会長の”三行日記”
2012.01.16
着信音の妨害 No.2136
毎日寒い日が続きます。昔は二番正月と言っていたのでしょうか、その期間も過ぎ、正月気分の残っていた世の中はすっかり平常モ-ドに戻ります。気合を入れてこの寒い冬を乗り越えたいと思っています。
さて公共の場においての携帯電話使用については、相変わらず改善の動きが一向に見られません。電車の中でも辺りにお構いなく通話している人も見掛けますし、駅の地下道などでも、歩きながらそれとにらめっこしている人も少なくありません。
海外から伝わってきた、そんな携帯電話の着信音が引き起こしたニュ-スに少し驚かされました。何とあの名門のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団のコンサ-トの最中に、携帯電話が鳴り響き、演奏を中止してしまったというのです。
曲はマーラーの交響曲第9番で、最後のクライマックスを過ぎて、静寂の中に繊細な音楽が奏でる、タイミング的には最悪の場面だったと言われます。
携帯が鳴っていたのはステージ左側の最前列に座っていた高齢の男性でしたが、この男性は身じろぎもせず、その着信音は3~4分あまりも鳴り続けたとのことです。
音に気付いた指揮者が手を止めて演奏を中断し、会場には着信音だけが響き渡ったそうです。そして指揮者は携帯の持ち主に向かって「終わりましたか?」と尋ねました。
しかし持ち主からは返事がなかったため、「結構です、待ちましょう」と言い、指揮棒を譜面台の上に置いた後、着信音はさらに何度か続いてようやく鳴りやんだと言います。
そして指揮者のギルバート氏が「通常であれば、このような妨害があっても止めない方がいいのですが、今回はひどすぎました」と断った後に、オーケストラの方を向き、「118番」と指示して演奏の再開を促し、観客からの拍手で続けられたとのことです。
如何せんひどすぎますね。オ-ケストラはこうした演奏に命をかけているといっても過言ではないでしょう。静寂の中に繊細な響きを奏でる、いわば聴かせどころとも言える場面です。
それがたった一人の不注意のためにぶち壊しになってしまったのです。少なくともこうした芸術を味わう感性を持ち合わせている人なら、なぜ?と首を傾げたくなるものです。
とにかく、このケ-スは一番迷惑を掛けてしまった代表的なものになると思われますが、多かれ少なかれ、不注意な携帯音が周囲に迷惑を掛けていることには違いありません。公共の道徳を守り、周囲への配慮に心がけたいものです。
2012.01.13
あったかいお正月 No.2135
「あったかいお正月」という、ちょっと良い話を新聞の投稿で見つけましたのでご紹介します。いつまでも忘れないで思ってくれている人がいるということは、本当に嬉しいことです。
「お正月はどう過ごされていますか」。息子の友人の一人から突然、電話をもらったのは昨年10月。遊びに来てくれるのかなと思いながら、「家でのんびりしていますよ」と答えると、「今年はお父さんと二人で温泉でのんびりしてきてください」と言うのです。
実は息子は15年前、日本語教師をしていた異国の地で、不本意にも29歳の若さで亡くなりました。それ以来、全国各地でそれぞれに暮らす息子の友人たちは、命日に、順に生花を贈ってくれます。
息子のことを覚えてくれている人がいる、それだけで親としてうれしさでいっぱいです。彼らは浪人時代の1年を東京の同じ下宿で支え合い、励まし合って過ごした仲間です。その間に強い絆が生まれたのでしょう。
結局、彼らにもらった旅行券で、年末に県内の温泉に一泊させてもらいました。夫と、娘夫婦と孫3人とで、本当に久しぶりの旅でした。温泉の温かさと、人の温かさが身にしみました。
「ママ、甘え過ぎじゃない!」。あの世から息子の声が聞こえてきたような気がしました。私たちのことまで気遣ってくれる彼らに、感謝でいっぱいです。
