株式会社 アイソー




2010年11月の日記

静大連携講座よりその2

[2010年11月30日(火曜日)|No.1926]

いよいよ11月も今日で終わり、明日からは師走です。1年経つのは本当に早いもので、師走の声を聞くと急に慌ただしくなるものです。
 
静大連携講座の続きです。TPPなどの我が国を取り巻く経済事情を話した後、中小企業家同友会が日頃、目指している自立型企業について触れました。
 
⑤自立型企業とは 景気などの外部環境の影響に左右されず、自身で売り上げを創ることのできる企業を指しますが、私たち中小企業にとっては、自社の周囲に小さくても堅実な市場作りが実現の近道となります。
 
それは横並びではなく、時代の変化に対応した、自由な発想に基づき、ニッチな市場を見出すことや、業界の常識に囚われない発想の転換により生まれるものです。
 
こうした実践例として、日本一の畳屋さんであるTTNコーポレーションや、高知県の野市病院のことを紹介させていただきました。題材は全てこの日頃のカキコミからです。
 
また併せて先日の感謝祭の一日で、何と100億円以上の売上げを挙げたユニクロのことも採り上げないわけにはいきません。ただ安いだけではなく、お客のニ−ズにあった良い商品を提供していることです。
  
そして次には⑥人間尊重と労使見解の精神 という、やはり同友会が一番大切にしている点も彼らに語り掛けないわけにはいきませんでした。
 
あの憧れだったJALの整理解雇、そして期間限定労働者としての派遣社員切りなど、リストラが平然と行われている大企業に比べ、中小企業はそんなわけにはいきません。
 
一生懸命、売上げが苦しい中でも、社員やその家族を守っていかなければなりません。そして社員を単なる労働力としてみるのではなく、相互の信頼関係を固く築き上げ、最も頼りがいのあるパ−トナ−として位置づけなければならないことを説明しました。
 
そこで我が社の中国からの実習生のことにも少し触れ、社員はコストではなく貴重な財産にしていかなければいけないこちらの考えが、少しは伝わったのではないかと思われます。
 
またこうした精神を一番実践し、業績を上げている良い会社の実例として、日本理化学工業と伊那食品工業を紹介しました。社員の70%が障害者であり、現場の責任者も任されている彼らの眼がキラキラと輝いていること。
 
そして「会社は社員を幸せにするためにある」との信念に基づき、創業以来48年増収増益を上げている、私たちが目指すべき「いい会社」のことを知ってもらいたかったのです。
 
またまた長くなってしまいました。続きはまた紹介させていただきます。事後、学生達からいただいたアンケ−トによると、有り難いことにそれなりの評価をしていただいたコメントも目にすることができました。
 
学者と違って、経済の専門的な話を無理に繕ったってできないわけですから、当初の思惑通り、独断と偏見を交えた、違った切り口でもよいのではないかという試みは、まずは成功ではなかったかと思われます。


ちょっと良い話part68

[2010年11月29日(月曜日)|No.1925]

ダスキン会長が紹介していた、「ありがとう」のはり紙という、ちょっと良い話です。
 
「このネコちゃん見かけたら教えてやって」とお客様から手製のチラシを渡されました。お隣の家で可愛がっていたネコが行方不明になったというのです。
 
女の子に抱かれている白い子ネコの写真、名前は玉五郎とありました。それからバッグにチラシをいれて、伺った先でお客様にお尋ねしていました。
 
よほど可愛がられていたのでしょう。気がつくと、電柱にも、ス−パ−の掲示板にも同じお願いが貼ってありました。
 
10日ほどして遊歩道で、雨で消えないようにカバ−をしたはり紙を見ました。「ありがとうございました。玉五郎が家に戻りました。ご近所のみなさん、お散歩の方、みなさんが心において探してくださったお陰です。家族みんな大喜びしています」。
 
ネコちゃんが家族に囲まれている写真。欄外に「この紙は責任をもって回収します。」と。迷子のおたずねはよく見ますが、お礼の張り紙は初めてです。飼い主のご家族の人柄が伝わってくるようでした。

 
本当にその通りですね。人に何か頼むときは、必死になっていろいろと手を施しますが、いざ用が済んでしまえば無しのつぶてが当たり前の世の中です。
 
この話のような気配りのできる方は素敵ですね。ネコや犬と言っても、永年連れ添えば家族同様とも言えます。いや、人によってはそれ以上の存在かもしれません。
 
そうした彼らとの別れは何よりも辛いものです。我が家の愛犬もいなくなってしまったとき、その日に見つかりましたから張り紙を出すところまではいきませんでしたが、必死になって捜したものです。
 
そのとき、ある人が「家を忘れてしまうようなバカ犬ではしょうがない。そのうち、帰ってくるよ」と言った言葉を懐かしく思い出すことができます。
 
今から彼らがこの世にいなくなったときのことを考えても仕方ありませんが、日頃、特別癒されているだけに、別れのときのことを思うと、たまらない気持ちになるものです。


静大連携講座よりその1

[2010年11月26日(金曜日)|No.1924]

中小企業家同友会が受け持つ、静岡大学との連携講座「企業経済特論」で講師を務めてまいりました。これは今年が3年目なのですが、静岡大学から要請があり、産学官連携活動の一環として、企業経営者から眺めた立場で学生達に講義を行うものです。
 
10月から始まり、来年1月いっぱいまで、14人の講師により毎週水曜日の午前中、行われているものです。今年からその講師を依頼された私は第7講として、「この時代の求めるものとして」と題し、少しお話をさせていただきました。
 
