会長の”三行日記”

2012年10月

2012.10.11

格好良過ぎる死 No.2292

41歳という若さで亡くなってしまった金子哲雄さんの話です。流通ジャ-ナリストとしてテレビにもよく出ていた金子さんなのですが、最後まで人々に愛される人生を送りながら、その自身の生涯を閉じたようです。
 
先日行われた葬儀・告別式でも、生前中から自分自身でその段取りを考えていたようで、参列者に向けたユーモアと心温まる手紙まで用意していたとのことです。
 
またここまでの間でも、病状を伏せていて、闘病中にもかかわらず取材相手を気遣うなど、いつもと変わらぬ様子でギリギリまで仕事に取り組んでいたと言います。こうしたことからも交友のあった方々からはその真摯で誠実な人柄を偲ぶ声が寄せられています。
 
参列者への手紙では、生前中の感謝の言葉を述べるとともに、「今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいた」というユ-モヤや、「第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる『魔法のドア』があるということから、お世話になった皆様がいらっしゃる地域にお邪魔し、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、情報発信を継続したい」と触れています。
 
自分の死に直面している人が、ここまでの気遣いが果たしてできるのでしょうか。また引き際が見事とか、格好いいといったカキコミも多くネットに寄せられているみたいです。
 
お墓や戒名、仕出しの料理まで決めていたそうです。また東京タワ-のすぐ近くの心光院というお寺を選んだのも、東京タワーを見たときに、金子哲雄というジャーナリストがいたことを思い出してほしいという、本人の願いだったそうです。
 
もちろん人間ですから死ぬのは怖かったと思いますが、死と直面しながら自分の美学を貫いたのでしょう。むざむざ自殺などで、自らの生を断つ人に、こうした命の大切さや生きたくても生きられない人の思いを解ってもらいたいものです。
 
そして忘れてはいけないのが、連れ添った愛妻への思いです。「愛している。愛している」を繰り返しながら、もう一度生まれ変わっても一緒にいたいとか、自分の亡くなった後、いつかはきっと再婚するだろうなと、ちょっぴり口惜しがっていた様子も伝えられていました。
 
ここまで愛された奥様も、亡くなったのは残念でしょうが本望というものです。あ-そうそう、今日はうちの愛妻の誕生日です。少しは爪のあかでも煎じて飲まなければいけませんね。心からご冥福をお祈りします。

2012.10.09

山中教授、ノ-ベル賞受賞 No.2291

今年のノーベル医学生理学賞に、山中伸弥・京都大教授が選ばれました。この医学生理学賞の受賞は87年の利根川進教授以来25年ぶりで、2度目とのことです。
 
イギリス・ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士とのダブル受賞ですが、とても喜ばしいことです。その対象となったのはiPS細胞を作り出すことに成功し、いろいろな医療技術に応用できる研究が進んでいることです。
 
そうは言っても何やらまだ解らない話ですが、もっと平たく言えばこのiPS細胞を使っての再生医療の研究が進んでいて、iPS細胞に全ての組織や臓器を作り出す能力があることを証明している点についてです。
 
ですから再生医療として、すでに肝臓や心筋、神経など多くの細胞で、iPS細胞からの分化・誘導する技術に成功しているとのことですから、近い将来、病気や事故などで機能を失った患者の臓器などに移植することにより、難しい治療を可能とすることができるわけです。
 
凄い話です。でもこの山中教授、まだ歳も若く50歳とのことですが、ここまでの歩みは山あり谷ありの人生だったようです。中学・高校と柔道、また大学ではラグビ-と、なかなかのスポ-ツマンだったようですが、その間多くの骨折を繰り返しました。
 
そんなことから目指したのは整形外科医です。でも手術が苦手で、他の医師が30分で終わる手術に2時間も要したと言います。従って自分には向いていないと痛感し、基礎研究の道へと転換したのです。
 
