会長の”三行日記”

2011.08.09

長崎を最後の被爆地に No.2056

先週土曜日の広島に続き、今日は66回目の長崎の原爆記念日です。1945年8月9日、午前11時2分広島に次いで2発目の原子爆弾が長崎の地に落とされました。
 
長崎市のホ-ムペ-ジには、私たちが伝えなければならないこととして、下記のようなメッセ-ジを投げ掛けています。
 
1945年8月9日午前11時2分、長崎の空が白く輝き、時計の針が止まりました。

青空に噴き上げる巨大なきのこ雲。
なにが起きたのか。人々はどうなってしまったのか。

崩れ落ちた壮麗な天主堂の残骸が、破れた衣服が、熔けたガラス壜が、
今も静かに語りかけてきます。

被爆者が苦難を乗り越えて、語り伝えてきたナガサキからの平和のメッセージをわたくしたちは、これからも伝えていきます。

核兵器のない未来に向かって
世界の人々が共に手をつないでいくために。
 
 
おそらく人類で最悪の出来事ではないでしょうか。何しろ一瞬にして、多くの尊い命を奪ってしまったのですから...あまりにもその罪は大き過ぎます。
 
被爆後66年、現在の素適な街、長崎からはそのかけらも見つけられないほど、見事な復興を果たしています。それだけにいつまでも、この大惨事を後世まで語り継いでいかなければなりません
 
ちょうど3年ぐらい前になるでしょうか。中小企業家同友会熊本の全国大会の後、私たちは現支部長の出身地・長崎を訪れました。
 
ご主人に先立たれ、今は長崎にお一人で住まれているお母さんのところへ寄ったとき、この原爆の話をお聞きする機会を得ました。そのお話は私たちが全く知る由もないところまで触れ、あまりにも凄惨なものでした。
 
何しろ突然の原爆が落とされてから、どうしていいか迷いながら逃げ惑う人たちを、追跡し空から機銃掃射まで放たれたというのです。いくら敵国とはいえ、どこに人間の血が通っているのか、腹立たしく覚えたことを今でもはっきりと思い出します。
 
こうしたお話を少しでも多くの皆さんにお伝えしたいとのことで、会が桑崎支部長のお母さんを長崎からお呼びして、講演会を開きます。会員以外でも自由にご参加いただけます。下記ご案内を参照の上、多くの方のご参加をよろしくお願い申し上げます。
 
講演会  「長崎・被爆体験を語る会」 入場無料

日 時   平成23年8月22日(月) 19:00~21:00

場 所   サンウェル沼津 2F 大会議室

お問い合わせ  株式会社 アイソ- 秋山まで(055-923-2321)

2011.08.08

花嫁の父 No.2055

この土曜日は長女の結婚式でした。新郎新婦同様、こちらも全く初めての経験でしたので、やはり緊張していたのでしょうか、終わってその日は現地のホテルに泊まったのですが、翌日にはどっと疲れが出ていました。
 
その日はもう一つ、高校全体の同窓会総会があり、地元同窓会の事務局長を務めていることから、役目柄、本来ならそちらにも出席しなければならないところでしたが、時間的にもちょうどその開始が3時半と重なっており、ご容赦を頂きました。
 
場所は修善寺の先にある、中伊豆ワイナリ-です。シダックスの社長が経営する、ワイン畑を眼下に見下ろす、チャペルを含む白い瀟洒(しょうしゃ)な建物が真ん中に位置する場所です。

新郎新婦同様、こちらもタキシ-ドなるものを着せられる関係で、少し早くからその控え室に入れさせられていました。控え室は冷房が効いているからよいものの、外はうだるような暑さです。身内や親戚ならまだしも、こんな真夏に招かれたお客の皆さん方は本当にいい迷惑だと、気の毒になってしまったほどです。
 
しかし、二人とも中学の教師を務める関係で、子ども達にも迷惑を掛けず、また自分達も旅行などで少しまとまった休みが取れるとしたら、やはりこの時期しかないかもしれません。
 
そんなことを考えながら、時間だけは十分あるのですが、なぜか落ち着かない時が過ぎて行き、やがてその時を迎えました。チャペルでの式などあまり慣れていないこちらでしたが、簡単なリハ-サルがあり、入場は2通りあって、1つは最後まで父親がエスコ-トしていく方法と、もう1つは途中から新郎にバトンタッチするやり方です。
 