事前に1回、他の講師による講義を拝見したこともあって、大体の学生達の反応を知り得たことから、あまり杓子定規に堅い話をしても、学生達の聞く耳を持たないことが分かりました。
 
従って自社のことは極力抑えながら、彼らにも共通する一般的な事象を捉えて、これからの時代をお互いどう生きていったらよいのかという、熱いメッセ−ジを送ろうと決めたのです。
 
ですから大学教授などとは違った、中小企業の親父から眺めた視点で語るのですから、一般的な大学の講義とは違うかもしれません。でも私にとっては数少ない彼らと接するチャンスでもあるわけですから、その機会を自分なりに活かしたかったのです。
 
内容としては①政治は経済の一歩先を行く ということから我が国の政治事情から少し入り始め、②居心地の良い日本 として若者よ、もっともっと海外に飛び出せというエ−ルを送りました。
 
そこで学生達にも聞いたのですが、3年生である彼らのほとんどがもう就活を行っているのです。多くの方達が言われているように、貴重な4年間の大学生活の2年もの期間を、それに費やしている問題が生じています。こうした日本の在り方も彼らに問いました。
 
それから③円高ではなぜいけないのか という点で日本の基幹産業を採り上げ、デフレスパイラルについて考え、④TPPの選択 として我が国が置かれている立場について触れました。
 
そこで関税撤廃の自由貿易は、確かに輸出に頼る我が国の基幹産業のことを考えればよいかもしれませんが、その反面、農業が大きな痛手を蒙ることを知ってもらいました。
 
今、若者の間でも6次産業と言って、農業、工業、商業がお互い連携をとりあった(1次×2次×3次)新しい農業スタイルに注目が集まっているのですが、これはそうした動きに水を差すことにもなります。
 
また日本が置かれている大きな問題である、食糧自給率の問題にも、このTPPの選択が大きな影響を及ぼすことも考えてもらったのです。
 
その他、まだまだ6項目ぐらいのレジュメについて語り掛けたわけですが、詳細はまた別の機会にお話しすることにして、総じてこちらの語り掛けに、思ったより耳を傾けてくれたのではないかと思われます。
 
顔を上げている学生が少ないように感じていた為、少し伝わったのかどうか不安でしたが、事後いただいたアンケ−トを眺めて、そのことに気づきました。
 
現代の若者は少しシャイ
なところもあるのですね。続きはまた後日触れさせていただきますが、とにかく、貴重な体験をさせていただきました。


私が子どもだった頃その2

[2010年11月24日(水曜日)|No.1923]

前回の安藤忠雄さんに続き、この日曜日のお昼前、NHKテレビで今回は元バレ−ボール日本代表・大林素子さんを紹介していました。昭和42年生まれ、今年43歳になる大林さんです。
 
実は小学校6年生のとき、身長が既に170cmもあったと言います。従ってお母さんは電車などに乗っても小学生であることを証明する為、常に母子手帳を持参していたそうです。
 
生まれたときは普通だったのですが、小学校に入るや身長が伸び始め、6年生の時にはデカ林と、同級生の男の子から、からかわれるまでになってしまいました。
 
そして体育をやっても、逆上がりもできず跳び箱も跳べない、運動の苦手な女の子だったと言います。それがその後、全日本のアタッカ−にまでなるのですから、判らないものですね。
 
小平市の萩山団地という所で育った彼女、自宅から学校まではたった181歩の距離でした。しかし頭一つだけ飛び出して大きかった彼女ですから、いつも人並み外れて大きいということがトラウマになっていたみたいです。
 
しかしお母さんは元実業団で陸上選手だったくらいですから、スポ-ツの家系で血筋には恵まれています。この母が派手好きで、35歳になってからジャズダンスにのめり込むことから、ますます家に妹と二人取り残されることになります。
 
こうしてこの寂しい生活を何とか変えたいと思って始めたのが、中学から部活で選択したバレ−ボ−ルでした。でもその選択肢がモデルかバレ−ぐらいしか無かっただけで、本当にやりたいと自分が思って選んだわけではありませんでした。
 
従って部活も何だかんだと言いながら休みがちになります。そんな彼女が変わったのは、日立のバレ−ボ−ルチ−ムにファンレタ−を出してからです。
 
たまたまその練習場も家に近かったことから、当時の監督だった山田さんから、よかったら見に来てと誘われたことが、その気になったきっかけとなるわけです。
 
こうして高校はバレ−の名門・八王子実践に進み、徐々に頭角を表わしていきます。そしてこの高校生のときから注目され、全日本の代表に抜擢されることになるわけです。
 
ですから人生とは解らないものです。ある大きなきっかけで、今までの人生が180度変わってしまうこともあるわけです。やはり人との出会いの素晴らしさなのでしょう。
 
この大林さん、バレ−を卒業した後、最近では新国立劇場で舞台俳優として主演を張るまでに、新たな挑戦をし始めました。今まで自分の容姿を気にしてか、できないものと思っていた分野への新たな挑戦です。
 
ある意味では開き直ったから、見出すことができたのではないでしょうか。そんな自分に自信を持った大林さんは、キラキラと輝いていて、とても美しいものです。
 
明日25日は出張工事で一日、会社を留守にしますのでカキコミは休ませていただきます。


ユニクロの恐るべきパワ−

[2010年11月22日(月曜日)|No.1922]

今日は平成22年11月22日、夫婦はやはり、いい夫婦の方がよいとも、こじ付けができる日です。仲良きことは美しきかな、またお互い共白髪まで手を携えて、などとも言われるとおり、仲良き熟年夫婦の姿は心和むものです。
 
