会長の”三行日記”
2011.09.09
五輪出場 No.2070
なでしこがロンドン五輪出場を決めました。昨日、対北朝鮮戦では終盤のロスタイム、後3分という時間帯になって同点のゴ-ルを奪われ、惜しくも引き分けとなりましたが、その夜の試合、中国がオ-ストラリアに負けた為決定したのです。
でも疲労がピ-クに達していたのでしょう、この北朝鮮戦では終始、相手のペ-スで試合が運ばれていました。できる限りバックを含む全体を押し上げ、攻撃的なサッカ-に徹していた北朝鮮は、年齢的なものもあって、動きも最後まで鋭く、なでしこお得意のパス回しも封じていたくらいです。
今回はこれで出場を決めたからよいものの、これから韓国と並び、北朝鮮は嫌な相手になるのではないでしょうか。それにしても、その前の試合までの5日間で3試合を含み、8日で4試合の強行軍です。しかもそのほとんどが夜ではなく、日中の時間帯です。
これなどは主催国である、中国に仕組まれたのではないかと思ったほどです。この地元である中国は、ほとんど夜の時間帯で、涼しいときをあてがっていたからです。
もっとも昼間も予想していたほど、暑くはならず助かりましたが、連戦での影響はピッチコンディションと併せ、かなりしんどいものだったようです。
でもこうした大変な要素も克服して、見事、五輪出場を決めたなでしこのメンバ-はさすがです。前回少し触れたように、ワ-ルドカップで優勝を勝ち取ったゆえに、どうしても負けられないというプレッシャ-は小さなものではなかったはずです。
また五輪出場を決めてから出て来たニュ-スによれば、佐々木監督も、もし出れなければ監督を辞任する覚悟でいたとのことです。いくらW杯チャンピオンとはいえ、五輪の出場権を得られなかったら、また、ただのチ-ムに戻ってしまうからです。
そういった意味では、監督が言われるように、眠れない毎日が続いていたのかもしれません。何はともあれ、出場できて何よりです。来年に迫った五輪では、今回の北朝鮮戦で示されたように、押し上げられた素早い攻撃や、当たりに対する対策や課題が突きつけられました。
是非、もう一回、ゆっくり時間を掛けて鍛え直し、美しいなでしこのサッカ-を見せてもらいたいものです。またそれが多くの人が望み、期待しているところです。
2011.09.08
父と子 No.2069
地元の新聞によく投稿をされている、眼科医の方がこんなことを書かれていました。
父と子という題の、このような内容です。出掛けたある温泉場での出来事です。露天風呂に入ると、小学校2、3年生ぐらいの男の子がたった一人で湯船に入っていました。
どこから来たのとか、何気ない会話をいくつか交わした後、この少年をよく見るとタオルを着けたまま、湯船に入っていることに気がつきました。
先生はちょっと迷ったのですが、少年にこう伝えました。「僕、湯船の中にタオルは入れないほうがいいよ。みんなが入るのに、お湯が汚れるからね」こう言った途端、少年は素直にタオルを湯船から出しました。
しばらくすると、この少年の父親が入ってきたのです。そして少年と同じように、タオルを着けたまま湯船に入りました。並んで湯に浸かっていた少年は、父親に問い掛けました。
「お父さん、湯船の中にタオルを入れてもいいの」、「別にかまわないさ」 二人と対面する形で湯に入っていた先生は、少年の様子を観察していました。父親の返事を聞いた少年は、それでも外に出していたタオルを再び湯の中に入れようとはしませんでした。
そして湯から上がった脱衣所で、父親から離れた少年に先生はこう言いました。「僕、偉かったね」、少年は少し、はにかみながらも嬉しそうに出て行ったのです。
こうした、小さな何気ないやりとりかもしれませんが、爽やかな話ではないでしょうか。先生がこの少年にこうしたアドバイスを送らなければ、きっといつまでも気がつくことがなかったでしょう。
まして父親がそのことに全く気がついていないのですから、尚更のことです。この話を読んで、このような先人からの教えや言い伝えを、正しいことであれば後世に、特に自分の子どもですら伝えきれていない親が多いように思えます。また気がついていないとも言えるかもしれません。
そしてもう一つ、他人から教えられたことと、父親からの言葉が食い違い、少年なりに心の中で小さな葛藤があったのではないでしょうか。それを小さな胸で受け止めた後の対応は、見事でした。
私たちはこの先生のように、正しいと思ったことはやはり、これからの時代を担う世代に、たとえ勇気が要ることでも伝えていかなければなりません。それが今の世に生きる責任として、思いやりと優しさを社会に育むことに繋がっていくのではないでしょうか。
2011.09.07
納豆への思い出 No.2068
昨日は軽井沢に工事で出掛けたのですが、やはり現地は涼しいですね。朝4時ぐらいにこちらを出発したのですが、向かう途中、清里を抜けて野辺山に差し掛かる辺では、道路付属の気温表示が13℃を示していました。
そして現地でも朝早かった為か、半袖の出で立ちでは少し涼しく、日なたが恋しかったくらいです。それでも向こうの方の話では、やっとそれらしい天候になってきたようで、今年の夏は暑かったと言われていました。やっと秋になってきたという感じでしょうか。
さて雑誌に納豆のことを取り上げた記事が載っていました。学生時代、その頃は今のように出来合いの惣菜を売っているお店がありませんでした。
従って貧しい独身者としては、モヤシぐらいしか求めるものがなく、八百屋で買ってきては油で炒めてご飯のおかずにしたそうです。でも先輩から、栄養失調になるぞと忠告されたので、豆腐に目を向けました。
安くて栄養価があり、生でもいいし煮て食べても飽きません。でも今のように日持ちがする真空パックがないため、買い置きができません。そこでこの納豆に注目したのです。
そして毎日、明けても暮れても納豆、納豆の生活となったのです。こうして、他にも二人の納豆好きが寄り集まり、ついには日本全国の納豆を食べ歩きする、「大日本納豆党」なるものを結成したというのです。
面白かったのは、公園の木陰で、この納豆を食べ比べする品評を行っていたときのことです。誰かが通報したらしく、警官に不審訊問されたそうです。アイスクリ-ムならまだしも、納豆を真面目な顔をして食べ比べしている様子が、いかにも怪しかったのでしょうね。
そして仕事で世話になっている印刷会社の専務が以下のような、納豆にまつわる思い出話をしてくれたそうです。
昭和33年の冬、学生服姿でアルバイトの納豆売りをして頑張ったが、1ヶ月も続かなかった。1本10円で売り、朝早く自転車を走らせて、ナット、ナットオと大声で呼びながら売る。ナットオ-、と語尾を伸ばすのがコツでね。
そしてこんな秘話も披露してくれました。東京の下町をテリトリ-に売り歩いたのだが、ある家のお嬢さんに一目惚れしてしまった。品のよい美人である。
毎朝、けなげにも自宅の前を掃除している。挨拶を交わすだけの仲だ。ある日、呼びとめられた。納豆を下さい、と注文された。専務は真っ赤になった。嬉しさと恥ずかしさが一緒くたである。それきり、娘の家の前を通れなくなった。
何とも古き良き日本が感じられる話です。ちょうど3丁目の夕日の世界でしょうか。私も幼き頃、売ったことはありませんが、この納豆売りの声はよく聞いていたものです。
ワラに包まれていた納豆の香りが、何とも言えないほど、ほんのりとした記憶に残っているものです。ちょうど「寒い朝」の、大好きだった吉永小百合さんを思い出させます。古き良き郷愁に浸るのは老化現象の始まりかもしれませんが、今では感じられない日本の良さを思い起こさせられました。
