会長の”三行日記”

2011.11.02

間が持たない人たち No.2102

間が持たない人たち」という記事が新聞に載っていました。その概要は以下のとおりです。
 
アメリカの人気テレビ番組「マッドマン」に注目していたとき、気になった箇所があった。広告業界で働く人たちが織りなす日常を、毒気とユ-モアで見事に描いているのだが、登場人物が実によくたばこを吸う。

今だからこそ気になるものだろうが、ほとんどの人物がタバコを携帯し、会議中や食事中でも必ず喫煙を楽しむ。しかしながら現実には近年、禁煙が叫ばれ、周囲の人への配慮から喫煙場所が年々縮小されている。

また増税の対象商品ともなっていることから、愛煙家でも禁煙に向かわざるをえなくなっている人が少なくない。

こうしたかつての、たばこのように、多くの人たちが常に手にし、時間をつぶすために活用しているモノがある。携帯電話だ。

会議や外出に持ち歩くだけではない。電車に乗っても、画面とにらめっこをしている人は多い。誰かとコミュニケ-ションをとる他、情報を入手し、あるいはゲ-ムを楽しみ、時間をつぶしている。

間が持たない時、現代人はたばこではなく、携帯電話に依存していると言える。そしてそれは大きな市場を生んでいる。

しかし、そんな携帯電話にも弱みはある。幾度かその電磁波が人の脳に影響を与えることが話題となった。今後その使用がたばこ同様、健康上の理由から禁止されることもないわけではない。

あるいは情報過多から逃れようと、あえて情報機器を携帯しない時代が来るかもしれない。その時、時代は間が持たない人たちに何を提供するだろうか。

 
このご指摘のとおり、電車に乗っても10人のうち、8人ぐらいはこの携帯とにらめっこです。最近ではアイフォンとかアイパッド等、多機能製品が主流となっていることから、益々その傾向は強くなっています。
 
読む本さえ、そうした端末で眺めることができるわけです。でもこの傾向が、果たして私たちにとってよいことなのでしょうか。日々会社ではパソコンと睨み合い、そしてその時間外、携帯端末に首っ引きでは体、特に目が休まるときがないのではないでしょうか。
 
その上、自分だけの世界に入りがちで、お互い顔を付き合わせたコミュニケ-ションが不足しがちです。ですから最近では、人の目を見て話す若者が減っている始末です。私たちの貴重な人生はたった1回しかありません。それだけにもっと顔を上げて、おおらかに生きていったほうがよいと思うのですが...