さて、ユニクロの凄まじいパワ−を改めて感じさせてもらったという話です。先週の土曜日、朝6時開店で創業51周年の感謝祭という、安売り広告を前日見たばっかりに、お店に駆けつける羽目となりました。
 
その日に限って206gの超軽量ダウンジャケットが2000円引きとか、ヒ−トテックのインナ−がやはり510円引きなどと、謳っていたからです。
 
このお店にはまだ1回も行ったことがありませんでしたが、以前から山登り用にリュックに詰める軽いダウンが欲しかった関係で、朝早くならそんなに人もいないだろうと読んで出掛けたのです。
 
6時と言っても、こちらは犬の散歩に5時過ぎには家を出るくらいですから、朝早いのは何ら苦にするものではありません。土曜日の休日ですし、今の時期ではまだ夜が明け切らない6時前では、そんなに多くの人は動かないだろうと読んでいたのです。
 
ところがです。この読みは大外れでした。6時15分前頃、お店に着くと駐車場に誘導される車が渋滞しているのです。係員の指示通り、少し遠方に車を停めた後、お店に歩いていくと、もう200人ぐらいの人が列を作って、お店の前に並んでいるのです。
 
こちらの目論見が外れ、お店に入ってからもごった返して大変だろうと思いながらも、折角来たのだからと仕方なくその列に並びました。
 
そしてしばらくしてお店が開いたのですが、こちとらはどこに何があるのかも判りません。でも人の大勢いるほうに行きましたら、お目当てのダウンがありました。やはり予想通りごった返していて身動きができないのです。
 
あまりこういった光景は好きではないのですが、仕方がありません。人ごみの中、各自の持つ買い物籠がだいぶ邪魔していましたが、お目当ての品物を何とか確保しました。
 
結構、品数はあるのでしょうが、無くなっては大変だという、それぞれの心理からでしょうか、ほとんど戦争状態なのです。這這(ほうほう)の体で、その窮屈な場所から逃れてレジに向かうと、ここもまた並んでいて大渋滞なのです。
 
いやはや、何とも凄いものです。このユニクロは安いばかりではないのでしょう。人々が買いたいという商品を取り扱い、並べているからだと思います。またあとで新聞などからの情報でも、全国で同様な動きがあったことを知りました。
 
その数、全国で334店とも言います。世の中、デフレ不況などと伝えられていますが、ここだけはどうも別世界のようです。2極化がここまで進んでいるのかと、改めてユニクロのファーストリテイリング社の驚異的な事業展開をまじまじと見せつけられたものです。


あっぱれ!女子バレ−

[2010年11月19日(金曜日)|No.1921]

ちょっと話題が古くなってしまいましたが、先日の女子バレ−の世界選手権は大いに盛り上がりましたね。私も家に居るときはテレビにかじりついて夢中になって眺めたものです。
 
その結果、3位決定戦でアメリカに勝ち、32年ぶりのメダルを獲得しました。また前日も準決勝でのブラジル戦、第1、第2セット日本が連取し、これは勝てるかなと思っていましたが、そこは王者ブラジル、必死の反撃でファイナルセットまでもつれ込みました。
 
こうなると15点制のファイナルだけに、強打のチ−ムの方が有利です。ここまで、もつれると日本不利との予想通り、最後は力で圧倒され、残念ながら決勝進出は逃してしまいました。
 
それでもよく拾って繋いでいました。かつての日紡貝塚、こう言ってもご存じない方が多いものと思いますが、東京五輪で優勝した大松監督率いる日本チ−ム以来の、伝統的なレシ−ブの巧さを引き継いでいたものです。
 
いや、スパイクなど全体的にバレ−レベルがずいぶんと上がっているだけに、レシ−ブなどは驚異的な進歩と言えるのではないでしょうか。それに今回の日本チ−ムは伝えられているとおり、今までにない、まとまりの良さを見せています。
 
やはり何と言ってもセッタ−竹下の力なのでしょう。また膝の手術から復帰したと言っても、まだ十分でないエ−ス・栗原を欠き、どうなのかと心配していたものですが、それに代わるエ−スがしっかりと成長しています。
 
木村沙織、そして最年少でこの大会初出場の江畑幸子選手がよくやったと思います。聞くとこの選手はVリ−グでも下部の2部からの抜擢だと言います。
 
これも今回 iPad を駆使して細かな戦略を練り上げていた真鍋監督の、もう1つの大きな功績ではないかと思われます。この真鍋さん、ゲ−ム中のタイムアウトなどの指示を聞いていても、あまり細かな点までは触れていません。
 
そうした細かなフォ−メ−ションを練習でいくらでも積み上げているから、細かな指示を不要としているのでしょう。それと選手への信頼が何よりも厚いからではないでしょうか。
 
とにかく日本バレ−が強くなることは嬉しいことです。この勢いでロンドン五輪まで進んでもらいたいものです。それにしても竹下選手が抜けたら日本はどうなるのでしょうか。それだけが唯一、心配の種です。


田崎史郎氏講演からその2

[2010年11月17日(水曜日)|No.1920]

田崎史郎さんの講演の続きです。こき下ろされていたのは菅さんのみならず、外務大臣の前原さんも同様です。今、中国から最も警戒されているといったら、この前原さんです。この人はあまりにも直線的過ぎると言うのです。
 
こういった直線的な人は総理に絶対してはいけないタイプだと言っていました。対外的に我が国が謝らなければいけない可能性が多くなるからということです。
 
また前総務大臣の原口一博さんのことも、あまりいいことは言っていませんでした。この人はテレビにもよく出てくるのですが、いつも受け狙いで中身がほとんどないからということでした。
 
