会長の”三行日記”
2011.01.13
あきらめない No.1936
斎藤佑ちゃんが鎌ヶ谷市の球場で合同自主トレを開始したところ、集まった見物客が何と2500人を超えるほどの人だったと言います。やはり本人が言っているとおり、何かを持っている人ですね。
このまま素直に順調に育ってくれることを何よりも願っています。そうすればプロ野球人気はもっともっと盛り上がっていくことと思われます。何しろ昨日集まった人の中には、プロ野球が何かということも知らない人がきっといたはずですから...
さて佑ちゃん人気の一方では、47歳になってまだ現役にこだわっている人がいます。昨年16年ぶりに古巣・西武に戻ったものの、1勝も上げられず1年で戦力外通告を受けた工藤公康投手です。
通告から3ヶ月余り経った今でも日本球界からはオファ-がなく、年明けから米国、台湾などの海外を含め、移籍先を探し始めると言われています。
今年5月には48歳になるという工藤投手に、何をそんなに現役にこだわり続ける理由があるのか、聞いてみたところ、次のような答えが返ってきたそうです。
「まだやれる、と思っているのが一番。ひじさえ良くなればいける感覚もある。人間って、どこまでできるのかな、と。やれるだけのことをやってダメなら納得できる。やりもしないで『辞めます』というのはもったいない」
いやはや、その気力は凄まじいほどのものがあります。また40歳を過ぎた頃から野球が楽しくなってきたと言います。「筋力は落ちていき若い人と力比べをしても勝てない。でも自分にはストライクからボ-ルにしたり、ボ-ルからストライクにできる技術がある」
そうした技術や精神力、情報分析力で野球なら勝てると言っています。引退するときによく後悔はないと言う人が多いものです。
でも工藤投手はもっとトレ-ニングのことを知っていればとか、お酒を飲まなければとか、自分は後悔だらけと言います。そして人間の限界について、乗り越えたことがないから乗り越えられないだけで、人間の能力はそんなに低くなく、もっと高いものだと信じているそうです。
「あきらめない」というのが、工藤投手の好きな言葉であるそうです。ここまで繋いでくるだけでも想像のできないハ-ドな練習や自己管理があったものと思われます。
ボロボロになった工藤投手は見たくないという人がいるかもしれません。でもここまで来た以上、もっともっと限界にチャレンジして、若き投手の良きお手本として、いつまでも君臨していてもらいたいものです。あきらめず挑戦し続ける姿はとても美しいものです。
2011.01.12
小さな幸せとは No.1935
昨年女性問題でいろいろと騒がれ、とうとう1勝もできずシ-ズンを終わってしまったタイガ-ウッズの記事を、あるメルマガで見つけました。「ニューズウイーク日本版」12月1日号に手記を寄せたのことですが、その抜粋を紹介していました。
車の事故で受けた傷は既に癒えたが、魂の痛みはもっと複雑なものだった。その痛みを和らげること、そして痛みを理解することはずっと難しかった
でも、これだけはわかった。わたしの生活はバランスを失い、優先順位が狂っていた。愚かな選択をして過ちを繰り返し、最愛の人たちを傷つけてしまった。その結果と責任を受け止めるのはもちろんだが、それ以上に自分の失敗から何とか学ばなければと、今も模索をつづけている
ゴルフは善くも悪くも自分本位の競技だ。かなりの部分が自分の能力に左右される。そのためわたしは、ひとりで世界と渡り合えると思い込んでしまった。ゴルフで成功できれば無敵なのだ、と。いまはわかる。どんなに強い人間でもひとりでは生きられない
わたしはいま、少しずつだが、失ったバランスを取り戻しつつある。立ち直るまでの道のりは長いけれど、以前は見過ごしていた大切なことに気づき始めた。人生にはトロフィーではなく、人の笑顔をもたらす勝利があること。日々のささやかな出来事が喜びを与えてくれること
