会長の”三行日記”

2014.11.13

動物との共生 No.2645

 近頃、犬や猫の死骸を大量に捨てるという事件が起こっていますが、朝日新聞の天声人語に救われた命を生かしている、こんなコラムが載っていました。動物との共生といった話題です。

痛ましいできごとの中に、ふっと心にふれる話がある。8月に広島市で土石流が起き、74人が亡くなった。その現場へ救助犬として初出動した雑種の夢之丞(ゆめのすけ)は、かつて殺処分寸前の捨て犬だった。

4年前の11月、夢之丞は動物愛護センターにいた。処分される順番の日になった。だが数が多くて翌日にまわされ、救助犬候補を探しに訪れたNPOスタッフの目に留まる。紙一重の僥倖(ぎょうこう)で生き延びて訓練を受けた夢之丞は、泥まみれになりながら捜索にあたったそうだ。

「人助け」の言葉は知るまいが、無辜(むこ)の動物の話はじんわりくる。だが、ひとつの話の陰で、殺処分に消える犬と猫の命は多い。減ってはいるが、なお年に計約16万匹にのぼっている。

「伴侶」として暮らしを共にし、ペットロスに泣く人もいる。一方で捨てる人の身勝手には恥ずべきものがある。先日来、生きた犬や死骸がまとめて捨てられるできごとも各地で相次ぐ。ペットブームのもたらす受難である

青森県の三本木農業高校の愛玩(あいがん)動物研究室の取り組みを、ある本で知った。殺処分された犬と猫の焼却後の骨を砕き、土に混ぜ、鉢植えの花を育ててイベントなどで配っている。共感の輪を広げ、日本動物愛護協会の今年の日本動物大賞グランプリを受けた。

犬や猫たちのもっと生きたかったという思いを、花の生命に託すことで遂げさせたい。生徒たちは「命の花」と呼んでいる。生きた証しの骨は、機械ではなく、自らの手にれんがを握って砕くのだという。

文中、無辜(むこ)という言葉の意味が解らなかったので辞書で調べたのですが、罪がないことの意味を示すとのことです。本当に世の中ペットブ-ムみたいで、朝の散歩でも随分とワンちゃんを連れた方々を見掛けます。

でも相変わらず改善しないのがそのマナ-の悪さです。糞の始末をしないで放置されているのは日常茶飯事のことです。これでは果たして愛犬と呼べるものでしょうか。

また今は寒くなってきたから影響は少ないものですが、夏の炎天下の中、平気で犬を連れて散歩をしている人を見掛けます。これなどアスファルトやコンクリの熱をじかに犬の足が受けるだけに、人間は良いものの犬の方は大迷惑です。

このように、ペットとして家族同様に可愛がっているのならもう少し考えてもらいたいものです。私も愛犬と朝の散歩を続けて10年以上になります。もちろん健康そのものですが、もしその存在がなかったらと考えると、おそらくここまで続いていなかったでしょう。その存在にいつも感謝しているものです。