そういえば小沢さんにくっ付いて、しばらくおとなしくしていたかと思えば、ここのところテレビにも出てきて、菅さんのことをクソミソに言っています。そろそろ自分の出るタイミングだと謀っているのでしょうか。こういった中で小泉進次郎さんのことだけは誉めていました。
 
その状況にマッチした突嵯の機転がきくコメントができると言うのです。先の参議院選、あちこち応援演説に出かけたのですが、ある所での駅前で、遊説カーからビルの一角にFDKの会社名が目に入りました。
 
そしたらすかさず、FKDすなわち民主党だと言い放ったのです、その心は普天間、子供手当て、ダメとのことです。まさにそうした機転が今求められているもので、その小泉さんでさえ、裏切る自民党でなければならないと、きっぱり言い切っているのです。
 
そのように今後の日本が良くならないという理由は次の5つのことからです。
 
第1に衆参のねじれ現象、そして2番目としては民主党党内に200人の野党を抱えていることを挙げていました。その中では小沢さんの支配は既に終わりを告げたことも話していました。
 
それから第3に政策実現能力に欠けていること、スローガンは掲げるものの、竜頭蛇尾の政権だという指摘です。また4つ目としては外交力が本当に弱いことを挙げています。これは外務省の情報収集能力をうまく活かせず、政府と官僚との信頼関係の欠如によるものと言っています。
 
そして最後にこの政権は誤り方を知らないと言うのです。尖閣の問題にしたって、当初の問題処理を誤ったのなら潔く非を認めれば、もう少し事態は好転したのではないかという指摘です。
 
そんなわけでこの先、現政権が続く限り好転する見込みはないという結論です。せいぜい続いても来春までではないかという見通しです。
 
政治は経済の一歩先を行くとも言われています。そういった意味では取り巻く経済環境が急に良くなるとも思えません。頼るは自分ばかりということなのでしょうか。しっかりと先を見据えた戦略と計画が求められているわけです。
 
明日18日は私用で会社を休ませていただくため、カキコミはお休みとさせて下さい。


勝ち続ける難しさ

[2010年11月16日(火曜日)|No.1919]

我、未だ木鶏たり得ず」大横綱・双葉山の有名な言葉ですが、昨日この持つ大記録・69連勝に挑んでいた、横綱・白鵬がとうとう稀勢の里に敗れてしまいました。ついに63連勝でストップです。
 
白鵬関の記録が途絶えたのはちょっと残念ですが、改めて双葉山の記録の偉大さを知らされています。当時は年2場所しかなかったとのことで、この記録を達成するには実に3年の歳月が掛かっているのです。
 
また子供の頃の事故で双葉山は右目がほとんど見えず、右手小指の動きも不自由だったと言われます。この力士として致命傷になるようなハンデを背負いながら、相撲の神様と呼ばれるまで至ったのです。
 
この69連勝が安藝ノ海に敗れ、途絶えたときも普段と何も変わらなかったと言われます。大騒ぎする周囲をよそに、約3年ぶりに黒星を喫した双葉山は、いつもと変わらず表情も変えず一礼して東の花道を引き揚げていったそうです。
 
ただ1つ変わっていたのは、友人宛てに電報を送ったことで、それが有名な次の言葉なのです。
「イマダ モッケイタリエズ フタバ」 (未だ木鶏たり得ず 双葉)
 
63連勝と大記録に一歩届かなかったものの、白鵬関の頑張りのお陰で、大横綱・双葉山にもこのように再びスポットライトが当たることができました。そういう意味では日本人として感謝しなければいけませんね。
 
でも街の人々の声を聞いていると、惜しがっている声があまりにも多いことにびっくりしています。やはりそれだけ心技体充実した横綱なのでしょう。
 
そこにはモンゴル人だとか外国人といった、排他的な意識が何も感じられません。ある意味では泰然自若とゆったりと構えている姿は、日本人よりよっぽど日本人らしいかもしれません。そんな横綱に何も違和感がなく親近感を覚えるからでしょう。
 
ちょうど今年1月の初場所14日目から勝ち続けて負けがなかったわけです。その間勝ち続けるというのは並大抵なことではなかったでしょうが、今場所はそんな横綱でも本人が言うとおり、やはりスキがあったのでしょう。
 
今までは勝ちに行くというよりは、自分の相撲をとることを心がけていると言っていました。それが勝たなければと、知らず知らず間に自分自身を追い込んでしまったのではないでしょうか。
 
でも今年できたことが来年できないはずがありません。まだまだ若いし再度チャレンジは可能です。双葉山は連勝が途絶えたことが影響してか、それから2連敗したとのことです。
 
そんなことのないよう、今日から再び大記録に向けて積み上げていって欲しいものです。それから双葉山を破った安藝ノ海はそれから横綱にまで昇進したと言われます。日本人のホ−プ・稀勢の里関にも是非横綱目指して頑張ってもらいたいものです。


ちょっと良い話part67

[2010年11月15日(月曜日)|No.1918]

久しぶりのちょっと良い話です。「さりげない優しさ」という心が温まる話を見つけましたので紹介させて下さい。
 
ある4人家族がいました。30代の夫婦と2人の兄弟。1人は10歳、1人は8歳でした。ごく平凡な家族なのですが、10歳のお兄ちゃんは重度の食物アレルギーを持っていて、食べ物も好きに食べられないという状態でした。
 
