会長の”三行日記”

2011.04.27

元気になろう No.2000

このカキコミがとうとう2000回を迎えました。2002年、当時は今のようなブログという形式ではなかったのですが、始めだしてちょうど10年目になります。つまらないものかもしれませんが、こうして続けてくると、自分にとっては掛け替えのないような、愛しい存在となるものです。
 
そんなに大勢の方ではないのですが、読んで支えていただける皆様のお陰だと感謝しております。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。
 
さて、昨日もテレビのニュ-ス特集で眺めたのですが、日本の各地観光地ではお客が激減して大変とのことです。取り上げられていた日光では、平日でお天気が悪かったこともあるためか、名勝・華厳の滝や東照宮陽明門の前には、キャスタ-以外の人を一人も見つけることができなかったくらいです。
 
駅前の土産物屋やレストランの店主の話では、自分が引き継いだり始めだして40年ぐらいになるのですが、今までこんなことは一度もなかったと言われます。
 
ですから、もちろんホテルや旅館にもお客が来ません。それどころか、あの大震災以来、キャンセルが続出していて、予約客のほぼ90%に当たると言います。
 
東日本大震災と福島原発事故の風評被害が追い討ちをかけることになり、4月の1ヶ月が開店休業状態だと言われているのです。こんな中、日光・湯西川温泉で300年近い歴史を持つ、老舗・伴久ホテルまでが破産申請を出したというニュ-スも聞かれました。
 
何とも深刻な状況です。東京では都知事の一声で花見までが自粛されました。こんなときに不謹慎だという気持ちはよく解ります。でも一方では、被災地・宮城や岩手の酒蔵からは、私たちの作ったお酒を今だから飲んで頂きたいという声も届いているのです。
 
テレビにも出て訴えていた酒造メ-カ-の中には、「あさ開」という中小企業家同友会の仲間もいたように思えます。被害のなかった私たち地域までが元気をなくしてしまえば、被災地・東北の支援にならないと言うのです。
 
先日、同級生の間で年に2回定期的に開かれているゴルフコンペを行いました。万年幹事の私は仕事のやりくりがつかなかった関係で不参加だったのですが、1ヶ月前に案内を出した3月中旬、果たして開催してよいものか迷いました。
 
でも発想を転換して、私たちは何の苦もなくゴルフができるのだから、その楽しみの一部を義援金に廻そうと考えました。参加費の中からの一部と、OBや3パットの罰金を全てそれに廻すことにしたのです。
 
こうして集められた義援金は60800円にもなり、ささやかもしれませんが、皆さんの気持ちとして後でそれなりにお届けしようと思っています。こんなわけで自分にできる支援をしていけばよいのではないでしょうか。
 
テレビでも「上を向いて歩こう」の音楽が繰り返し流れています。みんなして下を向いたままでは日本はいつまでも元気になりません。いち早い復興を願うためにも、まず私たちから元気にならなければと考えています。

2011.04.26

期待される夕張市長 No.1999

あの夕張市に、30歳で新進気鋭の市長が誕生しました。もちろん全国最年少の市長で、鈴木直道さんという方です。
 
ご存知の通り、夕張市は全国唯一の財政再建団体です。平たく言えば、市の財政が破綻してしまったため、国の管理下に置かれ、もう一度地方債などの完済を果たして、町の復興を果たすというものです。
 
この極めて厄介な役割に乗り出したのが鈴木さんです。聞くと元々は東京都の職員で、今から3年前の2008年初めに、もう一人の職員と共に、この夕張市の財政再建に貢献しようと派遣されたと言います。
 
派遣期間は2年間、市民課の窓口として、自分の目でこの街の現状をつぶさに眺めてきたのです。そして出向から都庁に戻ってからも、若手経営者や市の職員から市長選出馬を打診され、悩み抜いた末大きな決断をしたのです。
 
何しろ当選するかどうかも判らないが、夕張市長の給与は月約26万円で、年収は200万円減となるのです。また東京都の職員でいれば、一生涯と言ってよいほど安定した収入も望めるからです。
 
しかし、「夕張のために人生をかけてみよう」と、この決断をし、2010年11月に立候補表明をしてこの市長選に臨んだのです。そして市長選で対するは前自民党衆院議員という強豪だったのですが、若さで退けこの市長が誕生したのです。
 
やはり市民レベルに立った政治家の誕生を、市民が望んだのでしょう。そして期待されるのは何よりもその若さと行動力です。選挙戦には、かつての上司でもあった石原東京都知事も駆けつけているのが、テレビでも映し出されていました。
 
とは言ってもこれからは大変です。今後16年間で322億円もの借金を返していかなければならない町の舵取りですから、想像以上のものと思われます。
 
しかし鈴木さんは母親一人で育てられたともいい、都に勤めながら大学にも通って学んだという苦労人です。是非そうした貴重な体験を、庶民目線に立って施政に反映してもらいたいものです。
 
一念岩をも通す」とも言われます。そうした自分の人生をかける思いで臨んだのですから、きっと道は切り開けるはずです。そして武器は何と言ってもその若さです。こうした鈴木さんの若さと行動力に期待するのは、きっと夕張市民だけではないはずです。日本中から大きなエ-ルを送りたいものです。

2011.04.25

ちょっと良い話part76 No.1998

いろいろと騒がれている相撲界でのちょっと良い話です。「お相撲さんが届けたぬくもり」という新聞のコラムからです。
 
大相撲の玉ノ井親方(元大関栃東)の運転する車で、東日本大震災の被災地・福島県相馬市の海岸沿いを走った。大地震から1ヵ月後の13日昼。「第2の故郷が、見る影もないよ」。

がれきで埋め尽くされた街。水田だったとおぼしき泥沼には何隻もの大型漁船が横たわり、あちこちに花束が捧げられていた。

実父の先代親方が相馬出身。部屋では毎夏、ここで合宿を開いている。そんな関係もあり、部屋のある東京都足立区と相馬市は災害時相互応援協定を結んでいた。

区の要請で炊き出しに駆けつけた。冷蔵庫で食材を持ち込み、2日間で2千食のちゃんこを、点在する避難所で振る舞った。

前日に二十歳になった専門学校生の伏見真里さんは、8人家族は皆無事だったが、家は基礎のコンクリ-トしか残らなかった。車で逃げた高台から見つめた津波。「黒い壁がすべてをのみ込んでいきました」

持ち出せたのは就職活動ノ-トと携帯電話だけ。「ス-ツがないので、面接にも行けない。どうすればいいんだろう」。将来への不安に襲われ続けているが、具だくさんのちゃんこに「初めて温かい食事を頂きました。おいしい」。ほんのわずかだが、つらさを忘れることができた。

八百長問題で揺れた大相撲。被災地支援を人気回復に利用すべきではないが、お相撲さんだからこそ分けられるぬくもりがある。

避難所を出た親方に、背後から幼稚園ぐらいの女の子がAKB48の替え歌を口ずさんだ。「
おいしかった、おいしかった」。親方が振り返ると、笑顔で同じ節を繰り返した。「またね」と玉ノ井親方が手を振った。
 
本当にお相撲さんだからこそ届けることのできる、温かいぬくもりですね。当初のちょっとした計画停電で私たちが直面した混乱が、現地ではいつ終わるか判らないほど、毎日のように繰り返されているのです。
 
その事実をしっかりと受け止めなければいけないと考えています。とにかく当たり前のことができる私たちだからこそ、自分にできることをしっかりと考えて、一時的ではなく先の長い支援を続けていかなければと思っています。