チップショットの練習より息子のチャーリーをお風呂に入れるほうがいい。レストランで食事するより、チャーリーと娘のサムのためにマカロニ&チーズをつくるほうがいい。ひとりでテレビのチャンネルを替えているより、かれらとアニメを見たり本を読んで一緒に笑っていたい
人生には時間をかけ、努力をして変えられること、変えなければならないことがある。いまのわたしは1年前と同じ人間ではない。わたしは変わることができた
何百億稼ぐという、このタイガ-ウッズでも幸せはお金では買えません。1月7日の天声人語にも下記のような記述がありました。
寒い季節ほど、人は「幸せ」への感度をふくらませるように思う。その幸福感は、収入が多いほど大きいものでもないらしい。米国で調査をしたら、日々の幸せを感じる度合いは年収7万5千ドル(620万円)ほどで頭打ちになるとの結果が出たという。
ノ-ベル経済学賞の受賞者である教授は「高い年収で満足は買えるが、幸せは買えない」と結論づけたそうだ。幸せ者とは、小さな喜びを十分に味わえる人、ということになろうか。
同じタイガ-でも今、タイガ-マスクの伊達直人たる名前を名乗った、善意の運動が全国に広がっています。養護施設などにランドセルやおもちゃなどを送り届けているものです。
とかく暗い話題が多い中、姿かたちを現わさず、さりげなく繰り返すこの運動に、久しぶりに世の中がほのぼのと善意に包まれ明るくなろうとしています。また偶然でしょうが、直人とは時の首相とも同じ名前です。その対比がいかにも皮肉めいていて面白いものです。
とにかく、このような運動なら、どんどん全国に広がってよいのではないでしょうか。またマスコミはこういう事こそ、大きく報道すべきだと思います。小さな喜びを味わえる人間に是非なりたいですね。
2011.01.11
新年初の座禅修養会から No.1934
昨日久しぶりに出掛けた座禅の修養会で、龍卓寺の老師・後藤栄山さんが話されていた1つに次のようなことがありました。「親切」という言葉についてです。
この「親切」は文字だけ読んだら、親を切るということですからちょっと大変なことのようにも受け取られますが、そんな意味ではなく、親しくなり切るというように解釈すればよいみたいです。
ですから親切という行為で、それを施した人間と、そうされた方が一体となるわけで、親しくなり切る関係を結ぶことができるのです。
また他人にはこの「親切」が、自分自身に対しては「辛切(しんせつ)」と書いて、甘えを許さず自分に厳しく辛口に対処せよと話されていました。
それからもう一つ、法や定めに対しては「親切」を「深切」と読み替え、深く捉えて行動を慎まなければと説いていました。
またその他、法話の中では1ヶ月1回のこの座禅だけではなく、1日10分か15分でいいから家の中で座禅を組んで、瞑想し自分自身を振り返ることも必要だと話されていました。
やはり現在の忙しさにただ流されるだけではなく、短い時間でもゆっくりと自分を見つめ直すことが求められているということでしょう。
我が社の新年早々の朝礼で、当番の女子社員からこんな素敵な話を聞くことができました。昨年の暮れ、他の者は全員出張に出ていた関係で、一人会社の留守を守ってくれていたわけですが、28日の最終日に郵便屋さんが訪ねてきたそうです。
いつもは下の郵便箱に入れていってもらうのですが、その日は速達か何かあったのでしょう。事務所のある2階まで上がってきて、こう話されたそうです。
「今日でこの辺の配達は全て終わります。1年間いろいろと有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。」この丁寧な挨拶に続いて「良いお年を!」の言葉まで付け加えたそうです。
この言葉で女子社員はすっかり嬉しくなったそうです。これで1年気持ちよく締めくくることができると感じたのでしょう。まさにこれが老師の言われる、言葉の親切ではないでしょうか。もっともっとこの狭い日本、こうした素敵な関わりが持てることができたらと願っています。
