会長の”三行日記”

2012年05月

2012.05.15

妬まないこと No.2208

自分が大した努力もしていないのに、他人の成功を妬むようなことがよくあります。「あいつはたまたま条件が良かった」とか、「置かれている周囲の環境に恵まれた」というような話です。
 
桁外れの差があるときには、階級や身分が違うから仕方がないと言って、あきらめたりするものですが、同級生や同程度の相手の場合ですと、自分の劣りや非のほこ先を自分に向けるのではなく、他人に向けてしまうことが少なくありません。
 
また隣の芝生は青く見えるとも言うことがあります。本質はよく見えていないのに、うわべだけでそのように判断してしまうことです。また極端に「幸せは他人の不幸が見えたとき」などと、自分のことは棚に上げ、他人より劣っていると、その人に好意を持てなかったり、相手の失敗にほくそえんだりする人までいます。
 
よく言われる島国根性というものです。ある書に書かれていましたが、こうした日本人社会のことを樽蛇社会と呼んでいるみたいです。
 
大きな樽の中に蛇をたくさん入れて板で蓋をします。そして板の中央に蛇の出れるだけの穴をあけておきます。1匹の蛇がその穴から外へ出ようと首をもたげ、穴のところまで近づくと、他の蛇がからみついて、元のところへ引きづり下ろしてしまう現象をそう呼んでいるのです。
 
別に日本人に限ってのことではないでしょうが、狭い国土がこのような性格を生み出したのかもしれません。また縦割りの社会が横の絆を弱めたのかもしれません。
 
だからこそ、日本人特有の、また日本人だからこそ受け継がれている、思いやりの心や情深き心を大切にしなければいけません。またそれなくしては日本人と果たして言えるでしょうか。
 
とにかく人の成功は素直に喜んであげ、自分の至らなさや足りないところに早く気づき、追いつけ追い越そうという、前向きな気持ちに駆り立てなければなりません。それが自分への成功の近道ではないでしょうか。

2012.05.14

侮れない春山 No.2207

5月の連休中に、北アルプスで8人もの人が亡くなるという遭難事故が相次ぎました。亡くなられたのはいずれも私たちの年代や、それ以上の人たちばかりです。
 
そのうち6人が亡くなったのは白馬岳を目指した一行です。一行は3日から2泊3日で、長野県小谷(おたり)村の栂池(つがいけ)から白馬岳を往復する予定で、3日夜に栂池ヒュッテに宿泊し、4日の早朝、弁当を2人前ずつ持って山に向かったとのことです。
 
このパ-ティ-は医師を中心とした九州の人たちですが、宿泊したヒュッテから白馬岳への所要時間は速い人で6時間、天候や雪質によっては8時間以上は必要と言われています。
 
ところがこの日の午後1時半ごろ、途中の小蓮華山頂上にいた登山客が、登ってくるこれらしきグループを見掛けています。もしそうだとすると、それから白馬岳を目指すには時間的にとても遅過ぎるというのです。
 
また登山を開始した時点での天候は晴れということで、この時期にしては暖かい陽気だったとのことです。それゆえ、6人は長袖シャツにベスト、ズボンという、夏山でも歩く格好だったと言います。
 
決して死者に鞭打つつもりはないのですが、こうした引き返す判断や、何が起こっても対処できる用意周到の準備を怠っていたのではないでしょうか。
 
ちょうどこの少し前の29日に出発する、北アルプス・常念岳に登る1泊2日の登山に、お客様からお誘いを頂きました。生憎、連休工事で忙しかったため、お断りさせていただいたのですが、こちらの方は全く無理のない工程で組まれていたようです。
 
お客様の学生時代からの親友が、昨年、この常念岳で無念の死を遂げた、追悼の意味合いを込めた登山だったのです。亡くなられた方もヨ-ロッパの有名な山々にも挑戦していた、超ベテランの登山家でしたが、この春山の思いもしない天気の急変に還らぬ人となってしまったのです。
 
ですから、それくらいこの時期の山は6月中旬まで雪が降ると言い、冬山と何も変わらないくらいの危険と隣り合わせなのです。従ってそのいでたちにしたって、発熱効果のある下着、フリ-ス、風を遮る上着、防水透湿性のある雨具が欠かせないと言われています。
 
こうしたことから今回の追悼登山にしても、当初の無理のない計画でも、相当な荒天の場合は中止すると、うたわれていたくらいです。やはり春山は侮れないのではないでしょうか。事故後、新聞にある大学教授がこんなことを話していました。
 
「高齢者は自分が思う以上に、体力の消耗が進む。不調を感じたら、なるべく早く引き返したり、雪洞を掘って避難したりする対応が必要だ」。くれぐれも慎重な計画と、用意周到な準備が求められているものです。

2012.05.11

とにかくお元気 No.2206

昨年100歳を迎えられた、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんの記事が載っていました。とにかくお元気でびっくりさせられます。講演内容だと思われるのですが、教えられることがいくつもありますので一部抜粋で紹介させて下さい。
 