そんなある日、弟が学校でいじめられて帰ってきました。母親は驚いて理由を聞くと「僕だけファミレスに行ったことがないからって仲間外れにされた」と弟は言いました。実はお兄ちゃんの食物アレルギーのため、弟はファミレスどころか、外食もしたことがない、という状況でした。
 
それを聞いてショックを受けた母親は、父親と相談して、弟を1度ファミレスに連れて行くことに決めました。そして、ある日家族4人でファミレスに行き、席に着きました。すぐに店員が注文を取りにきました。母親は店員に、「日替わりランチ2つとお子様ランチを1つ下さい。」と頼みました。
 
すると店員は、「お子様ランチ1つですか?」と尋ねました。母親は「はい、1つでお願いします。」と告げてからファミレスに来れなかった事情を話しました。
 
そして「それでも子供たちにはできるだけ不自由な思いはさせたくないと思って連れてきました。さらに失礼なお願いなのですが、上の子には家から持ってきた、これをここで食べさせてもかまわないでしょうか?」と、母親はかばんから食材の入ったタッパーを取り出しました。
 
当然ファミレスに食べ物を持ち込むということは、食中毒などの店側の衛生管理上の問題により、本当はダメだということは母親にもわかっていました。ここで断られたらどうしようかと、母親はひそかに思っていたのです。
 
店員は、「そうですか…。」というと、「私にそのタッパーを渡してください。」と母親に言いました。母親は、「えっ」と思い、やっぱりダメか…、と落胆しながら店員にタッパーを渡しました。
 
しばらくして両親が頼んだ日替わりランチと、国旗が付いている弟のお子様ランチが出てきました。弟は喜んでいますが、両親は素直に喜べませんでした。ですが、次の瞬間、もうひとつの料理が出てきたのです。それはまぎれも無く、あのタッパーの中の料理でした。綺麗に盛り付けされ、真ん中には国旗が付いています。
 
「はい、これがお兄ちゃんのお子様ランチだよ。」その店員の思いがけない言葉と嬉しそうに喜んでいる兄弟の姿を見て、両親は涙が止まりませんでした。

 
以前、ディズニ−ランドの中のレストランで、これに似たような心温まる話を読んだことがありますが、こうしたさりげない優しさには心打たれます。
 
このことは規則破りになるのでしょうが、そうした四角四面なことに囚われて、ただただ規則だからとマニュアル通りに相対することより、ずっと勇気がありその価値を感じます。このちょっとの差が人間を限りなく豊かにさせるものです。


田崎史郎氏講演からその1

[2010年11月12日(金曜日)|No.1917]

昨日は沼津法人会の表彰式に出席してきました。静岡県法人会連合会長表彰という、何やら大層な名前がついたものを弊社にも戴けるということもあって、参加したのです。
 
と言っても特別大きな貢献をしたわけではなく、役員等をやっていれば順番に回ってくるものですが、戴けるというからには素直に有難く頂戴してきたわけです。
 
この表彰式の後、記念講演として時事通信社解説委員の田崎史郎さんの講演会がありました。テレビなどで時々お見掛けするお顔ですが、昭和25年の6月生まれというから、私より学年が1つ下の割には少し年齢を感じさせられたものです。
 
この田崎さんはかつて文藝春秋に「小沢一郎との訣別」を書いて、その中でオフレコ発言を公表して話題にもなった方です。ですから見掛けは比較的ソフトな感じなのですが、話し始めると結構そのイメ−ジとはかけ離れて、強烈な批評もしながら時の話題に突っ込んでいました。
 
一番槍玉に挙がっていたのはやはり総理である菅さんです。私も確か以前そのように触れたと思いますが、そもそも菅さんが総理になれたのは次の2つの理由からです。
 
1つは総理大臣をそうコロコロと変えてはいけないということです。そしてもう1つは小沢さんを総理にするわけにはいかないという理由からです。ですから誰もこの菅さんがよいから選んだというわけではないと言うのです。
 
この菅さん、次の3つのことから人望がないと指摘していました。①人の面倒を全く見ない ②すぐイライラする ③人の扱い方を知らない(1つの仕事が終えても何の気遣いやアフタ−がない)
 
ですからその人格・人間性が弱点で、理ばかりが立って情が伴わないというのです。政治家は情と理で成り立つもので、政治の50%は情で動かされるものだと言います。
 
この人を動かす力が菅さんや今の民主党に足りないと言い放っていました。また先の総裁選はこすい、あざとい対悪い人との戦いだったとまで言ってこき下ろしていました。
 
とにかく講演タイトルが「日本の政治は良くなるか〜民主党政権の行方」ということでしたが、結論は良くなるはずがないとのことです。
 
その他、まだまだ厳しい指摘が続きますが、また次回引き続き紹介させていただきます。講演を聴いた後の感想は、やはり人の話はいろいろな角度や切り口から聞くべきだということです。片一方だけではなく、両方から聞いて初めて真実が見えてくることもあるわけですね。


ビデオ流出から

[2010年11月11日(木曜日)|No.1916]

昨日はビッグサイトで開催されている中小企業総合展に出掛けてきました。700くらいの企業が出展していたわけですが、この閉塞感の漂う中、元気な企業がいっぱいあるものだと刺激を頂いて帰ってきたものです。
 
さて、今、大きな問題となっている尖閣沖漁船衝突事件のビデオ流出の件ですが、昨日神戸海上保安庁の職員が自分がやりましたと名乗り出ました。
 
巡視艇「うらなみ」の43歳の主任航海士が、神戸のネットカフェからユ−チュ−ブに画像を投稿したというのです。名乗り出たことで、この保安官が国家公務員守秘義務違反に問われるかどうかが議論されています。
 