病院を退職後、大学院へと進み直し、基礎研究の魅力に目覚め、実験に没頭したそうです。そしてその後、アメリカへの留学を経て帰国するのですが、研究だけに没頭できる米国の環境との落差に苦しみ落ち込んだようです。
 
こうして研究は諦めて臨床の道に戻ろうと思った矢先、米の研究者がヒトES細胞の作成に成功したというニュ-スに励まされ、最後の砦としていた奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったのです。
 
そして記者会見でも盛んに一緒に研究していた仲間のことを称えていたように、京都大講師の高橋さんたち、素晴らしい研究室仲間にめぐり会うことができたのです。
 
まさに「人間万事塞翁が馬」ではないでしょうか。でもテレビなどの会見を聞いていても、とても爽やかな方ですね。右腕としての高橋さんのこともしきりに触れたり、国が全面的に支援してくれたからと、自分ひとりの手柄でないことを強調していて好感を持ちました。
 
またご本人が言われていたように、これからが大変と、まだ50歳と何よりも若いことに今後に大きな期待を持てるものです。政治や経済が低迷している日本の中にあって、日本医学界ここにありといった、素晴らしい快挙ではなかったでしょうか。
 
明日10日は出張工事で1日、会社を留守にするため、カキコミを休ませていただきます。

2012.10.05

TDL・TDSに学ぶこと No.2290

東京ディズニ-ランド(TDL)とディズニ-シ-(TDS)を経営するオリエンタルランドが、2012年度上半期で過去最高の入場者数を記録したというニュ-スを目にしました。
 
昨年比23.4%増の1325万人という数字らしいのですが、昨年は東日本大震災で休園したという影響もあってか、その巻き返しの意味で新しいアトラクションなどの登場で人気を集めたみたいです。
 
TDSに新たにオ-プンした「トイ・ストーリー・マニア」というアトラクションも人気を呼んでいるみたいです。私は知りませんが、どうもおもちゃの世界のゲ-ムを楽しむアトラクションのようで、長蛇の列とのことです。
 
またお迎えする側の従業員はここではキャストと呼ばれていますが、何よりも夢と魔法の王国に行き、感動すれば必ずそこへもう一度行たくなるという、ゲストへの感動に努めているからです。
 
このお客がまた来たいという裏には、従業員教育のベースとなるマニュアルもしっかり用意されているのです。ネットで見つけたその一部を紹介いたします。
 
チケットブース(入場券販売)とカストーディアル(掃除担当)についてです。300以上もある職種別のマニュアルも、キャストは自分の仕事の分だけを読めばいいとのことです。
 
何かマニュアルで管理されていると、息苦しさを覚えるものですが、ここでは満点を求めず70点を取れればよいように、実例も3つぐらいに抑えて基本だけ教えているそうです。
 
まずチケットブ-スでは、その目的がチケットを売ることではなく、ゲストと最初にコミュニケ-ションをとることと教えます。そしてその形としては、目と目を合わせて、ニッコリ笑って、ひとこと声をかけるとしているだけです。
 
また注意点としては、「いらっしゃいませ」とはいわないで下さい。例えば、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」と記しています。日本の習慣では「いらっしゃいませ」には誰も返事がないからです。ゲストに返事をいただいて初めてコミュニケ-ションがとれたことになるからと教えています。
 
それからカストーディアルに対しても、あなたの仕事は掃除をすることではなく、キャスト(役者)としてお掃除というショウを演技することと記しています。
 
ですからその形も、お掃除というショウを演ずるのですから、ちゃんと振り付けがあるとしています。従ってコスチュ-ムをつけてパ-クに出る前に、しっかりと練習して「お掃除という演技」ができるようになっていなければいけないと教えています。
 
このように人々に感動を与えるのには、それなりの用意周到な準備が施されているのです。このTDL、TDSに学ぶことは少なくありませんが、お客様がまた行ってみたくなることや、またあの会社に頼んでみたいと言われるように私たちは努めたいものです。

