。「備えあれば憂いなし」良いと思ったことはまず実践していきたいと思っています。