と言うのも、一部の国会議員には既にビデオを公表しており、全くこれが秘密事項に当たらないというからです。また国民の多くが中国の不当な圧力や言いがかりもあって、ビデオの公表を望んでいたからです。それと保安官なら誰でも見れたという証言もあります。
 
ですから、もしこの海上保安官が起訴されたにしても、体を張って領海の安全を守っている立場から、国民に真実を知ってほしいと強く主張した場合には、難しい決着になるのではないでしょうか。
 
ではいったいここまでの事態にしてしまったのは、誰に一番責任があるのでしょうか。私はやはり政府の責任が一番大きいものと思っています。
 
後の祭りかもしれませんが、事件が起こったとき、直ちにその事実関係をビデオを通してでも公開すべきだったと思います。その映像を見れば、誰しもが明らかに漁船の不当行為と判り、言い逃れができないものです。
 
それをどういうわけか、駆け引きのカ−ドにしようと思ったのかどうか知りませんが、いきなりしまいこんでしまったのです。その結果、中国にはここまで言うかというくらいの、変な言いがかりをつけられるばかりか、政治的な圧力まで掛けられてしまったのです。
 
そして政府内に中国との人脈を欠いていたこともあり、タイミングを失ったこの日本の対応を、弱腰外交と決めつけられ、終いにはロシアまでが北方領土視察という、かつてない強気な姿勢を打ち出してきたのです。
 
こうした思ってもみなかった事態に展開していったのも、全て政府の臨機応変な対応に欠いたことが招いたのではないでしょうか。
 
民主党政権が外交、内政全てに通じて不慣れな政権だから仕方がないとか、通ずる人脈を持ち合わせていないなどと、もう言っている場合ではありません。
 
オバマさん同様、この国を何としても変えてもらいたいと思った国民の、チェンジという強い思いと期待への裏切りにも通じかねません。ああ、やっぱりダメかと、烙印を押されないよう、危機感を持った必死の政策運営を是非志してもらいたいものです。


死闘の果てに

[2010年11月09日(火曜日)|No.1915]

日本シリ−ズは史上まれに見る激戦で、千葉ロッテマリ−ンズが征しました。引き分けを含む第7戦までもつれ、シリ−ズ史上類を見ない、3試合の延長戦の末、決着したのです。
 
特に先週土曜日の第6戦は延長15回まで戦いましたが決着がつかず、引き分けと相成りました。この試合が終わったのが何と夜12時ちょっと前、6時間になろうとする、もちろん最長時間のゲ−ムだったのです。
 
シリ−ズ前、第1,2,5戦が地上波のテレビで観られないという、異例の一大事とも言える、プロ野球不人気の事態を招きましたが、両軍の頑張りのお陰で、見事雪辱を果たしたとも言えるのではないでしょうか。
 
それにしてもロッテの日本シリ−ズ優勝は見事でした。リ−グ3位という成績ながら、CSの1stステ−ジ、リ−グ決定戦と勝ち抜き、このシリ−ズを征したわけですから、実に15試合の激戦を経て掴み取ったものです。
 
その中でCSの2stステ−ジでは、アドバンテ−ジの1勝を含みソフトバンクが3勝1敗と、まさに崖っぷちまで追い込まれたのですが、それから3連勝、逆転してこの日本シリ−ズの切符を掴んだのです。
 
優勝の原動力は内、伊藤といった中継ぎ投手と清田選手などの若手の頑張りが大きいのではないでしょうか。それと何と言っても見逃せないのが、西村さんという、このチ−ムでのたたき上げの監督の功績でしょう。
 
「和」が「俺」を退けたとも伝えられています。とにかく選手への信頼感が厚い監督です。試合後のインタビュ−を聞いていると、この人の人間性が滲み出ているような気がします。
 
勝てば真っ先に選手を褒め称え、そして敗れたときはまさに「敗戦の将、兵を語らず」そのもので、全て自分の采配の責任だと、潔く語るところに好感を抱くものです。
 
このロッテ一筋で29年、叩き上げた苦労人だからこそ、このシリ−ズでも働いた上記の若手や、第7戦に決勝打を放った育成選手上がりの岡田選手の起用と、その力を見抜けたものと思われます。
 
その結果、一層選手からの信頼感も増すのでしょう。こういったところは、傍で眺めているだけでは実態は判りませんが、俺流の落合監督との違いのように映るものです。
 
とにかく就任1年目での日本シリ−ズ制覇は見事なものです。西村監督の現役時代は本拠地が川崎球場でした。今回、敵地の名古屋ド−ムでも黒一色で埋め尽くされていたスタンド光景は、いつも閑古鳥が鳴いていた当時と比べての実感なのでしょう。
 
ファンあってのプロ野球。ずっとユニホームを脱がずに、お世話になっている球団にも感謝の気持ちを常に持っている」という素直な言葉に表われています。やはり感謝の気持ちが大事です。
 
蛇足ながら、第6,7戦と、番組編成がズタズタになりながら、完全生中継してくれたフジテレビには敬意を表するものです。シリ−ズは組み合わせの善し悪し等、前評判だけで判断してはいけませんね。
 
明日10日は県経済産業部主催で、東京ビッグサイトに中小企業総合展の視察で一日留守をしますので、カキコミは休ませていただきます。


おやじのせなか その2

[2010年11月08日(月曜日)|No.1914]