2012.10.04

あのときあんなに頼った店が No.2289

新聞への投稿文ですが、ちょっと考えさせられる話です。「あのときあんなに頼った店が」という題で寄せられていました。熱しやすく冷めやすいのが日本人かもしれませんが、頂いた恩はいつまでも胸に持ち続けたいものです。
 
近所の青果店に行ったら、奥さんとご主人がしょんぼりしていた。最近お客さんが減り、この日は特にひどくて、朝から数人しか来ないという。

ネギ、ナメコ、豆腐、リンギ、牛乳、食パンなどどれも驚くほど安いのに。「お客さんは1ケ所で肉も野菜も買えるス-パ-が便利なのでしょうね」と奥さん。

1年半前のあの震災のとき、ここが店を開けてくれてどんなに助かったことか、私がそう言うと、奥さんは目を赤くして「あのときは午前4時から準備して、主人は何度も車を出して商品を調達したけど」「あれは何だったのかしら。時たま、お世話になりましたと言ってくれる人もいたけど、来てくれない人も多い」と話した。

震災翌日、長蛇の列をなすお客さんに対して奥さんが「もう少し待てば品物が入ってきますから、一人1個を守って、買い占めないで。分け合えば行き渡ります。辛抱しましょう」と大きな声で繰り返していた姿を私は覚えている。

不安やいらだちで一触即発に近い心理状態だったのに、なぜか心がす-っと落ち着き、平常心を取り戻したのは私だけではなかっただろう。

大規模店の開店や再開は明るく、にぎにぎしく報じられるが、個人商店は取り残され、お客を奪われ、追い込めれていっているように思う。困ったときに一番力になってくれた個人商店を見捨てていいのだろうか。今度は私たちが力を合わせて支える番ではないだろうか。

 
まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはこのことを言うのではないでしょうか。非常時に大型店舗が何をしてくれたと言うのでしょうか。この話に限らず、全国各地においても小さな商店はどんどん大型店に押され、シャッタ通りが増えています。
 
でもその大型店は地域に根ざしていると言えるのでしょうか。たとえ小さくても地域にしっかりと足を着け、災害時には商売抜きでみんなで助け合う、そんなお店を守らなくて果たしてよいのでしょうか
 
中小企業家同友会が提唱している、既に制定されている中小企業憲章の実践と推進が本当に求められているものです。

2012.10.03

栗山日ハムの優勝 No.2288

栗山・日本ハムがパリ-グを征しました。見事な優勝だと思います。1年目の栗山監督にはその人柄もあって多くの人の期待を集めていましたが、手腕に関しては全く未知数でありました。
 
何しろ現役生活はたった7年で、コ-チ経験もなく22年ぶりの球界復帰だったからです。東京学芸大からテスト入団でヤクルト入りし、両打ちの外野手として一時期活躍しましたが、めまいや耳鳴りに苦しむメニエル病にかかり、29歳で引退せざるを得なくなったのです。
 
その後、キャスタ-として爽やかな語り口でお茶の間にも親しまれていました。ですから昨日の優勝も報道ステ-ションで一緒だった古館さんも大喜びだったくらいです。
 
やはり優勝の原動力は栗山監督の人柄なのでしょうか。もちろん何よりも選手の力によるものが大きいわけですが、人心把握に優れていた監督の功績も少なくないものです。
 
思い出してみると、今シ-ズンの開幕戦、多くの人の予想に反し、開幕投手にあの斎藤佑樹投手をぶつけてきました。それに向けては斎藤投手に思いをしたためた手紙を送り、大方の予想にあった有力候補・武田勝投手に対しては謝ったそうです。
 
このへんが選手が言われているように、細やかな気遣いがある、監督らしくない監督と言われる所以でしょう。またシ-ズン初め全く打てなかった中田選手を辛抱してよく使っていました。
 
