会長の”三行日記”

2011.08.26

ちょっと良い話part80 No.2061

昨日は終日、試運転の立会いでお客様のところに呼ばれていましたので、カキコミができませんでした。どうぞご容赦下さい。
 
民主党では次期代表選出馬で、前原さんがようやく名乗り出ましたが、一部スポ-ツ誌等新聞ではこのことより、紳助さん芸能界引退の方が大々的に報じられていました。
 
何か今の日本の政治を象徴しているようで、コップの中の嵐というか、国民が全く不在の中、「勝手にどうぞお好きなようにやってくれ、どうせ誰がなっても大きく変わることはないだろう」というのが、大半の見方ではないでしょうか。
 
どちらの話題にも敢えて触れないで、今日は久しぶりにちょっと良い話・譲る気持ちの余裕という、今は亡き法人会の大先輩の話を紹介させていただきます。
 
私たちは生活の中で車を運転することが不可欠となっています。沼津市内を走っていると、横断歩道で渡ろうとしている人を見かけますが、ほとんどの車はただ通り過ぎるだけで、歩行者に気がつく車も少ないのが現状です。

運転者も歩行者の立場に立てば、ちょっとの時間を歩行者に譲ることによって気持ちの余裕ができます。また、譲ることは歩行者、運転者お互いの交通安全となり、譲ることがお礼を言うことにつながると思います。

先日も市内を走っていて、歩行者に横断歩道の手前で止まったときに会釈をされました。運転している自分が何故かうれしくなりました。また、小学生には大きな声で、「ありがとうございました」と言われたときの清々しさは何とも言えません。

ただし気をつけなければいけないこともあります。譲るときに対向車にも歩行者が渡ることを知ってもらうために、パッシングなどをしなければなりません。

お互いが気持ちよくなるため、また、交通安全のためには気遣いが必要となります。自分が気持ちいい毎日を過ごすために、また沼津市が日本一歩行者に優しく、運転が楽しいまちになれるように、心のどこかに留めておきたいと思います。

 
筆者が言われるように、何よりも余裕を持って運転を心掛けたいものです。時間的にもいっぱい、いっぱいで動いていると、心の余裕など全く持てるものではありません。
 
またそうした時に限って、思わぬ不測の事態を招きがちです。往々にして事故の起きるときはそんなケ-スが多いものです。また歩行者の立場に立ってみると、折角車が停まってくれたのですから、会釈をして、できれば速やかに渡りたいものです。
 
とにかくお互いの思いやりでしょうね。雨の日なども、全く人が通っていてもお構いなしに、すぐ脇をスピ-ドを緩めず通り過ぎていく車が少なくありません。自分さえ良ければいいという類でしょうが、そんな人に限って、今度は逆の立場できっと辛い目に遭っているのではないでしょうか。

2011.08.24

富士山登頂 No.2060

この連休工事でカキコミのお休みをいただく少し前、初めての富士山登頂に挑戦しました。無事、登頂は極めたものの、こんなはずではなかったという結末は、少しあとで述べさせていただきます。
 
夕食を終えて自宅を出発したのが午後10時頃、友人と二人で富士宮口か須走口か迷った挙げ句、比較的空いているだろうと読み、須走口から登ることにしました。
 
と言っても、2台でそれぞれ移動し、1台は御殿場口の駐車場に留め、もう1台で二人が須走口まで向かったのです。でも到着した須走口の駐車場は既に満車となっており、引き返してきて皆が停めている路肩しか留める所かありませんでした。
 
それでも須走口がこんなでは、富士宮口ではとても留める所はなかっただろうと、二人で胸を撫で下ろしたものです。そして車を停めた後、少し仮眠を取り、午前2時過ぎにいよいよ出発したのです。
 
でも眠れたのは私だけで、友人はほとんど眠ることができず、ただただ私のいびきを耳にしていただけと言っていましたが...そんなわけで風もなく絶好のお天気の中、出発できたのです。
 
富士山の4つの登山ル-トのうち、この須走口が標高2000m、そして一番高い所にあり登り易いと言われている富士宮口が2400m、またツア-客などが多く押し寄せる、山梨県側にある富士吉田口が2300mと言われています。
 
従って昨年挑戦して失敗した御殿場口は何と標高1400mと言われていますから、ずっと下方に当たるわけで、その過酷さはやはり初めてでは無理だったんでしょうね。

こうしてまさに晴天のお陰で、星が降ってくるような、近年眺めたことのないような素適な星空を眺めながら、一路山頂を目指したのです。途中、6合目を過ぎた当たりだったでしょうか、山中湖を眼下に見下ろすその先から綺麗な日の出も拝むことができました。

そして8合目からは、今までのまばらな登山客が打って変わって急に賑やかになりだしました。これはここで富士吉田口からのル-トと合流する為です。

静かにいろいろと物思いに耽りながら、叙情的に歩いていた今までとは違い、急に俗化したような人々の群れに入りながら、今度はついて行くしかありません。こうして9合目過ぎあたりからの岩場が続く、最後の難関を乗り越え、何とか頂上にたどり着いたのです。