ご存知、「整いました」と、今なぞかけで大流行の、ねづっちさんの親父さんの話です。意外にこの親父さんは、頭に「くそ」が付くくらいの真面目な方とのことです。
 
芸人の親父だからというわけではないのですが、そのイメ−ジとはだいぶ違って、農協に勤め毎日朝7時半に家を出て、夕方6時には決まって帰ってくると言います。
 
そして夕食と風呂が済めば日本酒を持って部屋に向かいます。そこで宅建とか旅行添乗員、毒劇物取り扱いといった資格取得の勉強をして、実に20種類以上の資格を持っているそうです。
 
自身が古い農家の長男で、大学進学をあきらめたことから、それが悔しくて、大卒の人よりいろいろなことができるようになりたかったからではないかと言われています。
 
とにかくマイペ−スで、他人に興味がなく、子どもはほったらかし(何か私自身のことを言われているようで耳が痛いようですが)、何かやってと頼まれると自分のペ−スを崩されるから短気になるそうです。
 
そんな毎日同じ生活の親父を見ていて、「何が面白いんだろう」と思っていたねづっちさんでしたので、普通の仕事には就きたくないと思うようになっていったのです。
 
そして大学3年のとき、「芸人やるわ」と伝えたら、嫌そうな顔をしていたそうです。それから10年以上続いた下積み時代には、よく「いつやめるんだ」と言われ続けていましたが、最近テレビによく出るようになったら、息子の自分を「ねづっち」と呼んで、にこやかに会ってくれるようになりました。
 
また母親によると、自分の出ている番組のDVDを繰り返し見ているときもあるらしいのです。そんな親父を見て、やはり親が喜んでくれているのが一番嬉しいと、ねづっちさんは言っています。
 
このように反面教師ではないのですが、その背中を見続けていて、自分はそうはありたくないと思う人もいるみたいです。私自身は希望する進みたい他の道があったのですが、夜遅くまで黙々と一人で働いている親父の姿を眺めたら、もうそれ以上、何も言えなくなったものです。
 
ですから人それぞれですね。私自身、決して今の道で後悔するものではありませんが、もし違った道に進んだらどうなっただろうかと思うことはあります。
 
そんなことから、ここで社会人となる一人息子には彼の意思を尊重し、せめて自由に自分の好きな道を選ばせてあげたいと思っています。要はどんな道に進もうと、振り返って言い訳するような人生にだけはしたくないものです。


早慶戦から

[2010年11月05日(金曜日)|No.1913]

やはり3日の文化の日、前日触れた富士山登り口から帰ってきて、テレビの早慶戦に辛うじて間に合うことができました。ご存知、早稲田のドラ1トリオを少しでも観ようと思ったからです。
 
ドラ1トリオとは、もちろん斎藤佑樹、大石達也、福井優也の3投手ですが、この試合、勝った方が東京六大学秋季リ−グを征する優勝決定戦となっており、また早慶で直接争うのが実に50年ぶりと言われた試合でしたから、多くの注目を集めたものでした。
 
テレビをつけたら、もう7回までゲ−ムが進んでおり、早大が7−0とリ−ドしていました。そしてお目当ての斎藤投手は何とこの7回までノ−ヒットの素晴らしいピッチングです。
 
さすがはこの斎藤投手、甲子園の時から大試合には滅法強く、何か運命的なものを感じさせてもらったものです。そのピッチングにも注目したのですが、変化球をうまく使っていて、特にスライダ−だと解説していましたが、横に変化するのではなく、縦に落ちているのです。
 
ですから球速が少し緩い、フォ−クのようなものです。これではなかなか打てないなと思っていた8回、そろそろノ−ヒットノ−ランの声も挙がってき始めた頃でしたが、味方のエラ−で大記録が潰えてしまったのです。
 
まず三塁手のエラ−に始まり走者を出してしまった後、痛かったのは一塁後方のファ−ルフライでしたから記録にはなりませんでしたが、一塁手の落球です。
 
甲子園優勝の早実時代から仲間だった、ファ−スト後藤君の何でもないフライの落球から、慶応の猛反撃が始まったのです。野球とは得てしてこんなものですが、命拾いした打者が次に三遊間の初安打を放ったのです。
 
こうしてリズムを崩した斎藤投手は、それから5点取られて大石君に代わったのですが、その大石君が見事に後続を抑え、早大が守りきって優勝を果たしたのです。
 
野球はこのように流れというものがあり、あのままエラ−がなければこの大試合で大記録を達成していたかもしれません。またそうしたことに十分相応しいピッチングと、彼の持っている運命的なものを感じていたわけです。
 
でも優勝決定後のインタビュ−は少しもそうした驕りがなく、爽やかなものでした。「最後に、ひとつだけ言わせて下さい」と前置きした後、出て来たのが次の言葉です。
 
いろんな人から『斎藤は何か持っている』と言われてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは仲間です」というものです。
 
何とも清々しい言葉ではないでしょうか。この斎藤投手といい、ゴルフの石川遼くんもそうですが、多くの人間を魅了させ、慕われるものをやはり持っています。それが何だろうかと少し考えたのですが、その人間の持つ「可愛げ」ではないでしょうか。
 
成功しているのは決して自分一人の力ではない、支えてくれる皆の力だと素直に語れるのは、何とも清々しく美しいものです。


読書週間

[2010年11月04日(木曜日)|No.1912]

朝晩はすっかり冷え込むようになってきました。富士山の頂上付近も雪に覆われ、まさに長い夏の後、秋が短くて、いよいよ冬の到来です。昨日の休日はちょっと、この富士山の登山口である、須走口と御殿場口を覗いてきました。
 