朝日新聞beに「あるがまま行く」という題で毎週書いていますが、毎日あるがままに生きています。やりたいことを十分にやる。やりたくないものはない。もうやりたいことばっかりで選択に困るくらいです。

2年前、何か新しいことをやろうと考えて、俳句を作り始めました。そして今年のお正月、箱根駅伝をみて、パッと一句出てきました。「100歳はゴ-ルではなく関所だよ」

駅伝は一つのステ-ションから走って次にバトンタッチしますが、私はバトンタッチする必要がない。ずっと走っています。ゴルフの始球式をやりますし、ソフトボ-ルのシ-トノックもできる。

病院の理事長で、レントゲンやMRIやら、いろいろ高価な2億、3億円する機械の値段交渉もやって、安くたたく。現役の現役です。ゴ-ルはない。通過する関所があるだけです。

お昼はご飯なし。牛乳だけです。朝もご飯もパンも食べていません。牛乳とオレンジジュ-ス、バナナ1本だけ。それでも空腹感はありません。集中して仕事をしていれば空腹感を感じません。

太平洋戦争が始まった年はちょうど30歳。戦争中は食べるものが少なく、みんなやせていました。ところが戦後、食事が豊かになってだんだん肥満になってきました。日本人の寿命が長いのは、肥満者がいなかったから。だんだん太って寿命が短くなってきました。

私は毎日体重を測って、増えそうであれば糖分をとらないようにしています。そして、できるだけ運動をする。ストレッチを週に1回、コ-チに来てもらってやっています。

1万2千人が会員の「新老人の会」というのをやっていて、生き方の3つのスロ-ガンがあります。1つ目は「愛すること」。愛し、愛されて生きることが必要です。2つ目は「やったことがないことを始めること」。

そして3つ目は「耐えること」。耐えることで感性が高まって、苦しんでいる人をサポ-トすることができます。子どもに平和を教えて、戦争はあってはならないこと、命とは何かを教えます。

私は子どものために時間を使っています。そのことが、自然に長生きをまっとうさせることになっています。皆さんも子どもに接することで、生き方を考えて下さい。どうよく生きるかは、どうよく死ぬかということと一直線にあります。私がこれからも「あるがまま」を続けます。

 
う-ん、下手なコメントができないほど、なるほどと思わせられることばかりです。常にやりたいことを追い続け、食べ物は少なくとも腹八分に抑え、人を愛し、耐えることを学び、子どもと多く関わりなさいと教えています。さすがですね。そしていつまでも輝いていて、とても素敵です。

2012.05.09

メジャ-の厳しさ No.2205

やはり予想したとおり、ダルビッシュ投手がその実力を発揮してきました。先日のインディアンス戦こそ初めての負け投手となりましたが、これも内容からしてみても、そんなに悪いピッチングではなかったようです。
 
この試合、自身最多の三振11を記録するなど、苦しみながらも何とかゲ-ムを繋いできたのですが、味方のエラ-に足を引っ張られたこともあり、初黒星がついてしまいました。
 
でもここまでの防御率も2.54と、悪くはありません。特にキレのある変化球に打者が惑わされていることが多いみたいです。やはり当初予想したとおり、メジャ-で十分通用する投手として、活躍が期待されるのではないでしょうか。
 
一方、今シ-ズンのスタ-ト時でもまだ所属先が決まらず、宙に浮いていたような形だった松井選手が、ようやくタンパベイ・レイズとの契約が決まりました。残念ながらマイナ-契約とのことですが、そこはゴジラ・松井選手のことですから、その実力ですぐ上に這い上がってくれるでしょう。
 
でもこのレイズというチ-ム、結構強力なチ-ムみたいです。過去4年間で3度もプレ-オフに進出しているし、昨年はシ-ズン終盤、大きく離されていたレッドソックスとのゲ-ム差をひっくり返し、奇跡的とも言われたプレ-オフ進出を果たしたのです。
 
そして守りを重視するチ-ムと言われていることから、なかなか足に不安のある松井選手では、守備機会は少ないかもしれません。でも監督は日替わりのオ-ダ-を組むことや代打を、多用するとも言われていて、DH等での出場機会は増えるのではないでしょうか。
 
とにかく、夏男とも呼ばれ、どちらかと言うとシ-ズン後半の方が活躍する松井選手だけに、大いに期待を持てるものです。また大試合など、ここ一番という時に力を発揮してくれるのが同選手です。
 
それだけに、もう一花、是非咲かせてもらいたいものです。それにしてもメジャ-というところは厳しいですね。青木選手や川崎選手も、結構活躍しているみたいですが、常時スタメンではなかなか起用してもらえません。
 
従って日本を代表する選手として、「男・松井ここにあり」という大きな存在感を是非見せつけて欲しいものです。また彼の力して、これで終わるような選手では絶対ないものと信じています。
 
