会長の”三行日記”

2013年11月

2013.11.12

磐田のJ2降格 No.2484

 ジュビロ磐田が来季からJ2に降格する結果となってしまいました。クラブ史上初めての降格で、過去Jリ-グ優勝3度を誇る名門チ-ムだけに、関係者のショックは大きいのではないでしょうか。

ヤマハ発動機サッカ-部が前身の磐田は、Jリ-グ発足2年目でJFLから昇格し、4年後の97年に初優勝、そして99年、2002年にも優勝し、翌年天皇杯も制し、この時期、黄金時代とも言えるチ-ムを築き上げました。

当時は監督に元日本代表のオフト氏を迎え、オランダ代表ファネンブルグ、元イタリア代表スキラッチ、ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガなど大物外国人選手を補強した、そうそうたるメンバ-だったのです。

そして日本人選手も藤田、田中誠選手に次ぎ、名波、福西選手らが相次いで入団して加わり、常勝集団となるチ-ムが出来上がったのです。またゴンこと中山選手もこのチ-ムに所属していて、シンボル的存在だったのです。

ところがこうした黄金時代を支えた主力を次々と放出し、2009年にはついに中山選手にまで戦力外通告を出し、生え抜きのメンバ-を一掃したのです。過去の栄光にすがらず、人事を一新して新たな飛躍を目指そうとしたのです。

でも十分な補強をしなかったことから結果は伴いませんでした。そして今シ-ズン、開幕から7戦未勝利で内容が良くても勝てない試合が続いたのです。途中、監督がロンドン五輪で日本チ-ムを率いた関塚監督に代わっても、チ-ムの立て直しを図ることができなかったわけです。

磐田市にあるヤマハの本社前の道を通って、私もよく別のお客様の工場に行くのですが、先日も「頑張ろうジュビロ」の看板がいくつも掲げられていました。その会社奥には本拠地とする、チ-ムカラ-の青色の基調としたヤマハ・ジュビロスタジアムが構えるわけですが、果たしてこの先、立て直しができるのか心配になります。

J2ともなれば十分な補強もなかなか難しいものです。それに現在の主力メンバ-も残留するかどうかも判りません。こうしたことからこのニュ-スを伝えるテレビでも、今まで多くの観客に賑わったスタジアムで、お弁当の供給をしていた業者の方の不安そうな面立ちが印象的でした。

とにかくエスパルスと並び、地元・静岡のチ-ムだけに何とか1年でJ1復帰を果たしてもらいたいものです。それには相当な覚悟とそれなりの復帰戦略がなければ難しいのでしょうが、日本代表経験者もチ-ム内に少なくないだけに、皆が再起を誓い力を合わせて、もう一度ファンを魅了するチ-ムを目指すことを願っています。

2013.11.11

経営指針セミナ-より No.2483

 先日、静岡同友会で行っている経営指針を創る会半日セミナ-に参加してまいりました。祭日の休みで、ちょうど静岡の街では大道芸が行われている日とあって、駅周辺から少し離れた場所に留めなければいけないほど、駐車場を探すのには一苦労でした。

これに限らずいつも感ずることですが、静岡まで来ると我が街・沼津とは大きく違い、活気があるものです。さてその静岡まで出掛け、休日返上で学んできたセミナ-ですから、自分のためにも少しまとめておきたいと思います。

この半日セミナ-はいつものとおり、同友会ではお馴染みの丸山博先生が講師を務めていただきました。14時から19時までという長い時間でしたが、相変わらずのユ-モアたっぷりの進行もあって、退屈することなく、時の経つのも忘れるほどでした。以下その内容を記します。

はじめにやはり時代認識をしっかり持たなければということです。経済は需要と供給のバランスより成り立つものですが、消費とは人口が増えているのが条件です。そうした意味では先進国の経済発展モデルは行き詰まりとも言えるもので、新たな枠組みを求める、時代の転換期を迎えています。

ですから今までこれでやってきたから、そのまま踏襲すればよいという時代ではないのです。中小企業の戦略は絞って深めるということで、浅く広くはその道ではない。その分野の第1人者を目指さなければならない。

それにはT.T.Pといって、中小企業は徹底的にパクることも必要です。パクるとは本質を真似ることで、成功企業には多くの成功事例を含んでいることからそれを知り、時流を理解し、いろいろな組合せを考えていくことです。

また外部環境分析においても、お客様の変化に適応していかなければならず、競合ということでも真の敵は誰かと見抜く力を持たなければならない。目先の競合先ではなく、周辺異業種かもしれないということからです。

そして自社の真の強みを分析することです。強みという、ちょっとの差を活かすことによって、新たな付加価値や事業機会が発見できるかもしれません。この付加価値はヒトが生み出すものと言われています。