友人から須走口にある山小屋の、東富士山荘のキノコそばがおいしいと聞きましたので、家内と一緒に食べに行ったのです。友人からは11月中旬までこの山小屋は開いていると聞いていましたが、何とタイミングがよいことに、この日の3日でもう今年は閉めると言うのです。
 
そんな訳からではないでしょうが、頼んだキノコそばの量が多いなんてものではありません。まさにキノコ尽くしなのです。やっとの思いで食べ尽くしましたが、味といい量といい、1000円の値段は決して高くは感じなかったものです。
 
さて、先月27日から今月9日までは秋の読書週間です。気候的には冬の足音が近づいているものの、読書は秋の夜長に欠かせないものの1つとして、昔から言い継がれているものです。
 
昨日の天声人語に、立ち読みにまつわる最も美しい話として、こんな素敵な話が載っていましたので紹介します。
 
19世紀欧州のある街で、貧しい本好きの少年が毎日、書店のウインドーに飾られた一冊の本を眺めていた。読みたいけれどお金がない。
 
▼ある日のこと、本のページが1枚めくられていた。翌日も1枚めくられていて、少年は続きを読んだ。そうして毎日めくられていく本を、少年は何カ月もかかって読み終えることができたそうだ。
 
おとぎ話のような、書店の主(あるじ)の計らいである▼時は流れて、子どもと本をつなぐ草の根活動を支援する「国際児童図書評議会・朝日国際児童図書普及賞」が、今年で20回目を迎えた。
 
節目の受賞をしたガーナの子供図書館基金の記事を読んだ。コンテナを活用した図書館で、子どもたちが所狭しと気に入った本を広げている。
 
▼小さい頃に図書館に通ったという青年は、「人生の基盤を作ってくれた」と振り返っていた。読むものすべてを吸収して膨らむ年頃。地味ながら、人の心に希望をともす尊い活動だと思った。

 
まさに人の心に潤いを与えてもらえるのが本の大きな特長です。なかなかゆっくりと寛ぐ時間を持てないのが現代ですが、お茶の間のひと時でも、マンネリ化したテレビから一歩離れ、この読書の時間に割かなければいけないものです。
 
仕事の第1線から離れたら、ゆっくりといろいろな本を読破しようと思っていても、いつになることやら判りません。それゆえに、読めるときにいつでも読み始める習慣を、今からつけなければいけないものです。
 
あれもこれもと、いろいろ欲張っていたら、折角の本を読むチャンスをいつまでも逃すことになるかもしれませんね。


居心地のいい社会

[2010年11月02日(火曜日)|No.1911]

文化勲章受賞の為に一時帰国した、今年のノ−ベル化学賞受賞の根岸英一さんが日本はすごく居心地のいい社会だと言われています。
 
そして「若者よ、海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという経験は何にもまして重要なはず」と話して、叱咤激励しています。
 
確かにこの日本国内に留まっていたら、言われるとおり、その居心地のよさにどっぷりと浸かり、わざわざ苦労までして海外に行くことはないと思うかもしれません。
 
また今騒いでいる中国の学生のように、小さな頃から反日教育を詰め込まれながら、自国への愛国心を養われ、一党独裁の政治システムの不具合を、感じながらもカムフラ−ジュされて生きている人たちに比べたらずっと幸せな国民です。
 
それゆえに平和ボケしていて反骨心も養われず、どちらかと言えば事なかれ主義に陥るのかもしれません。思い出してみると、私たちの学生時代は学生運動も盛んでしたが、世の中そのものが今ほど裕福でなく、いろいろな面で恵まれたものではありませんでした。
 
食べるものにしたって、世界中の食べ物を日本に居ながらにして食することができる今とは違って、好きなものを腹いっぱいという時代ではなかったように思えます。こうした少しでも不平・不満があったお陰で、それを改善していこうとするエネルギ−が生まれたのかもしれません。
 
でも今までの日本はそれでもよかったのかもしれませんが、果たしてこれからの世界過当競争の時代、生き抜いていくことができるでしょうか。
 
新聞でも伝えられているとおり、TTPという、環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定が結ばれれば、お互いの国が関税なしで安いものが入ってきます。また協定に加わらなければ輸出にしたって、関税なしで入る国との競争力が益々激化されることになるわけです。
 
こうしたことから農業にしたって、安い輸入製品との兼ね合いで続けていく努力が問われ、食糧自給率の低下という問題をはらんでいます。また語学という観点でも、アジアなどには、自由に英語等操れる我が国以外の国が少なくありません。
 
そうした国々と我が国はどのように向き合っていくというのでしょうか。米国ビジネス社会では「コンフォート・ゾーン(comfort zone)を超えよ」という表現が使われているそうです。
 
このコンフォート・ゾーンとは、そこにいれば安心できる慣れ親しんだ場所を指すとのことで、今いる場所から、新しい分野、未知の世界に向けて、自ら飛び出していかなければ何も生まれないということです。
 
そうした居心地のいい場所に留まっていれば、何も変わるものではなく、大きな世界の変化からも置き去りにされるというのが、根岸教授の伝えたかった今の日本への警鐘ではないでしょうか。
 
そういった意味では、私たち企業にも全く同じことが言えるわけです。楽な居心地のいい場所にいつまでも居座るのではなく、先が見えないことゆえ、挑戦の苦しさが待ち受けていようとも、成功の保証など何もない世界を目指してはじめて、大きな成果を得ることができるというものです。
 
やはりこれからの日本は、過去の遺産だけでは生きていけませんね。若者に限らず、居心地のいい場所から飛び出していく勇気が求められているものです。