会長の”三行日記”

2011.11.25

天才・談志さんの死 No.2115

立川談志さんが亡くなりました。人は亡くなってからその真価が問われると言いますが、天才・談志さんの凄さを改めて知らされています。
 
昨年11月に喉頭がんが再発、医師からは声帯を取ってほしいと言われたのにもかかわらず、断固拒否し、今年3月まで高座に上がっていたとのことです。
 
結果的にはそれが命を縮めることに繋がってしまったわけですが、噺家としての喋る仕事や、まして談志さんのことですから人一倍そのプライドが高かったのでしょう。
 
また入院中、体の衰弱で介護が必要となっていたということですが、そんな姿を弟子には見せられないと、臨終に至るまで弟子たちの見舞いを断わっていたと言います。談志さんらしい引き際です。
 
人気番組・笑点の初代司会者でもあり、現在まで延々と続いている番組を生み出したスタッフの一人とも言われています。また今では落語をテレビで扱っている唯一の長寿番組ですから、誰よりも落語を愛していて先見性にも優れていたのでしょう。
 
早くから真打ちに精進し、その頭の回転の速さもあって、歯に衣を着せない毒舌や破天荒で反逆児的な生き方で知られていますが、実際の素顔はここまで気を使うのかというくらい、他人に対しては優しい配慮のあった人とも言われています。
 
それが、亡くなってから思いの他、多くの人たちより寄せられる惜しむ声に繋がっているのでしょう。特に最後の最後では、家族を大切にした、とても深い愛が感じられたものです。また落語界のタブ-にも触れた、ベストセラ-「現代落語論」は落語をめざす若者たちの必読書にもなっています。
 
そして有名な古典落語、酒飲みの夫を妻が立ち直らせる人情ばなし「芝浜」などは絶品とも言われていますが、切れ味鋭い社会風刺や時の政治への怒りなどは本当に聞いていて私たちをスカッとさせてくれたものです。
 
それから生前、自分で決めていたという戒名が、最後まで受け狙いで私たちを笑わせてくれます。立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)という名です。
 
このような天才を失ってみて改めて、落語の奥の深さや面白みを知らされるわけですが、落語とは人間の業(ごう)の肯定と言っていた談志さん、まだまだその名人芸をじっくりと聴かせてもらいたかったものです。あの世でもまた憎まれ口を叩いているかもしれませんが、談志師匠の安らかなご冥福をお祈りします。