従ってやりがいのある仕事をいかに持つかです。やりがいはお客様の「ありがとう」という声や、喜ぶその姿から生まれます。それは自身の仕事への誇りを持たせ、目標達成に向けての原動力となるわけです。

そうしてみると、やはり「人」という分野が占めることが何よりも大きいわけです。いつも副読本にしている経営指針作成の手引きに載っているように、時代の流れを洞察し、企業の事業機会を変化の中から見つけ出し、自社の長所、短所を見きわめ改善する、つまり裏返して言えば、時代の流れにただ流されてしまっては、淘汰されてしまうという警鐘です。

またその他、同友会の各地で、こうした先進的な事例や差別化戦略を実施している企業をいくつか紹介していました。また改めて別の機会に紹介させて下さい。

2013.11.08

素敵なバスガイド No.2482

嬉しい悲鳴なのですが、ここのところ業務多忙で、なかなか落ち着いてこのカキコミができなくなっています。納期のない仕事が多いわけですが、それがニッチの部分として私たちが生かされる分野だと肝に命じています。昨日と一昨日、カキコミができず失礼致しました。 

鹿児島への小旅行から戻ってから、早2週間が経とうとしています。以前にも触れたかもしれませんが、隣近所の気の合う夫婦、5組10人での旅です。毎月奥様たちが積み立てをしていて、そのお金が貯まると3年に1度、どこかしらに旅行するというものです。

毎月1万円ぐらいの積み立てでも3年経つと馬鹿になりません。ですから比較的リッチな余裕のある旅行が組めるのです。この行き先を決める時から、何だかんだとメンバ-が集まるわけですが、顔を会わせるのが皆、楽しみにしているようです。

そんなわけで今年は2泊3日の鹿児島への旅に決まったわけですが、ちょうど台風27号と28号がこちらに向かっているときと重なり、いろいろと気を揉み、行く前から毎日、天気予報とにらめっこの状態でした。

でも誰の心掛けが良かったのか、台風がうまく逸れてくれ、往きに降りた宮崎空港は雨だったのですが、青島グランホテルでの昼食後、鵜戸神宮あたりはパスして一路鹿児島に向かいました。そして鹿児島市内に入ったときはもう雨がすっかり上がったのです。

こうして2日目、3日目と絶好のお天気に恵まれたわけですが、何と言ってもこの旅を満喫できたのは南国交通観光の素敵なバスガイドさんのお陰とも言えます。私たち一行はたった10人のツア-なのですが、現地での観光は本当に贅沢とも言える、大型バスに匹敵するような30人ぐらいのバスを貸切り、ガイドさんまでついていたのです。

まだ若くて可愛らしいガイドさんだったのですが、たった3日間といえども、少しでも私たちに旅を楽しんで頂こう、またご当地・鹿児島を好きになって帰ってもらおうとの心配りに溢れていました。特にはまた別の機会に、この地のことを触れたいと思いますが、胸に迫るものがあった知覧を見学後、車中でこの特攻兵士にまつわる話を聞かせていただきました。

それぞれの遺書まで詳細に聞かせてくれたことから、私はてっきり何かを読みながら話をしているものと思っていました。でも顔を上げてガイドさんを眺めると、手にしているものは何もありません。そう、すべて頭の中に入っていて、それを引き出してくれているのです。さすがプロの仕事だと感じたものです。

私はこちらに戻ってからもこの旅が楽しくて忘れられないものになったことから、このガイドさんにお礼の手紙を出したほどです。単純な私のことですから、お陰で鹿児島がとても好きになりました。食べ物はどれもおいしかったし、触れ合う人たちの温かさみたいなものを感じられたからです。

このように一期一会の出会いになるかもしれませんが、触れ合う人たちの印象がよいとその土地まで好きになるものです。私が手紙を書いたのは、そうした職業意識がどんどん乏しくなっている現在、いつまでもその良きものを忘れず、誇りを持ってその職に努めてもらいたいと願ったからです。良き思い出を持って帰ってくることができ、改めて人との出会いの素晴らしさを感じています。

2013.11.05

感動の楽天シリ-ズ制覇 No.2481

 ついに楽天が日本一になりました。球界の盟主とも言える、宿敵・巨人を倒しての堂々の日本一は、今尚、苦しんでいる東北の方々にとって、星野監督が言っていた雀の涙どころか、大きな元気と癒しをもらえるものになったのではないでしょうか。

それにしても異常なくらいの興奮と感動をもたらしてくれた日本シリ-ズ第7戦でした。特に前日の第6戦で160球も投げ完投した田中将大投手が、最終回マウンドに上がった時は球場のみならず、お茶の間でも最高のボルテ-ジが上がったのではないでしょうか。

テレビでも解説者の元投手の工藤さんが言われていたように、前日160球も投げれば肩から肘にかけて腕がパンパンに張って、とても投げれるものではないとのことです。まさに支えていたのは前日の口惜しさを晴らし、何とか優勝したいという、一途の精神力だけだったものと思われます。