本当にあったかいお正月になりましたね。15年も経った今、こうして残されたご両親のことまで気遣ってくれるのは、亡くなられた息子さんとその友人の方々が、よほど強い絆で結ばれていたからでしょう。
私は一度も経験がありませんが、暮れから正月に掛け、のんびりと温泉にも浸かりながら好きな山登りなどできたらいいでしょうね。来年はちょっと、それができるよう心がけてみたくなりました。
2012.01.12
自分らしく No.2134
今朝は今年一番の冷え込みだと言われているとおり、富士山の手前に位置する愛鷹山までうっすらと雪に覆われています。また昨夜、久しぶりのお湿りとなった雨の影響で、外に出してあった車は全面、凍り付いて、お湯の出番がなくては始動できなかったくらいです。
このとおり、いよいよ冬本番なのですね。温かい我が地域がこんな状況ですから、被災地の北国・東北ではさぞかし大変なことでしょう。いち早い復興と、一日でも早い春の訪れが望まれるものです。
さて昨日、一昨日と新年の年始回りを済ませ、いよいよ今日からは本格的な実業開始です。と言っても、もう実質は例年になく、おとそ気分も早々に抜け仕事モ-ドに変換でき、まずは出足順調というところですが、何とかこの調子で進めたらと願っています。
あるメルマガに「自分らしく自分の道を進め!」と載っていました。山本周五郎さんの作品で「武道無門」という本があるそうですが、気が小さく皆から「臆病者」呼ばわりされている青年の物語です。以下その大体のあらすじです。
主人公は宮部小弥太。28歳の青年武士だが、武士というのは形だけ。度胸がなく、他人のけんかを見るだけで体中が震えるというほどの臆病者だった。
自分から戦いを挑んだり、責任ある立場についたりすることを避け、いつも逃げ回ってばかり。そんな自分の性格を変えたいと思い、いろいろ努力をしたが結局あきらめることになる。自分はいまのままでいい。自虐的に思い込んでいた。
しかし、そんな彼がある時、主君に抜擢される。主君自らが服装を変え、隣国の難攻不落の巨城を偵察に行くことに。その随行の2人のなかに小弥太が選ばれたのである。
"なぜ自分のような者が、そんな大事な役目を命じられるのか"――小弥太青年はとまどった。もちろん、断わるわけにはいかない。言われた通り、彼も商人に扮して、隣国へのお供をすることになった。
自分らしくいこう。自分らしくいけばいいんだ。道中、小弥太は、そわそわと落ち着かずおかしな行動を繰り返した。時々消えていなくなり、いつのまにか戻ってくる。隣国の城下町に入ってもその行動は続いた。そうこうしているうちに、3人は巨城に着いた。しかし偵察をしているところを見つかってしまう。
「怪しい奴」とばかりに取り囲まれ、ついに追いつめられてしまう。万事休す、となったそのとき、小弥太が「自分がご案内をいたします」と言うなり、駆け出した。
小道から小道へ、路地から路地へ、抜けていった。そして1軒の店に入り、3頭の馬を牽いて出てきた。「早く、殿、早くこの馬に!」。 3人は馬に乗り、無事に逃げおおせることができた。
彼は万一の場合に備えて、逃げ道、抜け道をそっと調べ、馬の手配までしていた。自信にあふれた豪勇の人間であれば、前に進み、攻めることしか考えないかもしれない。 人一倍、慎重な彼だからこそ、そこまで細かく心を砕き準備することができたのである。
メルマガの筆者は上記の物語に示されるとおり、人間には多くの道があり、生き方があると説いています。それは会社という組織のなかにおいても同じで、他人と比較するだけでは社会の奴隷となってしまい、自分しか歩めぬ道を堂々と進むことこそ必要だと言われています。
要はあくまでも自分らしく、自分の生き方を貫きなさいということだと思います。また他人と比較するのではなく、昨日の自分との比較こそ大切だと指摘しています。十分考えさせられ、かなり説得力のある言葉ではないでしょうか。