そのくらい、この選手を大きく育てようという気持ちが人一倍強かったのでしょうが、我慢強く先を見通せる人とも言えるのではないでしょうか。
 
お陰で開幕戦では斎藤投手が見事なピッチングで幸先良いスタ-トを切り、ご存知の通り、中田選手も今では切っても切れない堂々たる日ハムの主力打者に成長しました。
 
そしてご自身の優勝コメントにもあるとおり、「北海道が一番になりました。自分は何もしなかったが、コーチ、スタッフの素晴らしさ、選手も最高の働きをしてくれた」と、周囲に気遣いを施し、自分のことには極めて控えめです。
 
また目指すべき新しい監督のスタイルになるのではないでしょうか。そして地域に根ざしている球団の素晴らしさも感じさせてもらったものです。自分のところさえ強くなれば後のことは知らないという、何処かの球団とは大きな違いですね。

2012.10.02

山田方谷 No.2287

山田方谷って名前をご存知でしょうか。私は知らなかったのですが、幕末期、破綻寸前だった備中松山藩の財政を立て直した方です。この藩は現在の岡山県高梁市に当たるところです。
 
当時の備中松山藩の負債額は10万両と言いますから、現在の100億円以上になります。これをたった8年ぐらいで、黒字に変え、しかも逆に10万両もの蓄財を残したと言います。以下は現代にも通じるその改革手法です。(一部省略)
 
幕末の日本には260余りの“藩”があり、それぞれ大名が経営をしていた。完全な自己完結型財政であり、石高制の崩壊と商人の台頭による貨幣経済の浸透で、ほとんどの藩が困窮していた。

開国後、力のある新進的な大名は商社化し、武士は商人化することで破綻寸前の財政を建て直した。備中松山藩もそのひとつ。その建て直しをわずか8年でなしとげた人物――山田方谷。藩政改革といっても上杉鷹山のような藩主ではない。

備中松山藩の農家の出身だが、学問で身を立て藩士になった、当時では異例の出世をした人物だ。養子藩主板倉勝静が、崩壊寸前の江戸幕府の寺社奉行、そして老中に大抜擢され、幕政に集中。そこで自らの師であり、絶対の信頼をおく方谷に藩の改革をゆだねたのだ。現代でいうと社長の腹心、参謀となる会社役員である。

作家の童門冬二氏は、その著書において「留守がちな社長の代行者。主人である社長が中央の連合団体の役員を務めたために、会社の業務は重役の方谷が背負って立った」や「養子社長と農民出身総務部長というコンビで改革を行なった」と表現している。

さて、方谷が改革にあたる前の藩の財政を見てみると・・・・・・。当時の経済力はその藩でとれる米の量(単位は「石(こく)」)で表わされた。国でいう税収の総額、会社でいう総売上高である。備中松山藩の場合公称5万石。親会社である徳川幕府には、この5万石に見合った税を納め続けていた。

ちょっとまった! をかけたのが方谷。藩の予算管理をする「大福帳」の整理(彼は日本で最初に簿記を実践した人物ともいわれる)、年貢高の調査を徹底的に行なうと、実質2万石にも満たないことが発覚。公称石高の半分にも満たない収入で、2倍以上の支出を行なっていたことになる。

メンツを重んじる時代だったとはいえ、これでは借金が10万両もありえる話だ。現代でも会社のよし悪しを判断するときに指標とする年商、大きく見せたい気持ちは経営者なら理解できるだろう。備中松山藩が行なっていたのは、まさに粉飾決済。

では、藩予算の5倍以上の借金をどうやって返したのだろうか? 改革の概要をかいつまむと以下である。

1. 借金元の大阪商人に藩財政を公開し、返済期限を延期してもらった
2. 家中に質素倹約を命じ、上級武士には賄賂や接待を受けることを禁止した
3. 過剰発行で信用を失った藩札を領民の前で焼却、新藩札を発行し兌換を義務化
4. 藩内で採れる砂金から農作業効率のよい「備中鍬」を作り、大ヒット商品となる
5. 「撫育局」を設置し、農産物の特産品化と専売化(タバコ、茶、ゆべし、そうめん、和紙を「備中」というブランドで売り出す)による藩の会社組織化
6. 中間マージンを排除するため特産品は船で江戸に直接運び、江戸の藩邸で直販
7. 藩士以外の領民の教育にも重点を置き、優秀者は出身に関わらず藩士に登用するという人材育成