これを新婦に選ばせたのですが、開口一番、最後までお父さんと行きたいと言ってくれました。さすがにちょっと嬉しかったですね。こうしていざ本番を迎えたのですが、やはり誰もいなかったリハ-サルの時とは違うものです。

大勢の招待客が出迎えてくれた入場は、扉が開いた途端、主役ではないこちらまでジ-ンとなったものです。そして一通りの儀式が終わった後、牧師の言われるまま賛美歌の何番でしたか、歌い始めた途端、不覚にも胸がいっぱいになってしまいました。
 
ここまでの彼女の成長が思い浮かんできたのでしょう。でも努めて耐えて、歌は歌えませんでしたが、涙は人には気づかれないよう堪えたものです。これがやはり花嫁の父の心境なのでしょう。
 
こうして披露宴も皆さんの温かい祝福のお陰で、滞りなく進行することができました。花嫁の父ながら、新郎の父君が昨年3月急逝した関係で、最後のお礼の挨拶はこのことにも少し触れながら、私が務めさせていただきました。
 
この挨拶が控えていたのと、恒例の花嫁からのお涙頂戴の儀式がなかったことが、崩れないで済んだお陰ではないかと思います。そして二人が今日を迎えることができたのも、列席者はじめ多くの方々の支えがあったからこそということを実感しました。
 
最後にサプライズで、ブドウ畑の彼方から二人を祝福する花火まで上がりました。ロケ-ションの良さを活かした幻想的なものでしたが、これはワイナリ-の方での気遣ってくれたサ-ビスとのことです。
 
とにかく、こうした関係者が少しでも列席者に感動を届けようと、いろいろと心配りしてくれたお陰で、時間の長さも感ずることなく、本当に楽しいまま祝宴を閉じることができました。列席者並びに関係者に深く感謝申し上げます。

2011.08.05

被災地・石巻を訪ねてその2 No.2054

    

ボランティアの初日、現地企業さんに出向く前、友人がそのすぐ近くの、大きな被害が出た住宅地域に迂回して案内してくれました。
 
その前日にも少し、被害に遭った別の地域を眺めましたが、目の前に飛び込んできたのは一面洗い流されたような、何にも残っていない風景です。
 
思わず息を呑んで、ただ呆然と眺めるだけでした。そして次第に胸が詰まるような思いが込み上げ、涙を抑えることができませんでした。
 
ポツン、ポツンと少しばかり、風穴があいたように残っている家も、ほとんどが大きなもので、どれも比較的新しい家に見えました。一瞬にしてこの自身が永年掛かって築き上げた、財産を失ってしまった方々の思いはどうなのだろうか。
 
そう考えると、居た堪れない思いに駆られたものです。そして支援作業をやらせて頂いた企業さんに向かいました。その場所はおよそ海からは100mぐらいの所からでしょうか、まだまだ残骸がゴロゴロしている周辺区域には、カモメが群れ飛びかっていました。

     

社長さんに一通り、工場全体を案内して頂いた後、作業に取り掛かったわけですが、そのお話や昼休みに皆さんからお聞きしたところによると、幸いにも会社の社員で亡くなられた方はいないものの、やはり家族や親戚となると、津波に巻き込まれた方もいて、被害は少なくないようです。
 
ただ社員が無事だったのは、その前に岩手の沿岸部や気仙沼など、大きな津波に呑まれている情報をいち早くキャッチできた関係で、直ちに山の方に避難する旨、全員に通達がされたそうです。
 
そして一部は車で逃げたものの、途中渋滞していた関係で、車を捨てて走って逃げたとのことです。しかし中には一旦は逃げましたが、忘れ物をして家に引き返した人や、周辺工場でも地震直後、後片付けを済ましてから業務を終わろうとした所などが、全員犠牲になってしまったとのことです。
 
ですからその生死を分けるのは、ちょっとした差なんでしょうね。まずは何を置いても避難して自分の身を守る、そのメッセ-ジは身に迫った生々しい体験だけに、私たちにも貴重なアドバイスでした。