時は10時45分、須走5合目を出発してちょうど8時間半の所要時間です。ですから途中、朝食を含む休憩を何度か入れたにしても、そんなに早いペ-スではありません。これは初めての富士山でもあるし、慌てて登って起こるという高山病を気に掛けていたからです。

やれやれ、ならなくて済んだと安心して昼食をとり、そろそろ帰り支度をするかと思い始めた頃、ちょっと変なのです。何か少しムカムカするような感じがしてきました。
 
気のせいだろうと、あまり気に掛けず、帰りのル-トにつき下り始めました。帰りは御殿場口に抜ける、途中7合目から大砂走りを通るコ-スです。ですから3時間もあれば下まで着いてしまうのではないでしょうか。

よし、早めに帰れるかもと思いながら下山していた途中、比較的ゆっくり歩を進めていたとは言え、脚は重くなるし、気持ちはどんどん悪くなってきたのです。そして頭が痛くなってきたわけですから、そうです、これが高山病なのです。
 
従って歩いては休み、また一歩きしては休むという、牛歩の歩みになってしまい、友人には大変迷惑を掛けてしまいました。そして大砂走りも、とても一気にとはいかず、何回か休んだ後、6合目ぐらいだったでしょうか、いよいよたまらなくなって吐いてしまったのです。
 
でも不思議ですね。吐いた後のほうが少し楽になってきたのです。それにしても体調の良い時ならまだしも、大砂走りの長い距離はこたえました。こうして重い脚に鞭を入れながら何とか、5合目まで辿り着いたのです。時既に5時半を回り、辺りはうっすらと暗くなり始めていました。
 
まさに高山病の症状そのもので、5合目ではほとんど何でもないのです。こうして紹介が少し長くなってしまいましたが、富士山への初登頂は一番気にしていた高山病との戦いという、思ってもみない結末となったのです。でもこれで怯んでは癪ですから、再度、万全の備えで、捲土重来を期したいと思っています。

2011.08.23

甲子園大会を振り返って No.2059

長い間、出張工事・試運転等でお休みを頂いていました。ようやく今日は会社にも居ることができるほど、何とか順調な進み具合となっています。でも今まで手掛けたことのない、サ-ボ制御等を含んでいる為、まだまだ安心はできないものです。
 
さて夏の甲子園大会が終わった途端、雨が多い日が続いているようです。ちょっと時間を置いたため、色褪せてしまった甲子園の話題ですが、「がんばろう、日本」をスロ-ガンにした今大会だけに、最後まであきらめない、白熱した好ゲ-ムが多かったものです。
 
特に忘れられないのが、優勝候補の一角であった帝京高を下した、八幡商の試合です。8回まで2塁すら踏ませない完璧なピッチングを続けていた、帝京2年生投手・渡辺くんが、まさかの逆転満塁本塁打を八幡商・遠藤君に許し、敗れ去ったゲ-ムです。
 
この試合、帝京はエ-ス・伊藤投手を温存し、3回戦に備えました。この采配がズバリと当たり、この9回を除いては文句なしの投球でしたので、誰もが帝京の勝ちと踏んでいたのです。
 
でも野球には魔物が棲むと言われているとおり、勝ちをあせったのでしょうか。1死満塁から内野のエラ-で1点、そして右打者にライトポ-ル際に放たれた本塁打が決勝点となったのです。
 
一瞬の油断を突いた、八幡商の最後まで絶対あきらめない、粘りと執念によるものでした。これだから高校野球は人々に大きな感動を与えてくれるのでしょうか。まさにこれぞ、甲子園というドラマでした。
 
またこの帝京と同じく、やはり優勝候補と目されていた日大三高が、予想通り勝ち進み、深紅の大優勝旗を手にしました。戦った6戦、全ての試合に2桁安打の強打と、エ-ス吉永君を中心とした堅守で、文句なしの堂々たる勝利だったと思います。
 
まさに勝つべくして勝ったという、高校球児全てが目指すお手本のチ-ムになっていたのではないでしょうか。とにかくこの日大三高をはじめとして、今大会は好投手が多かったように思えます。そんな中で、秋田・能代商の保坂投手が特に印象的でした。
 
秋田勢としては14年ぶりの初戦突破のみならず、2回戦も勝ち3回戦まで進みました。惜しくも広島・如水館に延長の末、敗れましたが、豪腕投手でもない保坂君に高校野球のヒントを感じたものです。
 
スピ-ドは120km台、最速でも131kmです。昨年、鹿児島実業に0-15と大敗した後、その口惜しさをバネに猛練習の中、ボ-ルのキレを追い求めたそうです。
 
スピ-ドはそんなに変わらなくても、キレのある低めのストレ-トが両コ-ナ-に決まり、対戦した打者が手元で伸びてくるため、振り遅れていることもあったのです。
 
このように豪腕投手でなくても、コントロールや変化球の切れ、配球さえしっかりしていれば強打者でも抑えられるということを、彼が教えてくれました。一握りの投手を除く、ほとんどの投手に言えるだけに目指すべきお手本のように感じたものです。
 
大会後、準優勝チ-ムに不祥事が発覚し、折角の震災地に希望の灯を点す動きに少し水を差されましたが、高校野球はやはり私たちに大きな感動と教訓を与えてくれるものとして、再認識させてもらった今大会でした。