現代でも通用する手法もある。これらを実践し、藩の財政を見事に立て直した。改革断行の裏には、農民上がりの方谷に対するねたみや悪口も多かったが、それもやがて減っていった。藩の財政ばかりを考え家庭を顧みず、山田家は窮乏。仕方なく山の中の荒地を開墾して食い扶持を稼いでいた、という方谷の身銭を切って藩のために尽くした姿に感動する者も多かったからだ。

トップによる改革は率先垂範が肝要だ。ただし、それを下の者に強要しないこと――これが方谷の考えだ。現在でも同じことがいえるのではないだろうか。「社長の私がここまで努力しているのだから、部下の君たちもそうしろ! 」といわれたら部下は反発する。方谷はそれがわかっていて、トップの板倉勝静にもその辺は釘をさしていた。

 
日本資本主義の父と言われる渋沢栄一氏も方谷の影響を強く受けていると言われます。やはりトップ自らの率先垂範でなければ大きな変革は望めないものです。現在多くの企業が置かれている、決して楽とは言えない日本企業再生のヒントとも言えるのではないでしょうか。

2012.10.01

力の差と国民レベルの違い No.2286

いよいよ今日から10月です。全てに良い季節だと思われますが、昨日の台風の影響はいかがだったでしょうか。私どもの地域は比較的雨もそんなに降らなかったのですが、場所によっては強風と大雨の被害があったことと思われます。
 
そんな中、静岡で親戚の不幸からお通夜があったのですが、台風がこれから来るというときでもあったので、早く出掛けてお通夜の前に失礼させていただきました。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
 
さて日中韓それぞれの国の対決は、中国に軍配が上がりました。と言ってもこれは女子ゴルフの話題です。日本女子オ-プンの最終日、12時過ぎからNHKで生中継があった関係で、日本人の誰でもいいから頑張ってくれとテレビにかじりついていました。
 
中継直後は宮里美香さんとか北田瑠衣さんがスコアを伸ばし、首位に迫る勢いでしたのでこれはいけるかなと思ったのですが、残念ながら後半のINコ-スで失速してしまいました。
 
優勝は中国のフォン・シャンシャン選手が飾りました。4日間とも首位でその体格同様に、堂々たる勝利だったと思います。何しろ日本選手と違って危なげのないゴルフです。
 
やはり日本女子オ-プンという国内最高の大会だけに、距離は長くラフも長く伸ばしている難しいセッティングです。このため日本選手など、パ-オンどころか、ミドルホ-ルなどグリ-ンのかなり手前にセカンドショットを外している始末です。
 
でも優勝したフォン選手や、やはり優勝争いをしていたパク・インビ選手などはそんなことはなく、飛距離の違いや、ラフからのショットの力強さに力の差を感じてしまいました。
 
また190ヤ-ド以上の長いショ-トホ-ルでのクラブ選択にしても、一緒に回っている木戸選手のウッドに比べ、フォン選手は何と5番アイアンです。これでは結果は致し方ないかなと思ったくらいです。
 
もう少し日本選手の奮起を促したいものです。それにしても日本の観客はマナ-がよいですね。尖閣諸島問題でその関係が揺れ動いている両国なのですが、そんなことはおくびも出さないほど、このフォン選手に対しても気持ちよい拍手を送っていました。
 
もしその立場が逆だったらどうでしょうか。おそらくその出場すら危ぶまれたはずです。このへんが中国と違った日本人のレベルの高さです。一部中国内では日本人作家の本を書店から外されるようなこともありますが、このようにスポ-ツや文化の世界にはこうした煩わしい問題を一切持ち込みたくないものです。