ですから観ているこちらまでが何とか勝たせてあげたいという、強い気持ちになるものです。この執念と選手ひとり一人が持っていた、自分たちが優勝して東北を少しでも元気にさせてあげたいという思いは、私たちに涙が出るくらいの大きな感動を与えてくれました。

そうした意味ではやはり解説の古田さんが言っていたように、球史に残る日本シリ-ズではなかったではないでしょうか。正直、本来の力からすれば巨人の方が一枚も二枚も上だと思います。その巨人が持ち前の打棒が振るわず、対する楽天が失うものが何もないと伸び伸びとやっていたのに加え、東北地域を全て巻き込んだ大応援と願いがあったからこそ、もたらした勝利ではないでしょうか。

私はいろいろな行事が重なり、観たくても観れなかった今回の日本シリ-ズだったのですが、ようやく第7戦になって初めて最初からテレビ観戦することができました。そんなことからつい力が入ったかもしれませんが、近年になく、一挙手一投足に大声を出して観たほどです。

とにかく、東北の人たちのためにも楽天が勝ってくれて最高でした。これでマ-君にとっては、おそらく日本で投げることはもうないものと思われます。一部には来年も日本でその勇姿を見たいという人もいますが、これで潔く送り出してあげることができるのではないでしょうか。

大手を振って出て行けるだけの文句なしの大貢献だったと思います。それにポスティングが認められれば、球団にも一説には50億円以上という途方もないお金が入ってくるというものです。しばらくはそのお金で思い切った補強もできるでしょうし、球団経営が潤うものと思われ、何も反対する理由がないものです。

そんなわけで今年の上原投手同様、来年のマ-君の大リ-グでの大活躍を是非とも期待したいものです。久しぶりに大きな感動を与えてくれた両チ-ムの選手の皆さんに、ただただ感謝の一言です。そして優勝を決めたのが11.3日、あの3.11の裏返しで、奇妙な縁を感じています。

2013.11.01

大谷徹奘氏法話会よりその2 No.2480

 いよいよ今日から11月です。2ケ月綴りのカレンダ-は最後のペ-ジとなってしまい、今年ももう残り少ないことを実感させられます。さて、少し間が空いてしまいましたが、前回に引き続き、薬師寺・大谷徹奘僧侶のお話をもう少し紹介したいと思います。

大谷さんは東日本大震災が起こった後、東北各地を何べんとなく回られたとのことですが、大きな被害を受けた地域の中に閖上(ゆりあげ) という所があります。宮城県南東部、名取市の一地区ですが、ちょうど仙台空港のすぐ近くの地域です。

ご存知の通り、仙台空港は飛行機が津波で流されたりして大きな被害を受けたわけですが、隣接する閖上地域もかつては閖上浜といい、名取川と貞山堀(ていざんぼり)との結節地ということで、その被害は痛ましいくらいのものでした。

閖上という字を見ても解るとおり、門の上に水と書きます。これは遠い昔の先祖から伝えられていて、この地名が付いたと言われます。つまり昔から津波に襲われていて、警戒しなければいけない地域ということで名付けられたみたいです。

ですから、先人の教訓に後世の人たちが耳を貸さなかったとも言えるというのです。やはり大きな被害に遭った地域である、石巻市の渡波(わたのは)という地域も同様だと指摘していました。

このように過去から未来へと引き継ぐ立場にある私たちの使命は、決して軽いものではないということから「中今」という言葉が生まれたのではないでしょうか。また人間の一生も同様で、生まれたときから亡くなるまでを1本の線で表わすと、緩やかに昇ったピ-クからまた下るという、放物線を描きます。

その人生において30~40歳代はピ-クと言えるでしょう。そして私たちのような60代を過ぎると、下りのカ-ブでどんどん終息に近づいていくわけです。そんなピ-クのところにいる人たちが、終息を迎えようとしている方々に対してやっていることを、れから昇りに差し掛かろうとするカ-ブの人たちがしっかりと眺めていると言うのです。

つまり例を挙げれば、お嫁さんが姑さんに対しての接し方を、そのまま子どもである世代が眺めているということです。そして時代が繰り返すように、いつの日かピ-クにいた人たちが終息に近づいてきたときに、また同じことが待ち構えていると言うのです。

ですから本当に心底よく尽くした人には晩年はそれなりの幸せが、逆にひどい仕打ちをしてきた人にとっては辛い晩年が待っているということです。そして人間は死んだ瞬間にその人の評価が分かると言われていました。

また死んだ後にも幸福があるといい、残された人からよく思い出してもらうことがそれに当たるそうです。従って死んだら終わりではなく、亡くなってからも残っている人たちに思い出してもらえるような生き方をしたいものです。