明日10日は工事の引き合いがあり、現場調査のため早朝より出張いたします。カキコミは休ませていただきますので、よろしくお願いします。

2012.05.08

ちょっと良い話part91 No.2204

茨城と栃木を襲った大竜巻の被害は凄いですね。被災の建物は1500棟を超すとも言われています。この竜巻は温かい地上と、上空との温度差が大きいほど発生しやすくなるとのことですが、私たちの地域でも大粒の雹(ひょう)が降っていました。
 
やはり異常気象なのでしょうか。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。さてこんな爽やかな話を投稿欄に見つけましたので紹介させていただきます。「さりげなく席を譲った優しさ」という話です。
 
電車に乗った時のことだ。その電車は始発ということもあり、空席があったが私は座らなかった。電車は進むうちに次第に混み出し、空席はほとんどなくなっていた。

ある駅に到着する間際に、ホ-ムで待っている老夫婦に気づいたらしい男性の若者が席を立った。彼はその駅で下車することなく、立ったまま本を読んでいる。まるで今までも立っていたかのように。

彼が作った一つの空席に老夫婦が向かうと、今度は男性の若者が作った空席の隣に座っていた女性の若者がさりげなく立ち、別の車両へ移っていった。

2人の若者に面識はなかった様子だったが、席の空け方が、どちらも絶妙なタイミングだった。老夫婦に席を譲ったことを、あえて知らせることはない、との配慮だったのだろうか。

私は席を空けたタイミングに、2人の優しさを感じたのだ。何をするにも、タイミングは大事なことだと思った。

 
連休中、ちょうど私が休みだった5日の夜、テレビで「阪急電車片道15分の奇跡」という映画が放映されていたのを観ました。ちょっと上の話とは意味合いが違いますが、電車の中で繰り広げられる、人々の心の触れ合いを描いていて、とても面白い作品でした。
 
全くの他人同士ですから、見過ごせば心の触れ合いなど、生まれるわけはありません。それがほんのちょっとの触れ合いから、お互い自分の持つ悩みや心の傷まで癒されていくのです。
 
上記の若者にしてもシャイなところがあるかもしれませんが、老夫婦に余分な気遣いをさせたくないという、優しい気持ちを持ち合わせていたのでしょう。
 
このように結構、電車の中にも様々な人間模様が生まれているものです。やはり基本はたとえ知らない者同士でも、相手への思いやりと優しさではないでしょうか。人とはしっかりと関わらなくてはいけません。

2012.05.07

プロ意識の欠如 No.2203

ゴ-ルデンウィ-クの長い休みが終わりました。と言っても、こちらは切替工事が重なり、休めたのは5,6日の2日間だけでした。それでもお陰さまで、順調に工事も進み、大きな問題もなく無事完了することができました。
 
やはりこの時期、私たち業界にとっては、仕事が何もなく、皆と一緒にゴ-ルデンウィ-クを楽しんでいるより、ずっと安心できるものです。まずは一安心、ほっと息をついているところです。
 
さて連休中、痛ましい交通事故が相次ぎました。中でも関越自動車道で7人もの方が亡くなった事故はとにかく悲惨です。事故が起こったのが、連休の初めでもある29日だっただけに、被害に巻き込まれた方々は最悪の連休となってしまったのです。
 
この事故、当初は原因が居眠りでしたので、運転手の過労によるものと思われていました。ところが調べが進むにつれ、どうも原因は別のところにあったようです。
 
1つには運行管理するバス会社・陸援隊のあまりにもずさんな体制です。事故を起こした運転手もいわゆる日雇いで、正式にこの会社に所属する運転手でもなく、月の勤務時間は100時間程度の軽微なものだったようです。
 
しかしながら、その雇用形態が違法とも言える名義貸しと言われるもので、大型2台、中型1台、小型1台の計4台のバスを所有するこの運転手が持ち込み、白バスのような営業を行っていたのです。
 
ですからバスの車検証には、使用者・陸援隊、所有者・運転手となっていたみたいです。また河野化山という、この運転手は実態のない会社「河野交通」という名前で、独自の営業を行っていたとのことです。
 
元々は中国出身の人間で、日本に帰化し日本国籍を取得しましたが、大型バスの運転免許を取ってからまだ3~4年とも言われている運転手です。従って接しやすい中国人観光客相手にバス会社の名義を借り、自らツア-の手配もしていたようです。
 
ですから事故を起こした路線の運転も初めてだったようで、アルバイトのようなものだったのです。これでは40人を超える乗客の被害者の方々は、本当にお気の毒とも言えるものです。
 
このような運転手に大事な吾が身を預けなければならなかったというのも、何とも悔やみきれないのではないでしょうか。とにかくプロ意識に欠けるこの運転手と、このような運転手を雇って運行を繰り返していたバス会社の責任は重大で、お話になりません。
 
とにかく昔と違って、大切な人命を預かる仕事に就いている方の中にも、そうした意識に欠けている人が少なくないとも言えるのではないでしょうか。一人のちょっとした不注意では済まされない、取り返しのつかない大事故です。